109話「対ティアント領騎士団_01」
ヴォルト・クラウスはティアント領騎士団の副団長である。
年齢は今年で二十五。領主であるスラック・ティアントとは同い年の幼馴染であり、かつては非常に親しい間柄だった。王都の学院にはスラックの護衛として共に入学したほどだ。
あの頃は楽しかった、なんて感慨に耽るほど老いてはいないつもりのヴォルトだが、あの頃と今では、確かに違うのだろうとも思う。
かつてのスラックは、第二王子に唆されたからと獣人たちの領域に攻め入るような男ではなかった。
領地の木こりたちに報奨を支払い、ティアント領から西に広がる魔境の森を切り拓いて行軍のための道をつくるなどということも、かつてのスラックはしなかっただろう。そんなことより、もっとやるべきことがあるはずだ。
そう思いつつも、ヴォルトは部下の騎士団員へ指示を出し、木こりたちの伐採した樹木を『道』の脇へ移動させ、邪魔な草を薙いで行軍に十分な道幅を確保する。そうできてしまう自分もまた、かつての自分ではないのだろう。
「副団長、斥候が戻りました」
報告に来た部下へ首肯を返し、「通せ」と一言。無意識に太い指で自分の頬を撫でれば、ざらざらと無精ひげの感触がした。
自宅へ戻ったのは何日前だったか……考えようとしたところで、ヴォルトの前へ斥候が現れ、片膝をついた。
「報告します。ここから半日ほど直進したあたりで森が途切れます」
ようやくか、とヴォルトは小さく息を吐く。
森を切り拓き始めて、もう二ヶ月にもなる。領主スラックと『放蕩王子』ブリッツ殿下が呼んだという『癒やしの聖女』たちは、たまに様子を見に来る以外はスラックの屋敷に逗留しているらしいが、いい迷惑だろう。
なんの問題も起こらずに魔境の開拓が進んだのは僥倖というべきか、あるいはなにかややこしい問題が起きたほうが良かったのか。
獣人の領域へ侵攻することに関して、ヴォルトはあまり気が進んでいない。ヴォルトのみならず、騎士団の半数はそうだろう。
確かにティアント領――というより、ロイス王国は、ここ数十年エスカードでの魔族戦を除けば概ね平和といえる。騎士団のような戦力は、だから本当の意味ではずっと使用されていないことになる。ヴォルト自身も前回のエスカード辺境領における対魔族戦には出陣していない。
だからというべきか、力を持て余している者もいる。
まして『放蕩王子』の後押しがあり、こちらにはアールヴの女が害されたという大義名分もある。野蛮な獣人が自領へ侵入してこないよう、獣人の領域にティアント領の戦力を配置すべきだ、と。
結局のところ、大義名分を得て侵略に乗り出したに過ぎないのだが。
しかし、それが仕事だ。
やりたくもないことをやるのが、仕事だ。
そんなふうに思うようになったのは、いつからだ?
いや――そんなことは今はどうでもいい。
「獣人の領域がどうなっているかは確認したか?」
ヴォルトは胡乱な思考を振り払い、斥候へ聞くべきことを聞く。
「森を出ることはしませんでした。獣人たちが森の外で待ち構えていたからです。まるで我々の侵攻を察知していたかのように、数人の獣人たちが森からある程度の距離を置いた地点で野営しているようでした」
「そうか。気付かれたか?」
「断言はできませんが……気付かれていないように思います」
「判った。下がって休め。追って指示を出す」
「承知しました」
膝立ちの状態で一礼し、立ち上がって去っていく斥候の背中を眺めながら、ヴォルトは感嘆と苛立ちが綯い交ぜになった吐息を洩らすことになった。
この展開は、想定内だからだ。
スラックの――ではない。これは『放蕩王子』ブリッツ殿下が披露したいくつかの想定のひとつだ。
この場合、こちらの行動が獣人たちに偵察されていたのだ。でなければ待ち構えることができない。数人の野営というのも、おそらくは獣人たちの一部と考えるべきだろう。本隊がいる、ということだ。
脳裏に浮かぶのは――波打つ銀髪の美男子が浮かべる、曰く言い難い微笑。
見下しのようでもあり、嘲りのようでもあり、愉悦のようでもあり、退屈を誤魔化すようでもあり、憐れむようでもある……あの、底の知れない微笑。
ヴォルトは短く刈り込んだ赤毛をがりがりと掻き回し、それから周囲に控えていた部下へ伝える。
