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悪徳令嬢クラリス・グローリアの永久没落【書籍化】  作者: モモンガ・アイリス


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158話「ティアント領との後始末_01」





「なんか、変な音しなかったっすか?」


 テーブルの上の菓子を摘まんでいたスパーキ・リンターが、獣耳をぴくりと動かして言った。

 ヴォルト・クラウスは、そんなスパーキに小さく頷き、しかし音の原因を探ろうという気にはならなかった。


 察したからだ。


 砦を攻めた際に同行した、弓使いの女アールヴ。彼女がクラリスの言う通り第二王子ブリッツの手駒であるというなら、ブリッツの指示に従って大怪我を負ったということだ。文字通りに身を挺するような忠義が、あれだけブリッツ殿下をこき下ろしたクラリスに向かないわけがない。


 おそらくは城を出る際に、狙撃でもしたのだろう。

 響いた音が一度でなかったことから、その狙撃が失敗したことも察せられる。なにしろクラリス・グローリアの傍らには、ユーノス・グロリアスがいるのだ。


 あの男は、別格だ。

 人族と魔人種、その違いは確かにあるが……そういうことではない。そもそもヴォルトはユーノスが戦うところを目にしておらず、だからユーノスがどのくらい強いのかなど、知りようもない。

 が、それでもヴォルトはユーノス・グロリアスの強さを疑うことなどできなかった。ヴォルトとて騎士として生きて積み重ねた年月がある。その年輪が、ユーノス・グロリアスという人物の強さを肯定するのだ。

 たとえば砦を出てからずっと、ユーノスは周囲を警戒し続けていた。クラリスの指示で『癒やしの聖女』が隣に張り付いていたにも拘わらず、クラリス・グローリアの周辺に対する警戒を、一瞬たりとも怠っていなかった。


 なにかあれば確実に対処する。

 その意思と自信が、そこにはあった。


 たぶん――ヴォルトが持ち得なかった覚悟だ。

 なにがあっても親友のスラックを守る、という……。


「……まあ、アニキがいるから大丈夫っすか」


 スパーキも同じ結論に達したようで、ほんのわずかな緊張を即座に弛緩させていた。己の役割も知らされずに人族の城に留まれと言われておいて、その胆力は尊敬すべきかも知れない、とヴォルトは小さく笑む。


「んぇ? どしたっすか?」


「いいや、スパーキ殿の肚の座り方に敬意を感じていただけのことだ」


「肚の……あー、いやいや、オレなんてもう、小心者っすよ」


 へらへらと笑って、また菓子を口に放り込む。

 しかし言葉とは裏腹に、牛獣人の態度や雰囲気に怯えも焦りも見当たらず、待たされている会議室で、かなりくつろいでいるのが見てとれる。


「ヴォルトの兄さん。オレがこうして呑気こいてるのは、ヴォルトの兄さんが一緒にいるからだし、クラリスのお嬢さんを信じてるからっすよ」


「俺が一緒に……?」


「だってヴォルトの兄さん、律儀でしょ。」


 軽く答えるスパーキに、それはどういうことかと重ねて問おうとしたが、扉が開けられたことで機を逸した。

 入室してきたのは、スラックと……その妻であるフォルザ・ティアントだ。

 イルリウス侯爵であるレオポルドと、その甥であり今回の件の中心に放り込まれることになったヴィクターはいない。


「侯爵閣下は、帰り支度を始めている。ヴィクター殿と共に黒甲騎士団に合流し、そのまま騎士団の大半を伴って自領へ戻るそうだ。後のことは甥のヴィクター殿に投げるつもりだろう。それで問題ないと判断した、といったところだな」


 ヴォルトの疑問符を先回りするようにスラックが言う。

 こういうやりとりは、王都の学園ではよくあったことだ。黙って考えてしまうヴォルトの思考を読んだかのようにスラックが物事を整理する。スラックが迷ったときは、ヴォルトが単純な事実を口にする。

 そうやって、共に生きていた。

 いつからか違ってしまって――これからも、違うだろう。


「改めて……というのもおかしな話かしら。貴方とは面識がありましたし、言葉を交わしたこともありましたものね。けれど改めて、挨拶を。スラック・ティアントの妻、フォルザ・ティアントですわ」


