076話「獣王の戦_01」
「うぐぐ……っ! ぐ、はっ!」
マイアに襟首の後ろを掴まれた状態で中空を引きずられていたレガロは、運搬が始まってすぐに意識が遠のきかけていた。
まさか華奢な女に――魔族ではあるが――襟首を掴まれた状態で、中空を引っ張られるとは予想できるわけもない。
普通、人を引きずるなら、地面を引きずるものだ。
移動速度が早すぎて、地面から足が離れ、身体が真横を向いたまま、スペイド城下を突っ切る羽目になるだなんて。
途切れがちな意識の片隅、視界の端でかろうじて確認できたのは、クラリスの仲間たちの誰もが同じ速度で走っていたこと。そして彼らの疾駆は獣人たちのそれに遜色なかったこと、ユーノスというらしい魔族に抱きかかえられた状態のクラリスが、ひどく楽しそうに笑い声を上げていたこと。
そしてようやく地に足がついた。
と同時に、腰も打ちつけた。マイアがレガロの襟首から手を離したからだ。
「と――とんでもないな、あんたらは!」
げほげほと咽ながら、レガロは自分を運搬した魔族の女を見上げる。常軌を逸した駆け足だったにも拘らず、汗ひとつかいてない。
「とんでもないものは、たぶんこれから見られるわよ」
形のいい唇を吊り上げ、槍を持ち上げるマイア。鋭く尖った穂先が示すのは、スペイド城の城門。この場合は城を取り囲む城壁、その言うなれば城の鎧に取り付けられている分厚い扉だ。
平時は開かれている。
レガロの知っている限り、城壁に備えられた門が閉ざされたことなど、数えるほどしか見たことがない。それこそ大規模な訓練のときぐらいのものだ。
獣人たちもクラリスとその仲間たちも、常軌を逸した速度で城下町を抜けたが、それでもスペイド側は城門を閉ざすことはできたらしい。
逆に言えば戦力を城の外へ出す暇はなかったということだ。見れば城壁の上に弓兵が駆けてくるのが確認できるが、部隊行動が取れているふうではない。
「しかし……あれを、どうするんだ?」
城門は閉ざされているのだ。
レガロたちは城門よりだいぶ手前で立ち止まっている。そして当然――獣人たちは立ち止まったりしない。ひとかたまりのケモノたちが、レガロの見慣れたスペイド城へなだれ込んでいる。
ならば獣人たちは、あんな速度で城門へ突撃するのか――?
疑問にはすぐに答えが出た。
「グゥルオォオォォォァァァ――!!」
大気が震える。
城門へ駆けるケモノたちの中から、一頭の獅子が飛び出した。大気の振動が獅子の咆哮であったと気づいた瞬間、レガロは身の内に奔る怖気を自覚する。
強大な魔力の高ぶりを、魔術師であるレガロが感知したのだ。
なにかとんでもないことが起こる。
マイアが口にした科白と全く同じ予感を抱きながら、獅子の動きを注視する。
獣人たちの塊から一人突出した獣王ランドールが、咆哮を上げながら右腕を振り上げて――振り下ろす。
空間を、爪が引き裂いた。
◇◇◇
レガロが得意とする『爆圧』の魔術は、空間上の任意の地点に爆発を起こすというものだ。爆発する火球を放つのではなく、レガロが指定した地点に『起こす』のが、レガロの魔術の特異性と言える。
普通の魔術師は放射する魔術を使うことが多い。これは魔術というものが『放つ』のに向いているからだ。石塊だって投げる方が簡単だ。レガロにとってはあまり向いていないというだけで。
あるいは優れた騎士などは斬撃を『飛ばす』ことがある。魔力を込めた剣撃が、当人の意思に従って『放たれる』のだ。ロイス王国ではエスカード出身のなんとかという騎士が剣閃を放って大岩を斬った、なんて逸話がある。
ならば、獣王は。
ランドール・クルーガの爪撃は、空間上に三本の爪痕を刻みながら、城門を引き裂いた。巨大な――あまりにも巨大な爪だ。ちょっとした家屋なら倒壊しているだろう。ランドールの身長の、三倍から四倍は大きな『爪』だった。
放ったのではない。
飛ばした、というのも違う。
レガロにはそれが瞬時に理解できた。自分が『爆圧』の魔術を行使するのと同じように、獣王はいうなれば『爪撃』を『そこ』に出現させたのだ。
