051話「獣の王_03」
プラド・クルーガ。
それが獅子王の息子の名であり、女豹レクス・アスカが『王の器』と認めた男の名であり、私のちょっと後ろあたりに突っ立って私をまじまじと眺めている獣人の名前である。
王子という身分から想像するような服装は身に着けておらず、道中で会ったレクスの部下と似たような、綿製の地味な服を着ている。見た目の印象としてはワークパンツに前を開けたジャケット、といったところか。
腰を留めているのはベルトではなく紐みたいなやつで、見ればジャケットの方もボタン留めではなく紐止めだ。レクスの服装も、そういえばボタンの類がなかったから、たぶん文化的にボタンは使わないのだろう。
あるいはそもそも「ない」のか。
「その人族が、例の者か?」
というプラドの問いに、
「帰還の報告が遅れてすみません、プラド様」
と、微妙に答えになっていない返答をレクスはして、私の方へちらりと目配せをした。自己紹介しろ、ということだろうか。
例の者という言葉から、おそらくプラドはある程度の事情を知っているのだろう。どの程度かと言えば、辺境にあるオークの村を人族が取り仕切っていて、レクスはその人物へ会いに行った、くらいのことだ。
私は美味くもない食事に見切りをつけ、椅子から立ち上がってプラドに向き直り、にんまりとクラリスマイルを浮かべて胸を張ってみせる。
「私はクラリス・グローリアだ。レクス・アスカの思惑を聞き、協力するべきかどうか見極めに来た。プラドだったな? 私はおまえがどういう人物かを見に来たし、獅子王ランドールがどんなやつなのかを見にも来たわけだ」
「……なるほど……クラリス・グローリアか。特に強そうには見えないが、協力者になったとして、貴様は役に立つのか?」
嘲りや見下しというよりは、ごくごく単純な疑問というふうにプラドは言った。嫌味というものが言葉に含まれておらず、私は思わず普通に笑ってしまう。
「さあ、どうだろうな。私がそっちを見極めるように、そっちもこっちを見極めたらいいじゃないか。もし私の資質に納得いかなければ、それなりの態度でほっぽらかせばいい。どうせおまえたちの邪魔を出来るほどの勢力でもないし、わざわざ邪魔をしようとも思っていないからな」
「ふむ。それも道理だな。ところでクラリス、ひとつ訊いてもいいか?」
「よっつ訊いてもいいぞ」
「だったら、ふたつ訊こう」
私の返しに小さく笑み、プラドは言った。
「まず――貴様は俺が怖くないのか? 俺は獅子王の息子であり、獣人種最強の獅子獣人だ。どうして怖れない?」
「なんだ、そんなことか」
殺されたって死なないからだ――なんて、わざわざ教えてやる必要はない。
それにもしかしたら、そろそろ私の『残機』がなくなりかけているかも知れないじゃないか。どのくらい死なないのかなんて、私にだって判らないのだ。なんで問答無用で復元されるのかも判らないのに。
なので、それっぽい適当な言い訳でごまかしておく。
「おまえは強い。なるほど、それはそうだろう。そして私は弱い。これもそうだな。人族の中でもとびっきり弱い方だ。そこらの猫獣人にも、牛獣人にも、犬獣人にも敵わないだろう。そういうことだ」
「……?」
「私にとって、そのへんの獣人も、獅子王の息子も、それほど危険度は変わらないということだ。どうせ敵わん。だったらいちいち怖れていても仕方あるまい」
そう言って、ここぞとばかりにドヤ顔を見せてやる。
予想通りというか、プラドは得心とばかりに頷き、口の端を持ち上げた。
「胆力は大したものだ。なるほど、なるほど……では、もうひとつ訊くぞ。そちらの狐獣人は、何者だ?」
オークの村を取り仕切っているはずだろう、とプラド。
「何者であるかは、私の口から言うことじゃないな。私から言えるのは、妖狐セレナは隣人であり、友人であるということくらいだ」
「妖狐セレナ――」
「お主が覚えているかは知らぬが」
セレナは立ち上がることはせず、座ったままくるりと姿勢を変え、プラドへ向き直った。腕を組み、脚を組み、顎を突き出して……わざわざ挑発するような態度を取っているのは、わざとなのかどうなのか。
「随分と前に狸獣人の一族と揉めて、集落の解散をお主の父君に命ぜられた、そんな狐人達がおったじゃろ。その中の一人が我じゃ」
自虐のような、他罰のような、やたらに尖った言い方。
意味は判る。セレナもまた、プラドを見定めたいのだろう。
こういう言い方をしてやった。
では――どう対応する?
