075話「獣の戦_10」
私が生まれ育ったグローリア伯爵家が所有していたのは、それはそれは大きな屋敷だった。グローリア伯爵領の、やや東寄りに位置するグローリア邸。
思い出すのは、色鮮やかな花々が咲き誇る庭園。
まだ私の『無才』が発覚する以前、蝶よ花よと愛を注がれていたクラリス・グローリアは、あの場所を散歩するのが好きだった。
が、今はその思い出はどうでもいい。
グローリア伯爵家が住処としていたのは屋敷であり、スペイド男爵家が所有しているのは城である、というのが重要だ。
城とは基本的に戦争の道具である。
この場合、スペイド城は森の奥に広がる獣人の領域から獣人たちが襲って来ることを警戒しての軍事施設だ。それはロイス王国北部にあるエスカード辺境領が対魔族用の場所であるのと似たようなものだ。
なので普通に考えると、城を攻めるのは不利である。
そりゃそうだ。守るための設備を攻めるなんて、あまり賢い話じゃない。しかし古今東西――これは『私』の方の知識ではあるが――城なんてものは、いくらでも攻められているし、いくらでも落ちている。
「……つーわけで、スペイド城は城下町が囲ってるような構造になってますね。獣人の領域側に町が厚くて、反対側が薄い。少しだけ丘になってて、南に川があります。この川は城下町を横断してますが、大して大きな川じゃありません。戦術的に使えるかっていうと、まあ、無理ですね」
猪獣人ゾンダの肩に乗り、捕虜に取ったレガロの説明をふむふむと咀嚼する。
現在、私たちを含む獣王隊はとっくに森を抜け、いくつかの村落を横目にスペイド領の街道を行進中。
軍事行動として良いのか悪いのかをジャッジできるほど私は軍事に詳しくないが、この行進はガエリコ村を出てから一度も止まっていない。休憩なしの歩きっぱなしだ。これが甲冑を身にまとった騎士団であれば最低の行軍だろう。
しかし歩を進めているのは獣王と愉快なしもべたち、足すことのクラリス・グローリア御一行である。
エスカード領から魔境の森を奥へ、そして獣人の領域までユーノスたちとひたすら歩き続けたのはもはや懐かしさすら感じるが、あのときは年少組のカタリナだって森を進むのに疲労など覚えている様子はなかった。
だからたぶん大丈夫だろうなと思って前日にランドールへ進言しておいた『休憩なしでスペイド城を目指そう作戦』は順調に遂行されつつあった。
「いや、それにしたって大変ですがね」
と、唯一の人族であるレガロがぼやいたが、ローブを身に着けた中年の魔術師にしては意外に体力がある様子。
「そりゃあ腐っても軍人ですからね。ああ、いや……でした、というべきか。ゾンダ殿の肩に乗っているクラリス殿は、楽そうでいいですねぇ」
「莫迦を言え。私が歩くと置いてかれるじゃないか。『兵は拙速を尊ぶ』だぞ」
「知らん格言ですね」
俺ぁ学がありませんから、とレガロは自嘲したが、うっかり日本のことわざを口に出しただけだ。いや、どうだろう、こういうのは異世界だって共通のような気もするので、たぶんどっかの誰かが似たようなことを言っているに違いない。
「――が、言いたいことは判ります。これだけ速く行軍する軍隊なんかありゃしませんよ。おそらく解放した部下だってとっくに追い越してるでしょうよ」
「それに、この『獣王隊』を目撃されたところで、我々より速くスペイド城へ報せることも難しいだろうな。そりゃあ、早馬なんかを出せばちょっとは時間差がつくだろうが、そのちょっとでなにができる?」
「『拙速を尊ぶ』ってわけですか」
「それで?」
と、口を挟んだのはマイアだ。
「人族の常識から考えられない速度でスペイド城に乗り込んで、獣王たちが暴れ回る。あたしたちはどうすんのよ? 連中に乗っかって、城で人間を殺しまくればいいわけ? そんなことのために呼び付けたんじゃないでしょ?」
言葉尻は疑問形だったのに、口調には確信があった。
