023話「犬と魔と_03」
今回も主人公視点ではないです。
村長の家、と言われていた場所が爆発したのを見た瞬間、カタリナは胸がざわめく自分を抑えられなかった。
クラリス・グローリアが死なないのは判っている。
人族の領域へ攻め込んでいたあのとき、族長ヤヌスに殺されたはずのクラリスが平気な顔をして立ち上がるのを見ていた。後から聞いた話だが、それ以前にクラリスは人族の双子に五百回近く殺されていたとも言っていた。妖狐セレナには四十回以上も焼き殺されたという。
だから、平気。
そのはずなのに、こんなにも胸がざわめく。
今まさにクラリス・グローリアは、なにかされているのだ。
そのことを考えると、心の中に黒いモノが満ちていく。
「合図だ。俺は行く。ジェイドたちは集会所を制圧しろ。それが終わったら村を回れ。狼族は殺していい。マイアとカタリナは穀物庫を確認の後、守備だ。穀物庫が焼き払われる、なんてことがあれば、たぶんクラリスが怒る。モンテゴはジェイドたちと一緒に集会所へ行け。俺たちが敵じゃないことをオーク族に伝えてくれればそれでいい」
ユーノスが言って、返事を待たずに地を蹴った。ほとんど飛び降りるような勢いで丘を駆け下りて行くその背中を、黙って眺めているわけにはいかない。
「俺たちも行くぞ」
「あたしたちも行くわよ」
曲剣使いのジェイドと、槍使いのマイアが言う。
それぞれが首肯し、カタリナたちは丘を駆け下りた。
◇ ◇ ◇
制圧は、ほんとうに一瞬で終わった……ようだった。
カタリナは指示通りにマイアと穀物庫へ向かったので、狼族と対峙する機会はなかったのだが、村のそこかしこから戦闘の物音と悲鳴が響き、それがすぐに収まったのは感じていた。
「こっちはハズレみたいだけど、気は抜くんじゃないわよ」
長い髪を首の後ろで束ねたマイアがカタリナへ振り返って言うが、元より気を抜くつもりなどなかった。
クラリス・グローリアの足手まといになるくらいなら、死んだ方がましだ。カタリナは本気でそう思っている。
向かった先の穀物庫は、村の規模に比べて非常に大きかった。モンテゴに聞いたところ、スーティン村の人口は三十六人……そのうち三人のオークが殺されたそうだが、たったそれだけの人数を食べさせるのにカタリナたち魔人種ならば百人以上は一冬越せそうな規模の穀物庫が必要とは。
文化や風習というより、そもそもの身体構造の違いがあるのだろう。
「まったく、でかい扉だねぇ。あたしが開けるから、あんたはちょっと下がってなさい。誰か出て来ても相手をしようなんて思うんじゃないよ」
「判ってます」
互いに頷き、マイアが巨大な扉に手を掛けるのを、カタリナは十五歩分の距離を取って待っていた。もちろん扉を注視したりはしない。周囲に気を配り、開かれる扉の先にも同時に気を払う。
周囲ではなく、扉の先に気配があった。
それも――たぶん、カタリナがよく知る気配だ。
「誰かいるね!」
マイアが槍を構えて扉の奥に叫ぶ。
穀物庫といっても造りは粗雑で、ようは大きい物置だ。入口から見えるのはたくさんの木箱と、オーク族が使うらしい巨大な農具。
そして、入口からちょっとだけ奧に、獣人が一人。
「キリナ……」
妖狐セレナに育てられた獣人の女子。
それが、どうしてこんなところに?
