024話「犬と魔と_04」
ユーノスが戦うところを見るのは初めてだったが、予想以上に強かった。
ユーノフェリザの氏族長、ヤヌスは筋肉質のごつい男で、私の腹を貫手でぶち抜くようなでたらめ振りを見せた。
あれなら例えばグローリア家の騎士を百人並べても突破されそうだ。もちろんそこに強力な貴族が参加すればヤヌスに勝ち目はないだろうが、単純な戦力として考えるなら、人族の騎士でヤヌスに比類し得る者など、私の知識では一人くらいしか思いつかない。
王国最強の騎士、クレイグ・エスカードがそうだ。
エスカード辺境領に生まれ、王都の学園で頭角を現し、そのまま王国騎士団に入団して騎士団長に昇り詰めた男。
策謀渦巻く王国の中枢で、どうやって辺境伯の子息が騎士団長に?
答えは簡単、強すぎたから。
クレイグ・エスカードは強すぎた。誰もが彼を手放してはならないと考えるほどに。辺境領ではなく、王国の中心に置いておくべきだと、そう判断された……そういう話を聞いたことがある。
彼ならば、あるいはヤヌスに相対しても生き残ることができるだろう。
斬り伏せることは……なかなか難しいような気もするが。
ともあれ、ユーノスだ。
狼族の族長、ザンバ・ブロードはヤヌスと比べればさすがに見劣りはするものの、それでも並み外れた速度と剛力の持ち主だ。おまけに牙と爪を持っている。それはヤヌスには持ち得なかった武器だ。
しかし――まるで話にならない。
一合目の動きは、正直言って私にはよく見えなかった。
互いが高速で踏み込んだ、と思った瞬間にはぶつかり合っていて、気付けばザンバが宙を舞っていた。どういうわけか、真上に。
体操選手でもそこまでは回転しないだろう、という勢いでぎゅるぎゅると回りながら上方向へ舞い上がり、自然法則に従って落下し……地面と衝突する寸前にユーノスの蹴りがザンバの腹にぶち込まれた。
強めのセカンドゴロみたいに地面を小さくバウンドしながらザンバが転がっていく。しかし途中でザンバは無理矢理に姿勢を整え、がりがりと地面を削りながら両手両足を使って慣性を殺し、バネ仕掛けみたいに駆け出した。
それから、二、三、四、五……六合。
全てをユーノスは捌き、的確にザンバへ打突を加え続けた。胸、肩、背中、そしてまた腹、腹。蹴りだけではなく肘を使うこともあったし、剣の柄尻を使うこともあった。抜き払ったままの黒剣の刃は、絶対に狼の獣人を斬らなかった。
――一人は残しておくか?
つまりはそういうことなのだろう。それだけの余裕がユーノスにはあるのだ。実際、最初の一合こそ目にも留まらぬ攻防だったが、二合目からはユーノスの動きが目に見えて遅くなった。にも拘わらず、ザンバの攻撃は当たらず、ユーノスの攻撃だけが当たっている。
見切っている、ということか。
「なン……なん、だぁ……テメェはよぉ……」
ぜぇぜぇと息を切らせながら、ザンバが呟いた。怒りだの憎しみだの、そんな余分のない、単純な疑問符。それだけの疲弊があるのだろう。
対するユーノスは半身の姿勢で右手の黒剣をザンバへ向けたまま、小さく眉を寄せて息を吐く。
「名乗りは済ませただろう。語るべきことがあるなら、敗北を認めるか認めさせた後にしろ。おまえは俺を殺すんだろ? 万が一にも――」
言葉は途中で途切れ、ユーノスの視線が一瞬だけザンバから外れる。
その隙を、ザンバは突かなかった。
「キリナ……」
ぽつり、とセレナでない方の狐人が呟いた。
そういえば、火事になった村長の家からセレナが手を引っ張って助け出していたようだが……あの女、一体どういう経緯でこんな場所にいるのだろう?
