099話「癒やしの聖女②_04」
領主スラック・ティアントの隣にいた老婆に案内され、ミゼッタはそのまま患者の元へ向かうことになった。
それ自体は、さほど珍しいことではない。
なにしろ『癒しの聖女』でなければ治癒不能な患者がいるのだ。一刻も早く治して欲しいと願うのは、むしろ当たり前だろう。
とはいえ――スラック男爵やブリッツ王子が、耳長の女性を心から案じていたのかは、少々疑問ではある。
領主の方はミゼッタたちの来訪に喜ぶ素振りもなかったし、途中から話をさらっていった放蕩王子の方は、まるで見世物でも見るような調子だった。
質素な廊下を先導する老婆も、なんというかひたすらに事務的である。
応接間にはヴィクターが残ることになったので、ミゼッタの隣にはつまらなそうな顔をしたジャックが付いている。態度はお世辞にもよくないが、しかし道中での言葉通り、油断していないのはミゼッタにも理解できた。
そのまま何度か角を折れ、階段を下りて屋敷の端へ。
「こちらですじゃ」
いくつか並んだ扉のひとつを指し示した老婆は、それだけ言って一礼だけ済ませると、さっさと何処かへ去っていった。
仕方ないのでミゼッタは一度だけ深呼吸をしてから「失礼します」と声を掛け、何の変哲もない扉を開いた。
部屋は、貴族の邸宅によくある客間といった感じ。ただしイルリウス邸のように豪華ではなく、安宿と高級宿のちょうど中間あたり。
つまり――狭すぎないが、広くない。汚くはないが、絢爛さとは無縁。
ごく質素な寝台がひとつに、机と椅子。棚がひとつ。
寝台には、重症患者が横たわっていた。
「――……?」
包帯だらけのヒトガタが、毛布も掛けられず寝台の上に転がっている。
輪郭は成人女性のもので、ほんのわずかに露出している肌は浅黒い。日焼けしすぎた子供だとか、長年の農作業ですっかり肌が黒くなった農民よりも、あと少しだけ色が濃いだろうか。髪は灰色と桃色を足さずに重ねたような印象で、ちょっと見たことのない色合いだ。
顔の半分は包帯で隠れていたけれど、見えている半分はやっぱり浅黒く、刃物を思わせる鋭い眼差しがミゼッタを捉えていた。
そして……耳。
本当に長い。人族のそれを横にちょっと伸ばして尖らせたような、傍で見て明確に異人種と判る特徴だった。
「要請を受けて参りました、治癒魔法使いのミゼッタと申します。アールヴの、マリエル・サン・フォーサイス様ですね?」
どのような誰であれ、結局は治癒魔法を掛けるだけだ。扉から寝台まで、すたすたと近づいて治癒対象の容態を確認する。
「……そうだ」
と、アールヴの女性はやや低い声音で肯定する。ミゼッタは首肯を返し、机と対になっている椅子を勝手に引き出して寝台の横に置き、尻を下ろした。
「先に症状……貴方様の場合は、外傷を確認します。治癒魔法は治癒対象の体力を使うからです。体力のない患者に強すぎる治癒魔法を掛けると衰弱死する可能性がありますので、まず深刻な外傷を塞ぎ、それから全体の治癒を行います。包帯を取りますが、構いませんか?」
「……おまえの護衛に肌を見られたくない」
視線がミゼッタから逸れ、部屋の入口で立っていたジャックへ向けられる。
「そりゃ失礼。だけど俺の仕事はミゼッタ姉ちゃんの護衛なんで、あんたが変な真似をするか、変な真似をしそうな雰囲気を感じた瞬間に動く。それに納得して欲しいとかじゃなくて、俺はそうする」
言葉の内容とは裏腹に軽い口調で言って、ジャックは大人しく部屋の外へ出て扉を閉めた。もちろん、外から内側の気配を探っているはずだ。
「弟なのか?」
「いえ、違います」
「そうか」
ジャック・フリゲートについて説明するのが面倒だったので単純に否定だけするも、アールヴの女性は追求しては来なかった。
◇◇◇
最も大きな外傷は、左鎖骨あたりから右の腰辺りにかけて一直線に走る切創。まるで名剣で一閃されたかのような、斬撃の痕だ。きつく絞められていた包帯を解くだけで血が滲み出す大怪我だった。
他にも小中様々な裂傷があり、身体中の至るところに打撲跡があった。肋骨のいくつかは折れていて、右腕の肘から手首の間の骨がぼっきり割れている。
まずは出血の激しい大きな切創、それからマリエルの全身に魔力を通して骨折箇所を順番に治していく。内蔵にも魔力を通してみるが、打撲による影響があるようだったので、こちらも治癒しておく。
この時点で不機嫌そうにミゼッタを睨んでいたマリエルの表情からは驚愕以外の全てが消えており、それはなんというか、慣れた反応だった。
