081話「獣王の戦_06」
めっちゃダッシュした。
どう考えたって夜明けを待ってから出発するべきなのだが、そういう常識は獣王には通じなかったようだ。
いや、そもそも人族の行軍と獣人の行動を同一視する方がおかしいのか。
ともあれ、ガエリコ村には待機させていた馬車とプーキー・シャマル、それに曲剣使いのジェイドがいたので、その二人とレガロには馬車で移動してもらう必要があった。そういうわけで獣王のダッシュには付き合わせず、後から追いかけてもらうことに。
ついでに先のスペイド城戦での疲弊が残っている連中も馬車と一緒に後追い組に混ざるよう指示しておいた。何故か私が指示したのだが、獣人たちは当たり前のように頷いたので、ちょっと変な気分になった。
さすがになんとなく察するものがある。
獣王ランドールと対等に話せる者が、獣人の中にはいないのだ。
頭脳担当のレクス・アスカも、息子のプラド・クルーガも、おそらくガーランドの方も、あるいは側近みたいな連中も、はたまたプラドの母親だったり……近い者から遠い者まで、獣人たちはランドールの『下』に位置している。
だから傍から見て対等に話をしているクラリス・グローリアに、獣人たちは畏敬を抱かざるを得ない。何故なら自分たちには絶対にできないことだから。
もちろん私にとっては獅子王ランドールだろうが、そこらの犬獣人だろうが、暴力を行使されば殺されることに変わりがないだけの話である。どちらにせよ不死の私を殺しきれないという話でもある。
と、そんなようなことをユーノスにお姫様抱っこされながら星空を見上げて考えていた。なんか喋ろうとすると舌を噛むからである。
ランドールの疾駆に追いすがることにしたのは、全体の四分の三ほどだろうか。
いくら獣人の領域のほとんどを平原が占めているとは言え、視界の利かない夜の中を結構な速度で走るのは危ないと思うのだが、誰もが当たり前みたいに走ってるので、ひょっとすると私の常識を修正した方がいいのかも知れない。
星空の下を走る獅子王の背中は私からは見えなかったけれど、なんだか遊び場に向かう子供みたいだなぁ、なんてことを思った。
たぶん、ただの先入観だ。
◇◇◇
結局、夜通し走り通して朝日が登ってきた頃、獣王の都に近づいた。
なんと驚くべきことに、脱落者なしである。
たぶん六時間くらいは走り通しだったはずだが――まあ、私は途中で寝たけれども――誰もはぐれていなかったし、誰も走り疲れて集団から置いてかれたりしていなかった。おそらく、ランドールはかなり手加減して走っていたのだろう。
そんなわけで、都の中心から外れた、例のユーノスたちが通せんぼされていた集落に到着し、そこで待ち構えていた狼獣人の女戦士、リル・リグリィルが状況を報告してくれた。
「北方より押し寄せた『反獅子連』が王都へ向かって進軍して来ました。途中の集落は踏み潰されたようです。現在、ガーランド様とプラド様が獣人たちを率いて迎撃に出ていますが、膠着状態です」
「膠着だぁ?」
情報自体はガエリコ村でブルノアがもたらしたものと、そこまで違いはない。
しかしあの時点から六時間以上は経過しているはずなのに、戦況が変わっていないのは不可解である。まして獣人同士の戦だ。
進軍、蹂躙。
それが獣王の戦だった。
だっていうのに――膠着。
押したり引いたりが存在するということだ。
「『反獅子連』の動きが奇妙です。ガーランド様、プラド様が軍勢をふたつに分けて連中を迎撃しようとしましたが、押した分だけ退却されるようです。深追いをするのは危険だとプラド様が、退いたのだから押し込むべきだとガーランド様がそれぞれ主張し、こちらはこちらで膠着してしまっている状況です」
「なんてぇ無様だ。笑えねぇ」
憮然と呟くランドールに、報告のリルがびくりと身を竦ませる。ランドールについて来た獣人たちからも、やや剣呑な雰囲気。
私はユーノスに合図して地面に降ろしてもらい、不機嫌そうな獣王に構わず話しかけることにする。
「んで? 獣王様は現状を把握して、これからどうするんだ?」
「『反獅子連』ってぇのが攻めてきてるんだ。名前の通り、この俺に反抗してる勢力だろ。それがわざわざ留守中に押し掛けて来やがった――まあ、不肖の息子に思うところがないわけじゃねえが、連中を留めておいた、そこについては褒めてやってもいいだろう」
「つまり?」
「俺の客だ。俺が相手をしてやるってこった」
ニタリ、と獰猛に笑うランドール。
私もにっこりとクラリスマイルを進呈。
「だったら見学させてもらおう。ああ――その前に、おまえの頭脳がなにをやってるのか、気になるな。リルは知ってるか?」
獣王の圧が逸れたからか、狼獣人の女は話を振られてほっとしたように頷いた。
「戦場となっている場所の、最前線からは後方……といったところでしょうか」
「前線には出てるってことか」
「説教だな」
と、ランドール。
思わず私は笑ってしまう。
「いいな。変な連中に好き勝手やらせて、プラドとガーランドも上手いこと連携できてないってんだから、そりゃ頭脳労働担当の責任だ。説教してやればいい」
◇◇◇
移動に次ぐ移動、そんでまた移動。
