048話「移動、流転、停滞_02」
――おまえたちが悪い。
――おまえたちが俺の民を殺した。
――おまえたちは俺のモノを奪った。
――だから、おまえたちが悪い。
セレナはその言葉を、おりにふれて思い出す。それは冬の寒い朝に息が白くなるのを見たときであったり、預かり子のキリナが歩き始めて三日後の夜であったり、あるいはクラリス・グローリアが現れ、彼女を家に招いたその瞬間だったり。
獅子王ランドールの、一方的な非難を、セレナは不意に思い出すのだ。
自分たちの事情など考慮もせず、事の経緯など最初から知ろうともせず、公平性や思慮なんてものを最初から度外視した、剥き出しの感情。
――おまえたちが悪い。
そもそものきっかけは、狸獣人たちの横暴だった。
キリナを預かることになった十年前よりも前の話だ。
狐人たちの集落の近くには狸獣人の集落があった。ちょうどモンテゴたちから徴税だといって麦をちょろまかしていたあの狸獣人と似たような種族だ。狡猾で、狭量で、浅ましく、醜悪な集団だった。
その連中がセレナたちへ『攻撃』をしてきた。
だから狐人たちは『反撃』をした。
そうしなければ自分たちが、ただ不利益を被るからだ。
相手に引く気はなく、こちらも泣き寝入りするつもりはなく、そして直接的な戦闘においてはセレナたち狐人の方が強かった。
狸獣人たちは途中であっさりと敗走し、獅子王に泣きついた。言葉巧みに狐人を悪者に仕立てあげた――という経緯であれば、セレナはもっと狸獣人たちを恨んでいられたはずだ。
実際のところ、まともに話を聞けば狐人たちに非がないことくらい誰にでも判るはずだった。当時はまだ十代の少女だったレクス・アスカも、狐人たちの無辜をランドールへ進言したが、その意見が取り入られることはなかった。
――おまえたちが悪い。
納得などしていない。できるものか。しかし結局のところ、セレナたちは群でいることを許されず、各地へ散り散りにされてしまった。
より大きな力に、流された。
◇ ◇ ◇
箱馬車の対面ですうすうと寝息を立てるクラリス・グローリアを眺めながら、セレナは我が身を振り返って苦笑してしまう。
十年以上、セレナは辺境に引きこもり続けていた。
王命だから? それは確かにそうだ。
キリナを預けられたから? それもまた、そうだと思う。
しかしこうして獅子王の元へ移動している今になってみれば、自分は停滞していただけなのだと感じる。自分の正しさや意思が、それを一切考慮しない大きなものに流されるのに、セレナはうんざりしていたのだ。
誰も来ない辺境を守り続けていれば、さしたる変化もない。
流されることも、ない。
キリナを預けられたのは、だからセレナにとっては渡りに船だったと言える。おかげで退屈などしている暇もなかった。友の娘を育てているだけで日々はあっという間に流れて、そしてまた、流された。
クラリス・グローリアという『流れ』に、流された。
ステラが――キリナの母親が殺されるのだって、止めようとも思わなかった。
彼女は友人だった。
良き友人ではなかったかも知れないが、それでも同じ村で生まれ育った友だ。
だというのに、ステラを見殺しにした。そのことに心を痛めているかといえば、別にそんなことはない。たまにちくりと胸が痛む程度だ。セレナはそんな自分に呆れるような気持ちになる。
つまるところ己は『流されること』ではなく、『嫌なモノに押し流される』ことを嫌悪していただけなのだ。
何故ならクラリスに流されるのは、嫌ではなかった。
キリナが変わっていくのは不安になるし心配もするけれど、あのまま辺境で停滞したままキリナが大人になっていくよりは、きっとマシだと感じる。
あるいは、そう――クラリスが現れなければ、キリナはステラに連れ去られ、セレナ自身も『反獅子連』という名の『嫌な流れ』に流されていただろう。
しかしそうはならなかった。
クラリス・グローリアがいたから。
死なない少女。
そこだけ切り取れば恐るべき怪物だ。
が、クラリスはただ死なないだけでしかない。
戦闘能力は皆無といっていいだろう。少なくともセレナが対峙したとき、クラリスは攻撃らしい攻撃など一度もしなかった。
魔法はわずかに使えるようだが、それは例えば燃え草に火を着ける程度の、ほんの小さな魔法だ。
もちろん身体能力においては、獣人と比べるべくもない。おそらくコボルト以下だ。ただし「死なない」ことが影響しているのか、疲れることはないようだ。コボルト以下の身体能力の持ち主が疲れなかったからなんだという話ではあるのだが。
だが、その死なないだけの少女に、セレナは敗北した。
悪くない負け方だった――今となっては思う。
敗北した自分を認められたからだ。
おまえが悪い、とは、クラリスは言わなかった。
