037話「癒やしの聖女_01」
ちょっとだけ主人公視点から離れます。
「ありがとうね。おかげで随分と良くなってきたよ」
祖母がくれたその言葉が、運命を決めたのかも知れない。
ミゼッタは時折そんなふうに思う。
最初は腰が痛いと横になっている祖母の患部に手を当てて「治れ、治れ」と祈っていた。誰に祈っていたのかと問われても困る。五歳かそこらの子供の、それはひたすら単純な祈りだったのだ。
ミゼッタの祈りは、叶った。
叶ってしまった――というべきかも知れない。
何度も祖母の腰痛を和らげていると、今度は父や母の痛みも癒すことになった。さして裕福でもない農民の生活には些細な痛みがつきものだ。筋肉痛、指先の擦り切れ、あるいは足の豆が潰れたり、他にも枚挙に暇がない。
「すっかり良くなったよ」
「ありがとう、ミゼッタ。あんたは本当に良い子だねぇ」
褒められたり、感謝されたり……確かにそれも嬉しかった。
でも一番嬉しかったのは、癒した人の笑顔だった。
本当に嬉しそうに笑ってくれるのが、ミゼッタには嬉しかった。
そのうちに治癒の対象は家族の枠を超え、いつの頃からかミゼッタは村の診療所で働くようになっていた。外の町から来たという医師のお爺さん。ミゼッタは彼の医学を学び、回復魔法を自分の中で系統立てていった。
曖昧で単純な祈りだったものが、正確で複雑な魔法へ。
骨折には骨折の、病気には病気の、それぞれ適した魔法の使い方があった。
医師のお爺さんは魔法が使えるわけではなかったが、治療については専門家だった。人間の身体というものをよく知っており、人間がどんなふうに病むのか、怪我をするのか、どのようにすれば治るのかを知っていた。
そしてそれよりも――自分の無知をこそ、知っている人だった。
あるとき、お爺さんの手に負えない患者が運ばれたことがあった。
村の近くの森で蛇に噛まれたという、同い年の少年。お爺さんは「薬がない」と言った。毒には解毒薬が必要で、診療所には蛇毒への解毒薬はなかった。
その少年を解毒したのは、ミゼッタだ。
やや曖昧で複雑さを省いた強い祈りが、少年の毒を打ち消したのだ。
その件があって、いよいよミゼッタは有名になった。
小さな村の小さな癒し手だったのが、隣の村まで、その隣の町まで――そうしていつの間にか、ミュラー伯爵家にまで。
――『癒しの聖女』なんていう、恥ずかしい二つ名が。
◇ ◇ ◇
ミゼッタがエックハルト・ミュラーとの結婚を承諾したのは、そうしないだけの理由がなかったからだ。
そもそもが小さな村の、農民の娘である。
伯爵の使いがやってきて「来い」と言えば行くしかなかったし、伯爵の息子が真剣な顔で「結婚して欲しい」と言うのであれば、頷くしかない。たとえエックハルトが小太りの中年であろうが、ミゼッタの返答は変わらなかったはずだ。
それは農民の娘であるミゼッタにとって、当たり前の感覚だった。
家族や村のみんなと別れることになるのは悲しいけれど、実際に面会したエックハルトは家族や村のことを「任せろ」と言ってくれた。そしてミゼッタのことを妾ではなく、第一夫人として扱うとも。
もちろん、頭から全てを信じたわけではない。
けれど、エックハルト・ミュラーというミュラー家次男のことは、ある程度は信じてもいいような気がした。
真面目で、誠実で、少し不器用そうな人。
だから――知らなかったのだ。
エックハルトには婚約者がいたなんて。
婚約者と自分を天秤に乗せて、ミゼッタに秤が振れたなんて。
婚約者が、あろうことか火刑に処されることになったなんて。
知らなかったのだ。
知っていたとしても、きっとなにも変わらなかっただろうけれど。
◇ ◇ ◇
ミュラー家に『発見』されたミゼッタは、まず伯爵家が有する別荘に住まわされた。そこでエックハルトと出会い、婚約することになり、貴族としての教育を受けることになった。
ただの村娘でしかないミゼッタは貴族社会の礼儀作法など全く知らなかったし、急にエックハルトの婚約者として振る舞えと言われても不可能だ。
ミュラー家の執事に礼節を叩き込まれ、貴族としての振るまいを教え込まれた。最も難解なのは「無駄に謙るな」という教えだった。
別荘で働く全ての人たちは、どう考えてもミゼッタの村の人たちよりもずっと偉そうだったし、おそらく実際に偉い。例えばミュラー家の使用人とミゼッタの父が喧嘩をしたとすれば、どちらに非があろうともミゼッタの父が罰せられる。
それがミゼッタの知る世界だったし、何処でも似たようなものだろう。