クラリス・グローリアの思惑が、そんなところにあるはずがない、と。
「まあそうだな。というか、それは獣人たちの仕事だから私たちが取っちゃ駄目だぞ。村を襲われたのは獣人たちで、その獣人たちは獣王ランドールの民だ。私の仲間が襲われたわけじゃない」
「っつーことは、見学だけか、クラリスは?」
尻の横から声がした。
私に肩を貸してのしのし歩き続けてくれている猪獣人のゾンダだ。
「基本的にはそうだな。おまえたちも、反撃以外ではなるべく殺すなよ。あっ、でもそうだな……なんか宝物庫とかないか? せっかくの城だし、希少な魔法の道具なんかがあれば、火事場泥棒していこう」
「……別に、高潔さで不殺を言い出したわけじゃないのね」
「それが楽しければそうするが……マイア、知らないなら教えてやる。高潔さというのは無責任に他人へ押し付けて自分が楽をするための言葉でしかないぞ」
「あっそ。そうじゃないことを祈っておくわよ」
「祈りか。一体何処の誰に?」
「あのあたりの雲に」
槍の穂先が示したのは、ひどく晴れた空の中、ぽつんと揺蕩う白の一片。
実に素敵だと思った。儚いところが、特に。
◇◇◇
街道を進み続けると、必然的に城下町が見えてきた。
その奥に建っている立派なスペイド城も。
「脇目なんざ振るんじゃねぇぞ! まっしぐらだ! 城に行くぞ!」
轟、と大気が揺れるような獣王の怒声。
呼応するように獣人たちが各々の声を張り上げ、それが鬨の声となった。
体毛の目立つ獣人たちはその毛を逆立て、人族に近い顔をしている獣人たちは高揚を隠しもせず、私を肩に載せていたゾンダはむんずと私の襟ぐりを掴んで地面にぽいと放り投げ、雄叫びを上げながら走り出す有様。
ちなみにというか、私のことはユーノスが普通にキャッチしていた。ふわっと受け止められたかと思えば、お姫様抱っこ状態だ。
「出遅れるぞ。どうする?」
「私たちは固まって動くぞ。当然、ついていく。マイアはレガロに目を配ってやってろ。逃げ出す心配はしてないが、私たちにくっついてることで面倒があるかも知れない。とりあえずは、ランドールを追いかけよう」
「おまえを抱えていると剣が抜けないが」
「今回はたぶん出番がない。ユーノスはそのまま私を運んでろ。なんかあったらセレナ、キリナ、カタリナ、それにマイアがいる。なるべく殺さず、でも危険だと思ったら、気にしないでぶち殺せ」
「はい!」
「判りました、クラリス様!」
「まあいいじゃろ」
「まあいいわよ」
「……そんな大雑把な指示でいいんすか?」
「臨機応変ってやつだ。行くぞ。走れ走れ! ランドールに置いてかれる」
「走ってる最中は喋るな。舌を噛む」
そう言って、ユーノスは私を抱きかかえたまま強く地面を蹴った。一歩の歩幅が信じられないような長さと速さで、疾駆する獣人たちにも全く引けは取らない。いや、たぶんカタリナとキリナがついて来られるように手加減しているだろうから、本気を出せばもっと速いのだ。
城下町の景色が、まるで自動車に乗ってるみたいに流れていく。セレナもキリナもカタリナも同じ速さで駆けている。マイアはレガロの襟首を引っ掴んで走っており、中年の魔術師は中空を引きずられているような不思議な光景になっていた。
まったく、『無才のクラリス』としては羨ましい限りだ。
嫌な気持ちには一切ならないが。
「うふふふ。莫迦め、私からお喋りをとっベチ! 痛い! 舌を噛んだぞ! でも私はすぐ治るのだ。うふふ! ふははは! さあ行くぞ! 特等席で見物だ!」
ようやく面白くなってきた。
でも、まだだ。
もっと楽しい場面が先にある。城の中ではない。その後だ。こんな場所でやたらめったら暴力を振るうだけなんて、そんなものじゃない。だけど、とりあえずは目先を見よう。見物してやろう。
――獣の戦を。
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