026話「魔と豚と_02」
流されてしまった。
それがマイアにとって最初の感慨だった。
父や母に槍を教わり、ユーノフェリザ氏族として強く生きることを学んできたつもりだった。それが『上』の命令ひとつで人族へ特攻し、死んでこいという話になって、判らなくなった。
こんなことのために、私たちは生きてきたのか?
その疑念は人族の領域に攻め込んでみても晴れることはなく、深まるばかりだった。内心では見下していた人族の戦力に打ち負かされたことも、マイアの心境を混乱させた。一体自分たちはなんだったのか。
からからに渇いた心に、だからクラリス・グローリアの言葉は染み込んだ。
逃げればいい、と。
自分たちを縛りつける全てを無視して、彼女は笑った。
だから最初は、流されてしまったのだ――と、マイアは思う。
実を言えばユーノスが感化されたようには、クラリス・グローリアに感化されたわけではなかった。確かに奇妙で異常な少女だ。氏族長のヤヌスですら彼女を殺せなかった。しかし言ってしまえば死なないだけではないか。
クラリスは力尽くでマイアたちを従わせたりはできないのだ。
けれども、流された。流されないでいるなんで、マイアにはできなかった。
そのことに後悔などない。
クラリスに従って森を開拓するのも、オーク族の窮地に首を突っ込んだのも、カタリナを守りながら動くのも、カタリナが獣人の少女を説得する様を見るのも、全て悪くなかった。そう、悪くなかった。
つまりはそういうこと。
あんなところで無意味に死ねるほど、マイアはユーノフェリザ氏族でなかったという、それだけの話なのだ。父や母のようには、人族に突貫して死ねなかった。族長のヤヌスみたいには、魔王の民でいられはしなかった。
「おでらは、その……どうすればいいんだべか?」
だから、オーク族も彼女に流されてしまうのだろう。
そう思った。
きっとそれは、悪くないことだ――と。
◇ ◇ ◇
「ザンバの言うことが確かなら、間違いなく『これ』は『これだけ』で終わらないぞ。例えば、ザンバたちが作戦に失敗して、連合軍に戻れなくなった。連合がこれを不審に思えば、当然だが連中は確認に来るはずだ」
状況が込み入っている。
槍については相当な修練を積んでいる自信のあるマイアだったが、この手の戦略的視点は持ち合わせていない。というより、考えてみればユーノフェリザ氏族の誰も、そんなものは持っていなかったのではないか。
仮にそれがあったなら、あんな状況にはなっていなかった。
マイアの内心とはまるで無関係に、クラリスは続ける。
「それと気になることがある。モンテゴ、獅子王に小麦で税を納めていると言ったな。なのにこの状況になっても助けのひとつも来ない。もしかしたら、普段から獅子王の兵士みたいなのは来てないんじゃないのか?」
「兵士だか……んだべ。兵士は来てねぇ。一度もねえな。おでらは年に二回、代官様に小麦を納めてるだけだでよ」
「まさかその代官は一人で来てるわけじゃないだろ」
「そらそうだべ。狸の獣人が代官様で、その部下が台車を引いて来んだ。全部で二十人くらいだべかな」
「量としては、どのくらいを納めている?」
「おでらの食い扶持だったら二ヶ月分くらいだべか……それがどうかしただか?」
「んー……オークが普通の獣人の三倍食べるとすれば、おおよそ三十五人を一年分食わせるくらいか……畑を増やせと言われたことは?」
わずかに眉を寄せ、クラリスはさっと納税の分量を計算する。もちろんマイアだってそれくらいの計算はできるが、答えを出すには倍の時間は必要だ。
かわいらしい容姿に似合わず、やはり知能が高い。
おまけに頭の中で導き出した計算結果を、いざとなれば捨てられる。
ユーノフェリザ氏族にはいなかった特性だ。
「ねぇと思うだ」
即答するモンテゴに、クラリスもまた即答した。
「たぶんその代官、おまえたちが納めた小麦をちょろまかしてるぞ。巡回の兵士が一度も来ないなんてありえないし、代官が文字通りに代官として動いているなら、年に二回だけしか来ないなんてこともないだろ。熱心なやつなら増反……畑を増やさせて納税を増やそうとするだろうが、それもない。こっそり売りさばける量に限度がある、っていうことかも知れないな」
「じゃ、じゃあ……おでらが納めてた小麦は……」
「その狸の金稼ぎに使われてるだけで、獅子王には一粒だって渡されてないだろうな。まあ、私の予想が外れていて、ちゃんと納税はされてるけど獅子王ランドールがゴミクソ野郎で、おまえらの村なんか無視してるってだけかも知れない」
「おでらは……どうすればいいんだべか?」
さほど整っているとは言い難い豚面をくしゃりと情けなく歪ませて、モンテゴは言う。ユーノスの外套を一枚羽織っただけの少女は、腕組みしながら思いっきり胸を張り、にんまりと笑って見せた。
