201話「成果と変化_04」
ふわふわした体毛の、白くて大きな虫。
足場用に組まれた木材の上に位置する彼……彼女? 判らないが、シロと呼ばれている虫が、光沢を持つ瞳をソフィーに向けながら、きょとんと首を傾げる。
〈新しい人族ですね。私はシロです。よろしく〉
言って、ほんのわずかに触角が揺れる。
ソフィーは早鐘を打つ鼓動を感じながら、呼吸することも忘れてシロの傍まで慎重に歩を進めた。クラリス・グローリアと初対面したときよりも、もしかすると緊張しているかも知れない。
にっこりと完璧な微笑を浮かべて、カーテシーをひとつ。
「ソフィアーネ・カリストと申します。こちらは錬金術師のアコ・アクライト。どうぞよろしくお願いいたします」
〈これは丁寧に、ありがとう。クラリス、これまでとは毛色の違う人族だけれど、彼女たちは、なに?〉
「おまえの吐き出す糸の利用法に関する協力者だ。もうカルローザの魔力は食ったんだろ? ちょっと吐いてみてくれないか」
〈いいよ〉
声というよりは頭に直接響く『言葉』のようなもので意思疎通しているのだ、とソフィーは今更ながらに気づく。
そしてそんなソフィーには特に構うことなく、シロは口の下あたりに魔力を集中させ、手に乗るほどの大きさの、なにか白い塊を生み出した。
ぽとり、と地面に落ちたそれを、好奇心を隠さないアコが拾い上げる。
「これは……これはすごいな! 魔力で編まれた繭みたいなものだ。確か、虫が成虫になるために幼虫が生み出すはずのものだよ。なのにシロは成虫……一体どういった生態なんだ? ソフィアーネお嬢様、これ、すごいよ!」
興奮しながら拾った繭を見せつけてくるアコである。
が、ソフィーとしては早鐘を打つ胸の鼓動を鎮めるのに必死だった。
「あの、シロさん……? 不躾なお願いですので、もし少しでも嫌でしたら断っていただいても構わないのですけれど……」
我慢できず、アコのことを無視する形でシロに近づきながら、ソフィーは両手の平を見せるようにして、言った。
「……その、撫でさせていただけませんか?」
だって、だって、シロが可愛すぎる!
この世にこんな可愛らしい生き物が存在していたなんて!
〈構わないですよ。そのかわり、魔力をちょっと食べてもいい?〉
「ええ、もちろん!」
反射的に頷いてしまうソフィーだった。
クラリスが呆れた顔をしていたのは、気づかないふりをしておいた。
◇◇◇
魔物と魔獣の違いは簡単だ。
魔物は『発生する』が、魔獣は『生まれる』。魔物が死ぬと魔核か素材を落として消える。魔獣は死んでも死体が消えたりしない。
基本的に、魔物は誰かが、もしくはなにかが生み出す必要がある。たとえば一部の魔族が魔物を呼び出すという伝承があるし、ロイス初代国王が攻略したという『神の迷宮』には様々な魔物が現れたという記録がある。
魔獣はといえば――これには様々な学説があるのだが、一般論を述べるのなら、魔力を多く有し、人族に害を為す動物を魔獣と呼ぶことが多い。
なので、たとえばロイス王国の南側で冬の前に見られる『光の軌跡を曳いて飛ぶ鳥』なんかは、明らかに魔力を有しているが人に害を与えないので魔獣とは呼ばれない。あの鳥が見えたからそろそろ雪が降るね、という風景のひとつだ。
そもそも人族だって魔力を有する動物であり、人族が人族を害するなんてあまりにもありふれている。であるならば人族だって魔獣と呼ぶべきだろうが、そうはなっていない。つまりは雰囲気的な呼称ということだ。
とすれば、蚕という種類の虫の変異種――ではないか、とクラリスが言っていた――であるシロは、魔蟲とでも呼ぶべきか。
シロは、魔力を食べて、糸を吐き出す蟲だ。
吐き出された糸は繭のような塊が多く、グロリアスのコボルトたちがこれを加工して糸に解し、その糸を撚って織り、生地をつくっていた。
このコボルトという種族がまた可愛らしくてソフィーの鼓動はまた早まってしまったが、黄色い声を上げてばかりでは話が進まない。
錬金術師であるアコに期待されているのは、この糸の用途や用法であり、糸の製造工程におけるコボルトたちでは思いつかない使い方や加工法について考案すること。
そしてソフィーに期待されているのは、アコの構想を元に実現させるための手続きを踏むこと。どんなに面白い考えだろうが、考えているだけでは話にならない。実際に形にして、その形を現実の中で運用させるのがソフィーの仕事だ。
「しかし……これはすごい素材だよ、クラリス嬢」
コボルトの作業場に移動し、彼らがつくった絹糸や絹生地を眺めながらアコが言う。興奮冷めやらぬといった様子で、ここまで高揚しているアコ・アクライトというのは、かなり珍しい。
