044話「迷宮、そして女豹_02」
礼に始まり礼に終わる、なんて言葉がある。
これは確か、武道の精神を表す文言だったような記憶がある。剣だとか柔だとかが、術ではなく道になったからには、そのような精神が必要なのだ。敵を殺し、壊すだけなら術でいい。道はそれほど簡単ではない、といったところか。
もちろん、私は武術家でも武道家でもない。
道らしいものなど、前世も含めてろくに嗜んだ覚えもない。
が、言いたいことは理解できる。
逆に考えてみればいい。この世のくだらない争いの多くは、リスペクトを欠いた態度を発端とするのだ。
立場が、考え方が、もっと別のなにかが――そりゃあいろんなものが違うだろう。私としては、人間はありとあらゆる理由で争い、殺し合う生物だと思う。ありとあらゆる理由が愛の種火になり、争いの火種になる。
しかし、だ。
相手に対して敬意を払っていれば、そうそう争い事までは発展しないものだ。戦国時代の武将だって「あっぱれなやつ」には寛容だったではないか。おまえの態度は尊敬できるから、首ひとつで許してやる、とかなんとか。
ともあれ。
そんなわけで、私はどうにも眠たげな眼差しの女豹、レクス・アスカにそれなりの敬意を払うことにしたわけだ。
具体的には、家に招いて茶を出してやった。
猫獣人のリーフ・リーザが「ピッツァは食べられないのかにゃ!?」なんて言い出したから、カタリナに命じてピザをつくってもらうことにした。
ちなみに家に招いたのはレクス・アスカとリーフ・リーザ、そしてレクスの側仕えらしき猫っぽい獣人の三名で、残り数人の兵士は表で待たせておくことにした。
代わりにこちらも少人数だ。
私、クラリス・グローリア、ユーノス・グロリアス、妖狐セレナと、流れでそのまま場に残ることになったモンテゴ。斧使いのガイノスは席を外してもらったが、もしかするとダンジョンのことがレクスに洩れるかも知れないと思ったからだ。グロリアスの面々は、腹芸が得意ではない。
「さて――とりあえず、おまえがレクス・アスカだということは判った。私がクラリス・グローリアだということは知っているな? リーフ・リーザが伝えているはずだからな。こっちの魔人はユーノスで、そっちの女狐はセレナ。でっかいのはオークのモンテゴ」
「存じております。こちらの彼女は山猫族のニーヴァと言います。私の側仕えといいますか、護衛のようなものです」
「……どーも」
無愛想に、それでも一応という感じでニーヴァは会釈をした。
レクスと同様、床に直接腰を下ろしてはいるものの、山猫の方はいつでも動けるようにか片膝を立てている。レクスの方はいわゆる女の子座りで、動作の端々から窺えるが、完全に頭脳労働が専門のようだ。
ちなみに私はどっかりとあぐらをかいている。
次の瞬間、首を撥ね飛ばされたところで特に困らないからだ。
とはいえユーノス辺りの様子を見るに、山猫のニーヴァはそこまで警戒する相手でもなさそうだ。あるいは実力を隠しているという線もあるが、個人戦闘におけるこちら側の実力など、レクスの方だって把握しているわけがない。
この場で戦争をするつもりは、ないのだろう。
ならば、なにをしに?
決まっている、話をしに――だ。
「それでレクス・アスカ。おまえは何者なんだ?」
腕組みしたまま、ふんぞり返って言ってみる。
レクスは眠たげな顔のまま、眉だけをほんのちょっと持ち上げた。
「リーフから聞いていないのですか? それに、そちらの妖狐はセレナ様でしょう。彼女から私のことについては……?」
「さあどうだろうな。聞いてたかも知れないし、聞いていないかも知れない。いずれにせよ、私はおまえに訊いているんだぞ、レクス・アスカ。おまえは、自分を、何者だと説明するのか――そこのところを訊いているんだ」
「はぁ。なるほど」
混ぜっ返すような私の発言にも、レクスはさほど表情を変えない。驚きも、嫌悪も、他のなにも、ほとんど見せなかった。
わずかに見えたのは、欠片程度の訝りだろうか。
「では、改めまして。私はレクス・アスカと申します。獅子王ランドール・クルーガの重鎮、相談役として働いております。この度は部下のリーフ・リーザの報告を受け、クラリス・グローリア様にお会いせねばと思い、参上した次第です」
ぺこり、と頭を下げるレクスだったが、声音にも態度にも畏怖のようなものは感じられない。敬意もさほど感じられなかったが、かといってこちらを侮蔑しているわけでもない。
ただの自然体。それがこの女豹に対する印象だった。
「私に会わねばと思った、か。それは何故だ?」