 金の髪を揺らし、スラックの妻が儀礼的に微笑する。

 その笑みにどんな意味合いが含まれているのかを、ヴォルトは考えない。女のことを考えたところで判らないに決まっているからだ。


「こちらも、改めて挨拶を。元ティアント領騎士団副団長、現在はクラリス・グローリアの配下、ヴォルト・クラウスだ」


「スパーキっす……って、もう知ってるっすよね?」


「ええ、牛の獣人さんについては、存じておりますわ。でも夫の友人については、私、なにも知りませんの。ですから、こうして少し時間をいただきました」


「……?」


 ということは、つまり今後の話をするわけではなく、フォルザの要望でヴォルトと話をしたい、ということだろうか。

 いや、ヴォルトを含めたスラックと、話をしておきたかったのか。


 そういえば、とヴォルトは会議室を改めて一瞥するが、使用人が誰も控えていない。ティアントの執事さえもだ。テーブルの上にはスパーキが好き放題に食い散らかした茶菓子が、あとわずかだけ残されており、別のテーブルには茶器が載せられている。ヴォルトもスパーキも茶を淹れられないので手つかずだったが。


「ヴォルト様もご存知の通り、私と旦那様は政略結婚でした。というより、貴族の当主や次期当主ともなれば、政略で婚姻するのが当然ですわ」


 特にどう、という感情を見せず、フォルザは茶器類が載せられたテーブルの方へするりと移動し、冷めてしまった湯を魔法で温め直した。

 ちょっとした火魔法の応用だが、いかにも貴族の子女らしい所作と魔法だ。ティアント城に勤めている使用人で、この手の魔法が使える者などいない。


 そう――エイレーナも、魔法は使えなかった。

 というより、魔力を体外に出すことのできない病気だったのだ。


「私が旦那様と結婚した後、そう間もなく先代夫婦がお亡くなりになられました。旦那様が領主に、私は領主夫人……慌ただしくはありましたが、幸いと言いますか、ティアント領の時間の流れは穏やかでしたので、問題らしい問題もありませんでしたわ。経済的に豊かではありませんが、借金もありませんでしたしね。領民の気質も穏やかで、ティアント領のことを、私は気に入っておりますのよ?」


 旦那様も知らなかったかも知れませんわね、とフォルザは微笑む。

 貴族女性らしく艶やかな、しかし何処か気安さのある笑み。スラックが意外そうに眉を上げていたのは、たぶんフォルザの言う通りなのだろう。


 沸騰させた湯で手際よく茶を淹れ、人数分のカップに茶を注ぎ、そのカップをスラックへ渡しながら、フォルザは続ける。


「ただ――気になっていたことはありましたわ。旦那様が私につけてくださった使用人、高齢の方がいらっしゃいますでしょう? どうにも彼女に睨まれているような気がしていたのです。それに、旦那様は旦那様で、私には判らないナニカを抱えていらっしゃる様子でした。ですので、探らせましたわ」


「探らせ……た……?」


 フォルザから渡されたカップをヴォルトとスパーキに渡しながら、スラックはまた意外そうな顔をした。

 おそらく、この夫婦は夫婦らしい交流ができていなかったのだろう。


 その原因は――やはりエイレーナか。


「ええ、もちろん。輿入れする際にメイドを連れて来ていましたでしょう? 分家とはいえ伯爵家の政略結婚ですのよ? それなりの人材を用意するに決まっているではありませんか。まあ、ティアント男爵領ではあまり考える必要もないことなのかも知れませんが……これからは、考慮する必要も出てきますでしょう」


「ああ……それは、そうだな。いや、そうではなく、調べたというのは?」


「エイレーナという方についてですわ」


 決まっているだろ、とばかりに簡単に言う。

 フォルザの口調には、恨みも怒りも含まれていない……ように思える。


「ヴォルト様、そして旦那様の幼馴染みだった使用人の少女ですわね。旦那様の初恋の相手でしたのでしょう? そして旦那様は、そのエイレーナを選ばず、自身を政略の駒として捉えた。選ばれなかったエイレーナを、ヴォルト様が娶った。病気で亡くなったと聞きましたが……細かい事情までは、知りませんの」


「……話した方がいいかな?」


 諦めたように肩を竦めるスラックに、しかしフォルザは「いいえ」と、きっぱり首を横に振った。早朝に吹く風みたいな、すっきりした言い方だった。


 フォルザは言う。


「きっとなにかはあったのでしょう。邪推するのなら、そのことで旦那様とヴォルト様の関係が複雑になった。ですが、それらは過ぎた話です。いずれ時が解決するかと静観していた私になにを言う権利もありませんし、お二人は、既に語り合って、絡まった関係を解いたように見えますわ」