その後も、クラリスは誰に対しても「悪い」とは言っていないような気がする。あるいは気にならなかっただけで言っているのかも知れないが、だとしてもクラリス・グローリアが善悪についてあまり頓着していないのは判る。正しさなど要らない。悪いからどうした。そんな開き直りのようなものを感じる。
誰が悪いと問われたなら、この少女は「私に決まっている」とでも言うだろう。いつもの自信たっぷりな満面の笑みで、堂々と胸を張りながら。
だから、そう――セレナは見てみたいのかも知れない。
獅子王ランドール・クルーガと、クラリス・グローリアの対面を。
◇ ◇ ◇
旅路は順調だった。
昼にできるだけ進み、日が落ちれば野宿して、朝が来れば野営の始末をしてまた出発。レクス・アスカたちの馬車に付いて行くだけなので楽ですよ、とは御者を務めるテナードの言だ。
周囲は見渡す限りの平原。
たまに森を迂回し、橋を使って川を渡った。
五日目、レクスたちは道中の村に寄り、水や食糧の補給を済ませた。セレナたちは村の外で待っていたが、村から獣人の兵がわんさかやってきてこちらの馬車を取り囲む、というようなことはなかった。
獅子王の側近、レクス・アスカを信じていいものか……セレナには判断がつかない。話によれば狐人たちの処刑を止めたのは彼女らしいが、本人の言なので単純に信用することができない。逆にレクスがそんな嘘を吐くのかという気もする。
クラリスとレクスは気が合うのか話が合うのか、野営のたびにあれこれ会話をしているようだった。が、獅子王のことやレクスのことについてはあまり触れず、どうでもいいような会話が多かった。
例えば料理のこと、建物のこと、畑のこと、獣人たちの種類や生態について。あるいは人族のこと。人族の文化、生態、社会について。
表面的な会話の裏にどのような思惑が隠されているのか――クラリスはともかく、レクスの方には間違いなくあるだろう――しかしセレナには見当も付かなかった。腹の探り合いは得意ではないのだ。
「アスカ様があんなふうに楽しそうにしているのは、珍しい」
ぼそりと洩らしたのはレクスの側仕え、山猫のニーヴァである。
評されたレクスは昼のうちに平原で仕留めた馬の肉を食べながらクラリスと話し込んでおり、クラリスもまたひょいひょいと肉を口に放り込みながら会話に興じている。どちらも特に笑顔はなく、かといって重い雰囲気でもない。
「レクス・アスカは、王都ではどんな仕事をしているのじゃ?」
「……多岐にわたりますね。アスカ様がいなくなれば、たぶんそれだけで獅子王ランドールの王政は五年と持たないでしょう」
ほとんど王の代わりですよ、とニーヴァは言う。
「だったらレクスが出奔するだけで王殺しは成るじゃろ」
「それだと残したいものが残らない。結局は人族に我々が奪われる」
「ふん……道理じゃな」
レクス・アスカが王の補佐をやめて出奔した場合、国は――『国』という言い方をするのは獣人の倣いではないが――とにかく、国は荒れに荒れ果てるだろう。疲弊しきった国力では、レクスの心配する人族からの侵攻に耐えられない。
放っておけば、そうなってしまう。
だから――放っておかない。
なるほど、クラリス・グローリアと同じ価値観だ。
そう認識してから会話するクラリスとレクスを見直せば、そこにある親密さのようなものが感じられる気がした。二人は別に楽しげにしているわけでも、激論を交わしているわけでもない。
ただ、クラリスとレクスは同じような水準で意見を交わすことができるのだ。煩わしい補足や意味の説明を必要としない会話が。
それはセレナにも、魔人種であるユーノス・グロリアスにも、オークのモンテゴにも、おそらくは行商人のリーフ・リーザにも不可能なことだ。
たぶん、見ているモノが違う。
見えているモノが、というべきか。
「我ら獣人の価値観は、強さじゃ。だからランドールが獣王になった。強い者に従うことは、誰にとっても簡単な話じゃからな」
おまえたちが悪いと言われて、引き下がらなければ殺されていただろう。
あまりにも単純で簡単な話だ。
しかし――人の世は獣の道理では動かない。
獣人もまた、人だ。
過去と未来と意思があり、それを表す口がある。
「私にとっても、その方が簡単です」
腰帯に提げた山刀の柄をそろりと撫でながらニーヴァは呟いた。だが、言葉面とは裏腹に、表情はその『簡単さ』を肯定していないようだった。
そう、そこに停滞していては、いずれ流されるのだ。
動かねばならない。
さもなくば――嫌でないものに流されることを、選ぶべきだ。
◇ ◇ ◇
順調な旅路は、そのまま波乱もなく。
セレナたちは王都に辿り着いた。
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