022話「犬と魔と_02」
今回は主人公の視点から外れます。
セレナがクラリスに向けて鬼火を放ったのには、ふたつの理由がある。
ひとつはクラリスが死なないのを知っていたから。
もうひとつは、ザンバ・ブロードに対する攪乱の意味合い。
大声で捲し立てるクラリスの言葉を聞き終える前に、セレナは己の内側で魔力を編み上げ、鬼火を放っていた。ちょうどクラリスの言葉が終えた瞬間に鬼火が着弾し、派手な音を立てて爆発する。
人族や、人族と同じような体格のセレナたちからすれば縮尺の狂ったようなオーク族の家屋だが、妖狐の鬼火にはあまり関係なかった。指向性を伴う爆破と高熱に曝され、瞬間的な破壊が木造建築を吹っ飛ばす。
一瞬だけ遅れて、熱風がセレナの方へ届いてくる。
「あ……あんた、一体なにを……!?」
キリナの母であるステラが愕然とした表情でセレナを見るが、セレナはそれに構っている暇がなかった。
ザンバ・ブロードを警戒していたからだ。
もしかすると自分へ襲い掛かって来るかも知れない狼族の男から意識を離すわけにはいかなかった。
そのザンバはといえば、クラリスとかなり近い距離にいたせいで、爆発の衝撃をもろに喰らって吹き飛ばされていた。
しかし文字通りに吹き飛んだだけで、熱と衝撃の大半はクラリスより向こう、壁と屋根を破壊する方へ向いていた。もちろん並の獣人であれば死にこそせずとも気絶は免れなかっただろうが、ザンバ・ブロードは並の獣人ではなかった。
「てめぇ……一体……どういうことだぁ……?」
多少ふらつくのか、頭を押さえながら立ち上がり、ザンバは苛立ちと困惑を等分にした眼差しをセレナへ向けてきた。
狙い通り――だ。
クラリスの言うことに従って屋根でも吹っ飛ばしてしまえば、明確にセレナがクラリスの味方であると判断される。
が、こうしてクラリス・グローリアを狙って鬼火を放つことで、ザンバもステラも判断を保留した。それはそうだろう、誰が味方に向かって家屋を吹き飛ばすような魔法を放つというのか。
セレナだって、普通ならそんなことはしない。
クラリス・グローリアが異常だから、こんなことができた。
「あはははは! はは! うふ、うふふふははは!」
ほら、高笑いが聞こえてくる。
なにがそんなに面白いのか、セレナには全く理解できない。そしてたぶんクラリス自身も別に理解などしていないだろう。
爆破によって壁材ごと吹き飛ばされた先で、ぼろぼろの衣服を引き千切りながら、クラリス・グローリアはこちらへ向かって叫ぶ。
「ほらほら、なにを呆けてる! 散歩の時間だぞ、負け犬ザンバくん! 見ろ、外は快晴で、風も穏やかで、小麦畑はきらきら輝いている。狐の鬼火で火事になってる家に引きこもってる場合じゃないぞ! ははははは!」
はぁ、と呼吸音が聞こえた。
ザンバが頭を押さえていた手を戻し、呼吸を整えたのだ。なんのために? 決まっている、攻撃をするために。素早く動くために、息を吸って、吐き出して、また息を吸って――そして、床を蹴る。
瞬く間の接近。
歩いて三十歩分以上の距離を、たったの四足で詰め寄り、ザンバの右腕がまたクラリスの上半身を引き裂いた。
それはもう、見ていて惚れ惚れするくらいの蹂躙だ。獅子が野兎を狩るよりも簡単に、少女の身体が狼の爪に引き裂かれて、地面にべちゃりとぶち撒けられる。
誰が見ても致命傷。
あれで生きているわけがない。
なのに、クラリスは普通に起き上がる。
「まったく、それしか脳がないのか? 他にやれることがあるだろう。もっと札を切って来い。何度やっても無駄だぞ。時間は有限。いつまでも負け犬とおままごとしてられるほど私も暇じゃな――」
ぐちゃり。
今度は頭から腰までを爪が挽き潰した。
「――暇じゃないって言ってるだろうに。まさかとは思うが、本当にそれしかできないのか? 狼族の族長様は、かわいい女の子に爪を立てるのが得意技か?」
「なんなんだテメェは――ッ!!」
叫ぶザンバの声音は、言葉の通じる相手へ向けたものとは思えなかった。なんというか、増水する河川だとか、手の施しようのない山火事を前に叫んでいるような、そういうどうしようもなさがあった。
