020話「豚と犬と_04」
捕虜の扱いがなっていない。
狼族に捕らわれて五日。妖狐セレナはオークの集会場の端に座り込みながら、不満を募らせていた。
スーティン村の人口は三十六人。狼族の襲撃によって殺されたのが三人。差し引き三十三人、セレナを足して三十四人が集会場に押し込められている。
聞けばオークたちは普段、各家庭ではなく村単位で食事を用意し、みんなで食べるという生活を送っているそうだ。この図体では食糧事情も効率化が必要なのだろう、自然とそういう文化になったのではないか。
それがここ五日はろくな食事も与えられず集会所に押し込められている。
せいぜい、あと一日くらいが限度だろう、とセレナは思う。
この村のオークは温厚で、こうして狼族に言われるまま大人しくはしているが、そもそも彼らは自分たちが腹一杯食べるために農耕に手を出した種族だ。そうでないオークたちは他の獣人と争い、負け、絶滅していった。
だから彼らを飢えさせてはならない。
今のところはまだ堪えられているが……それも、いつまで続くか判らない。そもそも狼族の、この『拘束』がいつまで続くかも判らないのだ。
早く――早くしろ、クラリス・グローリア。
歯噛みしながらセレナが思うのは、あの異常な人族のことだ。
この状況になってすぐ、モンテゴという若いオークを逃がしてクラリスに助けを求めてしまったが、その判断が間違いだとは思わない。というより、それ以外にセレナに取れる選択肢などなかったのだ。
しかし、時間的にはぎりぎりだ。
狼族がこれほど捕虜の扱いに関して下手だとは。
「セレナ殿……おでらは、どうなるんだべか……」
オーク族の誰かが言った。
口調に滲む焦燥感は隠しようもなく、けれどそこには強い理性が感じられた。腰蓑一枚だけ纏った豚の獣人が、こうも思慮深いとは、セレナも知らなかった。
彼ら狼族の目的は単純。
獣人の王になること。
獅子王ランドール・クルーガの打倒。
不可能だ。
この程度の村を手中に収めるのに手こずっているようでは、獅子王に牙を届かせるなど夢物語だ。ただ、夢を見ている者は、往々にして現実を見ない。
その結果生じる被害は現実だというのに。
◇ ◇ ◇
「セレナ殿。族長が呼んでいる。来てくれ」
集会場に現れた狼族の男が言って、顎をしゃくった。
族長というのは無論、スーティン村のではなく、狼族のだ。セレナはよろよろと立ち上がり、促されるまま集会所を出る。立つだけでも一苦労だったのは、捕虜生活による疲弊のせいだ。
集会所を出る。狼族の男が、セレナには大きすぎる扉を開いたまま待っている。見張りとは別の男で、そいつに連行されるようにして村長の家へ向かう。
待っていたのは狼族の族長――ザンバ・ブロード。
ブロード族の外見は、どちらかと言えばヒトに近い。セレナがそうであるように、基本的にはヒト型で、頭部に獣耳が生えており、毛並みの良い尻尾がある。
そして狐人が幻術などの魔法に長けているように、狼族にも強みというものが存在する。
速度と、牙と、爪。
ヒトと同じような容姿ではあるが、おそらく骨格そのものがかなり頑丈なのだろう。彼ら狼族はその牙を敵に深く突き刺し、肉を引き千切るのだ。内に流れる血がそうさせるのか、その攻撃には容赦も躊躇もなく、ひたすらに殺意が高い。
爪の方は、単純に硬質の爪を伸ばすことができるようだ。
これに関しては獅子王ランドールや、王族とでもいうべき獅子族も同じように硬質の爪を伸縮させるという。
たぶん――と、セレナは思う。
ザンバ・ブロードにとっては、ランドール・クルーガの下にいることが許し難いのだろう。ランドールは狐人を解散させたが、狼族を迫害などしていない。きっと、そのこともザンバを苛立たせているのだ。
「どうだ、セレナ。気は変わらないか?」
スーティン村の村長の家の中心で、ザンバは直接床に腰を下ろしていた。周囲にはいくつかの酒瓶が転がっており、しかしそれらはオークの物でないことは明白だった。オークと狼族では体格が違う。椅子もテーブルも部屋の脇に片付けられているのは、大きさが合わないからだ。
