071話「獣の戦_06」
「どういうことだ!? どうして犬獣人ではないケダモノが大挙して来る!?」
指揮官が怒鳴り散らしたが、報告に来た兵にだって判るわけがない。
レガロは窓から顔を出し、村落の外側へ視線を向けた。運が良いのか悪いのか、方向は合っていた。ちょうど南側から、複数の獣人たちがこちらへ駆けているのが見える。数は少なくないが、多くもない。
十より多く、三十より少ない――か。
肉眼で視認できるような距離にまで肉薄されている。
一刻の猶予もないとはこのことだ。
窓から顔を引っ込め、レガロは頭蓋の内側で勘定を済ませる。村に接近している獣人たちは多くて二十五ほどに見えた。レガロが指揮官補佐を務めている追撃部隊は全部で五十四。本来はあと六人いたが偵察に出したら死体になってしまった。
こちらの魔術師はレガロを含めて三名、残りは騎士と兵士で、森を横断してきたので馬もないし槍持ちもほとんどいない。
結論――無理だ。
間違いなく全滅する。
「撃退だ! 全兵士に通達しろ、正面から打って出る! 嫌ったらしいケダモノ共にスペイド領兵の恐ろしさを味わわせてやアバガッ!」
指揮官の言葉尻がおかしくなったのは、レガロが『爆圧』の魔術を彼の頭部付近に使用したからだった。
ここまで差し迫っては、無能の話など聞いていられない。
気絶してごとりとその場に倒れる指揮官をレガロはなんとなく足先で小突いてから、報告の兵へ向き直った。
「撤退するぞ。指揮官殿は錯乱したあげく頭に血が上って失神してしまったようだ。しかし彼の高潔な意志は尊重して差し上げよう。指揮官殿と何名かを囮にして、残りの全員で森を越えてスペイド領へ戻れ」
「そ、それは……しかし――」
「なんだ、他になにか方策があるのか? 猶予は本当にないぞ。さっさとしろ。村を占拠するのが失策だった。獣人たちに交渉が通じるとも思えんが、どうにか時間だけは稼がねばなるまい。……ちっ、なんだって酒を忘れたんだ、俺は……ああ、おい、指揮官殿を担いで階下に持ってくるように」
報告の兵にそれだけ伝え、レガロは早足で部隊に通達を行うことにした。
別に、逃げるなら一人でさっさととんずらしてしまってもいいのだが、さすがに数十人分の命を囮に自分だけ逃げてしまえば、残りの人生は苦いだけのものになりそうだ。酒だって苦いだけなら呑みやしない。
作戦本部として接収していた村長の家を出ると、追撃部隊の全員が家の前に集まっていた。ちょうど村長の家の前が広場になっており、おそらくは元々この村を使っていた犬獣人たちも、なにかの連絡事項があればこうして集っていたのだろう。
「今回の追撃は指揮官殿の失策により続行不能となった。おまえたちも判っているだろうが、現在、まさに獣人たちがこの村へまっしぐらに走ってきている。猶予が本当にない。よって指揮官補佐の俺が命じる」
なんだってこんなことを?
レガロは胸の内に湧く自問を苦笑で抑え込み、前列でレガロに視線を注いでいる憐れな隊員を何人か指さしていった。
「悪いがそこのおまえと、そっちのおまえ、それからさっき報告に来たやつ、それに間抜けにも気絶している指揮官殿と俺を残して、他の全員は撤退だ。着の身着のまま、用意も音頭も要らん。真っ直ぐ走って森に行け。森に入ったら犬獣人に襲われるだろうが、どうにかしてスペイド領へ戻れ。そして誰かに状況を知らせろ。なぁに、責任は指揮官殿にある。そしておそらく、その指揮官殿はもう喋ることもない。じゃあそういうことだ。行け!」
と言ってみたが、誰もが当惑するばかりだ。
それも予想していたので、レガロは中空へ向けて『爆圧』の魔術を放ってやった。威力よりも派手さを重視で。
腹に来る破裂音と、自分たちに届く熱風。
「――行け! 一刻の猶予もないぞ! 走れ走れ走れ! 俺たちが稼ぐちょっとの時間で、死にものぐるいで距離を取れ! 行け!」
それでようやく部隊が動きだした。
いや、それを部隊というのは正確ではないだろう。部隊だったものが、個々人に千切れてそれぞれに走り出しただけだ。しかしおそらく、その方が生存率は上がるだろう。部隊行動をしていては速度を失う。
