145話「ティアント領での対談_03」
「ブリッツ殿下!? どうしてここに……!」
ティアント城の、いわゆる謁見の間みたいな部屋に入ってみれば、我々を先導してすたすた歩いていたレオポルド・イルリウス侯爵閣下――の隣を歩いていた甥のヴィクターが素っ頓狂な声を上げた。
部屋は縦長で、奥の方に立派な椅子があり、そこに若い男が座っている。なんだか疲れた顔の、やや痩せ型の男だ。おそらくこいつがティアント領主であるスラック・ティアントだろう。
そしてそのスラックが居心地悪そうに座っている椅子の、斜め後ろ。ひょろりとした痩身の、やたら身形のいい男がいた。波打つ銀髪が特徴的な、ニヤけ面のイケメンだ。
立ち姿からして『貴き者』だと明確に判る、隔絶した育ちのよさが存在そのものから滲み出しているような、そんな男。
ヴィクターの科白から考えるなら、どうやらこいつがロイス王国第二王子、ブリッツ・オルス・ロイスなのだろう。
私たちより先にティアント城へ辿り着き、こうして待ち構えているということは、レオポルドが登場した段階でこの展開を読んでいた……ということか?
「どうしてここに? これはまた異なことを訊くじゃないか、ヴィクター・イルリウス殿。ああして敵対していた砦の首魁と会談をしようというのに、ある程度の責任がある僕が、その会談に居合わせなくてどうするというのかね?」
ニヤけ面のイケメンが、ニヤけたまま言う。
これにヴィクターは「うぐっ」とばかりに言葉を詰まらせたが、その叔父であるレオポルドは感情などまるで見せず、領主スラックとブリッツ王子を一瞥し、その上で無言を維持したまま、ずかずかと部屋の真ん中まで歩を進め、部屋の入り口あたりで突っ立っている私たちへ振り向いた。
「事情は把握しているようだが、齟齬があっても後が面倒だ。その金髪の小娘が、獣人たちの領域に建てられた砦の主であり、貴様らが軍を差し向けた『敵』の首魁だ。そしてその隣にいる獣人の少女が、獣王プラド・クルーガの名代とのことだ。彼女の後ろの獣人は護衛。そちらの男は、紹介の必要はないな? ティアント領騎士団の副団長だった男だ」
「ヴォルト……」
と、スラックが呟いたようだったが、名を呼ばれたヴォルトは特になにも言わなかった。こういう場面で黙ることができるのは美点であり、ある種の欠点でもあるだろう。大抵の長所は短所になりうるという一般論だ。
もっとも、ヴォルト・クラウスがそういうやつでなければ、身内に引き込んでやろうなんて思いもしなかっただろうが。
さておき。
せっかくの侯爵閣下直々の紹介を受けて、おしとやかに微笑むだけでは来た意味がない。そもそもレオポルドの紹介は中途半端だった。たぶん、わざとだ。
自分が何者であるかなんて、自分で述べればいい。
あるいはそれをしたくないなら勝手に想像させればいいが、ここは堂々と見得を切る場面だ。レオポルドの半端な紹介は、いわば出囃子か。
私はにんまりと口端を吊り上げ、わざとらしく髪をさっと手で払ってから、部屋の中をのんびりと進み、レオポルドよりちょっと手前くらいで歩みを止めた。
そして両手を腰に当て、偉そうにふんぞり返り――
「やあやあ、私がおまえらの『敵』であるところの、クラリス・グローリアだ。あれこれ事情があって、現在は獣人の領域でいろんな連中の長をやっている。そちらのレオポルド・イルリウス侯爵による説得に応じ、襲撃者であるおまえらと話し合いをしてやろうかと思ってここに来た。よろしくするかどうかは今後の話し合い次第だが、まあ、せっかくだから自己紹介くらいはしてやろう」
――ふんぞり返ったまま、私は言い切った。
思ったよりは気持ちよくなかったが、予想していたよりは晴れ晴れしい心地。伯爵家の生まれとはいえ、ただの小娘が、領主と第二王子に向かって好き勝手放題を口から吐き出せるなんて、こうなってなければありえなかっただろう。
こうなりたかったわけではない。
だが、こうなってしまったからには、こうするのだ、私は。
「グローリア……グローリア伯爵家の娘、か?」
戸惑うように呟いたのは、領主スラック。
これにピンと来たとばかりにブリッツが眉を上げ、唇を歪めた。
「なるほど。ミュラー伯爵殺害犯の、クラリス・グローリア。『無才のクラリス』か。あんなところであんな真似をしているだなんて、一体誰に予想できるかね」
