014話「獣人①_02」
そこそこに広い川は、日の光を受けてきらきら輝いていた。
なんだか小学生の作文みたいな感想だが、実際そう思ったのだから仕方ない。
それまで歩き続けていた魔境は森の密度が濃く、日光とはかなり縁遠い日々だったのだ。もちろん木洩れ日は落ちていたが、こんなふうに拓けた場所で陽光を浴びるのは随分と久しぶりだ。
ユーノスたちも日の光に表情を緩め、ほっと息を吐いていた。
しかし我々は日光浴に来たわけではない。もちろん森林浴でもなければ、ピクニックでもない。レクリエーションはこれからが本番だ。
川幅は、たぶん十メートルくらいか。ここだけ広いわけではなく、とりあえずは見えている限り同じような川幅を維持しており、流れは穏やかだ。まあ、山林でなかったのだから当然だろう。
魔境側には全く手が入っておらず、沢のあたりも放置されたままだ。
で、川のあちら側は――きちんと人の手が入っている。
見える範囲に民家はないが、誰かがこの川を利用していると思しき小道があった。洗濯なり水汲みなり、生活に利用しているのだろう。
「さて……とりあえず、みんなでぞろぞろ向こうに行くのは愚策だな」
薄紫の肌をした魔人種が、ざっと十六人ほど。
獣人たちの中で魔族がどのように思われているのかは知らないが、どうせろくな評判ではないだろう。そもそも暴力を共通言語にしているような連中が、文化人と仲良くやれるはずもない。
あれ……でも、どうだろう?
考えてみれば、獣人が文化的とは限らないではないか。だったら肉体言語の遣い手でなければ話が通じない可能性もある。
「じゃあ、そうだな、私ともう一人、誰かついて来てくれ」
「どうするつもりだ?」
ユーノスが前へ出て、問いを口にする。魔族の連中もそれを当然のように受け止めている。
損な性格だな、と思う。他人事なので思うだけだが。
「言っただろ。現地の人を見つけて挨拶をするんだ。あわよくば、この辺りに住まわせてもらおう。それが駄目なら何処へ行けばいいか教えてもらおう」
「全て駄目だったら?」
「今の状態となにも変わらないだろ」
「今より悪くなる可能性は?」
「当然、ある」
胸を張って言ってみたが、特に誰も喜ばなかった。
私自身も。
◇ ◇ ◇
他の連中は対岸に待たせ、私とユーノスの二人でじゃぶじゃぶ川を渡り、私だけ途中で転んで二十メートルくらい流された。
川底の苔だかなんだかに足を取られたかと思えば、あっという間に身体が流れて行く。ユーノスが溺れた私を掴まえて引き上げてくれたので事なきを得たが、なんとも格好のつかない話である。
「クラリス。おまえは一人で行動するべきではないな」
呆れたふうに言われてしまった。
口調に親しみがこもっていたのは――気のせいか。
結局、ユーノスに抱えられるようにして対岸へ到着し、ひとまずは踏みならされた『道』に沿って歩くことにした。
穏やかな日射しと、微風。
お互い特に話すこともなく、だらだらと道を歩いて行く。
そのうちに『森へ続く道』と『丘へ続く道』の三叉路へ当たった。私は迷うことなく丘側への道を選び、ユーノスもまた当然のようについて来る。
あまりにも長閑すぎて、なんだか御伽噺の中にいるような――。
てくてくと道を歩くのが心地好く、気付けば鼻歌を唄っていた。サル・ゴリラ・チンパンジーのあれだ。なんだっけ、戦場にかける橋?