「…………」

「…………」


 思わずヴォルトとスラックは目を見合わせてしまって、一瞬だけ、笑ってしまった。確かに二人で話はした。しかし、それは長い時間ではなかったし、多くの言葉でもなかった。

 ヴォルトにとってはクラリスの前でスラックに「落ち着け」と言い放ったときの、あの遣り取りだけで十分だったし、それはたぶんスラックも同様だった。


 あんなふうに、二人でやって来たのだ。

 これからはそうではないという、それだけの話だ。


「ですから、私からふたつ言わせていただくために、時間をいただきました。ヴォルト様にひとつ、旦那様にひとつです」


 わずかに首を傾げて控えめに微笑むフォルザの表情は、クラリスには似ていない。クラリスならわざとらしく指を二本立て、にんまりと笑っただろう。

 するりと右手を腹のあたりに沿えて、小さく膝を曲げ、謙りすぎない会釈を――クラリスはしない。フォルザは、した。


 正式なカーテシーでないのは、ヴォルトが目上の者ではないためだ。

 クラリスの配下であり、合同事業の協力者の一人なのだから、当然である。


「ヴォルト・クラウス様。旦那様の友であってくださり、ありがとうございました。私からは、それだけ言わせていただきます」


「……礼を、受け取ります」


 とだけ、ヴォルトは答えた。別にフォルザのためにスラックの友であったわけではないのだが、ではなんのためと言われても困る。なにかのために、友達だったわけじゃない。エイレーナのせいで友をやめることになった、とも言いたくない。


 少し困ったような気分でヴォルトはスラックを見る。スラックは苦笑しながら頷いた。形は変わったが、自分たちはまだ友であると、目が言っている。

 同感だった。

 こいつを死なせないために、クラリスの配下になった。

 クラリスは約束を守った。

 であるなら、ヴォルトもまた約束を守るだけだ。

 剣を捧げたのだから、クラリス・グローリアのために生きる。


「そして――旦那様。スラック・ティアント様」


 フォルザが、今度は会釈もなにもなく、笑みさえ消して友の名を呼ぶ。

 スラックは――やはり苦笑したまま、諦めたふうに妻へ向き直った。


 審判を待つ側と、下す側。

 流麗な眼差しがヴォルトの友を捉え、吊り上がる。

 フォルザ・ティアントは、言う。


「そろそろしゃっきりしてくださいませ。昔の女を忘れろとは言いませんし、想いを残すのも構いませんが、私を愛する努力をなさってください。領民を愛し、領地を想うのと同じことですわ。私たちは政略で結婚したのです。私も、貴方を愛し、領地を慈しむよう努力していますわ」


 ああ――と、ヴォルトは歪みそうになる口元を、どうにか堪える。

 油断したら笑ってしまいそうだった。

 どうしてフォルザが、わざわざヴォルトの前でこんなことを言い出したのかを、きっと普段……いや、少し前までのヴォルトなら、理解できなかったはずだ。

 しかし、今なら正確に理解できる。


 彼女はヴォルト・クラウスを安心させたいのだ。

 スラック・ティアントの友を。


「すまなかった、フォルザ。私は道端の馬の糞にも劣る無能だった。ブリッツ殿下の口車に乗ってしまったのは、そうすることで自分の価値を認めたかったからなのだろう。エイレーナを手に入れられず、義務として君を娶り、友を失った……そう思っていたが、ぎりぎりのところで、ヴォルトに救われた」


 いっそ清々しくさえある笑みで、スラックがフォルザに歩み寄る。

 一歩、二歩、なにかを確かめるように三歩目。


 ぴゅう、と口笛が聞こえた。

 完璧に存在感を消していたスパーキだ。

 しかし茶化すような口笛は、場になんの影響も与えない。


「今更かも知れないが、努力する。この先の苦難を、君と共に、歩ませていただきたい。フォルザ――フォルザ・ティアント。君を、愛させてくれ」


「ええ、もちろん。でも、もうひとつだけ構いませんか?」


「いくつだって構わない」


「もうひとつだけで、結構ですわよ」


 ほとんど密着するような距離感で、微笑んでまま言う。

 同時に、フォルザの右手がさっと動いた。


 ――()()()


 と、淑女の平手が、スラックの頬を思いっきり打ち付けた。

 本当に遠慮しなかったのだろう、平手を食らったスラックはよろよろと何歩かよろめいて、打った方のフォルザは手が痛かったらしく、右手をぶらぶらと振っていたが……とにかく。


「許します。旦那様の、これからの努力に期待しますわ」


 と、フォルザは言った。

 金の髪を揺らし、堂々と胸を張って、恥ずべきことなどひとつもないと。

 このときばかりは、クラリスに似ているな、とヴォルトは思った。






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― 新着の感想 ―
そういえばそうでした、領主夫人は家系だけではなく人間関係もややこしかったねw
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