もちろん今回の移動もダッシュである。
言うまでもなく私は走ってない。『おんぶに抱っこ』とはこのことだ。
位置的には獣王の都から、ほぼ真北。都の周辺にある綿花畑が途切れたあたりにある平原。そこに言うなれば『陣』が敷かれていた。
木の杭を地面にいくつか突き立てて布を張っただけの簡易的な陣地、その真ん中にレクス・アスカはいた。
相も変わらず着物めいた衣服で、感情の薄い顔をしてぼんやりと突っ立っており、そんな彼女の横には山猫獣人のニーヴァが控えている。
周囲には何十人もの獣人たち。
そして女豹の視線の向こうには、もっとずっとたくさんの獣人たちが、きっと。
「おう、レクス。説明しろや」
ずかずかと大股で女豹へ詰め寄る獅子王は、傍から見ていると美少女に詰め寄るマッチョなおっさんという絵面で、なかなか犯罪的だ。
レクスは表情を変えずランドールに答える。
「『反獅子連』を名乗る獣人の軍勢が攻めてきました。対処するためにガーランド様に出てもらうことにしましたが、プラド様が自分も出ると言い出したので、こちらの足並みが揃っていません」
「なんでガーランドだけにやらせなかった?」
「結果から見れば間違いではなかったと考えています。『反獅子連』の動きが獣人の軍勢にしては奇妙です。ガーランド様だけに任せていた場合、大きな損害が出ていた可能性が高いと思います」
「策を使ってくる、ってことか?」
「そう考えています。我が王よ、いかがなさいますか」
獣王の圧にも顔色ひとつ変えないレクス。その胆力は称賛すべきだろう。他の連中はだいたいランドールにビビっていた。レクスがビビっていないかどうかは知らないが、少なくともそれを表に出さないことには成功している。
「わざわざ訊かなきゃ判んねぇことか?」
獰猛に笑うランドールに、無表情のレクスは普通に頷く。
「随分と急いで戻ってきた様子なので、休憩が必要かと思いまして」
「要らねぇ。出るぞ。敵の場所を教えろ」
「あちらです」
指差す先は、平原の北方。
目を凝らせば――豆粒くらいの大きさで、獣人がたくさん。
百や二百ではきかないだろう。
「数はどのくらいか、把握してるのか?」
気になって聞いてみれば、レクスは淀みなく答えを返してくれる。
「おおよそ八〇〇前後かと。ブルノアを連絡役に使いましたので、上空からの偵察はクオンに任せましたが、この規模の人数を正確に把握するのは難しいでしょう」
「そりゃそうか。んで、『反獅子連』の構成は?」
モンテゴたちのスーティン村を襲ったのは、狼獣人に狒々獣人に蜥蜴獣人に犬獣人とバラエティに富んでいたが、まだ姿を見せていない――しかし絶対にいるはずの種族があるのだ。
厳密に言えば既に一人は姿を見せていて、とっくに焼かれて土の中にいるが。
「主だった戦力は狼獣人が多いですね。彼らの配下になっている犬獣人や、牛獣人も混ざっています。おそらく後方には狸獣人も。こちらは支援でしょう。糧食の運搬などが軍には必要ですから」
「狐は?」
「……います」
問いに、ほんの一拍だけレクスは間をおいて頷いた。
そりゃそうだ。いるに決まっている。いないわけがない。
「十年前に獅子王が追放した狐人じゃろ」
六本の白い尾を持つ狐人が、皮肉げに唇を吊り上げて言う。
レクスはなにも言わなかったし、ランドールもセレナの言葉をただ無視した。
それでも、妖狐はくつくつと笑って続ける。
「こうまで膨らんだ軍勢を御すとなれば、中心人物はカイラインじゃろうな。黒い九本の尾を持つ、狐人の中でもとびきりの妖術使い」
「友達か?」
「はっ、莫迦を言うでない。あんなのを友などと呼びとうないわ。その実力と頭脳の冴えは認めてはおるが……結局のところ、獣王に追放された負け犬よ」
我と同じな、とセレナは微笑む。
私はちょっと考えて、うふふと笑ってやった。
「おいおいセレナ、だったら負け犬同士で獣王に牙を剥かなくていいのか? こんなところで自嘲してる場合じゃないだろ」
「それこそ莫迦も休み休み言えというものじゃな。あっちにいて楽しいことがあるのかえ? おぬしが魔族共を変えたのじゃ。おぬしがキリナを変えた。我もまた、お主に付き合っている。どうしてだか判るか、クラリス・グローリア」
簡単だ。
これに対しては胸を張って答えてやれる。
「楽しいからだ」
「その通りじゃ。こっちの方が楽しい」
釣り上げられていた唇が、やわらかく解ける。
見てるこっちがうっとりしそうな、蕩けるような妖狐の微笑み。
――と。
不意に空から、なにかが墜落してきた。
どぞっ、という質量を感じさせる音と共に、ちょうど私とレクスとランドールの中心あたりに、人型のナニカが。
いや、違う。
背中に翼を持つ鷲獣人だ。
ブルノア・キスクの息子、クオン・キスクが。
落ちるような速さで、着陸したのだ。
見れば身体には何箇所か目立つ裂傷があり、かなりひどく出血している。
しかしその当人は己の怪我など知ったことかと、声を張り上げた。
「ガーランド様が――戦死しました!」
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