「そうか。親父が苦労をかけたようだな」
さらりと。
本当にさらっと……感情を乗せることなくプラドは返した。
深刻さはないが、しかし軽さもない。どういうわけかセレナに対する軽視を感じなかった。それはたぶん私だけではなく、セレナの方もそう受け取ったはずだ。
重くはない。
だが、硬い――あるいは堅い。
なるほど、これがプラド・クルーガか。
わざわざこんな、寄宿舎の食堂みたいな場所で『王の器』だなんだと口に出すつもりはないが、それでも確かに私は思ったのだった。
たり得るのかもな、と。
◇ ◇ ◇
その後、レクスに促され、彼女が個人的に使用しているという『作業所』へ通された。
ランドールの王城というか王宮が人族の『城』とは趣が違うのは先述したとおりだが、ようは敷地内に城の要素をばらばらに配置してあるのだ。人族の城は『城』という躯体の中に要素を詰め込んでいる。ランドールの城は敷地の中に配置している、といった違いか。
そういう意味ではレクス・アスカの『作業所』は、いうなれば作戦会議室のようなものだった。
獅子王の懐刀。十年以上前から――レクスが十代の頃から――王の相談役をやっていたというのは、伊達ではないらしい。作業所にはなんと『本』があった。羊皮紙を重ねてまとめられた、レクス手書きの書類だ。
「獣人も文字が使えるのか」
無遠慮に棚から書類を一冊抜き取り、ぱらぱらと捲ってみる。内容は、どうやらなにかの計算と覚え書きといった感じで、他者への説明は一切ない。レクスが見直して理解できればいい、という体裁のものだ。
「理解できる者はあまり多くありませんが、識字率は上げたいと考えています。特にリーフ・リーザのような者たちには率先して覚えさせていますね」
「商売をするなら必要だものな」
「本来は徴税にも必須です。税を納めるという感覚は、獣人のそれと人族のそれではかなり違いますから」
「ふうん? ……というのは、どういうことだ?」
「『群の主に献上する』のは獣人の感覚に合っている、とでも言いましょうか。ですが社会が大きくなると、感覚でやっているだけでは立ちゆかなくなる」
「親父には理解できんらしいがな」
作戦会議室のテーブルに着いたプラドが、私とレクスの会話に割り込んだ。
「じゃろうな。あの男に理屈など通用せん」
頷いたのはプラドと正反対側に腰を下ろしたセレナだ。隣にはプーキー、それにテナード。ちょっと意外なのは、山猫のニーヴァがプラドの近くに座らなかった点だ。座らなかったというか、普通に立っているのだが、立ち位置がプラドではなくレクスに近い。
「ランドールにあるのは、理屈ではなく彼自身の規律ですから」
昨日は少し気温が低かったね、みたいな口調でレクスは呟いた。それはもうレクスやプラドたちの中では何千回も繰り返された議論と結論であり、わざわざ感情を込めるほどの話題ではないのだろう。
「その規律はもう限界だ、とでもいったところか?」
「まあそうですね。道中でも言いましたが、このままだと人族に食い荒らされます。それでもランドールの周辺だけは残るでしょう。何故なら獅子王は強い。その強さが届く範囲には、人族はわざわざ手を出さない」
「しかし手は無限に伸びない。俺たちは手を伸ばす必要がある……毟られたくないのであれば、な」
話の結論はプラドが引き受けた。
確かに――道理だろう。
そしておそらく、ランドールにはランドールの道理があるのだ。
毟られたくないのであれば、自力で退けろ……とでも思っているのかも知れないし、あるいは『自分の群』だとか『国』の定義が違うのかも知れない。
どちらが正しい、なんてことは、私は思わない。
そもそも正しさなんてものに興味はないのだ。
――そういうのは、もういいのだ。
「どっちが楽しいかな……?」
なんて、そんな思いがぽろりと口からこぼれてしまったが、どうやら音量は低かったようで、誰もなにも反応しなかった。
わずかな沈黙を挟み、プラドが頭の上の耳をぴくりと動かした。
「そろそろだな。クラリス・グローリア、俺たちの仲間を紹介する。なんというか……おまえは、俺たちにとって、たぶん必要になる気がする」
「ほう?」
「直感もあるし、理屈もあるし、推測もある。一番大きな理由は、レクスがおまえを有用だと思っていること。だったらそうなんだろうと俺は思うし、おまえという存在を無視するべきではないとも感じる」
考えながら、という感じで話すプラドの眼差しが、私には興味深かった。
そこにあるのは疑いや打算ではなく、なんというべきか……深く暗い夜の先を見通すような、そんな思慮だ。いずれにせよ先は暗くて見えないが、前に進むことだけは確かだと、態度が物語っている。
なるほど――『王の器』か。
ちらりとセレナを見れば、半信半疑といった眼差しをプラドへ向けていたが、この時点で半信になっているのが既にプラドのカリスマを物語っている。判りやすく信奉したくなるようなやつではないのだが……なんというか、いろんなことを任せてみたくなる、そういう感じがした。
と。
会議室の扉が開かれ、何人かの獣人が現れた。
鳥、象、狼、兎……? 詳しくは判らない。だが、どいつもこいつも妙な迫力があり、兎耳の女なんてスタイルの良い美人だというのに異様な殺気を振りまいている始末だった。象の獣人はオークよりちょっと背は低いが、たぶん戦ったらオークはこてんぱんにされるだろう。
「戻ったか、レクス殿」
言ったのは狼の獣人だ。獣度合いがかなり強く、ズボンは穿いているものの、狼男と化した『反獅子連』の連中とほとんど変わらない。
「戻りました。それから、彼女はクラリス・グローリアといいます。人族ですが、獣人の領域の端にある獣人たちの集落をまとめている者です」
頷き、レクスは事前に決めていた紹介文をまるっとそのまま読み上げる。
獣人たちの視線は私、クラリス・ヒューマン・グローリアに注がれるわけだが、なんだかこういうのはもう慣れてしまった感がある。何処へ行っても誰かしらにこうやって見られているのだ。まあ、乙女なので見られることで綺麗になるかも知れない。ならないかも知れない。別にどうでもいい。
そんなわけで私は恒例通りに立ち上がってふんぞり返り、クラリスマイルを獣人たちに振りまきながら、言ってやった。
「クラリス・グローリアだ。よろしくするかどうかは、こっちもそっちもこれから決めようじゃないか。とにかく、こんにちは、だな」
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