くっくっく、と嫌らしく笑う。
しかしスラックの方はブリッツの言動が理解できないらしく困惑したように後ろを振り返ったが、当然というか『放蕩王子』は補足説明をしなかった。
無論、私だってそんなものをしてやる義理などない。
「座ってるおまえが領主のスラック・ティアント。そっちのニヤけ面が『放蕩王子』ブリッツ・オルス・ロイスだな?」
「ニヤけ面……ふくくく! よくも囀るものだが、肯定しよう。僕がブリッツで、彼がスラック。そして『砦の主』である『敵』が、貴女というわけだ」
やたら嬉しそうなブリッツは、とりあえず無視。
「最低限の整理をしておくぞ。いろいろあって私は獣人の領域に『私の陣営』をつくっている。獣王のプラド・クルーガとは友人関係で、今回のおまえらの侵攻に対しても、獣王は加勢してくれたわけだ」
言って、私と同様のんびり歩いて隣に辿り着いた女豹へ視線をやる。レクスはいつも通りのぼんやり顔でぺこりと会釈し、領主と王子へ向き合った。
「紹介に預かりました。獣王の名代、レクス・アスカと申します。少女という年齢ではありませんので、その点だけは訂正させていただきますが、ここでの私の判断、言動については我が王のものと同義であると捉えてください」
「必要な情報だろ?」
茶化し気味に合いの手を入れてやる。
領主の方は戸惑いと困惑をさらに強めたようだったが、第二王子の方はニヤけ面を崩していない。余裕綽々、こちらがどのようななにであれ、だからどうしたと言わんばかりの態度。
そりゃあそうだろう。なにしろ、この会談がどうこじれたところでブリッツには不利益がない。むしろこじらせたいとすら思っているはずだ。
さらにいうなら、普通に話が進めば、こじれるに決まっている。
「ま――待て。待っていただきたい。レクス・アスカ殿といったな? 獣王の名代としてここにいる。そしてその……クラリス・グローリアの陣営とは友好な関係であると、その理解でよろしいか?」
戸惑いを飲み込むことなく問うスラックに、レクスはすんなり頷く。
「ええ、構いません」
「ならばこちらの状況は理解しておられるか? 我が領に逗留していた客人が獣人共に襲われた。これが発端で、その報復行為として獣人の領域へ攻め込んだ」
「誰が誰に襲われたのですか?」
きょとん、と首を傾げる女豹。慣れていないと、この女のぼんやり顔がなにを意味しているのか判らないだろうが、単に表情で内心を語らないだけだ。
無表情とは違う、ただの平熱。
冷血でも熱血でもない、童顔低身長巨乳お姉さん女豹。
レクス・アスカ。
確かに――こういう人物が名代だと、相手としては非常にやりにくいだろう。
名代だなんていって実際その役割を演じる機会などそうなかったはずなのに、本人の特性だけで十分な役者になっている。
「おや? 聞こえていなかったのかい? ティアント領に逗留していたアールヴの女性が、森の中で獣人に暴行されたのだよ。おまけに彼女が所有していたアールヴの秘宝たる『秘石』を盗まれた。これが侵略行為でなくてなんだというのかな?」
「ですから、誰に、と訊いています」
ねちっこく煽るようなブリッツ王子の言にも、レクスは感情を見せない。
ただ同じ疑問を繰り返した。
何故なら問いに対する答えがないままだから。
「だから、獣人に襲われたと言っているだろう」
というスラックの答えは答えになっていない。
なのでレクスの対応は変わらず。
「ですから、その獣人とは誰です?」
「獣人の誰であるかなど知るものか。襲撃者たちは逃げたのだからな。しかしアールヴの女性は生き残り、獣人に襲われたと証言している」
「だからクラリス・グローリアの砦を襲撃した、と?」
「これは報復行為だ。そちらからの謝罪なり賠償なりがなければ、こちらが矛を収める理屈が立たない。レクス・アスカ殿とはともかく、クラリス・グローリアを名乗る彼女の陣営とは、既に開戦している以上、尚更だ」
「その理屈ですと、我が王の民である獣人が、おそらく人族に拉致されたという事件が過去にいくつかありましたが、この領を襲撃してもよろしいのですか?」
「――なっ……!?」
同じ調子で首を傾げるレクスに、スラックは目を見開いて驚愕を見せた。
