061話「嵐の前の_01」
お待たせしました。再開です。書き溜めはありません。
この世界はどうなっているのだろう、と考えたことはある。
古の哲学者を気取るわけではない。異なる世界の記憶を持つ私――クラリス・グローリアだからこその、単純な疑問だ。
魔法がある世界。
であれば、物理法則もあちらの世界とは異なっているはずだ。あっちにも実は魔法があって、それを私が知らなかっただけというオチも考えられるが、たぶん違うだろう。だったら魔法を利用した文明が発展していたはずだ。
しかし――実感として、こうも思う。
だいたい同じだ、と。
例えば重力。
リンゴは落ちるし、人は立つ。
私も落ちた。物理的な意味合いで。
上空、おおよそ十から十三メートルほどだろうか。ハーピィたちに握らせていた縄が手放された結果、クラリス・フォーリン・グローリアとなったわけだ。
どちゃり。
肉体に深刻な損傷。地面は草原で、例えばコンクリートに落下したときのような惨劇は起こらなかったが、頭からいったので首は折れたし、たぶん鎖骨とかそのあたりもダメなことになっただろう。
しかしそれらの損傷は、深呼吸一回分くらいの時間で復元される。
めっちゃくちゃ痛いが、言ってしまえば痛いだけだ。
もう慣れた。
なんだか一年以上は無傷だったような気もするが、たぶん気のせいだろう。
「クラリスー。落ちたー。クラリスー」
「落ちたクラリス生きてるクラリス」
「なんで生きてる? クラリス生きてる?」
上空から降下してきたハーピィたちが、歌うような言い方をした。
彼女たちの腕は翼であり、手の役割はあまり果たさない。特に飛んでいるときは物を持つことができないらしい。脚は人間のような太腿と膝を有しているが、脛から下は鳥のそれ。彼女たちは飛行の際、趾で物を掴むのだ。
一様に背は低く、華奢で、ノリが軽い。
種族的特徴なのか、どいつもこいつも深く物事を考えないのである。
だから、縄で縛った私を運んでみろなんて頼んでも実行してしまうし、途中で疲れたら縄を離してしまう。降ろせばいいじゃないか、途中でヤバそうだったら。
「やっぱり人を運ぶのは無理そうか」
「ムリー。クラリス、ムリー」
「重いー。クラリス、重いー」
「疲れるー。ずっと持てないー」
ふぁさふぁさと両腕を羽ばたかせながら、ハーピィたちが思い思いの感想を口にする。空中輸送は面白そうだと思ったのだが、私のようなちんちくりんを運べないのであれば、大したものは輸送できなさそうだ。
ふぅむ……となれば、手紙とか?
しかしユーノスたちはともかく、獣人たちの識字率を考えると難しいか。まあ、簡単な符丁くらいなら伝達できるかも知れないが。
「一体なにをやっておるのだ?」
着地地点――墜落地点というべきか――の近くにいた大鷲人のブルノア・キスクが渋面をつくって言った。
「実験だよ、実験」
軽く答えて立ち上がる。今回は珍しく衣服の損傷がなかったので、眩いばかりの裸体を披露せずに済んだが、考えてみれば獣人たちにとって魅力的なのかどうかは判らなかった。まあ、私の可愛らしさならば通じるだろう。
「おかしらだ! おかしらおかしら!」
「ブルノア! ブルノア!」
「クラリス! ブルノア! お喋りする?」
「ああ。そうだ。話す。散れ散れ」
端的な言い方をして、ブルノアは右手を振った。
そう、この大鷲人はハーピィとは違い、人間のそれと同じような腕がある。よく見れば爪が鷲のものに近いが、それでも腕と手だ。
堂々たる翼は、背中から生えている。
顔の方も、中年を過ぎそうな熟練の騎士といったふうで、眼だけは猛禽類のそれだが、概ね『翼の生えた人間』という表現に収まるだろう。
プラド・クルーガに仕える、ランドール親衛隊の裏切り者。
顔合わせ以降はとんと見かけなかったが、おそらく何処かへ出掛けていたのだろう。何処でなにをしていたのかは、教えられていないので判らないが。
「クラリス・グローリア――おまえはなにをやっているのだ?」
不機嫌そうに瞳を細め、大鷲人は私を睨む。
普通のお嬢様なら怯え竦み失禁しているかも知れないが、私にとっては今更だ。誰に睨まれようが凄まれようが、大したことじゃない。
「なにって、見たままだぞ。ハーピィたちと遊んでいた。あいつらはいいな。種族的特徴なんだろうが、見た目よりもずっとヒトから遠い」
例えばコボルト族なんかはぬいぐるみのような容姿をしているが、言葉を交わせばそこには明確な知性と感情があった。
しかし顔の造形は美しい女性としか言いようのないハーピィたちは、人間性のようなものがかなり希薄だ。私を墜落させたところで気にした素振りもない。たぶん私が死んだままでも、反応は似たようなものだっただろう。
そのことを『悪い』とは思わない。
ちょっと感覚の違う隣人というだけだ。適切な距離感で付き合えばいいし、それができなきゃ付き合わなければいい。