「……木こりたちに伝えろ。あと半日ほど伐採を進めた位置で広場をつくり、そこを陣所とする。伝令を走らせて団長に知らせろ。いいか、獣人たちの領域が近い。いつ襲われてもおかしくないと思え」
◇◇◇
結局、陣所を設けるまでには三日掛かった。
この地点から獣人の領域へ出るまで、半日のさらに半分ほど。今回の遠征における全軍を動員させるなら、余裕を見て半日といったところか。
陣を敷き、夜を明かし、朝になって魔術師の用意した水を使って顔を洗う。少し迷ったが髭は剃らなかった。
この日も斥候を出し、森の出口付近に獣人たちの野営があることを確認した。
昼を過ぎた頃に騎士団長を含む『本隊』が到着し、工兵たちが木こりの伐採した木材を利用し、仮屋を建てていく。
騎士団員は半ば野宿のようにして幕営を使うことになるが、わざわざ仮屋を建てているのは、『放蕩王子』と『癒やしの聖女』のためだ。
「やあやあ、任務御苦労。ヴォルト副団長だったかね。このひたすらに面倒な仕事を淡々と続けたのは称賛に値するよ」
ふらりとやって来てそんなことを言うブリッツ殿下。
ヴォルトとてスラックの付き添いという形であるにせよ、王都の学院を卒業している。だから第二王子の存在に気付いた瞬間には地に片膝を突き、目を伏せることを忘れなかった。格好が薄汚れているのは、もう仕方がない。
「やれやれ、もはや諦めるべきかも知れないけれど、僕としてはいちいち畏まられるのは嬉しくないのだが。特に、君のように有能な人物にはね」
甘く微笑み、ブリッツはヴォルトを立ち上がらせた。
もちろんヴォルトとしては「それでは」と礼節を崩すわけにもいかない。そして第二王子殿下にこう言われて全く態度を軟化させないわけにもいかない。
結果、立ち上がってなんとなく会釈をするに留める。
「ふふふ。まあそのくらいが落としどころか。ところで君、正直言うと僕はね、騎士団長よりも君のことを評価しているんだ。侵攻の際の指揮も、団長ではなくヴォルト・クラウス、君に執らせようと思っている」
「私に、ですか?」
「これから作戦会議だ。あの美しいアールヴを傷つけた野蛮な獣たちに、思い知らせてやろうじゃないか。ヒトの強さというやつをね」
◇◇◇
陣所に設置された最も大きな天幕が会議場となっており、机こそないが簡易的な椅子が用意されていた。
座っているのはティアント領騎士団の団長、何名かの中隊長、獣人に襲撃されたという例のアールヴ、それに『癒やしの聖女』とその護衛が二人、聖女の案内役らしき貴族の男、そして『放蕩王子』ブリッツ・オルス・ロイス殿下が騎士団長の隣に腰を下ろし、その隣しか席が空いていなかったので、ヴォルトは仕方なくブリッツ殿下の隣に腰を下ろした。
「状況は報告を受けている」
という団長の言葉から会議は始まった。
ブリッツ王子の言葉に賛同するわけではないが、騎士団長はヴォルトから見ても取り立てて有能という人物ではない。もちろん無能ではないのだが、騎士を束ねる長というより、横柄な役人という印象の男だ。
土埃に薄汚れた鎧に無精ひげが伸びたままのヴォルトと違い、団長はきれいに磨かれた鎧を身に着けており、ひげは丁寧に剃られている。引き絞られたヴォルトの肉体と比べれば、中年を過ぎた団長の身体はやや丸みを帯びている。
作戦は単純だ。
ヴォルトが騎士団員を率いて森を出る。待ち構えている獣人たちと克ち合い、いずれにせよアールヴの女マリエル・サン・フォーサイス襲撃、奪われた『秘石』の件を口実に獣人の領域に陣地を築く。
抵抗があった場合、交戦して獣人たちを制圧する。問題は、それができるのかという話ではあるのだが――。
「獣人は基本的に、群れはするが軍を動かさない。動かせない、と言ったほうが近いだろう。やつらの社会性が人族のそれと違うからだ。獣王の元に集まっていたとしても、獣王が指揮できるのはせいぜいが二百人までの部隊だ」
マリエルの説明はすでに何度も聞いていたものだ。彼女が魔境深くの森から獣人の領域を抜けて人族の領域に辿り着いたという話も、すでに聞いていた。
しかしこの浅黒い肌のアールヴが、いったいいつからティアント領へ逗留していたのかは……ヴォルトには判らない。
