039話「癒やしの聖女_03」
結局、ミゼッタには虜囚が誰だったのか、どうして彼が『双子のギレット』の実験に付き合うことになったのか、そういうことはなにも判らなかった。
切断された手首を魔法で治した後は、これで用済みとばかりに部屋へ戻されることになったのだが、別れ際に姉のローラ・ギレットが気になることを言った。
「まったく、予想通りの物事ほどつまらないことはないわね。これならクラリス・グローリアと遊んでいる方がよっぽど面白かったわ」
本当につまらなそうな呟きで、付け加えるならミゼッタはこの時点で双子の話を聞き流しがちになっていたから、その言葉もうっかり流しそうになった。
が、これはさすがに聞き捨てならない。
「それは――どういう意味ですか?」
踵を返して歩き出していた双子の背中に問いかける。
「どういう意味?」
「どういう意味とは、どういう意味かな?」
「もしかして、気になったのかしら?」
「クラリス・グローリアのことが?」
「『無才のクラリス』のことが、気になったのかしら?」
姉の方に話しかけたつもりだったのに、弟の方まで揃ってぐるりと身体ごと振り返り、姉弟は同時に唇の端を吊り上げる。
「婚約者を寝取ったミゼッタお嬢さまが、寝取られたクラリス・グローリアのことが気になるだなんて、これは参ったな」
「まったく度し難いわね」
「常軌を逸している」
「とんでもない性悪だな」
「常識を疑うわ」
ひどく嬉しそうに――そして悪意たっぷりに――双子は嗤う。
そこに会話の糸口など見えず、ミゼッタは言葉を続けることができなかった。どうせなにを訊こうがまともな返答などない、それが判ってしまったから。
別れの言葉も告げずに歩み去る双子の背中を、ミゼッタは複雑な心境で眺めているしかなかった。
◇ ◇ ◇
それから数日後、唐突にレオポルド・イルリウスがやって来て、ミゼッタを彼の城へと移動させた。
彼のぎょろりとした眼差しには否応なしの生理的嫌悪があり、しかし彼自身の人柄については不明すぎるのでミゼッタには判断のしようがなく、宙ぶらりんな気持ちのまま馬車に揺られ、彼の城へ到着し、案内されるまま城内を歩いた。
辿り着いたのは、城の三階の寝室だった。
「ギレット姉弟から報告は受けている。おまえの魔法の技術は確かなようだ。外傷に関してはな。病も治せるという話を聞いている。癒して見せろ」
淡々と告げ、寝室へとミゼッタを促すレオポルド卿。
ミュラー家で仕込まれた「貴族式の儀礼」を思い返してみるも、そもそもレオポルド卿の方がそれを無視しているので、ミゼッタは促されるまま寝室の奧、寝台の方へ歩を進めるしかなかった。
寝台に横たわっているのは、ひどく痩せた女性だった。
やつれた、と表現した方が正確だろうか。
どんなに脳天気な人物が見ても、彼女が病に冒されているのを察せられる――そういう痩せ方であり、やつれ方だ。
「妻だ」
なんの感情も窺えない声音でレオポルド卿が言った。
テーブルに並んでいる食器のひとつを指差して「これはフォークだ」と他人に説明するときと、きっと同じ口調だった。
◇ ◇ ◇
治療には五日を要した。
レオポルド侯爵夫人の体力が深刻に衰えていたのが大きな理由である。治癒や治療には体力を使う。極度に疲弊している人間に回復魔法を使うと、強制的に体力を消費してむしろ危険なのだ。
そういうわけで、まずは症状を緩和させる程度の弱い回復魔法を使い、食事と睡眠を摂らせて体力を回復させ、次の回復魔法に備えさせた。
あとはその繰り返しで、徐々に回復魔法を強めていき、治療に必要なだけの体力がついたところで病状を回復させた。そこで夫人は熱を出して寝込んだが、ミゼッタに対する非難はなかった。
「あなたが来てくれて、本当に感謝しているのよ」
侯爵夫人はそう言ってミゼッタの手を取り、十代の少女みたいな微笑を見せた。
「あの人ったら、見た目も態度もああでしょう? きっとあなたにも、嫌われるような態度をとっているはずよ。いいえ、嫌われるように振る舞っている。だから、私くらいしか、あの人のことを愛してあげられないの」
聞いているミゼッタの頬が赤くなるような惚気だったが、あのぎょろりとした眼差しのレオポルド卿を思い出すと、やっぱりちぐはぐな気持ちになった。
もしかして、この人――騙されているのでは?
