第十話
暑いっていうか暗いっていうか相当無理……。ようやくまともなダイヤで動き始めた近鉄けいはんな線に乗って、生駒駅から生駒ケーブルに乗り継いで、霞ヶ丘駅で降りて登山道を北へ進み、GPSの示す数値通りに山腹に分け入った私。初夏の旺盛な下草と頭上に生い茂る樹々に阻まれて行きたい方位に進むことがなかなか困難な感じ。藪漕ぎ上等ってわりにまともな登山靴と作業服で来てみたけれど、獣道すらない山の中歩き回るのって想像以上にマゾいわね。
だいたいからしてあの古文書がイケないのよ。4箱目のダンボールから見つかった絵心ゼロな図録。鶯塚と平城京が並んで描かれたその遥か左まで引かれた直線の先に、小さくぽつんと置かれた「闇」の文字。もしかして、と思ってこうして辿る生駒山標高342mラインは想像以上にただの山だった。
図録を見た瞬間に思い浮かんだ想いを3秒後には「……まさかね」で終わせようとしてみたのだけれど、結局こうして来ちゃった挙げ句3時間以上うろついてる私は多分ただの馬鹿だった。
藪蚊はスゴいし、足元は斜めってるし、汗まみれのうなじに得体の知れない葉っぱだかなんだかが張り付いてるし、陽も傾いてきたしでもんなんだか……
不意に下草が途切れる。
「え゛? マジか??」
藪が途絶えた先には30㎡ほどの空間が広がっていた。頭上に広がる広葉樹から遠慮もなしに垂れ下がる枝葉の下、落ち葉と土とに覆われた巨石が横たわっている。巨石の山側には大きな窪みのようなものがあって、そこから谷側に向けて幾筋かの溝が彫り込まれ、その先は崖。東には樹々に縁取られた奈良盆地が見えている。
「まさか……」
GPS端末を真ん中の溝に合わせて方位を調べる。ビンゴ! 切っておいたスマホの電源を入れてさっそく稔くんに電話。
「もしもーし」
「香住! どこ居んだよっ!? こんなとこに呼びつけといてまったく……」
「ごめんねぇ、そのまま日没まで待っててくれる?」
「あ゛?? 日没ってどういうことだよ!!」
「日が沈んで暗くなるまでってコトよ」
そんなん知ってるし、っていうか意味わかんねえよ!! などと騒いでる稔くんを断話キーで電波の向こうに仕舞い込んで、もう少し観察。山側にちょっと行った先に小さな岩場があってそこからちょろちょろと湧き水が出ている。石畳が巨石まで続いていて、常に湿り気が維持されるような工夫が為されている。大雨が降れば湧き水も増えて溜まった落ち葉や土を一掃する仕掛けみたい。
「ホントに、あったんだ……」
巨石の上に大の字になって一休み。生駒山地にはあるはずのない桜色の花崗岩を磨いて作った御影石。産地は……岡山あたりかしら? 1300年も昔にこんなモノどうやって運んだんだろう? そもそもコレが思ったとおりの代物だとしてどうやって……まぁ、惑星の動き読めるくらいならワケないかもね。
夏至に近い息の長い陽もいよいよ傾いて、奈良盆地の何もかもが赤く染まり、山腹にひんやりとした風が流れ込んで樹々をざわつかせる。夜の虫たちが鳴き始め星々が輝き出す頃には、上層の筋雲を染める最後の残照も消え、上弦の月が所在無げに浮かんでいた。そろそろ見えるかな? 稔くんおまたせ〜。
「……で、どうしたらいいんだ?」
「そこから生駒山のほう見ててね」
「生駒山? そんなん見てどうす……?」
「見えてる?」
「なんか……光ってる」
「おーい。ここだよー」
「はーい。見えてるよー……って、お前そんなとこいるのかよ!?」
ここから稔くんのいる若草山の鶯塚までは直線距離で約15km。坑道探索用の強力LEDライトで届くってことは篝火なんかでも十分イケるわよね。
たぶんこの巨石の上には小さな炉があったんだと思う。当時、たたら製鉄に使われていたような高温の出せる炉を光源にして、磨き抜いた御影石を溝の上に格子状に並べてスリットを作り、限りなく点に近い光点を実現したのだと思う。
まず最初に鶯塚に光を向けて、この巨石との間に仮想の水平線を引いて基線を作り、そこからスリットを徐々に動かして光軸をずらし、その様子を若草山腹や平城京の朱雀大路から観測して角度を出していけば奈良盆地全体の精密な測定ができるって寸法。たぶん各々の観測地点で篝火を焚いておいて光点が見えたら隠すとかいう段取りだったんだと思う。
「……で、この壮大なライト遊びにはどんな意味があるんだ??」
「いやね、大文字焼きの起源ってコレなのかなぁ、なんて……」
「……修士にもわかるように説明していただけませんか? 研究員さま」
「山焼きして篝火を並べて測っているうちに、地元の一般市民が、いいぞもっとやれ! とか言い出したんじゃないかなぁ、って」
「……いや、そういうことじゃなくて」
「たぶんね、私たち奈良時代のひずみ計を見つけたんだと思う」
「……は?」
この方法を使えばグリッド状の大路を持つ平城京を使って三次元的なひずみの観測もできるし、長岡京や恭仁京といった度重なる遷都も、単純に観測地点を多くしたかっただけのコトなのかもしれない。奈良盆地に潜む龍の行方を占うため、そうまでして……
「……お前、凄いライト持ち込んだんだなぁ」
「え?」
「こんどは全体的に光ってるぞ、緑色に」
「え? 消したわよ、ライト」
「光ってる光ってる、なんかすげぇ綺麗だなぁ……」
稔くんの声にバリバリというノイズが混ざり、虫たちの鳴き声が途絶える。不意に訪れた一瞬の静寂を夜鷹のけたたましい鳴き声が破った。