「モンテゴ、おまえはどうすればいいと思う?」
◇ ◇ ◇
そんなふうにして、スーティン村はクラリスの支配下に収まった。
話を聞けば、殺された三人のオークのうち一人が村長で――だから火事になっても誰も困らなかったわけだ――モンテゴたちは、自分たちだけの力で未来を選択することを諦めた。
いや、あるいはこういう言い方もできる。
彼らは彼らなりに最善を選んだのだ。
自分たちだけでは先行きが怪しすぎる。どうすればいいのかも判らない。だから、先が見えている者に導いてもらおう。
それがクラリス・グローリアなら、文句などない。
おそらくモンテゴはそう考えたのだろうし、セレナが助けを呼んでやって来たクラリスは確かにオークの村を救っている。そのことから、オークたちのクラリスに対する信頼は厚かった。
付け加えるなら、クラリスの態度が自信満々だったのも大きいだろう。あれで遠慮がちだったり自信なさげだったりすれば、オークたちだってクラリスに自分の命運を預けようなんて思わなかったはずだ。
それに――と、マイアは思う。
あの笑顔は、反則だ。
傍で見ているマイアでさえ、うっかり信じてしまいそうになった。カタリナやキリナなんかは目を輝かせてさえいた。
ああ――この人に付いて行けば、きっと素晴らしい日々がやって来る。
そう、思ってしまった。
ほんの一瞬だけでも、マイアは確かにそう思ったのだ。
◇ ◇ ◇
ジェイドと他に何人かが魔境へ戻り、残ったマイアたちは丘の上で見張りに立つこととなった。
見張りは常に二人体制。魔境側からの襲撃は気にする必要がないので、歩哨としては気楽なものだ。丘に座って小麦畑の向こうを眺めていればいい。
既に夜の帳は降りているのだが、マイアたち魔人種はかなり夜目が利く方だ。クラリスに言わせれば「目に魔力を集めている」とのことだが、そう言われて意識してみれば、夜の闇はむしろ自分たちの味方であるかのよう。
向こうからは見えず、こちらからは見える。
小麦畑の向こうで誰か一人でも歩いていれば、絶対に見逃さない。
「それほど気を張っていても仕方ないぞ」
隣に座るユーノスが言った。愛用の黒剣はいつでも手に取れる位置にあり、身体は弛緩させているが、油断はない。無駄な緊張も。
「あんたは……変わったわね」
ぽつりとマイアは呟いてしまう。
嫌味ではなく、ただの感想だ。
ユーノスとは幼い頃から一緒に育ってきたが、マイアが槍を習ったように、ユーノスは剣を学んだ。槍と剣で対峙すれば槍の方が有利というのが定説だというが、マイアは模擬戦でユーノスに勝ったことがない。
それでも――ザンバ・ブロードを相手取ったときのユーノスは、マイアの知っているユーノスではなかった。
たぶん、技量はそこまで変わっていない。
変化したのは、心境の方ではないか。ユーノス・ユーノフェリザだった頃には持ち得なかったナニカを、今のユーノスは持っている。
だから――迷わないし、躊躇わない。
故郷にいる頃のユーノスだったら、ザンバの攻撃を受け止めようとしたり、あるいは彼と会話をしようとした……だろう。たぶんそうだ。
「おまえも変わっただろう。オーク族と関わることに、前までのマイアなら不快感を示したはずだ。見た目がどうこうとかいう理由で」
「そうかしら?」
言われてみれば、そうかも知れない。別に今だってマイアはオーク族の容姿を美しいとは思わないし、どちらかといえば醜いと思っているが、だからといってそれが嫌悪の原因にはなっていない。
ただ、確かに以前の自分なら、魔人種以外の種族を内心で見下していただろう。オーク族なんて、他の種族にへつらう以外に生きる道を持たない醜悪な種族だと、そんなふうに感じていたかも知れない。そういう自分は容易に想像できた。
今は違う。
自分たちが弱いことを知ったから。
私たちは――等しく、弱い。
だから強い。
そのことが、マイアには少し嬉しかった。
「ほら、モンテゴが来たぞ。たぶん手に抱えてるのは差し入れだな。クラリスがピッツァとかいう料理を教えていたから、たぶんそれだ。マイアは、豚の獣人がつくった料理を食うのは嫌か?」
丘の下から、藁のかごを手に提げて歩いて来るモンテゴが見えた。
その姿に愛嬌を感じている自分に気付き、マイアは苦笑して肩を竦める。
最初は流されて――今は、心地好い流れに乗って、泳いでいる。
「あたしにはちょっと量が多すぎるってところ以外は、悪くないわね」
認めよう。
自分もまた変化している。
ユーノスも、オーク族も、おそらくは妖狐セレナも、間違いなくキリナも。
クラリス・グローリアに変えられてしまったのだ。
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