◇ ◇ ◇
キリナの人生の記憶は、辺境の一軒家に収まってしまうほど僅かなものだ。
実の母親が、ある日セレナの元を訪ね、まだ赤ん坊だったキリナを預けて去って行ったという。キリナはそれをセレナから聞かされていたし、別に、だからどうという感情も持ち合わせていなかった。
何故なら『両親』というものをキリナは知らなかったし、周囲に『両親』を持つ子供が存在しなかったからだ。寂しいと思うこともなかったし、悲しいと感じることもなかった。毎日は穏やかで、少し退屈で、でも嫌だと思うこともなかった。
そういう生活が、十年。
この世の全てのことは妖狐セレナから教わり、あるいは自然に学び、キリナなりに人生観というものを構築していった。
けれども、か細い棒で建てたような人生観は、クラリス・グローリアの登場であっさりと瓦解した。
ゆったりと穏やかだった毎日は、きらきら光る激動の時間に。
同い年くらいのカタリナとの出会いもあり、キリナは他者というものに触れることになった。自分を無条件に庇護してくれるセレナではなく、自分を知らない、相手を知らない、そんな状態から触れ合うことを知った。
そして次の激動。
母ステラと父ザンバが現れ、キリナの意思を無視して攫っていった。
ああ――自分の両親は、こういう人たちなんだ。
キリナはそう思った。
育ての親であるセレナのように愛情を向けてくれるわけでもなく、クラリス・グローリアのように輝くナニカをもたらすわけでもなく、友達になったカタリナのように仲良くしてくれるわけでもなく……ただ、自分の都合をキリナに押しつけた。
オークの村を襲っていた。
オーク族を殺していた。
自分たちのために。
やりたいことをするために、誰かを傷付けて、貶めて、平気な顔をしていた。
「……だから、判らなくなっちゃった」
と、キリナは言う。
「あの人たちがなにをしたいのかなんて、わたしは知らない。それに、あの人たちは、わたしのことなんて、きっとどうでもいいんだと思う。なのに、どうしてわたしが攫われて、こんなところに押し込められて……セレナに会いたいよぅ……」
涙声で呟くキリナに、カタリナは大股で近づき、傍らにしゃがみ込んだ。
それから、平手で頬をぶっ叩いた。
◇ ◇ ◇
「――え?」
痛みよりも困惑を相貌に浮かべる狐獣人を見ながら、カタリナは言う。
「私の両親は、死ぬのが判ってるのに人族の領地に突っ込んで行った。それが氏族の誇りだとか言って。私には全然判らなかった。……ううん、判らなくなってた。その少し前までなら、判っていたはずなのに」
目の前の獣人は、自分と似ている。
カタリナは、キリナと出会ってから、そう思っていた。
両親はいないけど、尊敬すべき人がいる。
例えばユーノス。彼は氏族の誇りを捨てることができた。捨て去って、けれども本当の誇りだけは抱えて、自分たちを引っ張ってくれた。
きっとキリナの場合は育ての親である妖狐セレナが。己を育ててくれて、尊重してくれて、慈しんでくれたはずだ。
そして二人とも、クラリス・グローリアに強く惹かれた。
だから仲良くなれた。
「ねえ、キリナ。どうして私がここにいるのか、考えてみてよ。私たちが、私たちだけの意思でこんなところに来ると思う?」
「それは……」
「妖狐セレナが、クラリス様に助けを求めた。クラリス様は頷いた。だから私たちは来た。あなたの両親がなにをしようとしているかなんて知らないけど、絶対にやろうとしていることなんてできないわ」
だって、クラリス・グローリアが来たのだ。
そのクラリス・グローリアを、自分たちが助けるのだ。
「ねえ、キリナ。こんなところでうじうじしてるのを、クラリス様に見せるつもり? クラリス様になんて言われるか考えてみなさい。慰められて、喝を入れられて、守られて……それでいいの? そのままでいいの?」
「……カタ……リナ……?」
「私はそんなの、死んでも嫌よ」
強く、吐き捨てるようにカタリナは言った。
そのままで流されていたから、両親は死にに行った。
「いいのよ、キリナがそうしたいなら、そこで蹲っていればいい。どうしたらいいかなんて私にだって判らないもの。もしかしたら、誰にも判らないかも知れない。でもね、私は『どうしたくないか』なら判るのよ」
何度も言っていることだ。
どうしてそう感じるのかなんて、カタリナにも判らない。
でも――でも、でも、でも!
あの日、魔境に一人でやって来て、族長に腹をぶち抜かれて、それでも笑って「逃げればいい」と言いのけたクラリス・グローリアを、カタリナは絶対に忘れられないのだ。できることならずっと彼女の行くところに付いて行きたい。
そして、そう。
絶対にやりたくないこと。
「クラリス様の足手まといには、絶対にならないわ。だって、クラリス様と一緒にいたいもの。キリナ、あなたはどうなの?」
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