別に、世界の形は変わっていない。
自分の立ち位置が変わっただけ。
エックハルトの第一夫人となる自分は、ミュラー家で働く全ての者に謙譲される者になってしまった。ミゼッタ自身はなにも変わっていないのに、ただ立場が変わっただけ――その『立場』というやつに、人は態度を変えねばならないのだ。
慣れるしかない、というのがミゼッタの結論だった。
ミュラー家に求められているのだから、そうするしかない。
そうして婚約者としての修練――まさに修練というしかない――を重ね、どうにか村娘らしさが抜けてきた頃だろうか。
青白い顔をしたエックハルトがやって来て、ミュラー伯爵の死を告げた。
そうしてようやく、ミゼッタはクラリス・グローリアを知ったのだ。
◇ ◇ ◇
それから先は、怒濤のような日々だった。
ミュラー家の家督を継いだのは、長男であるエックハルトの兄だった。この際に親族との揉め事が起こったらしいが、ミゼッタに詳しいことは判らなかった。ミゼッタに判ることは自分に関わることくらいだ。貴族社会のあれこれなんて全然判らないし、それを理解することも別に求められていなかった。
そう、自分自身に関わること。
まずひとつは、大々的にエックハルトの婚約相手として発表するわけにはいかなくなったこと。
当初ミュラー家が描いていた筋書きはこうだ。貴族を騙るクラリスを火刑に処し、彼女よりもずっとエックハルトの婚約者に相応しい『癒しの聖女』を貴族たちへ紹介し、グローリア家との問題はゆっくりと解決していく。
無実の少女を勝手な都合で殺して、自分たちだけが丸く収まるつもりだったわけだが……ミゼッタにしてみれば、貴族なんてそんなものだ。
性格の悪い代官が徴税に向かったおりに村娘を拐かす、なんて話も聞いたことがある。そしてその代官が罰せられたりとか、そういうことはなかったはずだ。だからクラリス・グローリアが火刑に処されることになった経緯を聞いても、貴族同士でもそういうことがあるのだなと思ったくらいで、衝撃は受けなかった。
けれどクラリスという少女が火刑の炎に燃えることなく、ミュラー伯爵を殺害して何処かへ消えたという話には衝撃を受けた。
貴族の令嬢とはいえ、貴族の当主を殺すことがあるなんて――。
ともあれ、当初の予定通りに事態は運ばなくなった。
家督の相続やそれにまつわる物事に忙しないミュラー家の中、ミゼッタはエックハルトの話し相手を務めることが多くなった。愚痴を言える相手が限られていたからだろう。特にクラリス・グローリアに関する真実は――見る者が見れば真相など丸わかりであったとしても――口にできるものではない。
弱さを見せるエックハルトに、ミゼッタは別に落胆したりしなかった。
貴族って大変なんだなぁ、と他人事のような感想を抱いただけだ。エックハルトがミゼッタに意見を求めなかったのもあるだろう。愚痴なんてそんなものだ。診療所に通い詰める老人が腰の痛みをぼやくのと、たぶんあまり変わらない。
「俺は彼女のなにを知っていたのだろうか……」
皮肉げにぼやくエックハルトの横顔は、やや滑稽だった。
だって、勝手な都合で殺そうとした相手に逆襲されただけではないか。なのに今更になってクラリスという女の子を慮ったところで意味がない。そういう配慮ができるなら、火刑になんて処さなければよかったのだ。
ともあれ、エックハルトはミゼッタに愚痴をこぼしながらミュラー家の問題に取り組んでいった。
家督相続のあれこれ、家督を継いだエックハルトの兄の補佐や、今後のこと。領内の諸問題。加えてエックハルトは王都の学園を卒業しなければならなかった。
そうして――あるとき、カマキリみたいな顔をした男が現れた。
レオポルド・イルリウス侯爵閣下である。
侯爵は、ぎょろりとした気持ちの悪い眼差しでミゼッタを睨み、言った。
「『癒しの聖女』ミゼッタ。貴様の身柄はイルリウス家で一度引き受けることになった。名を売らねばならない。貴様も、エックハルトも」
◇ ◇ ◇
ああ――自分は遠いところに来たんだな、とミゼッタは思った。
人を癒して笑顔を見せてくれるような場所には、自分はもういないのだ。
最近、カクヨムという小説投稿サイトに短編小説を書いたりしてました。
『愛と放課後とジークフリート』というロボットアクション短編です。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054894742626
よかったらどうぞ。