答える金髪の少女は、もう高笑いさえせず、ごく普通の微笑で言った。
「何度も言ってるだろ。私はクラリス・グローリアだ。それ以上でもなければ、それ以下でもない、ただのクラリス・グローリアだ」
ザンバはもうなにも言わなかった。
とにかくクラリスを黙らせようと爪を振り上げ――
――振り下ろした爪が、黒い剣に断ち切られた。
◇ ◇ ◇
「な……なんで、ここに……!?」
混乱の極み、という感じでステラが呟いた。
セレナはしかし旧友の困惑には構わず、彼女の腕を引いて家屋から脱出することにした。鬼火の高熱に曝された箇所から火が上がり始めていたからだ。
既に壁はなくなっているので家から出ることは簡単だった。
簡単でなくなっているのは、あちらの状況だ。
いつの間にか――本当にいつの間にか、黒い剣を携えた魔族の男が、クラリスとザンバを阻む位置に立っており、ザンバの爪を切り裂いていた。
薄紫色の不吉な肌。
鴉の濡れ羽によく似た黒い髪に、何処か気品を感じさせる黒い瞳。
すらりとした痩躯。けれどそこに弱々しさなど微塵もない。
セレナは彼の名を知っていた。
クラリスと共に、最初に自分たちの元を訪れた者。
ユーノス。
氏族名を持たない、もはや魔族でさえない、魔人種の男。
「……やれやれ。どうせそうなるとは思っていたが、実際こうなっているのを見ると、やはり良い気分ではないな」
「うふふ、そう怒るな。ちゃんと急いで来てくれたじゃないか。それともクラリス・グローリアのすっぽんぽんは見るに堪えないか?」
不満げに吐き捨てるユーノスに、クラリスは実に嬉しそうな笑みを返す。
「俺の記憶が確かなら、おまえの服はセレナから借りてるものだろ。まあ、いい。とりあえずはこれでも羽織っておけ」
言って、ユーノスは自分の着ている外套をクラリスへ放って渡し、改めてというふうにザンバへ向き直った。
「さて――バケモノを相手にした後で気分は最悪だろうが、ここから先はもっと最悪だぞ。俺は少々怒っている。殺すなと言われているが、半殺しにするなとは言われていない」
ゆらり、黒い剣の先が動き、ザンバへ向けられる。
「……そうか、時間稼ぎか」
「うふふふ。ようやく気付いたか、負け犬ザンバくん」
いそいそと黒い外套を身に着けながら、クラリスが胸を張った。遊び場の子供だってこれほど楽しそうには笑わないだろう、とセレナは呆れてしまう。
本当に、なにがそんなに楽しいのか。
あるいは、楽しくないのに笑っているのか。
セレナには判らない。
「魔族がなんだってこんなところに――」
いやがる、とでも言いたかったのだろう。
しかしその科白が最後まで紡がれることはなかった。
一歩踏み込んだユーノスが剣を振り、ザンバがそれを慌てて避けたから。
否、避けたのではなく――避けさせた。
剣を振った動作を繋ぎに、ユーノスは更に踏み込んでザンバの腹に蹴りをぶち込んでいた。
まるで鉄塊を近距離からぶん投げたような、そういう蹴撃だった。
「ごっ――!!」
言葉にならない痛苦の声を漏らし、ザンバが地面と平行にぶっ飛んでいく。かなりの飛距離を稼ぎ、ようやく地面に触れたと思えば、そのままごろごろと回転して、しばらく止まることはなかった。
「そんなものじゃないだろう。仮にも一族の長であるならば、矜持を見せろ。強さを見せろ。まだ名乗りさえ済んでいないぞ。そんなだから、そこの小娘に笑われるんだ。そんな様で――クラリス・グローリアをどうにかできると思い上がるな」
「テメェは、何者だ」
蹴られた腹を抱えながら立ち上がり、ザンバが言った。
ユーノスは再び切っ先を動かし、ひどくつまらなそうに返す。
「喋れるうちに、そっちから名乗っておけ。後から悔やんでも遅いぞ」
「ザンバ・ブロード。テメェを喰い殺す狼の名だ」
「ユーノス。今はただのユーノスだ。おまえを殺さぬ者の名だ」
空気が軋む。
ぴんと張った糸のように張り詰めて、ぎしぎしと音がする。けれど所詮は細い糸だ。あまりに強く張りすぎれば、切れてしまうのが理の当然。
ほぼ同時に、ザンバとユーノスが動いた。
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