これまでのところ、全く腹芸ができていない……まあ、別にわざわざフォローする意味もないが、これがスラック・ティアントという人物の標準的な能力かといえば、さすがに違うだろう。たぶん、普段はもっとまともだ。
今は、まともじゃなくされている。
そう――ヴォルト・クラウスが正常な判断力を失うまで疲弊させられ、策もなしに砦へ突撃してきたのと、同じようなことだ。
「理屈の上ではそうなりますが、それでよろしいのですか? どこの誰が我が王の民を掠ったのかは判りませんが、人族が掠ったと思われるので、我々は人族の領域を襲撃する。それが正当だと、それが貴方の論理であり、行動ですが」
「獣人たちは、僕らの王国を攻め滅ぼせるとでも?」
ニヤニヤ笑いながら挑発する王子だが、レクスには意味がない。
「攻め滅ぼす? そんなことをしても意味がありません。襲撃して損害を与えれば、そちらは困るでしょう。こちらに被害が少なければ、何度か繰り返しても構いません。これが『報復行為』です」
「そんな莫迦な話があるものか――!」
怒鳴って立ち上がったスラックは、私でもレクスでもなく、後ろに控えているヴォルトを睨みつけ、さらに声を張り上げた。
「ヴォルト! ヴォルト・クラウス! どうしておまえがそんな場所にいる! おまえは俺の騎士ではないのか! そんな場所でなにをしている!? おまえが獣人の砦を攻め落とさなくてどうする!?」
錯乱一歩手前、という感じ。
同情する義理は本当にないのだが、ほんのわずかだけ、可哀想だと思ってしまった。何故ならスラック・ティアントは、たまたま今の時期にティアント領の領主であっただけなのだ。ロイス王国の端の、ただの男爵でしかなかったのに。
なんでこんなことに。
その理由など、考えるまでもない。
「落ち着け、スラック。俺はもうおまえの騎士ではない。ティアントを裏切り、クラリス・グローリアに降った。今の俺は、クラリス殿の配下だ」
「何故だ! そんなに俺のことが憎かったのか! 俺はおまえにとって、そんなにも無価値な主だったのか!? ああ、確かに俺は情けなかっただろうさ。だが、それでも俺はティアントの息子で、今は領主だ! 俺にはおまえの力が必要なんだ! 立場が必要ならどうにかしてやる! だから――」
その続きを、スラックは言わなかった。
いや、言えなかった。
ヴォルトが床を踏みしめたからだ。石造りの床を破壊するための試みとばかりに強い踏み込み。だんっ、という大きな音が、領主の言葉を途切れさせた。
裏切りの騎士は、幼馴染みの領主へ向かって、静かに言った。
「落ち着けと言ったぞ、スラック。俺は、おまえを助けるためにここにいる。だが、おまえに力を貸すのは、これが最後になる。だから落ち着け。おまえなら、まともに判断ができるはずだ。エイレーナを娶らなかったのは、判断をしたからだろう。まともな判断をしたからだ。その判断を、俺もあいつも、恨んでなどいない」
エイレーナ……というのは、スラックとヴォルトの幼馴染みの女だったか。
どちらからも惚れられていて、当のエイレーナはスラックを好いていて、しかし次期領主であるスラックは政略結婚しなければならないからとエイレーナを選ばなかった。そして彼女は不治の病に罹り、そんな彼女をヴォルトが娶った。そして短い結婚生活は、彼女の死で終わりを告げた。
ざっくり流れを追えばそんな話だが、当人たちの間では、そんな流れから零れ落ちる大量のなにがしかがあったのだろう。
聞きようによっては皮肉のようであったヴォルトの言葉で、スラックの表情からなにかが抜け落ちた。悪い意味じゃない。当惑、焦燥、憎悪、憤怒……そういった『まともな判断』に不必要な色が、一気に消えたのだ。
端で聞いていても断片的に過ぎる言葉の遣り取りで、確かにスラックは落ち着きを取り戻し、ヴォルトはあまりにも足りない自分の言葉が届くと確信していた。
友達だから、だ。
思わず私は笑ってしまったが――この笑いは、嘲笑じゃない。
そして『放蕩王子』は、そんなスラックとヴォルトを見て、不愉快そうに目を細めていた。ニヤけ面が崩れてもイケメンはイケメンだが、あえて言おう。
醜悪な表情だった。
きっと私も、自分たち以外の誰かからは、そう思われるのだろう。
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