「体力の消耗は感じますか?」
「あ――ああ……多少は、感じなくもないが……」
それよりも全身を苛んでいた痛みが消えたことの方が当人としては重大なのだろう。動かなかったはずの右腕を持ち上げて手を握ったり開いたりしている。そういう様子を見れば、アールヴといえどミゼッタにはいつもの患者と同じだ。
治されることに、人は無防備である。
治癒を拒むのは、優しさを拒絶するよりも、たぶん少し難しい。
「包帯は血が滲んでいるので、そのあたりにまとめておきます。着替えは、後でティアント家の使用人を呼んでください。その際に体を拭いてもらった方がいいでしょうね。まだ痛むところはありますか?」
「肉の表面側。殴られた箇所がまだ少しだけ痛い」
「そちらは後回しにしました。ちょっと横になってみてください」
「了解した」
素直に頷き、裸のまま――全身を覆っていた包帯を取ってしまったので――寝台に身体を預けるマリエル。彼女の言う通り、まだ全身のあちこちに打撲の痣が残っていたが、切創や裂傷は完全に消えている。
「気怠さや眠気を感じませんか? 治癒魔法による体力の消耗があったはずです」
「多少は。しかし……心底から驚愕したぞ。これほどの治癒魔法は、故郷のアールヴたちでも有していない」
淡々と答えるその話し方は、身近なところではノヴァに近いものを感じた。必要なことを、必要な分だけ話す。寡黙な戦士のそれだ。
すらりと手足の長い彼女の肢体を眺めてみれば、強力な魔力を有した魔法使いというより、才気を鍛錬で磨き上げた一流の戦士のようだ。
なんとなく、彼女が今その気になったら首の骨を折られるだろうな、とミゼッタは思った。折られた瞬間に自分を治癒できるだろうか、とも同時に考えて、うっかり苦笑してしまう。
きっと自分にならできる。
そんなこと、たぶん他の人にはできない。
「……アールヴの中には変わり者がいて、故郷を飛び出して旅をする。どの里でも、いつの時代にも、そういう変わり者が出てくるのだ。私もそうだった」
ふぅ、と息を吐いて目を閉じてから、マリエルはそんなことを言った。
ミゼッタは黙ることで先を促す。
「村を出るとき、私は両親から秘宝を預かった。高密度の魔力を内包した宝石だ。魔法の媒体にもなるし、そもそもの価値が高い。どんな場所でも高く売れる」
淡々と、他人事みたいに話す。
「故郷の森から、私は獣人の領域を通って、このティアント領に辿り着いた。もう随分と前の話だ。そのとき、奇妙な獣人に会った。九本もある黒い尾を持つ狐獣人だ。嫌な喋り方と、嫌な笑い方をする男だった。そいつも私のことを覚えていたようだ。随分と前に会ったきりだというのにな」
秘石を持っていたからだ――と、マリエル。
九尾の狐は、お宝のことを忘れていなかった。
「つい先日だ。魔境の森を散策していた……故郷を捨てたアールヴでも、森の民の習性のようなものだな。無性に森を歩きたくなる。そこまで深くまで入ったわけではないが……やつに出会った。そして秘石を奪われた」
なんのことはない、ただの野盗や山賊だ。
だとすれば、彼女が迂闊だったというだけの話。
「もちろん奪わせるつもりはなかったが、やつは仲間を連れていた。どんな有様になったかは……見ただろう。私を捜索するために領主のスラックが騎士団を派遣していなければ、森の中で打ち捨てられたまま死んでいたはずだ」
「運が良かったのですね」
それくらいしか言えることがなかったので、そう言った。
マリエルは目を閉じたまま、ほんのわずかだけ苦笑を浮かべる。
「……そう、かもな。そうかも知れない」
◇◇◇
治癒を終えて部屋を出ると、ジャックだけでなくヴィクターも扉の外で待ち構えていた。さらには屋敷の使用人らしい女性が一人。
「お役目、ご苦労様でした。客室を用意しましたので、ご案内いたします。ささやかですが晩餐の用意があります。ヴィクター卿とミゼッタ様におかれましては、出席していただくよう当主から言付かっております」
「立派なおべべの用意はないが、構わないか? それと護衛騎士を一名追加だ」
「構いません。畏まりました」
非常に端的で、ともすれば冷たく思えるような対応だったが、大抵はこんなものだ。ヴィクターはレオポルド侯爵の甥ではあるが、その権威はむしろ貴族相手に発揮される。貴族に仕えている使用人からすれば、雇い主である貴族の方が畏れ入るべき対象なのだろう。