まあ、いい。
そんなことよりも、穀物庫の方から三人が歩いて来るのが見えた。女魔人種のマイアとカタリナ、そしてカタリナに手を引かれて、キリナが。
二人の仲が良いのは知っていたが、道の向こうから歩いて来るカタリナとキリナは、友達というより同志とでもいうような雰囲気があった。もしかすると、桃の花が咲き誇る何処かでなにかの誓いでも立ててきたのかも知れない。
「ステラとザンバは、キリナの両親じゃ」
セレナが言った。
「ふぅん……」
ということは、十年前セレナにキリナを預けていった旧友……旧友だっけか? 確かそんな感じだったような気がする。そもそもセレナたち狐人は獅子王の裁定によって集団であることを禁じられ、解散させられたのだったか。
……あれ?
そうなると、最初からおかしいのか。
うーん。
もしかすると、思っているより話が大きいのか。
「クラリス殿!」
と、今度はカタリナたちとは別方向から声がした。
曲剣使いのジェイドを先頭に、魔族たちの半数ほどがこちらへ向かって来るところだった。察するに、残りは集会所を守っているのだろう。
「こちらは片付いたぞ。狼族は十一人殺した。そのうち一人に『教えて』もらったが、そいつが最後の一人で間違いない」
なんでもないことのように、ジェイドは告げる。
セレナが少しだけ顔をしかめる。対してカタリナとキリナは無反応に近いほど表情が変わらなかった。だからどうした、と言わんばかりだ。
キリナの母ステラの方は、状況が掴めないといった顔でぽかんとジェイドの方を見つめていたが……まあ、たぶんなにも理解できていないのだろう。
そして、ザンバ。
ずたぼろになった狼族の族長は――ぶるぶると全身を振るわせていた。
「全員……殺した……だと……?」
呟くザンバの雰囲気が、先程までと違う。
さっきまでだって切羽詰まってはいたはずだ。ユーノスを殺すつもりで攻撃していたし、それをいなされて反撃を喰らい、それでも殺されはしない、手加減されている。そんな状況だったのだ。屈辱でないわけがない。
しかし今は、もうそんな次元を超えていた。
対峙しているユーノスにもそれは伝わっているのだろう――むしろ傍で見ている私よりも明確に感じているはずだ――黒剣の切っ先がわずかに揺れ、ほとんど棒立ちだったのが、やや腰を下げて、初めて構えらしい構えを取っている。
「ああ、殺したぞ。おまえらもオーク族を殺しただろう。侵略しに来たのだから、それは殺すだろうな。援軍を呼ばれて殺されることもあるだろう。そのくらいのことも知らなかったのか?」
当然、とばかりにジェイドが返す。
しかし――はたして、その科白は届いたのか否か。
ぶるぶると震えていたザンバの身体が、今度はもっと強く、がたがたと震え始めた。恐怖や怒りがもたらす震慄というより、むしろ物理的反応のようだ。ヤバい薬をキメたとか、あるいは身体に電極を貼り付けて電流をぶち込んだとか、そういうことをした結果として、肉体が反射しているような。
「……なるほど。狼族とは、こういうことか」
私は思わず感嘆の声を洩らした。
もはや痙攣と表現した方が正確な様子のザンバの、その身体が見る見るうちに膨れあがっていく。本当に、誇張なく、体積が増しているのだ。
めりめり――と、
ごりごり――と、
奇怪な音を立てながら、ザンバの身体が変貌していく。
時間にして五秒かそこら。たったそれだけの間に、百八十センチほどだった身長は二メートル半を超え、人族とさして変わらなかった容姿は全身毛むくじゃらのバケモノに。そう、フィクションでよく見る『狼男』だ。
まったく、質量保存の法則をなんだと思っているのか。いや、魔法のあるこの世界でそんなことは考えても仕方がない。質量と言わずにエネルギー保存の法則と考えるならば、答えなど判りきっている。
