013話「獣人①_01」
魔境を進むのは、割と面白かった。
ユーノフェリザ氏族――ではなくなった彼らは、実に優秀な狩人だった。
森を進みながら野生動物や魔物を狩り、移動しながら血抜きや内臓の処理を済ませ、野営の時点ではもう皮を剥ぎ終わって肉を焼くことができていた。
ぶっちゃけ、私はたぶん食事をしなくても死なない。
眠る必要すらないだろう。こうなってしまってから、強烈な睡魔に襲われた記憶がないからだ。今の私は必要だからではなく、眠りたいから眠っている。
だからといって、毎日の食事や睡眠を断とうとは思わない。
人生から楽しみをなくしてしまえば、きっと今以上にひどい有様になる。今だってさほど良い状態とは言い難いのに。
恨み辛みだけで自分を構成するのは、あまり楽しくなさそうだ。しかし、まあ、そうせざるを得なかった者もいるだろうから、一概には言えないが。
「なあ、クラリス。我々はどうするべきだ?」
ふと隣を歩いていたユーノスが言った。
ヤヌスと似たような長身で、しかしヤヌスのようなムキムキマッチョマンでないからか、ユーノスの貌には自信というものが欠けている。
私のせいかも知れないが、特に責任は感じない。
「どうするって、ユーノスはどうしたい?」
単純な問いに――単純な問いだからこそ、か――ユーノスは口元をひん曲げて難しい顔をする。
「……我々は、逃げたのだ。当面は逃げ延びることが目的だ」
「なるほど。しかし言わせてもらえば、魔族の連中はおまえらのことなんか追ってないんじゃないか? 本当にユーノフェリザ氏族をエスカードに突っ込ませたいなら、見届け人くらい付けるはずだ」
「……やはり、単に捨てられたのか」
「真意なんか私に判るものか。それに、どっちにしても考えるだけ無駄だ。仮に魔族の連中がおまえらを抹殺しようと追って来たところでそれを防ぐ手段がない。油断するのは莫迦のすることだが、心配しすぎるのも愚者のやることだぞ」
「そういうものか」
「知らん。私はそう思うというだけだ。今はこの森を楽しく歩こうじゃないか。次の川に出会したら水浴びをするぞ。言っておくが、乙女の裸なんだから覗いちゃだめだぞ、ユーノス」
うふふ、とクラリスマイルを進呈。
ユーノスの表情は晴れこそしなかったが、先程とは少しだけ変わっていた。
◇ ◇ ◇
そういえば、私の当初の目的は魔族の魔法を見ることだった。
で、その意味では既に目的は達成されている。
エスカード領での戦闘を、間近にではないにしろ確認したし、ヤヌス・ユーノフェリザに実際殴られもした。腹まで貫かれたのだ。
学者ではないので理屈立てた推察ではないが、実感として理解したことはある。
魔族――魔人種と呼ばれる連中の『魔法』はバランスがいい。
むしろ人族の『魔法』が極端というべきだろうか。
ヤヌスもユーノスもそうだが、冷静に考えて地球でいうところの人間と大差ない骨格と体格の生物があれだけの出力を出せるはずがない。もちろん、この世界と地球では物理法則なども異なっているのだろうが、それでも『この世界の人族』と『地球の人類』を比べた場合、そこまで異なっているようには思えない。
違うのは『魔法』だ。
この世界には魔法がある。
魔法があるということは、魔力があるということ。
つまり、魔族は体力の他に魔力を使って動いている――のではないか。
たぶんそう。おそらくそう。部分的にそう。
でなければ、さすがに人の腹を貫手でぶち抜いたり、あるいは地を蹴って一歩進むだけで十メートル近く移動できるわけがない。
つまり魔族という連中は、魔力をパワーに変えられるのだ。
もちろん魔法だって使えないわけではない。そもそも人族よりも大きな魔力を扱えるのだから、身体強化に魔力を回しても攻撃魔法を放つ余裕は十分にある。
この点に関していうなら、人族が異常なのだ。
ひたすらに破壊を突き詰め、魔力という魔力を破壊に注ぎ、我が身を守ることなど考えもしない。血脈を重ね、魔力を高め、戦術兵器と成り果てた。
だからこそ――魔族を打倒するに至った。
魔族と同じように魔力を操っていては、決して届かなかった領域だ。