刻まれた爪痕は、城門を半ば破壊していた。破壊槌を何度も打ちつけたって打ち破るには苦労するはずの、城を守るための盾が、ただ腕を振るっただけで。
さらに咆哮が響く。
同時に――『爪撃』が、もう一度。
右から振り下ろし、今度は左から。目を疑うような、自身の正気すら疑うほどに巨大な『爪』が、城門を引き裂いた。
「ぶち破れ、野郎ども!」
獣王が叫ぶ。当然とばかりに獣たちが城門へなだれ込む。
最初に突撃したのは、猪の獣人だろうか。肩口からの体当たりで、あっさりと城門は破られた。とっくに九割方は壊れていた城門を瓦解させ、落下する瓦礫など知らぬとばかりに獣たちが侵入していく。
城壁の上に駆けつけていた弓兵たちが驚愕に立ち竦んでいるのが見えた。それはそうだろう、安全圏にいて、安全な側にいるはずのレガロでさえ立ち尽くしているのだ。彼らはこれから、あんなものを相手にしなければならない。
気の毒だ。
そう思った。
しかし「こちら側に立っていてよかった」という気分にはならなかった。周囲を見回せば、魔族たちだって別に楽しげな顔はしていない。
いや、一人だけ――クラリスだけは。
にんまりと、遊び場の子供みたいに衒いなく笑っている。
「楽しそうっすね、あんたは」
思わず口にしてしまったが、ユーノスの腕に抱かれたままのクラリスは、ほんのわずかだけ笑みに厭らしさを混入させてレガロを見返した。
どきりとする。
なにか、胸の内側の柔らかい部分を冷たい手で撫でられたような。
「そりゃあそうさ。こうなるだろうと思って、こうなるように向かわせて、実際こうなってる。それが嫌だったらこうならないようにしてるだろ」
――おまえはこうならないと思っていたのか?
魔族の腕の中、金髪の少女が笑う。
レガロは少しだけ沈黙を置き、どうにかこうにか軽薄に笑ってみせた。
その通りだと思ったからだ。
これまでの人生など捨てたつもりだった。そもそも、獣人の村の襲撃が失敗した時点で、レガロは死んでいてもおかしくなかった。元の生活に戻るつもりなどなかった。そして、たまたま、クラリスが目の前にいた。
流された。
その覚悟もなく。
今だって――別に、覚悟なんてものはできていない。
「俺ぁ、愚鈍の間抜けなんでね、目の前の光景を見てから、ようやくこうなるのが当然だって気づいたんだが……」
へらへらと笑いながらレガロは立ち上がり、衣服に付着した砂埃をいいかげんに手で払って落とした。
獣人たちはとっくに城壁の内側へ吸い込まれている。
今まさに、目にしたくもないような光景が広がっているに違いない。
そしてレガロには、それを悼む資格などないのだった。
覚悟はない。
ただ、諦めた。
あっちの中には、自分はもういないのだ――と。
「ねえ、おじさん。あんたも失くしたのね」
ふと、すぐ近くに立っていた魔族の少女が挑戦的な笑みを見せながら言った。隣には狐獣人の子供が寄り添うように立っており、こちらはどういうわけか嬉しそうに微笑みながらレガロを見上げている。
「大丈夫ですよ。すぐに、楽しい毎日が来ます」
「最初のうちは戸惑うだろうけど、でも、おじさんは、こうするって自分で決めたんでしょ。ちゃんと役に立って見せなさいよね」
「……こいつぁ、参った」
両手を上げて降参を示せば、少女二人がにんまりと笑顔を見せ、クラリスがそれに負けないほど楽しげに笑いながら、言った。
「さあ、さあ、さあ――後は最低で最悪の乱痴気騒ぎだが、傍観者を気取るつもりはないぞ。レガロ、偉そうなやつがいる場所まで案内しろ」
まったく、なんだってこんな少女に流されてしまったのだろう。
酒が欲しい。いや、酒を呑んでいないからか? 判らない。いずれにせよ、こうするしかなかった気もするし、結局はこっちを選んでいるとも思う。
「へいへい、了解です。ご案内しましょう」
だからレガロは結局、できるだけ軽薄に笑うしかなかった。
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