207話「放たれる短剣_05」
体調悪かったので遅れちゃった。ごめんね。
スパーキ・リンター暗殺未遂から三日が経った。
セイメンは変わらずティアント領都で配達員を続けていたし、イリアスも飲食店の従業員を続けていた。街はいつも通りに忙しなく活気を保っており、領都では相変わらず人族と獣人たちが入り交じり、ごく普通に交流していた。
もちろん『警備隊』も普段通りに仕事をしている。
あの夜の出来事などなかったかのような日々だが、もちろんあったし、こうして生きている以上、セイメンとイリアスは九尾の妖狐カイラインの部下になることが内定してる。当然だ。他に選択肢がない。
どうしても『グロリアス』に下るのが嫌だ、という気持ちもない。それは『短剣の徒』への帰属意識も忠誠心もないことの裏返しでもあるのだが、これはクラリス・グローリアやカイラインから見れば「いつ裏切るか判らない」ということになるはずだ。それなのに、あのぞっとするほど美しい少女も、空々しい笑みの妖狐も、なんの保険もかけずにセイメンとイリアスを解放してしまった。
「では、三日後。あなたたちの労働が終わった頃合いに、あなたたちの家に行きますので、茶菓子のひとつでも用意しておいてください」
掴まえた虫を逃がすくらいの調子でカイラインは言った。別にそのまま逃げられてしまっても構わない、という余裕があり、歯牙にもかけられていないのがセイメンにも明確に理解できた。そして納得も。
自分たちではなにをどうしようが不可能だ。
確かに万が一を起こせればスパーキ・リンターを殺害することはできたのかも知れない。しかし『グロリアス』は、その万が一を許さなかった。連中にセイメンとイリアスを利用するつもりがなければ、もっと早い段階で誰に知られることもなく消されていただろう。そして世界は何事もなかったかのように続いていく。
ともあれ――カイラインの指定した三日後が、今日だ。
配達の仕事を終えたセイメンが家に戻ってみれば既にイリアスが戻っていて、職場で買ってきたらしい焼き菓子が食卓に乗せられている。
「本当に茶菓子を用意するとはな」
「なによ、嫌味? 無傷で諦めただけの男が嫌味だけは一丁前ね」
「俺がさっさと諦めていなければ、無駄に抵抗して返り討ちにあっていただろう。おまえもそれは判っていて、あの妖狐を恐れているから言われるままに茶菓子を用意したのだろう。苛立ちを俺にぶつけるな」
「……ふん。悪かったわね。だけどじゃあ何処にぶつければいいのよ」
「知らん。職場の同僚でも参考にしてろ」
「苛立っている時点で間違っているのですよ。力が不足しているか、立ち位置がおかしいか、もしくは望みが分不相応かです。いずれかを改善すれば苛立つことも減るでしょう。皆無にはならないにせよ」
どうでもいいような遣り取りの中、不意に異物が混入した。
食卓から少し離れた位置で、反対側に立っていたイリアスと話していた。なのに黒い九尾の妖狐は、いつの間にか食卓に着いてイリアスが用意していた焼き菓子をひとつ摘まみ、口に放り込んで愉しそうに笑んでいるではないか。
「……バケモノめ……!」
ぎりっ、と歯噛みするイリアスだったが、その恐怖も怒気も、カイラインは微風でも浴びているかのように受け流す。
「おやおや、それなりに有能かと思っていましたが、あなたの部下は感情を表に出さねば話ができないのですか? 才能とは裏腹の性質ですねぇ」
くすくすと笑う妖狐である。セイメンは小さく肩を竦めて首を横に振った。
「元々、俺の部下というわけではない。そしてこれからは、あんたの部下だ」
「おっと、これは一本取られましたか。では、話を始めましょう。二人とも、座ってください。いえ、その前にお茶を淹れていただきましょうか」
「……ちっ」
聞こえるように舌打ちを洩らしたイリアスだったが、逆らうことはせず、言われたままに茶を三人分用意して食卓へ並べ、着席した。
皿に置かれた焼き菓子にカイラインだけが手を伸ばし、のんびりと食べて茶を啜ってから――獣人にしては粗野な印象のない所作だった――話は始まった。
◇◇◇
現在、ティアント領都で確認できている『外部組織』は、いくつかある。木っ端貴族の使いや王都の大商家の調査員などは外して、警戒対象として認知しているのは、たとえばゴルト武装商会の構成員、ルルゲーデ組合から派遣されているいくつかの末端構成員、そして王家から派遣されている『影』と呼ばれている者たち。
はっきり言えばティアント領主、スラック・ティアントでは対処ができない。
ルルゲーデ組合はさまざまな貴族が出資している、いうなれば便利屋の団体であるし、ゴルト武装商会に関してはセイメンも噂でしか聞いたことはないが、王家との繋がりがあるという。『影』に至っては言うまでもない、ロイス王家が抱えている実行部隊を兼ねた諜報組織だ。
つまりはそれほどまでにティアント領が――否、『グロリアス』が、注目されているということだ。
「そして困ったことに、調査や諜報に長けた人員が不足しています。現状はクラリス様の指示によって『警備隊』や領都で働きに出ている獣人たちを『目』として情報収集させていますが……まあ、これは思った以上に有効な手法でしたが、焦点を絞って調査をするには向いていませんし、王家の『影』のような本職が相手になれば、どうしても『目』が届きません」
「……つまり、王家の『影』を発見したのは、あんたか」
「ご明察。クラリス様はなにか起こされてから対処しても構わないと仰っていましたが、そのなにかが『獣人の殺害』であったりした場合、非常に恐ろしいことになるでしょう。我らがクラリス・グローリアは、ああ見えて優しいのです」