と、そんなことを思ったわけだが。
だからといって、じゃあ私も魔族のように魔法を使えるかといえば、微妙に否だ。不可能ではないが、私に扱える魔力が少なすぎる。
体感、私が死ぬ気でダッシュすれば百メートル十二秒くらい。これは本当に死ぬ気で走っても死なないから、クラリス・華奢で可憐すぎる・グローリアでもこのくらいの速度は出せるということだ。
これに魔力を乗せれば、たぶん一秒くらいは縮まるだろうか。体感だとそんなものだ。であれば私の魔力は別のことに使った方がいい。
さておき。
とんでもパワーの持ち主たちと旅をするのは非常に順調だった。
ユーノスを含む何人かの戦士たちも、ついて来た女子供も、その全員が道中で疲弊を口にしなかったのだ。
全く疲れることのない私が遠慮なしで森を歩くよりも、魔族たちが狩猟や裁縫をこなしながら森を進む方が早いのである。よく考えると、むしろ気を遣われていた感すらあった。歩調だって合わせてくれていたのかも知れない。
あるいはこういう言い方もできる。
彼らの数が少なかったからこそ、行軍が早かった。
「クラリス様。クラリス様は、どうして人族の中にいられなくなったのですか?」
彼らの中で一番幼い――長寿ということなので、ひょっとしたら私よりも年上かも知れない――少女が、つぶらな瞳でそんなことを聞いてきた。
薄紫の肌の、私の胸あたりに頭のてっぺんが届くような少女だ。
「婚約者がいたんだが、私よりもイイオンナを見つけて、そいつを選んだ。それで、邪魔になった私を消してしまおうとしたわけだ。だから逃げた」
「はぁ……そうなんですかぁ」
よく判らない、と少女は首を傾げる。
私としても特に理解を求めていなかったので構わない。子供相手に嘘を吐きたくなかっただけである。
「ねえ、クラリス様。クラリス様はどうしてそういう話し方なのですか?」
気を取り直したふうに少女は言い、私の服の裾をきゅっと握り締めた。着替えなど持っていないので、ヤヌスに穴を空けられたあの服だ。
ちなみに、その穴は少女が野営のときに繕ってくれた。仕留めた獲物の皮剥だってできるのだ、この娘は。
「どうしてと言われても……」
火炙りの最中、前世の記憶を取り戻したから――とは言い難い。
直接的にはそれが原因で間違いない。以前のクラリス・グローリアは、丁寧で女性的な話し方をしていた。今だって、やってやれないことはない。
普通の貴族令嬢がするような、上品に相手を立てる話し方。
それに前世の私、アラフォーのおっさんだった『私』も、別にこんな話し方をしていたわけではない。こんな話し方をする社会人がいてたまるか。こんな口調では社会生活を営めないではないか。
ただ、思ったのだ。
足の裏から肉が焼かれ、衣服に引火して呼吸もままならなかったあのとき。不意に取り戻した前世の記憶と共に、クラリス・グローリアの人生を振り返って。
思ったのだ。
そういうのは、もういいや、と。
「……まあ、そうだな。これが私だからだ。これが嘘偽りないクラリス・グローリアだ。とっても可愛いだろう?」
そう言っておいた。
子供に嘘を吐くのは、あまり気分がいいものではない。
まして少女がきらきら光る宝物でも見つけたように驚いて、二秒後にとびっきりの笑顔を見せたともなれば、尚更である。
痛む心の持ち合わせは、まだ私にもあったようだ。
◇ ◇ ◇
そんなわけでひたすら魔境を西へ。
何日目だったか……たぶん十日以上、三十日未満といったところか。
ようやく森が切れ、そこそこ大きな川に出た。
その先にも森は広がっていたが、魔境のこちらとあちらでは明らかに雰囲気が異なっており、よほどの間抜けでなければ境界というものを意識できただろう。
私を含め、魔族の中にも間抜けはいなかった。
いや――言い直そう。
極度の間抜けは、いなかった。
察するべきだったのだ、エスカードがそうであったように、獣人の国の『ここ』もまた、辺境であることを。
まあ、察していたところで、あまり違いはなかったかも知れないが。
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