実のところソフィーが運営しているフィリア商会においてのアコの仕事は、彼女をそこまで楽しませるものではないのだ。仕事を振り、振った仕事をこなしてさえくれたなら好きに自分の研究をしていい、という契約関係だった。アコを雇えたのはソフィーにとって幸運だったが、それを言うならまともな就職ができて助かったよ、とはアコ当人の言だ。利害の一致である。
「すごいってのは、どのようにすごいんだ?」
作業場の端に置かれた椅子の上であぐらをかき、コボルトたちが用意してくれた茶を呑みながら首を傾げるクラリス。
彼女の傍には魔人種のユーノスが常についているが、彼は必要時以外は口を開かないらしく、存在感はあるのに存在感がない、という妙な矛盾があった。
「まず判っているのが、非常に丈夫だということだね。引っ張っても千切れない、叩いても傷まない、切ろうとしても破断しない。ものすごく燃え難いし、泥をなすりつけても水をかけるだけで汚れが落ちる。攻撃魔法にもかなりのところ耐えるようだ。こんな素材、ボクは見たことも聞いたこともないよ」
「そりゃあ、すごいが……加工し難くないか?」
「だね。まず、裁断ができない。たぶん縫うのも難しいと思う。生地にしてから縫い合わせるんじゃあダメっぽいかなぁ。針が保たないよ」
丈夫すぎる素材というのも難儀なものだ。
というか、あまりにも常識を外れているので、布を加工するという考えから外れた方がいいかも知れない、とソフィーは頷き、それからクラリスとは逆側に座ってもぞもぞしている魔人種の女性へ視線を向けてみた。
見られているのに気づいた彼女は、一瞬だけびくりと肩を動かしてから、にへらぁ、と奇妙な笑みを見せた。三下が媚びるときに見せる笑みにも似ているが、なんだかちょっと違う感じがする。なにがと言われると困るけれど。
「クラリス様。彼女を紹介していただけませんか?」
「あっ、忘れてた。そうだな、ちょっと自己紹介してみろ」
「ふぇっ!? しょ、紹介してく、くれる、くれるんじゃないんですかぁ……?」
「自己紹介くらいすればいいだろ」
「カカカ、カルローザですっ! あた、あたし、魔法使いで、クラ、クラ、クラリス様の、お役に、立ちますよぉ! えへ……ふひひ!」
ぼさぼさの長い黒髪に、魔人種特有の薄紫色の肌。言葉はどもり気味で、浮かべる笑みは陰気なものだが――嫌な印象がない。ちょっと驚くほどない。
「カカカカルローザ様ですのね。私はソフィアーネ・カリスト。こちらは錬金術師のアコ・アクライトです。シロ様の糸に関しては、カカカカルローザ様と協力しろという意味合いでよろしいので?」
問いをクラリスへ向ければ、他意のない首肯が返された。
「ああ。最近はずっとシロにカルローザの魔力を食わせてる。なんか気持ちいいらしいぞ。私には全然判らんが」
「き、気持ちいいんですよぅ。ズロゾロロ! って感じで! えへへ……」
「子供たちがいたのは、なんで?」
アコが問う。それはちょっと気になっていたことだが、その手の問いを表裏無関係に発することができるのは、アコの美点であり弱点だ。
「あれは、別口。グロリアスでは孤児を引き取りまくってる、って話は聞いてるだろ。シロのことが好きになったやつとかを、たまに連れて来てやってる」
「慈善事業、ってこと?」
「好きに想像しろ。それよりソフィーはなにか思いついたか?」
唐突な振りだった。こちらを試す素振りはなく、ソフィアーネ・カリストなら、なにかを思いついていて当然だろうという調子。
同い年の女の子を相手にしているのではなく、なんだか父であるマクシミリアンを相手にしているような……立場よりも存在の上下を自覚させられるような気分だった。そしてソフィーにとって、それはむしろ楽しいことだ。
王都の学園でも、フィリア商会を興して遊んでいたときも、ソフィーより優秀だと思える人物は、ほとんどいなかった。もちろん立場が上の者はたくさんいた。公爵家の令嬢とはいえソフィーは爵位を持たない『貴族の娘』でしかないのだ。
けれど――明確に自分以上だと感じる者は、少なかった。
もちろん皆無ではないが、多くの者はすぐに底が知れたし、なかなかすごいのではないかと期待した相手であっても、勝てないと感じることはあまりなかった。いくつかの手順と手段を使えば勝てるだろうな、と思うことがほとんどで、けれど必要がない限りは実行して波風を立てるなんて真似はしなかった。無論、必要とあればソフィーは十分に楽しんだし、己の計算と予測の正しさは証明し続けた。
クラリス・グローリアは、違う。
彼女を下す未来が、ソフィーには想像できない。
たとえ公爵家の威光を十全に使っても、だ。
「そう――ですわね。まず、別の素材と併用する案が思いつきます。現状、シロさんの糸を十割使った生地はあまりにも丈夫すぎて加工が難しいですし、シロさんが生み出している以上、量産が不可能。であるならば、糸を編んで生地にする際、別の糸と混ぜてしまう方法が考えられますわね」