魔力。
それを使うことで変身しているのだ。
「――グオォォアァオォォォ!!」
いかにも獣らしい咆哮が上がる。マイアが槍を構えてカタリナとキリナの前に出た。ジェイドも曲剣を抜いて腰を落とす。
そしてもう、その瞬間には、終わっていた。
予備動作のない一足跳びで狼男に接近したユーノスが、黒剣を動かしていた……ようだ。と、思う。たぶんそう。
傍で見ている私からしても、ユーノスはいつの間にか肉薄していたし、そのときには既にザンバの右足を切断していたのだ。
ぐらり、とザンバの身体が傾ぐ。
それはそうだろう、身体を支えているふたつのうちひとつが断ち切られているのだ。まともに立っていられるわけがない。
まだ狼の遠吠えが残響している中で、ユーノスは剣を振った慣性を利用してぐるりとその場で一回転。フィギュアスケートの選手みたいな美しさすら感じさせるターンで遠心力を乗せ、ちょうどいい位置に落ちてきたザンバの頭部へ打ち下ろし気味の左フック。
ごんっ、という、デカいハンマーを打ち込んだような音。
ビルの三階から落下したような勢いでザンバの身体が地面に接触する。
それきり、ぴくりとも動かない。
いや――動きそのものは、あった。狼男だったのが、また元の獣人へと身体が変形していく。よく見れば全身から生えていた体毛なんかが、光る粒子みたいなものになって大気中へ放出されている。
「やめて!」
ステラ……キリナの母親が叫んだ。ほとんど悲鳴みたいな声音で。
何故なら、気絶したザンバの右腕に、ユーノスが黒剣を突き込んでいたから。
地面に貼り付けるための杭とでもいうような、そういう刺し方だった。
「子供の前で父親を殺さないで!!」
その場にくずおれて膝をつきながら、ステラが重ねて叫ぶ。
訴えそのものは、非常にまともだ。しかし彼女の母親らしいまともさは、あまりにも場違いだった。無限のツッコミどころとでも表現すべきか。思わず笑ってしまうほど、ステラの言葉は空虚に過ぎる。
「なにがおかしいのよ!?」
ありったけの憎悪を込めた視線を向けられるが、私は笑いの発作を堪えられなかったし、特に堪えようとも思わなかった。
「うふふ……だって、こんなの笑うだろ。道徳を説くにしては随分と手遅れじゃないか? 私が殺されてるときにも道徳を叫べばよかった。ザンバがユーノスにボコられてる最中だって、おまえは黙ってたじゃないか。娘の前でいい顔をしたいのか知らんが、その娘を見てみろ」
未だ警戒を解いていないマイアの後ろ、カタリナと手を繋いでいるキリナを、私は指差してやる。
その表情に浮かんでいるのは――無関心、だ。
目の前の女には興味がない、という貌だ。
「キリナ……?」
「そこの狼の人が私の父親で、あなたが私の母親。そう言ったよね」
「ええ! そうよ! だからあなたを迎えに――」
「知らない。どうでもいい。そんなこと」
十歳かそこらの少女が、さながら見知らぬ中年男性の好意を拒否する女子大生みたいな冷たさで、母親の言葉を遮った。
絶句するステラを無視し、キリナは私の方へと視線を動かし、続けた。
「クラリス様。私の親は、セレナです。こんな人たちのことなんて、知りません。今ここで、殺してください」
淡々と吐き出された言葉に、私はまた笑ってしまう。
まったく、この世は何処も彼処も地獄じゃないか。死んだり死なせたり殺したり殺されたり、死なれたり、死なせられたり、見捨てられたり、見放されたり。拾われたり。ついて来たり。一緒にいたり。一緒になったり。
たっぷり十秒くらいはニヤニヤしてから、私は言った。
「いいや、ダメだ」
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