脱兎のごとく、なんて言い回しは、獣人の国に侵攻した人族としては大層な皮肉になるのだろうが、レガロとしてはどうでもよかった。
指揮官を引きずって家屋から出てきた伝令兵へ、苦笑交じりに状況を話してやるのが、まずはやるべきことだった。
◇◇◇
「――あ? なんだ? ちょっと待て。なんでそっちに行く……?」
囮の三名とレガロで指揮官を引きずりながら村の南側、入口とでもいうような場所まで辿り着いたときには、状況が理解できた。
逃した部隊員のうち十名くらいが、獣人と戦っているのだ。
「おいおいおいおい! なんでそんなことを……! 莫迦が! 死ぬだけじゃねぇか……こんな任務で命を張る意味があるかよ――!」」
口からそんな言葉が垂れ流されるが、届くはずもない。それに時間稼ぎというにも、さしたる意味はなさそうだった。
こちらへ駆けている獣人たちの脚がまるで止まっていないからだ。鬱陶しい枝を払うような雑さで、隊員たちが薙ぎ払われている。
そしてもう、獣人たちは目と鼻の先だ。
「話が通じる者はいるか!」
仕方なく、やけっぱちで大声を出す。
どうせこの状態から逃げ出すのは不可能だ。殿として戦闘したところで獣人にあっさり殺されるのがオチだろう。
だったら少しでも時間を稼げる選択をするだけだ。
当然というべきか、先頭を駆けてきた獣人――猫の類の獣人だろうか――は、レガロの大声など聞いてもいなかった。その後ろを駆けている別の獣人も同じようなものだ。まったく、どいつもこいつも聞く耳を持っていない。酒が欲しい。いつもの安酒でいいのに、本当に失敗した。
「くそったれ」
舌打ちをひとつ。それから口の中で詠唱を転がし、前方の空間へ向けて『爆圧』の魔術を展開――発動。
ほとんど唯一と言っていい、レガロにとって即時発動できる魔術だ。指向性を持たせて、向こう側にだけ爆圧が向かうように行使してやった。
魔術がもたらす熱と空気圧。
足元の土をいくらか抉り、突撃してきた獣人が何人か吹き飛ばされた。ただし殺傷には至っていないだろう。
範囲を広く取って敵を押し返すことを狙ったからだ。
「話ができるやつはいるか! この状況について説明したい! この状況について説明が欲しい! 一体なにがどうなってるか、言えるやつはいるか!?」
諦めずに――いや、半ば諦めながら声を張る。
何人か吹き飛ばしはしたが焼け石に水だ。レガロを庇うように部隊員が前に出たが、そうと認識した瞬間には、隊員はなんだかよく判らない獣人の体当たりを食らって吹っ飛んでいた。
足元では呑気に指揮官殿が気絶している最中だ。
次の瞬間には別の一人が吹っ飛んでいる。首を捩じ切られていないだけマシか。詠唱なしで『爆圧』の魔術を展開、即時発動。今度は自分も巻き込んで。
足元の指揮官諸共、後方へ。
眼前に迫っていた獣人たちも、逆方向へ。
砂埃を上げて地面を転がりながら、レガロはさらに『爆圧』の魔術を展開――しようとした。が、できなかった。
槍の穂先が目の前にあったから。
確かに『爆圧』の魔術を放って、その効果でレガロは後方へ吹き飛んだのだ。同時に迫っていた獣人たちが反対方向へ吹き飛んだのも確認している。
なのに――槍が、目の前に。
「話がしたいって言ってたわね?」
凛、と耳に通る声が聞こえた。
槍の穂先から柄、柄を握る細い手、しなやかな薄紫色の腕……視線を辿っていくごとに、強烈な違和感が走る。
女だ。細身で、やや長身の女。
肩口あたりで雑に切られた黒髪は光を返して奇妙な艶を放っており、整った相貌は挑戦的な笑みをつくっている。
ただ、肌が死人よりも、もっとずっと薄暗い。
話では知っている。
ロイス王国では、エスカード辺境領でたびたび交戦していることも。
魔族だ。
魔族の女が、獣人たちに紛れて、そこにいた。
「捕虜確保ってわけよ。簡単じゃないの」
笑みが、挑戦的だったものから――ひどく嬉しそうに、やわらかく崩れる。
思ってしまった。
美しい、と。
感想いただけると嬉しいです。




