011話「魔族①_03」
砲丸のような拳がおそるべき速度で顔面にぶち込まれた。
顔の様々な骨がぐしゃぐしゃになったかと思えば、私の身体は豪快に縦回転しながら吹っ飛んでいる。
癇癪を起こした子供が人形をぶん投げたような。
そんな勢いで、地面と平行の軌跡を描きながら、ぎゅるぎゅると回転しつつ飛んで行って――さほど間を置かず、そこらの樹木にぶち当たった。
ちょうど後頭部から激突したせいで頭蓋が割れて中身が飛び出す音と感触を味わってしまったが、ほんの一呼吸もすれば私の身体は元に戻っている。
クラリス・グローリアが、無傷でそこに立っている。
なにしろギレット姉弟の『実験』に付き合わされて五百回も殺され続けたのだ。魔族に殴られて死ぬぐらい、今更どうということはない。
が、私をぶん殴った当人であるヤヌスは、ぎょっとした顔をしていた。
ヤヌスだけではない。森の一角に集まっていたユーノフェリザ氏族のほとんどが、死んだはずの私を見て、死んでいない私を見て、目を丸くしている。
誰もなにも言わなかったので、私は薄い胸を張って踏ん反り返ってやった。
「なんだなんだ、私のようなか弱い少女を殴り殺すことはできるのに、祖国のクソみたいな規律には従うのか。結局はおまえたちも人族と同じだな。強い者に媚びへつらい、弱い者には好き勝手。まったく親近感の湧く連中だ」
うふふ――と、わざとらしく笑っておく。
たぶん、驚きの方が強いせいで、私の言葉など半分も届いていなかっただろう。
唯一、ヤヌス・ユーノフェリザを除いて。
私はヤヌスに向けて、この氏族の族長にのみ向けてさっきの科白を吐いたのだ。
「……一体、何者なんだ、おまえは」
戦闘態勢の獣みたいに腰を落とし、いつでも突撃できるぞという姿勢でヤヌスは言ったが、戸惑いは隠しようもなかった。
確かに拳は私を捉えていて、確かに私はぶっ飛ばされて死んだのだ。
なのに生きている。
しかし、世の中というやつは理不尽で、多くの者は理不尽を他人に押しつける。そしておそらくは大半の者が、理不尽を「仕方ない」と受け入れている。
だったら私の理不尽だって受け入れるべきだ。
私はごめんだが。
「自己紹介に嘘はないぞ。私はクラリス・グローリア。人族の中から弾き出された、世にも可愛い女の子だ」
もう一度、改めて、私は微笑んで見せる。
とっておきのクラリスマイルである。
その笑みに、その場の魔族の誰もが戦慄のようなものを覚えたのが、なんとなく空気感で伝わってきた。魔の者だからといって言葉の通じる知的生物だ。なんだかよく判らないモノを恐れるのは、人と同じなのだろう。
ヤヌスは数瞬、迷うような素振りを見せた。
が、その迷いを消した次の瞬間には、私へ向かって突撃してきた。
地を蹴って走り出した――と思ったときには、私の薄い腹に、ヤヌスの手が突き刺さっている。というか背骨ごとぶち抜いて貫通している。今度は拳ではなく、貫手というやつだ。
ほとんど見えなかったし、対応だってできなかった。
「本当に人族か? これで生きていられる人族がいるのか?」
私の腹にぶっとい腕を突き刺したままでヤヌスは呟く。口調にはもう、恐れも戸惑いもない。慎重さと、多少の警戒心。
族長だから、当然このくらいは強いのだ。
この程度には臨機応変で、これくらいには冷静だ。
「さあ、どうだろう。私はヒトのつもりだけど、案外もう違うのかも知れない。でも、それじゃあヤヌス、おまえはどうだ?」
腹に腕を突き刺しているせいで、ヤヌスの耳元に囁くような形になった。絶対に死んでいるはずの少女が、にやにや笑いながらそんなことを言うのだ。これは怖いだろう。私だってちょっと引く。
でも、ヤヌスは恐れなかった。
強引に腕を振り、突き刺さっていた私がすっぽ抜ける。
それこそ捨てられた人形みたいに地面に転がった私は、一呼吸の間をおいてから、ごく普通に立ち上がった。