なんて失礼なことまで考えてしまったが、いずれにせよミゼッタには関係のない話だし、関係があったとしてもどうしようもない話だった。
とにかく、仕事はした。
自分に与えられた役割をこなした。
「ねえ、ミゼッタさん。あの人のこと……嫌うなとも、疑うなとも言えないわ。だって本当にひどい人ですもの。だけど、他の貴族と比べたときに、ちょっとだけマシと思えるときがくるかも知れないわ。そんな日が来ないことを祈ってるけれど、あなたがここにいるということは、きっとそういう時が来ると思うの」
だから――、と彼女は言う。
けれども、続く言葉は出て来なかった。
「……おかしいわね。なにかを言いたいのに、あなたの役に立つ言葉なんて出て来ないのよ。ごめんなさい。とにかくね、感謝しているわ、ミゼッタさん」
夫人が浮かべたその笑みに、ミゼッタは心が軽くなったような気がした。
それが気のせいでもまあいいか、と思ってしまう程度には擦り切れかけていた心が。
◇ ◇ ◇
その後は、しばらくの間、ロイス王国をあちらこちらへ向かい、行く先々の病人を治して回ることになった。
レオポルド卿が「夫人の病を魔法で治した『癒しの聖女』」の話を貴族社会にそっと流し、それだけでミゼッタへの依頼は引く手数多になった。誰を治療するかはレオポルド卿が決め、ミゼッタは言われるまま馬車に乗り、メイドに傅かれ、騎士に守られ、案内役に従って知りもしない貴族の誰某を癒した。
笑顔をもらうこともあったし、そうでないこともあった。
中にはミゼッタを自分の家臣であるかのように扱う貴族もいたが、そういう者に対しては案内役の男が治療を拒否し、その貴族家からは早々に辞すことになった。
曰く――名を売りに来て貶められては話にならない。
他所の貴族家へ赴くのにレオポルド卿が同行しないのは、ミゼッタ当人の価値を高めるためだという。レオポルド卿が付き添えば、ミゼッタの治療はレオポルド卿の手柄になってしまう。理屈は判らないが、そういうものなのだそうだ。
やはり貴族の価値観は判らない。
ミゼッタに判るのは、怪我や病気をどのように治すか。
そのことだけは、たぶん誰よりも判る。
そういう生活をしばらく続けるうちに、メイドともある程度は打ち解けたし、騎士たちとも話をするようになった。案内役の男――レオポルドの甥だと言っていた――だけはミゼッタとあまり距離を詰めないようにしていたが、それでも時間を共にすれば見えてくるものもある。否応なしに。
当然といえば当然だが、当初はミゼッタを取り囲む誰もが『癒しの聖女』なんぞを信じてもいなかったし、敬ってもいなかった。
それが徐々に変わっていったのは、治療を繰り返したせいだ。『癒しの聖女』が本物であり、確かに有用なのだと、誰もが認めざるを得なかったからだ。
価値を示した。
もちろん治療不能な重病人や重傷者なんかは『癒す対象』から外されていたのだろうが、単純な事実として、他の貴族が抱えていた『回復魔法の使い手』には無理だった外傷も病状も、全てをミゼッタは癒したのだ。
「あなたはきっと、このために生まれてきたのね」
治療が済んだ後、ひどく化粧臭い老婆がにっこりと微笑んでそんなことを言ったけれど、それだけは絶対に違うだろうな、とミゼッタは思った。
あなたたちみたいな金持ちを治すために生まれてきた?
冗談じゃない。
それだけは、まったく冗談ではない話だった。
◇ ◇ ◇
それからまたしばらく経ち、レオポルド卿からの要請でエスカード領へ赴くことになった。
魔族との戦争が行われているという。
その戦場で、本格的に『癒しの聖女』を見せつけるのがレオポルド卿の狙いらしかったが――ミゼッタには、どうでもよかった。
誰であろうが治してやる。
ほとんど投げ遣りな気分で、そんなことを思っていた。
ギレット姉弟の死体を見るまでは。
感想いただけると嬉しいです。
あと一回だけ(たぶん)、ミゼッタ視点が続きます。