ひとまずハーピィたちに悪意がまるでないというところが、私としては気に入っている。人に嫌な思いをさせてやろうとか、貶めて優位に立ってやろうとか、そういう感情が一切なさそうなのだ。
「そうではない。獣王ランドールに認められ、この地での自由な振る舞いを許され、既に十日だぞ。その間、おまえは都の民と交流しているだけだと聞いている」
言葉の端から溜息が洩れていた。
まあ、確かにこの十日ほど――なんだか一年以上な気もするが――獣王の膝下である都で、獣人たちと交流を図っているだけだった。
しかしもちろん、遊んでいるわけではない。
楽しくなかったかと言えば否だが、それでも意図はあってのことだ。
まずは知る必要があった。
彼らが隣人としてどのようななにであるのか。
親しい隣人になるのか、あるいは深い関わりを持つべきではないのか。ハーピィがそうであるように、人と獣人には文化感よりも大きな差異がある。価値観というやつだ。人と人であってさえそんなものは違って当然だが、そもそもの生態からして違う種族と価値観が都合よく一致するわけがない。
そんなものを合わせる必要はない――私としてはそう思う。
ただ、重なる部分はあるはずだという確信もあった。
オークたちがそうであるように。妖狐セレナもそうだったし、なんなら狼族の連中だって、コボルトも、トーラス族も――等しく生きており、誰もが死ぬ。
であれば。
生きている喜び、死に対する忌避感、そんなようなものは概ね共通するはずだ。脅威は脅威であり、美味いものは美味い。日が沈み、夜が明けるように。
獣王の都に来て触れ合ったのは、ハーピィだけではない。狸獣人もいたし、数は少ないが象獣人もいた。数が多かったのは犬と猫の獣人で、コボルト族は見かけなかった。他にも雑多な獣人たちと交流を持ってみたが、その中で意思の疎通が図れなさそうなやつは、いなかった。
言葉は通じるし、意志も意味も通じる。
「あのな、ブルノア」
わざとらしく肩をすくめ、私はにんまりと笑ってみせる。
随分と久しぶりに感じるクラリスマイルだ。
「おまえもプラドも、もしかしたらレクスも勘違いしているかも知れないが、私はおまえたちに与したわけじゃないんだぞ。協力はしてもいい。だが、おまえたちの軍門に下ったのでも、一蓮托生になったわけでもない」
「いつでも逃げ出せる、と?」
「そういう意味でもあるが、逃げるくらいなら最初からこんな場所まで来るものか。ひとつ言えるのは、『おまえたち』と『私たち』は同じじゃないってことだ」
「判らんな」
細い顎を爪先で撫でながら、ブルノアは首を傾げる。
「なにが判らない?」
「どうしてそんなことを言うのか、だ。ワシらにそれを言う理由がない。裏切るにしろ、協力するにしろ、信じさせていた方がいいはずだ」
「なんだ、そんなことか。簡単な話だよ、大鷲のオジサン」
サービスで、クラリスマイルをもう一度進呈。
面食らったような顔をするブルノアに、私は言ってやる。
「敬意を払っているからだ。おまえたちに誠実であろうと思っているからだ。何故なら、おまえたちにも本音でいて欲しいからな。まずはこちらが腹を見せる。すべすべのキレイなぽんぽんを」
「……よく判らん小娘だな」
はぁ、と明確な溜息を吐き、ブルノアは猛禽類の瞳を私から外す。視線は私の斜め後ろへ。距離としては十五メートルほど後方か。
そこには腰に剣を提げた兎獣人がいた。
ランドールの親衛隊であり、その裏切り者。プラド・クルーガを王へ祭り上げようとするレクス・アスカの一味。
ルーチェ・ルビア。
「やつがずっとおまえを監視していたのは、知っているか?」
「そりゃ、常にあの距離でじっと見られてるんだから、気づかないわけがないだろう。今日だけじゃない、最初の顔合わせからこっち、ずっと私に付きまとってるぞ。おかげで護衛のセレナが手持ち無沙汰になってしまった」
おかげ、だ。
ルーチェがなんだかよく判らないが私の監視をしているおかげで、セレナの方もまた都の住人とコンタクトを取ることができた。もちろん、セレナにも監視は付いているだろうが、それは別に構わない。
「やつはおまえが気になるらしい」
「だったら普通にお喋りでもしようと伝えておけ」
「どうしてコボルトを帰した?」
不意の問いだった。
私の世話役として同行させたプーキー・シャマルのことだ。つい今朝方、私たちの村に戻ってユーノスたちを呼んで来るよう命じたのだ。
どうして?
決まっている。
必要だと思ったからだ。
そう――『私たち』の戦力が。
と、そんなふうに格好良く言ってドヤ顔を見せてやりたかったが、まだレクスにも教えていないので、私はとりあえずのように微笑んでおいた。
三度目のクラリスマイルである。
返ってきたのは渋面だったけれど。
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