転がっている酒瓶も、見れば人族の国からの輸入品だ。
「我に仲間になれと? お笑い草じゃな。貴様は仲間にこのような扱いをする。それだけで信用に値せん」
「今は仲間じゃないからだ。俺たちは、仲間を裏切らない」
「家族は捨てても、か?」
セレナはわざとらしく口端を持ち上げ、ザンバと、その隣に控えている狐人へ視線を向ける。
そう――狐人。
十年前にセレナの元に現れ、娘を預けてきた、昔馴染み。
「あのときは、ああするしかなかったのよ。それに捨てたわけじゃない。こうしてまた、家族三人が揃った。セレナ……あんたも協力してくれれば、バラバラになった狐人たちも、またひとつになれるわ」
キリナの母、ステラが言う。
その表情は大真面目で、冗談の気配など一欠片も窺えない。
であれば、本当にそう思っているということなのだ。
言葉に嘘はなく。
故に――度し難い。
「キリナはどうした?」
「今のあんたに会わせるわけにはいかないわ。判るでしょ?」
「判るわけがなかろうて。キリナの夜泣きに付き合ったのも、キリナが初めて歩いたのを見たのも、キリナが転んで泣いていたのをあやしたのも、キリナに花冠のつくりかたを教えたのも、全て我ぞ。おまえはその時間を捨てたんじゃ」
「……これから、取り返すわ」
「他人を殺しまくるその横で? オークの次はどの種族を狙う? 獅子王に自慢の牙を届かせるにはいつまでかかる?」
「そう大した時間じゃねぇさ」
ザンバが言った。けろりとした表情で、セレナの言葉などまるで届いていないかのよう。いや、おそらく本当に届いていないのだろう。
娘の成長など、この男にとっては興味の対象ではないのだ。
「人族と協力関係にある。オークは家畜、ハーピィは奴隷、トーラス族も奴隷にして売り払う。引き換えに戦力をもらう。簡単な話だろ?」
「……正気とは思えんな」
何度もここに呼び出され、何度も説得という名の徒労が行われたにも拘らず、その話は今回が初耳だった。
もしかすると、事態はセレナの予想よりもはるかにややこしいことになっていうのかも知れない。あるいはブロードの一族だけではなく、他の獣人を既に巻き込んでいるのか……いや、だとしても、現状は考えるだけ無駄だ。
――ガン!
と、不意にザンバが床を殴りつけた。思考に意識を割いていただけに、思わずセレナはびくりと肩を竦めてしまう。その反応が満足だったのか、ザンバはにたりと笑んでセレナを指差した。
「こっちこそ、正気とは思えんぜ。この状況で意地張ってどうするよ? なあ、セレナ、おまえは同郷の狐人とまた暮らしたいとは思わねぇのか?」
「今更、昔と同じようにはいかんじゃろうよ。まして貴様らに協力してなどと、虫唾が走るわ。他の種族を奴隷に落として楽しく暮らす? さぞかし品性下劣な余生が待ち構えていることじゃろうな」
「はっ! そいつは負け犬の科白だぜ。おまえらは、ただランドールの癪に障ったからってだけでバラバラにされたんじゃねぇか。それを、おまえらは受け入れるしかなかった。弱いからだ。どうして取り返そうとしない?」
「貴様が言った通り、弱いからじゃ」
「クソだな。ああ、完全なるクソだ。あの妖狐セレナと恐れられた――」
聞くに堪えないザンバの言葉は、途中で遮られた。
家の扉が開かれ、狼族の男が飛び込んで来たからだ。
「アニキ! 変なガキが……アニキに会わせろって……その、セレナの知り合いだとかって……人族の、女のガキなんだが……」
慌てて飛び込んで来た割には歯切れが悪い。
が、それも仕方ないだろう。
あの少女を的確に表す言葉など、セレナはひとつしか知らない。
――クラリス・グローリア。
彼女を説明する言葉は、たったそれだけで事足りるのだ。
なんの説明にもなっていないという点に目を瞑れば。
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