「優しい、か」
さすがにたったあれだけの対面ではクラリス・グローリアの人柄など掴みようもなかったが、この妖狐がおそらくは本音で語っている時点で、彼女の優しさというものは本物なのだろう。どこまでに向けられるのかは判らないが。
しかし――少なくとも、セイメンやイリアスをゴミのようには見なかったし、泥団子のように扱おうともしなかった。
かりっ、と音がする。
カイラインがまた焼き菓子を噛み砕いた音だ。
「これは小麦粉と甘味、砕いた木の実を混ぜて練って焼いたものですね。他にも様々な工夫を凝らしているのでしょうが、残念ながら私は菓子に詳しくありません。信じられないでしょうが、獣人の領域には『調理』という概念がほとんどなかったのですよ。煮て、焼いて、食べる。小麦がありましたが、美味くもなんともない保存食でしかなかった。人族の文化には敬意を払います」
かりっ、とまた一口。
美味いと思っているのか、そうでないのか、含みのある笑みで固定されたカイラインの表情からは読み取れない。
「ひとつ、訊いてもいい?」
イリアスが言う。呑気に菓子を食べるカイラインをどうにかできるかを必死に考えているのだろうが、どう考えても無理だとしか判断できなかったのだろう。その判断は倉庫街の時点でして欲しかったところだが。
「ええ、構いませんよ?」
「……『グロリアス』は孤児を掠うと聞いたわ。今の倉庫街も、元々は裏町で、孤児もいた。あんたたちは孤児を集めてなにをしてるの?」
「別になにも。集めて保護して育てていますね」
全く迷う素振りのない即答だった。だがカイラインが言っているというだけで妙に胡散臭く、孤児について別に気になっていないセイメンであっても、あまり信頼できない態度だな、と思うくらいだ。
当然、イリアスが納得するわけもない。
怪訝を浮かべて妖狐を睨むイリアスに、カイラインはやはり信用できない笑みを見せる。疑え、とでもいうように。それが愉悦とでもいうように。
「まあ、そうでしょうねぇ。これに関しては、千の言葉よりも確かなことがあります。どの道、私の部下にならないのであれば殺すだけですから、一度グロリアスの砦町まで行きましょう。孤児院に案内しますよ」
「……そこで私たちを始末するつもり?」
「そのつもりならここで十分ですよ」
かりっ、と。また焼き菓子をひとつ。
この狐がその気になれば、おそらくは菓子を咀嚼して飲み込むまでの時間で俺たちは死んでいるだろうな、とセイメンは思ったし、ならばわざわざ罠にかけて殺す必要だってないはずだ。
「判った。一度、あんたたちの孤児院とやらに案内して。それを見て、あんたの部下になるか、断って死ぬかを選ぶわ」
「承知しました。イリアスさんはそれでいいとして、セイメンさんの方は、どうしますか? 仮に彼女が死を選んだとしても、私の部下になりますか?」
ただの疑問なのか嫌味なのか判らない言い方をするカイライン。
セイメンは少しだけ考えてから、肩を竦めて答える。
「そうだな、その女が自決を選んだなら、少しだけ説得する時間をくれ。俺としては『短剣の徒』の末端構成員であろうが、あんたの部下であろうが、別にどちらでも構わない。やれと言われたことをやるだけだ」
「いいでしょう。まあ、自決を選ぶ結末にはならないと思いますが」
「そうか。ところで、俺からもひとついいか? あんたは部下を欲しているようには見えんが、本当に俺たちが必要なのか?」
この問いは九尾の心のどこかに小さく響いたようで、明確な苦笑が洩れた。
「ええ、まあ、ね。私を手伝おうとする者がいませんので」
「……態度と性格を改めた方がいいわ」
と、イリアスが呟いた。セイメンも同感だった。
もしかするとカイライン自身でさえも。
◇◇◇
その後、セイメンたちが利用していた住居は引き払うことになり、カイラインが手配した住居に引っ越すことになった。ルルゲーデ組合の連絡員が使っていた場所をそのまま使っていたので、当然と言えば当然だろう。
引っ越すことになったのは『警備隊』の詰め所や『斡旋所』に近い位置にある物件で、やや大きめの宿舎というか、集合住宅だ。この形式の建物はロイス王国においては珍しく、クラリス・グローリアの意見を聞いて建てられたという。
それから、セイメンは配達員の仕事を辞め、『警備隊』の下請けとしての連絡員という仕事を与えられた。これについてはカイラインからの指示をこなすための仮の身分、化けの皮といった意味合いが強い。
同じようにイリアスも飲食店の従業員を辞し、グロリアスが経営している別の飲食店の従業員となったが、もちろんこれも仮の姿だ。
配達員の仕事のときもそうだったが、どこか知らない場所に潜り込んで適当に人間関係をやり過ごすのは慣れている。意外というべきか順当というべきか、妖狐カイラインの部下となったことを知る者からは「あいつの部下か……」と同情されてしまったのは、さすがに笑ってしまったが。
◇◇◇
それからさらに数日後、セイメンとイリアスは魔境の森を越えてグロリアスの砦町へ辿り着き、彼らの孤児院を訪れることになった。
その後、わけの判らないシロという虫に魔力を吸われてイリアス共々悶絶する羽目になったが、子供たちが楽しそうにしていることだけは理解できた。
そういうわけで、セイメンとイリアスは九尾の妖狐カイラインの部下になった。
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