一年前にはいなかった気がする。しかしヴォルトの気に留まっていなかっただけかも知れない。少なくとも、数ヶ月前に『放蕩王子』ブリッツ殿下が逗留し始めた頃には、マリエル・サン・フォーサイスはいつの間にか客分としてティアントの屋敷に逗留していたはずだ。
「つまり、我が騎士団が初戦で獣人たちに負ける道理がないということだ」
他人事のように団長が胸を張ったが、体を張るのはヴォルトや団員たちだ。団長の鎧が汚れるときが訪れたとすれば、それはかなり拙い状況だろう。
まあいいさ、とヴォルトは諦念のような気持ちを胸の中で泳がせながら、団長の言に頷いてから敬礼を返した。
「了解しました。翌朝に部隊を編成し、獣人の領域へ出ます」
「こちらからも、ひとついいですかね」
のらりくらりとした調子で挙手したのは、聖女一行の引率役らしき貴族の男だった。紹介を受けていないので、ヴォルトは名前も家名も知らないが、ぎょろりとした目付きの、胡散臭さが第一印象に来る青年だ。
「我らが『癒やしの聖女』ミゼッタですが、当然ながら前線へは出しません。そもそも当初の依頼であるマリエル嬢の治癒は済んでいるわけですから、今回の我々の同行はティアント領からというより、ブリッツ殿下の個人的な要望を聞き入れたからに過ぎませんのでね」
「もちろん構わないよ。怪我人が出たらここまで引き摺って運ぶことにしよう。それならば治癒は引き受けてくれるだろう? それと、魔族戦の英雄殿は一度だけ貸していただけると嬉しい」
何故かブリッツ殿下が返答したが、団長は特になにも言わなかった。もちろんヴォルトも口を挟まない。挟めるわけがない。
そもそもロイス王国の第二王子殿下が、こんな場所まで出張ってきているというのに、ティアント領の上位貴族が彼の傍に付き添っていないのがおかしいのだ。団長は身分としては子爵相当になり、ヴォルトもまた準爵相当になるのだが、とてもではないが足りていない。
「まっ、王子様たっての願いってんだから、一度は構わないけどよ。俺はミゼッタ姉ちゃんの護衛で来てるんだから、出撃は一回にしてもらうし、その間にミゼッタ姉ちゃんになにかあったら、暴れ散らかすぜ?」
不遜――というより物の道理を弁えていないかのような稚気を見せるのは、聖女一行の少年剣士だ。あまり邪気がないせいで傍若無人という印象ではないが、ブリッツ殿下に対しての態度は頭が痛くなるようなものだ。
が、当のブリッツ殿下は嬉しそうに笑うのみ。
自分で言っていた通り、畏まられるのがあまり好きではないのだろう。そこについては諦めてもいるのだろうが、だから少年剣士のような態度には嬉しさを覚えてしまうのかも知れない。
どうせ、獣人の領域に近い森の中だ。
王都の王城でタメ口をきいているわけでもない。
「私も同行させてもらおう。獣人共には、直接手を下してやりたいのでな」
すっと目を細めたマリエル・サン・フォーサイスが言う。
少年剣士にしろ、女アールヴにしろ、単体としての戦力が相当なのものであるのはヴォルトにも判る。特に少年の方は、そこにいるだけで圧を感じるほどの剣気がある。保有している魔力が、人族にしては破格なのだ。
本来であれば部隊行動に異物を混入させるのは、好ましくない。
しかし好ましくないというのであれば、最初からこんな任務は好ましくないのだ。異物のひとつやふたつ、どうでもいいというのがヴォルトの気分だった。
「了解しました。それでは部下に指示を出してきます」
敬礼を示して立ち上がり、ヴォルトは一瞬だけ『癒やしの聖女』を見た。
この会議では一切の発言をしなかった、華奢な少女。貴族のような高貴さはなく、在野の魔術師が見せるような自尊も感じない。小綺麗な格好をしてはいるし、所作は屋敷で働くメイドよりも洗練されているように見える。
それでも、なんとなく、ヴォルトは彼女に共感のようなものを覚えてしまう。
おそらくだが、彼女もまたこう思っているのではないか。
――一体自分は、なにをやっているのだろう?
そう、それだ。
ヴォルトの場合は、そこに付け加えてもうひとつ。
――スラックは一体なにがしたいというのだ?
無論、判るはずもなかった。
もうずっと、幼馴染のことは、判らない。
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