021話「犬と魔と_01」
のんびりと丘を下り、そのままオークの村に入ってもなお、狼族は誰一人として私に気付かなかった。
狼の獣人なのだから、てっきり嗅覚に優れているものだと思い込んでいたが、意外とそうでもないのだろうか。まあ、考えてみれば人間の知能と犬の嗅覚を備えてしまえば、ちょっとばかり生き難いかも知れない。
それはともかく、目の当たりにしたスーティン村の縮尺は、なかなかの代物だった。モンテゴの身長はたぶん三メートル近くあり、彼が特別大きいオークだったとしても、それでも二メートル半以上の獣人が多数暮らす場所だ。
つまり、道もデカければ家もデカい。
もちろん家屋そのものの大きさは、私の生家であるグローリア家の屋敷の方がよほど大きい。前世の知識にならって言えば、ちょっとした学校くらいは大きかったのだから村落の家屋と比べる方が間違っている。
では、なにが大きいのか。
まず扉だ。
なにかの嫌がらせのような木製の開き戸が設置されているのだが、たぶん私だと押しても引いてもびくともしないだろう。
全体的に縮尺が狂っていて――狂っているように見えるだけだが――なんだか不思議の国のアリスになったような気分だ。
と、ちょっぴりうきうきしながら歩いていたところで、集会所に行き当たった。なかなか大きな平屋で、入口の当たりに狼族の男が立っているのが見えた。
「おい、そこの狼族」
私は迷うことも竦むこともなく、堂々と声を掛けた。
◇ ◇ ◇
そういうわけで、案内された村長の家である。
見張りの男に促されて家に入ってみれば、すぐに居間とでもいうべき空間に出た。その中心で床に直接腰を下ろしているのが、おそらく狼族の族長、ザンバ・ブロード。その向かいにセレナが座り込んでいる。
どうでもいいが、尻尾が六本もある狐人が床に腰を下ろしていると、その尻尾を枕にしてやりたい気分になる。
が、とりあえず置いておこう。
気になったのは、ザンバ・ブロードの隣にセレナとは違う狐人がいたことだ。セレナとは違って尾は一本、セレナとは違って狼族に対する警戒心が窺えない。
が、まあそれも置いておこう。
「やあやあ、はじめまして。私はクラリス・グローリアだ。おまえがオークの村を襲撃した一味の首魁だな?」
とりあえずのように胸を張って言ってみる。
ザンバは非常に不愉快そうな表情でこちらを見ており、セレナは心なしかほっとしたように息を吐いていた。狐人の女は、普通に怪訝そうだ。
なんだか、思ったよりも……ここに面白いものはなさそうな気がしてくる。
「で? そのクラリスお嬢さんが、こんなところに一体なんの用事だ? まさかとは思うが、楽しい茶会でも開かれていると思ったわけじゃあねぇよな」
あからさまに不機嫌そうなザンバに、私は大仰に両手を広げて見せ、それから思いっきり肩を竦めてやった。
「莫迦か、おまえは。楽しい茶会に必要なのは素敵な友人だぞ。名乗られておいて名乗り返さないような不埒者と茶飲み話? 冗談は存在だけにしておけよ、犬っころ。いくら私が可愛いからって、駄犬が図に乗るな」
「……おい、セレナ。そのメスガキは、なんなんだ? てめぇの知り合いだって話だがな、俺の気が長い方じゃねぇのは、知ってるだろ」
私から目を逸らし、ザンバはセレナへ問う。
妖狐はこれに小さな苦笑を浮かべ、ゆっくりと頷いた。
「そうじゃな。その娘は我の隣人じゃ。殺すというなら好きにすればいい。貴様にできるならな。ところでクラリスよ、ザンバの一族は人族と手を結んだらしいぞ。オークは家畜、ハーピィは奴隷、トーラス族も奴隷にして売り払うと」
「ふぅん……? 礼儀知らずの不埒者というだけならまだしも、道理も弁えない痴れ者か。救い難い犬畜生だな。いや、犬にも失礼だな。そうなると――」
そこまで言ったところで、ザンバがこちらへ突っ込んできた。
胡座をかいた姿勢から、ぱっと身体を浮かせて床を蹴り、右手で私の喉を掴まえて、そのまま壁に叩きつけられた。
強い衝撃。
しかし、かなり加減したのだろう。別に首が千切れ飛ぶわけでもなかったし、私の背中が壁を粉砕して背骨がぐしゃぐしゃになったりはしていない。
「なあ、メスガキよ。てめぇはどこの誰だ? ただのメスガキが、どうしてこんなところに来やがった? なんの目的だ? 誰の指示だ?」
射貫くようなザンバの眼差しが私を捉える。
そこにあるのは、私の挑発に対する不快感よりも……たぶん、警戒心。
なるほど、クラリス・グローリアの裏にいるであろう何者かを、ザンバは予想しているのだろう。だから怒りにまかせて殺そうとしなかった。
「私はクラリス・グローリア。それ以上でもそれ以下でもない、ただの美少女だぞ。なあ、クソ畜生の大将よ、そろそろ名乗るくらいしたらどうだ?」
「ザンバ・ブロード。てめぇを殺す狼の名だ」
「殺す? 殺すと言ったか? 私を? おまえのようなクソ畜生が?」
うふふ――と、笑ってしまう。
なんてつまらない男だ。
これじゃあ、そこいらの野盗と変わらないではないか。
「できるならやってみるがいいさ。しかしその前に、もう少しだけ話をしてやる。なあザンバ。おまえが約束を交わした人族のことだがな……もちろん私は『取引相手』のことなど知らないが、でも、これだけは言えるぞ。人族はおまえのような駄犬との約束など、端から守る気なんかないぞ」
「……あ?」
「どこのどいつと取引したかは知らんし、獣人を家畜や奴隷にして、その引き換えになにを要求したのかも、私は知らん」
「戦力、だそうじゃ」
セレナが付け加えてくれた。
「戦力?」
「こやつの目的は、獅子王ランドールの打倒じゃ。そのための戦力を、人族から借り受けるつもりでいる」
狼族の目的は、クーデター。
そのあたりはモンテゴから聞き及んでいた。
だが――そのために獣人族を奴隷におとして人族に引き渡す?