では、と歩き出す使用人の背を追い、また廊下を進んで階段を登り、おそらくは賓客用の区画へ。ミゼッタとヴィクターには個室が、他の面々は数人ずつが利用できる大部屋が用意された。それに談話用の広間も。
そっちはそっちだけで話すこともあるだろうから勝手に使え、ということだ。ミゼッタを呼びつけるくらいの貴族ともなれば、大抵はそういう区画を屋敷に備えている。領主ともなればあって当然なのだろう。
「それで、首尾は?」
談話用の広間に集まり、カルナ・レーガントとニオミ・アリオスの二人がお茶を用意し、全員に行き渡ったのを確認したヴィクターが口火を切った。
「粗方の治癒は済ませました。後は当人とティアント家が望むのであれば、明日以降に仕上げの治癒を行うことになるかと思います」
「流石は聖女サマだ。耳長の女から事情は?」
おざなりな賛辞をいいかげんに流し、ミゼッタはマリエルの話をまとめて説明する。といっても、話なんて単純だ、獣人の領域で出会った狐獣人が秘石を求めて森へ入り、たまたま森を散策していたマリエルを見つけて秘石を奪った。
……いや、おかしい。
よく考えるとかなり変だ。
「その九尾の狐獣人とは随分と前に会った。そしてつい先日たまたま森を散策していたアールヴの女と偶然にも遭遇し、大層な価値のある秘石を持ち歩いていたから強盗されました……か」
実際に本人の口から聞けばそういうものかと思ったが、改めて客観的に整理すると、なにもかも変だ。その九尾の狐は、マリエルの秘石を狙って魔境の森の――獣人の領域から見ればかなり奥深くまで仲間と共に徘徊していたことになる。
ティアント領と獣人の領域を隔てている魔境の森は、深すぎるせいで獣人の脅威がなかったはずなのだ。
獣人が人族の領域に赴くなら、スペイド領へ出るはずだ。
「……まあいい。いや、よくはないが……真偽がどうあれ、放蕩王子の手前、どうしたって強気に出られん。だが真偽の確認は必要か……あれやこれやと、面倒なことだ。伯父貴もなんだって今回の要請を受けたんだか」
ギョロ目をぐりぐりと忙しなく動かすヴィクターである。
が、そのあたりの話はミゼッタには関係のないものだ。誰のどのような思惑があったところで、結局のところは流されるしかないのだから。
茶を口に含み、ことさらゆっくりと嚥下してからヴィクターは続ける。
「おそらく――予想が正しければ、スラック・ティアントはアールヴの女が襲われたことを口実に、獣人の領域に出兵するだろう。そこに我々を、というよりは『癒しの聖女』を同行させるつもりだ。悪いが放蕩王子が乗り気になったら俺には拒否できん。ミゼッタ嬢、あんたのやることはどっちにしろひとつだけだ」
「治癒魔法を使うこと、ですね」
「ジャック・フリゲートを寄越したのは、伯父貴がこの展開を予想していたからかも知れんな。魔族殺しの英雄、恩人を全力で守ってくれよ」
「そりゃもちろん。ミゼッタ姉ちゃんには感謝もあるし、今度も世話になるかも知れないしな。あの魔族みてーなバケモノが相手になったら、無傷ってわけにもいかねぇ……ムカつくけど、俺はまだ弱い」
言葉とは裏腹に、にんまりと笑うジャックである。
それにヴィクターは単に肩を竦めて、やや言い難そうに、続けた。
「あー……っと、それから、スラック・ティアントに関して、忘れていたことがある。ミゼッタ嬢がアールヴの女を治癒しに行ってたとき、スラックの嫁さんとも顔合わせした。フォルザ・ティアントだ。女にしては背が高い、金髪の美人で……結婚する前の名は――フォルザ・グローリア」
グローリア。
思わず、ミゼッタの全身が強張ってしまう。
「グローリア伯爵の弟の長女で、エックハルト・ミュラーの元婚約者、クラリス・グローリアの従姉だ。『癒しの聖女』のことをどう思ってるかは、怖くて聞けなかったが、まあ、ちょっとは覚悟しとけ」
美人が怒ると怖いからな、とヴィクターはわざとらしく笑う。
ミゼッタは、笑わなかった。
※すみません、初稿において「フォルザ・ティアントはグローリア家の次女でクラリスの姉」というふうに書いていましたが、この小説の二行目で主人公クラリスがグローリア家の次女であると書いてました。作者は愚かです。
そういうわけで、フォルザ・ティアントはグローリア伯爵の弟の娘、つまりクラリスの従姉というふうに訂正しました。感想においてご指摘いただけて、ありがとうございました。作者は愚かです。
よかったら引き続き、本作をよろしくお願いします。
次回から主人公視点に戻ります。
感想いただけると嬉しいです。




