第九話
宇治キャンパスの地震予知研究センターに着くとちょっとした騒ぎになっていた。数値解析担当の後藤助教が打ち合わせスペースに小型のプロジェクターを持ち出して屯鶴峯のひずみ計の数値と奈良地震の震源域のデータを並べて何やらまくしたてている。他の研究域の助教や教授も集まり始めてちょっとした討論になっていた。
「屯鶴峯の数値異常は機器の故障ではなかったように思います」
「こんなおかしな数値、ここ50年間見たこともないぞ」
「えぇ、たしかにとんでもない数値です。が、機器自体に異常はないようです」
「阿武山や逢坂山の観測所では特段の異常は認められていない。屯鶴峯だけで捉えるとは考えにくいのだが……」
「もし先日の地震の前兆を捉えていたのだとしたら、なぜ昨晩ふたたびおかしな数値が観測されているのだね?」
「今回の地震は本震の規模や深さのわりに余震があまりにも少ないと思うのです。先日の地震が本震ではなくて前震だとすれば……」
「もともと大きな地震の少ない陸域の古い断層帯でもあるし、中央構造線からも離れている。GPS解析で想定されていた歪み蓄積量とほぼ一致するマグニチュードの本震であったことを考えれば、すべてのエネルギーが解放されたと見るべきではないのかね?」
「……その中央構造線の想定自体が誤っているのではないかと思うのです」
「……どういうことかね?」
「西日本を東西に横断している中央構造線は皆様もご存知の通り、九州から四国を通り、紀伊半島中央部を横切り渥美半島へと抜けています。紀伊半島の西側は1000年に5m程度動くA級活断層帯ですが、東側はここ数千年動きがみられません。同じ断層帯と想定するには無理があるように思うのです」
「動きの遅い陸域の断層帯を1000年オーダーで見ても仕方があるまい」
「南海トラフに蓄積された歪みの抜け道となっているだけではないのか?」
「……もしかすると君は構造線が奈良盆地から北へ屈曲していると言いたいのか」
「はい。しかも現在進行系で」
「それはまた大胆な思いつきだな……」
1885年、ドイツの地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマンによって提唱された中央構造線。約7千万年前の白亜紀後期にその活動のピークを迎え、その激しい断層運動は日本の現在の形を決定づけるものとなった。約2300万年前から始まった新第三紀には、紀伊半島から四国へ渡る新期中央構造線が形成され、その特徴的な右横ずれ運動は、奈良県西方の金剛山地南から淡路島南端をかすめ、徳島から吉野川北岸を経由し、愛媛県は佐田岬半島へと抜ける極めて特徴的な地形となって現れている。
日本の近代地質学の基礎ともいえるこの大構造に疑義を差し挟む助教の「思いつき」は、日頃から自由闊達な意見交換を是とするこのセンターにあっては、むしろとてつもなく魅力的な妄想と認知されたらしく、日頃数理モデルの構築やGPS衛星データ解析などに従事する教授陣までもが夢中になり、目を輝かせて話し始めた。
「……結局のところ、みんな画面見るだけの生活に飽きてたんだな」
そう呟く長野のポケットでスマホが唸る。
〈稔くん! 車だして!!〉
……今度はどこ連れてけってんだ? 研究員さまは。