「ひとつは『反獅子連』を退けたこと。そしてもうひとつは、貴女が獣人でないにも拘らず、獣人たちを――そして魔人種の方までも纏め上げていること。これは非常に興味深い事柄です」
「興味深い、とは?」
「判りませんか? 我々獣人は……少なくとも、この地方の獣人は、他の獣人とはあまり交わらずに暮らしている。コボルトであればコボルトの集落があり、狼族だからといって犬獣人と暮らすわけではない」
「狸の獣人は、犬獣人を奴隷みたいに使ってたぞ。確か、おまえのところの代官だったな。徴税をちょろまかしてたやつだ」
ぴくり、とレクスの耳が動く。
脇に控えていたニーヴァの眉が寄せられる。
「狸の獣人というと……ああ、なるほど。報告が来ていないと思いましたが……そうですか、貴女たちに殺されましたか」
「さあ、どうだろうな。もしそうだとすれば、どうする?」
「特にどうもしません。あの村で使われていた犬獣人は、グローリア様に取り込まれたということですか」
「クラリスでいい」
ついつい名乗ってしまうのだが、考えればグローリアを名乗ることは許されていないのだ。まあ、別に赦しが欲しいわけではないので、これからも名乗り続けるだろうが、グローリアの名を広げたいわけじゃない。
「はい。ではクラリス様、貴女は獅子王ランドールにできないことをしている。そのことは理解していますか?」
「していると思うか?」
「していないように見えますね」
すんなりと頷くレクスだった。そこには心理的駆け引きというものが見えず、そのことが私をやや戸惑わせる。
つまり――優位に立とう、みたいな態度じゃないのだ。
ただそこにいる。
ふぅ、とレクスは息を吐き、用意してやった茶に口をつけた。猫舌なのか何度も息を吹きかけてから嚥下していたが、妙にかわいらしい動作だった。
もちろん私だってかわいらしさでは負けていない。
しかし今はクラリス・あまりにもキュート・グローリアをアピールする場面でないことくらい判る。まあ仕方ない。
「理想と、現実と、状況と、過去と、未来」
ぽつりぽつりと、降り始めた雨粒のようにレクスは言葉を零す。
「このようにしたいと考える。どうすればそうなるかを考える。現状がどうなのかを考える。現実はどうなのかを理解する。……ランドールには、無理です。十年掛けて国のような体裁は取り繕うことができましたが、これ以上は、難しい」
「……ふむ?」
「十年前に狐人たちを追放したのは、ランドールの狭量が原因です。我が王は、狐人たちを疎んだ。怖れたからです。脅威だと感じたから、非のない狐人たちを追いやった。私にできたことは、狐人たちの処刑をやめさせることくらいです」
「『自分のおかげで死なずに済んだから感謝しろ』とでも言うつもりか? 我の、我々の生活を根刮ぎ奪っておいて、それが貴様の見解でいいのか?」
静かに、けれど固い声音でセレナが言う。
レクスはやはり表情を変えずに首を横に振った。
「ただの事実です。どう言い繕うとも、狐人たちを助けることは、私にはできませんでした。貴女たちを死なせないことは、できました」
「本来であれば、我らを助けたかった、というように聞こえるのう」
「死なせたくなかったのは本音です」
「ステラに我の居場所を伝えておいたのは、何故じゃ?」
ちりちりと焦げるような言い方をセレナはする。
が、私としては一瞬、なにを言っているのか理解が遅れた。ステラって誰だ? と思ったのだが、ちょっと考えたら思い出せた。キリナの母親だ。
十年前、狐人たちが各地へ追放されたとき、ステラはセレナの居場所を教えてもらった――レクス・アスカに。
だからステラは愛娘のキリナをセレナに預けることが出来た。居場所を知らなければ、そんなことはできなかったはずだ。
どうしてレクスはセレナの居場所を教えたのか?
「――獅子王ランドールが、貴女たちを怖れていたからです」
口調を変えずにレクスは言う。
だが、答えになっていない。
いや……違うのか、この女豹は最初から答えを言っている。
そういうことなのか?
それは――本当なのか?
本心なのか。
虚飾なのか。
判断材料が少なすぎる。
「つまり、どういうことじゃ?」
セレナが言って、自分の茶を啜った。
ユーノスはその隣で腕組みしたまま、憮然とレクスを見つめている。
山猫獣人のニーヴァは、そんな二人を警戒しているようだ。
リーフ・リーザは話を聞いているのかいないのか、ぽかんとした顔だ。
レクス・アスカは、やっぱり態度もテンションも変えずに、言った。
「私は、ランドール・クルーガを殺したいのです。彼は王に相応しくない」
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