残念ながら服は元に戻らないのに、穴が空いて血痕が目立つ奇抜なファッションになってしまったが、まあ仕方ない。
「魔族の中から弾き出されたユーノフェリザ氏族の族長、ヤヌス・ユーノフェリザ。おまえに聞いているんだぞ。おまえはどうだ? まだ魔族なのか? 魔族の中のクソのような法に、まだ従わねばならないのか?」
「……なにが言いたい?」
警戒心だけを剥き出しに、再び腰を落としてヤヌスは問う。
その薄紫の肌がわずかに赤くなっているのが判った。感情を刺激されているのだ。私という理不尽な存在にではなく、私の放った言葉に対する反応だ。
ふぅ、と私は大仰に息を吐き、ヤヌスから視線を逸らして、陣の中にいる魔族をぐるりと眺め回す。ヤヌスに最も近い位置にいたのはユーノスで、彼は何処からか取り出した黒い剣を構えていた。他の氏族たちも、槍だの棒だの、思い思いの武器を手に取っているが――敵意剥き出し、というふうでもなかった。
響いたのだ、私のような小娘の言葉が。
それは響くだろう。響かないわけがない。
何故ならこれは、彼らの内側で元々響いていた言葉だから。
意思疎通ができるくらいの隣人であるならば、間違いなく思っていたはずだ。
「――逃げればいいじゃないか」
私は言った。
武器を構えてこちらを見ていた誰かが表情を歪めるのが判った。あるいは、その奧でヤヌスと私のやりとりに注目していたらしい誰かが息を呑むのも。
「どうして国の命令に従わなければならない? 人族の、それもわざわざ待ち構えて待ち伏せている場所に突撃して死ななきゃならない理由はなんだ? そんなもん、無視して逃げればいい。だってもう、おまえたちは魔族の国の国民じゃないだろ。捨てられたんだ。おまえたちも――」
捨ててしまえ。
仕方なくなんか、ないはずだ。
◇ ◇ ◇
その後、どうなったか。
結論から述べるなら、ヤヌス・ユーノフェリザは魔境を越えてエスカード領へ突っ込んで、死んだ。
ヤヌスだけではない。ユーノフェリザ氏族のうち半数ほどがエスカードへ突貫して返り討ちにあったはずだ。さもなければエスカードを蹂躙して支配していただろうが、そうなったとは思えない。
魔族――の中の、魔人種と呼ばれる種族――は、確かに『個』として強いが、人族の中にも突然変異的な強者が存在する。双子のギレットがそうだったし、あの双子以外にも、いるはずなのだ。そうでなければギレット姉弟はもっと違った扱いを受けていなければおかしい。
で。
残った半数ほどのユーノフェリザ氏族と共に、私は魔境をひたすら西へ歩くことになった。
魔境を南端に出ればエスカード領へ出る。
東には険しい山脈があり、装備なしで越えるのは不可能。
北へ向かえば魔族領となり、そちらへ向かうわけにはいかない。
西に向かえば、獣人の領地があるという。
じゃあ、消去法でそっちを目指せばいい。
「獣人族への侵攻は違法だぞ。魔王様と獣王が盟約を結んでいる」
ユーノスがそんなことを言った。
彼以外にも戦える者が数人、こちら側に残ったが、あとの氏族は女子供ばかりだった。もちろん、女子供でもあちら側で突貫した者はいたが、それでもどちらかと言えば、女子供の比率が高かった。
「違法もなにもあったものか。おまえたちはもう魔族じゃない。魔族の国の法に従う必要なんかない。それに、わざわざ侵攻なんかしなくたっていい」
「どういうことだ? 亡命でもするのか?」
「なんで下手に出なきゃならないんだ。誰かと出会ってまずやることなんて、決まってるじゃないか、ユーノス」
「おまえの言うことはよく判らん」
むっつりと口をへの字に結ぶユーノスに、私はにんまり笑って見せる。
別に、楽しかったわけではない。
自信満々に笑って見せないと、ちょっと可哀想だなと思ったのだ。
「――挨拶を、するんだ。まずはそれからだ」
無論、この言葉も口から出任せである。
かわいい女の子なんて信じるべきではない。
いや、まあ、別に信じられているわけでもなかっただろうが。