対価に人族から戦力を借り受ける?
「――はははは! あはははは! なんて間抜けなんだ!!」
思わず大笑いしてしまう。
こんなもの、笑わずにいられるものか。
「なにが可笑しいッ!?」
喉を掴むザンバの手に力が込められる。
本来なら息が止まるような、いやそれ以前に脳に血が回らず意識を失うような、もしかすると首の骨が折れるような、そんな怪力。
だというのに、私の爆笑は中断されない。
「なにが? うははは! そんなことも判らないのか! だったら教えてやろう、ザンバ・ブロード。ひとつはおまえが無様だから。獅子王を倒したいなら、さっさと獅子王のいる場所に乗り込んで喧嘩を売ればいい。獅子王にも矜持があるだろうよ、犬っころに大々的に喧嘩を売られて、黙っていられるものか。ザンバ、どうしておまえは獅子王の元に走らなかった? 答えは簡単、おまえはランドールと直接対決するのを避けたんだ。怖かったから。負けるのが怖かったから。無様に敗北するのを、怖れたからだ。その時点でおまえは負け犬なんだよ」
――ぶづり。
ザンバの右手に更なる力が込められ、私の首が握り潰された。
喉が潰され、頸骨が砕かれ、私の素敵な頭がありえない角度で曲がる。
手が離される。
私の身体が崩れ落ちる。
尻と床が接触したときには、もう首は元に戻っていた。
「ははははは! 図星を指されてキレたぞ、この負け犬! ははは! うふ、うふふふ……なあ、ザンバ・ブロード。どうして私がこんなに笑ってしまうのか、もうひとつ理由がある。教えてやろうか?」
「――テメェ……!」
歯噛みするザンバの眼差しに、小さじ一杯の恐怖を発見。
まったく、こんなに可愛い女の子を相手に恐れをなすなんて、失礼なやつだ。
「人族はな、おまえなんかよりも、はるかに恥知らずで、狭量で、狡猾で、度し難いからだ。おまえの都合なんか一切合切無視して、自分たちの都合だけを考えて、自分たちの利益だけを求めるぞ。約束なんか破るため、他人なんてのは利用するか蹴落とすもの、それが人族だ。図抜けた間抜けの負け犬ごときでは、ただ搾取されるのがオチだ。残念だったなザンバくん……うふふ、ふ、はははははは!」
「うるっせぇんだよ!」
ジャキンと音が鳴りそうな勢いでザンバの右手の爪が伸びた。
それを認識した瞬間には、もう腕が振り抜かれており、私の身体が三本の斬閃に沿って切断されている。しかしどうだろう、わざわざ爪を三本も使わなくても、一本で十分なのではないか。
誰だって腰から上と下を分断されれば死ぬに決まっているのだから。
大量の血液をぶち撒け、ついでに私の新鮮な内臓もどぼどぼ落としながら、私の上半身が床に転がる。いくら私の身体が軽いといっても、それでも人体だ。ごとんっ、と鈍い音がしたが……まあ、別に構わない。
いつの間にか繋がっている下半身を、私はわざわざ確認したりせず、笑いながら怒鳴り声を上げた。
「ふはははは! いいぞ、畜生らしい選択だ。素敵じゃないか。大好きな暴力の時間だな。私は暴力なんか大嫌いだが、負け犬とお茶会よりは随分とましだ。おい、セレナ! セーレーナー! 妖狐の魔法の出番だぞ! 得意の妖術で壁でも天井でも焼き払え! なるべく派手に頼むぞ!」
次の瞬間、視界が真っ白になった。
セレナが私ごと爆破したからだ。
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