「おい、クラリス」
ユーノスに肩を叩かれ、三日は頭にこびりついて離れない鼻歌を中断する。
道の先に、少女が立っていたからだ。
頭から獣耳を生やした、小さな女の子。
身長としては、魔族の例の少女と同じくらいだろうか。
眉を寄せてあからさまな緊張を見せるユーノスは放っておいて、私はにこにこ笑って手を振って見せる。
が、少女はクラリスマイルには反応せず、踵を返して向こうへ走って行った。大きな尻尾が特徴的な後ろ姿で、まず間違いなく獣人であろう。
「……どうする?」
「どうもこうも、引き返したってなにもないぞ」
つまりは進むしかない。
とはいえ、少女を追い立てるような形になっても拙いので、歩調はそのまま、のんびりと道を歩く。
ややあって、一軒家が見えた。
丘の上にぽつんと佇む木造家屋だ。
それこそ御伽噺かなにかに登場しそうな。
家の庭では洗濯物が干されており、地味な色合いの布が風にそよいでいる。家屋の周囲には木々がなく、しっかりと開拓されているようだ。よく見れば物干し場の反対側はちょっとした畑になっているらしかった。
しかし――他の家屋がない。
本当に、家が一軒、ぽつんと建っているだけ。
はたしてこれは……と、首を傾げたときだ。
「――おぉ!? グ、が、あああぁぁ!?」
いきなり。本当に唐突に。
ユーノスが痛苦の声を吐き出しながら、地面に転がってのたうち回った。
苦しみ方がマジのガチで、本気でヤバそうなのが感覚的に理解できた。
と。
一瞬――ほんの一秒にも満たない、わずかな時間、目の前の景色が変わった。
ワンルームのアパート。
五年ほど買い換えていないカーテン。
敷きっぱなしの万年床。
極端に物の少ない部屋。
死にかけている『私』。
が、それは本当に一瞬だけの知覚で、すぐに視覚が元に戻る。
これはつまり、なにかされているのだろう。
ぐるりと周囲を見回してみる。しかし一軒家へ続く道があるだけで、あとは背の短い草の繁る丘が広がっているだけだ。その向こうには森があり、道を振り返ればやはり森がある。ここからでは魔境との境界になっている川は見えない。
「ふむ……」
私は苦悶の声を漏らしながらのたうち回るユーノスを眺め、少し考えてからしゃがみ込み、薄紫色の首筋に手を当て、
「スタンガン!」
ばちんっ、とクラリス・グローリアの全魔力を電撃に変えて、叩き込んでやる。
どうせ私の魔法なんか大したものではない。だから殺してしまうことや、後遺症が残るかも、みたいな心配は全くしなかった。
「いっ――なんだ! 痛いぞ!? 今、なにが――!?」
正気を取り戻したユーノスは脅威的な身体能力で瞬時に立ち上がり、顔中に困惑を浮かべて私を見る。
「いいからとりあえず身体に自分の魔力を流しておけ。臨戦態勢だ。ただしなにかあっても攻撃するなよ。でも自衛はしろ」
「今……なにが起きた……?」
「なにかされた。だから私の魔法で『なにか』をかき乱してやった。たぶん幻術みたいなものだろ。厭なモノでも視てたんじゃないか?」
「どうしてクラリスには通じなかった?」
「可愛らしい乙女だからだ」
嘘だ。
ちゃんと効いていた。ただし例の『死なない身体』のせいで、ゲームっぽい言い方をするなら状態異常が一瞬で無効化されただけだ。
さて、どうするか――。
そんなこちらの逡巡に合わせるように、道の先がぐにゃりと歪み始めた。
いや、逆か。
今まで歪んで見えていたものが、正常に戻ったのだ。
なにかをしてきた誰かは、最初からそこにいた。
「ここは最果てぞ。末端にして終端。じゃが、紛れもなく境界線の内側ぞ。我々でないモノが、境を跨いで踏み入ることは許されん」
銀の長い髪、白い狐耳、反物を複雑に結んだような装束。
紺碧の瞳と、血のように赤い唇。
六本の、白い尾。
「我は守人、妖狐セレナ。此処より以降は獣の国、此処より以前は黄泉の国。塵は塵に、灰は灰に、亡者は黄泉の国に――疾く早く、帰り候へ」
仰々しい名乗り上げと同時に、妖狐セレナの周囲に、ぽぽぽっ、といくつかの青白い炎が浮かぶ。
ゆらゆらと揺れる狐火は、陽光の元にあっても覚束なく、存在感が希薄だ。
だが、その意図だけは明確である。
――尻尾巻いて逃げるなら見逃してやる。
つまりはそういうこと。
しかし無論、クラリス・きゅっとしたお尻もキュート・グローリアは、生えてもいない尻尾を巻くためにこんなところに来たわけじゃない。
「私になにがあっても手を出すなよ、ユーノス。でも、ちゃんと自衛はしてろ。有言実行の時間だ」
言って、私は口の端を吊り上げながら歩を進め、堂々と見得を切る。
「クラリス・グローリア。クラリス・グローリアが私の名だ。妖狐セレナとか言ったな。はじめまして。こんにちは。挨拶をしに来たぞ。帰る場所などありはしない。挨拶が済んだら、次は――お話をしようじゃないか」
感想いただけると嬉しいです。