「なるほどな」
「おおっ、それは考えませんでしたね」
頷くクラリスと、感心したふうに目を開けるコボルトのイオタ・ポロ。グロリアスのコボルトたちにおいてはまとめ役だという彼もまた、非常に可愛らしい外見をしている。機会があれば抱きしめさせてくれないものか。
「次に、加工法ですが、針と糸での裁縫はシロさんの糸――仮に『白絹糸』と呼びましょうか。この白絹糸と通常の糸の比率を変えた生地であれば可能になるでしょう。あるいは強力な針を用意して、糸は白絹糸を使用すれば、強度的な心配がなくなりますが、職人の技術が必要になりますわね」
内心を表に出すことなく、ソフィーは思いつきを口にする。
「職人なら、うちの人員に心当たりがありますよ。クラリス様の服を縫ったのも彼女です。ぼくは職人としては残念だけど一流じゃないので……」
ほんのわずかに苦味を混ぜた笑みを浮かべるイオタに、ソフィーはにっこりと微笑を返す。彼がまとめ役である以上、職人としての技量とは別のなにかを有しているということだ。クラリスがイオタを『まとめ役』のままでいさせているのだから、そういうことになる。
「それから、アコとカルローザ様で白絹糸そのものの生成や加工について研究してもらいましょう。目安としては……そうですわね、二十日ほどで、なにかしらの成果を上げていただきます。アコ、貴女ならできますわね?」
「そりゃあ、まあ……どのくらいやっていいのかにもよるけど」
「十分に楽しみなさい。クラリス様もそれを望んでいますわ」
「任せてよ」
にまぁ、と悪戯を思いついた男の子みたいな笑い方をして、アコは「に、二十日、二十日って、ほ、ほ、本気ですかぁ」などと驚くカルローザの腕を掴み、シロの住居へずんずん歩いて行った。
「構いませんわよね、クラリス様?」
念のために確認してみるが、答えなど聞くまでもなかった。にやにやとソフィーたちを見ながら笑っている彼女からは、不満なんて一欠片だって見当たらない。
「もちろん構わんさ。それで、ソフィーはその二十日でなにをする?」
「織機と職人を調達して来ますわ」
「しょっき……ああ、布を織るやつか」
椅子の上でゆらゆらと身体を揺らしながら――たまに椅子から落ちそうになってユーノスに支えられていた――クラリスは、ちょっと考えるようにして言う。どうして織機なんてものを知っているのか、ソフィーとしては謎が深まるばかりだ。
博識すぎやしないか。
もちろん王都の学園で布を織る機械について教えられることなどない。そしてソフィーの記憶によれば、グローリア伯爵領は布や衣類の製造に秀でた領ではなかったはずだ。田園が多く、薬草や花の栽培が盛んな土地だったと記憶している。綿花の栽培は主流ではなかったはずだ。
「王国内でもかなり珍しい代物ですわよ。布生地は基本的に買いつけるもので、その生地から衣服をつくるのですから、布生地を製造するのは一部の職人か、大手の商家になります。クラリス様は、職人に伝手がおありですの?」
「ロイス王国との伝手なんて、レオポルドのおっさんか、ヴィクターのおっさんか、スラックくらいのものだ。単にたまたま知ってただけだ」
なにかを隠している。
直感だが、そう思った。しかしそれは当然のことで、クラリスがソフィーに全てを明かす義理などないのだ。
だから――今は、構わない。今は楽しむだけ。彼女と一緒に。
「んで、織機と職人を持って来て、どうするんだ?」
問いに、ソフィーは渾身の笑みで用意しておいた科白を返す。
「もちろん『グロリアス』の職人に見せて、改良品を造ってもらいますわ。クラリス様が抱えている技術者であれば、ロイス最新の織機よりも優れた織機が開発できるでしょうし、白絹糸専用の織機を造るのも、面白そうではありませんか?」
ああすればどうだろう、こうすればどうだろう、ああなれば、こうなれば、あんなふうに、こんなふうに――それらが実際に形にできるという環境。
こんなの、面白いに決まっている。
ソフィーの言葉を受けたクラリスも、にんまりと笑みを返した。
「そいつは面白そうだな、ソフィー。二十日が長くなりそうだ」
感想いただけると嬉しいです。
カクヨムさんで新連載を始めたので、宣伝です。
双剣無頼 ~現代ダンジョンで雑魚狩りしてた底辺掃除屋、神話級の剣を手に入れてしまう。しかも二本~
https://kakuyomu.jp/works/7667601420162999739
現代ダンジョン、ダンジョン配信ものです。よかったら読んでみてください。
クラリスとは違ったタイプの、変な主人公の話です。
向こうから来た人がいましたら、ここまで読んでくれて、あざます!
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