第八話
「あんアホ倅」(登弥神社宮司さん談)が社務所から持ち出した大量の書類に紛れていたダンボール4箱分の「古文書」は、どう贔屓目にみても江戸時代末期くらいの代物だった。曰く、「登彌の宮司たるもの文書絶やすことなく子々孫々まで書き伝承へ、帝より賜る詔に備えるべし」とのこと。ってコトは先代の宮司さんが書き遺した文書かしらコレ? 「……完璧犯罪じゃんこれ」とかブツクサ言いながらお部屋までダンボール上げてきてくれた先輩にとりあえず麦茶出しておいて早速読んでみる。わースゴい! これ結構いっぱい書いてあるヤツだ……。
「……だいたいからしてなんで捜査に紛れ込んでんだよ。お前」
「先輩知らないの? 家宅捜査って地検のいろんな支部から検察官とか事務官集めてやるからお互い初対面だったりするの。当たり前って顔してりゃバレないわよ。そもそも文書は耐震偽装には関係ないし、持ってったって誰も損しないし……」
「なんかむちゃくちゃだなぁ……で、なんか見つかったのか?」
「龍について。特に龍がのぼった時にどうすればいいのか細かく書いてあるの。どうしてそうしなきゃならないかは全然書いてないんだけど、鶯塚と朱雀大路と……それから闇? に行けって」
「鶯塚って若草山のあれだろ。朱雀大路は平城京のだよな……で、闇ってのはなんなんだ?」
「夜、のコトかなぁ? ココに丑三つ刻って書いてあるし」
「それっておかしくねえか? ろくに明かりもねえ時代になんでわざわざ真夜中なんだよ?」
「それ書いてあったら苦労しないわよ」
「そもそも龍ってなんなんだよ?」
「……それ知らないで話してたの? いままで」
「……お教えいただけますか? 研究員さま」
「……ったく」
7世紀後半、時の天武天皇により設置された陰陽寮。律令制に基づきおかれた八省のうち最も重要とされる中務省に属し、天文・暦そして占いを司る部局として多くの陰陽博士や陰陽師を抱えたこの最高学府の活動は、当時の朝廷の国家機密とされていた。観測や研究の成果は奏書に厳封されたのち、時の天皇へ密奏され、日食や月食、惑星の動き、流星や彗星といった当時凶兆とみなされていた天文現象を把握することで権力基盤を強化する礎とされた。
当時の天文道は中国渡来の知識体系に独自の改良を加え、月の満ち欠けや潮の満ち引きはもとより、日本国外における日食や月食まで予測しうるほどの精度をもっており、そうした現象をあらかじめ知る占文は秘中の秘とされ、奏上後は速やかに破棄され、その記録や内容の一切は抹消された。
こうして隠蔽された数々の術のなかに、地を這う龍に纏わる一連の秘呪があった。天と地とは相対するものであり、天体の運行を知る上では地の動きを占うことが当然とされた時代、既に原始的な地震予知が行われていたという事実は、前述のような事情もあり、あまり知られていない。
天体の観測と異なり、地の観測には多くの人員が必要となる。地鳴り、山鳴り、怪発光、地下水の増減、温泉の濁り、動物の異常行動、作物の生育異常など、龍に纏わる様々な情報を市井に気取られることなく収集するため、朝廷に連なるすべての機関には各々別々の任務が与えられた。中でも龍が姿を現す地点――現代科学の言葉を借りれば活断層の露頭部分――に建立された神社は、龍脈(活断層そのもの)を鎮めその動きを見定める役割を担っており、今も神社に残る地鎮祭などはその伝承が儀式化したものに他ならない。
時代が下り、律令制が衰退し、ひとたび治安が悪化すると、こうした息の長い冗長な役務は廃れ、不完全な口伝と僅かばかりの文書、そして形骸化した儀式だけが後世に伝えられることとなった。
「……って、おばあちゃんが言ってた」
「なんだよそれ、っていうかそのおばあちゃん何者なんだよ!?」
「あれ? まだ話してなかったっけ? ウチの実家本業は神社で、おばあちゃんはそこの元巫女さん」
「知らねえよそんな話!? じゃあ製作所っていうのは??」
「あぁ、それも神社流れ。地を測るのに必要な道具、先祖代々作ってきたから……」
「……そういうこと、先に言うもんじゃないの? っていうかだからヤマトなのか?」
「せいかーい。よくできましたぁ」
「あのなぁ……」
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屈託のない最高の笑顔をふりまいて古文書に戻る香住。いつものがさつな作業服ではなくきっちり着込んだスーツが均整の取れた体のラインをなぞっている。控えめなメイクはただでさえ整った顔を一段と引き立たせ、理知と好奇心でいっぱいの眼差しが文書に記されたくずし文字を丹念に追いかけていく。正直こんなのとこんな狭い部屋(←四畳半フロトイレ別だぜ! 今どきありえねえよな女の一人暮らしが)に居たら息がつまって仕方がない。
「……じゃ、院でやることあるんでこれで帰るわ。麦茶おおきに」
「はーい。ありがとうね、稔くん」
築50年の木造2階建てアパートの錆びついた階段を軋ませながら降りる。結局聞きそびれちまったけど、もしかして香住って巫女か何かなのか? 知り合って5年になるのにアイツのことろくに知らねえよな、実際。
理学部にいた4年間は資料とデータに埋もれる毎日だった。断層をほじくり返してトレンチ調査したり、山ん中歩き回って地震計設置したりってのを想像してた身としては、こんなに長い時間モニターの前に座って大量のデータを扱うことになるとは思いもしなかったけれど、地球シミュレーターを使った大規模計算や地震波解析なんかをやらせてもらえてそれはそれで充実した日々だった。山ん中歩き回るのは「酷道・険道サークル」でそこそこやれていたし、な。
で、全国各地の高感度地震計やひずみ計から送られてくる膨大な量のデータからノイズを除去して有意な変化を抽出する、なんて気の遠くなるような作業に、もう少し近道がねえのか? って思い始めたのが3年の夏。半分決まっていた地元企業の内定を断って院に進んだのが去年の春。院に入ってデータ解析にビッグデータ用のAIを組み込もうとかいろいろ始めてすっかり疎遠になっちまったサークルで、ただ一人最後まで活動を続けていた香住が突然、「非常勤研究員」なんて訳のわからない肩書でやってきたのがつい3ヶ月前のことだ。
助教の話だと、観測所の機器の保守契約を結んでいた会社が2月に倒産しちまって、別の会社から見積もりをとったらとんでもない金額で、古株の教授が昔の伝手で連絡をつけた製作所の一人娘がなんと吉田キャンパスの文学部にいるらしい、ってことで即雇用したんだそうだ。ほんとみんな適当だよな、実際。