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03 転生者、旅立つ

 1892(明治25)年の五月下旬。

 大人(変身スーツ)姿のナルヒコが家出して向った先は、里家のある岩倉村ではなく、京都の隣にある亀岡町であった。

 「……ふーっ、食った、食った。女将さん、こんなうまい飯は、ひさかたぶりだよ」

 変身スーツの補助があったとは言え、空腹な身の上で、ここまで歩き通しであったナルヒコは、満面の笑みを浮かべて礼を述べる。

 「嬉しいことを言ってくれるね……お客さん、この後はどうされるんだい?」

 逞しそうな中年の女将が、手に持った鉄瓶からナルヒコの空になった湯飲みに熱い白湯を注ぎながら聞いてきた。

 「この辺りで、飯がうまくて長く泊まれる宿屋を教えてくれないか?」

 「それなら家に泊まるといいさ、丁度空きもあるし。泊まりは、何日ぐらいかい?」

 「そいつは運がいい。それじゃ、とりあえず一か月程泊めてもらえないかい?」

 「長いのはかまわないけど……」

 「心配しなくても金はあるぞ」

 そう言ってナルヒコは、上着のポケットから取り出した二十円金貨ニ枚を女将に見せる。当時の貧しい日本の家庭なら、四十円もあれば一年間暮らせるので、大金であった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 家出人のナルヒコが、どうしてそんな大金を持っていたのか。

 昨年、ナルヒコがロシア皇太子を助けた報奨金二千五百円(現在の価値で約一千万円)と、地質と関係の深い大地震情報の前世記憶から木材を大量に買い占め、その五か月後の十月に発生した濃尾地震の復興需要で大儲けしていた。その一部を、いざという時のために金貨で隠し持っていたのである。

 「! お金持ちなんだね、お客さん……でも、商売にしては泊まりが長過ぎないかい?」

 「商いじゃなくて、とある山の持ち主から有望な鉱脈がないか調べてくれと頼まれ、探し歩くから長いのさ。こう見えても、腕の良い山師なんだぞ」

 明治の前半まで鉱山の開発は国が独占していたが、資本主義経済の台頭で自由化気運が高まり、民間による鉱山経営の自由を認める法律(鉱業条例)が作られ、人々も山師の存在を耳にするようになっていた。

 「へえー、珍しい洋服を着ているから、山師に見えなかったよ──で、どの山にお宝がありそうなのかい?」

 「ハハハ、そいつは秘密だよ──そもそもお宝があるかないか、調べてみないと判らないし」

 ナルヒコの答えに、残念そうな顔をする女将であった。

 女将をはぐらかしたナルヒコであったが、彼は前世記憶で知っていた。この辺りには、大昔に地下深くで巨大なマグマが上昇する出来事があった結果、国内最大規模を誇るタングステン鉱脈をはじめ、様々な鉱脈が存在していること。

 それ故にナルヒコは、他者の鉱物探索防止と将来採掘のために、地震特需で大儲けした金のほとんどを使って、亀岡町にある行者山一帯の土地を買い占めたのである。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 監禁による疲労もあって、変身スーツを着て大人姿のままナルヒコは、宿屋に丸二日も籠もって身体を休めた。

 宿泊三日目の朝、ナルヒコは、女将の伝で手配してもらった新聞を部屋で広げ読んでいた。

 「へぇ~、プロシア政府から血清療法等の功績で、”大博士”の称号を授与された北里柴三郎が帰国か……」

 記事を読んでいたナルヒコは、企みを思いつき悪い笑みを浮かべた後、本来の目的である自分の家出に関する記事探しに戻る。

 「……家出記事はなしか。末席でも宮家の王(子供)が消えたのだから、警察が動いて騒ぎになるかと思ったけど……女将から聞き出した噂話にものぼっていないし、煩わされる心配はなさそうだな」

 懸念も消えたナルヒコは、女将に作ってもらった握り飯を持って宿を出発し行者山に向う。

 行者山は、標高五百mもない山だが、役の小角が修行した場所と言われるだけあり、道もなく木々と岩が多く、登るのは中々に大変であった。それでもナルヒコには、登る途中で見かける鉱物入り石英塊等、お宝が入っていそうな石の多さに、気分も足取りも軽かった。なお、この地にタングステンで有名な大谷鉱山が開かれるのは、1914(大正三)年になってからであり、明治末に銅山として最初に開発されるまでは手つかずの地であった。

 ナルヒコは、休憩をはさみながら行者山を歩き回り、目的に合いそうな岩壁を探し出す。

 「……立地的にここが良さそうだな──K、ここでどうだろうか?」

 ナルヒコが、二十m以上ありそうな高い岩壁を見上げながら問い掛ける。

 (ここでいいわ……増殖は、地下で回収できる量に左右されるから、完了が何時になるか判らないので、定期的に訪ねてね)

 「了解。頑張って増殖し、早く二十四時間活動出来るようになってくれ──僕の歴史改変計画のためにも」

 そう言ってナルヒコが、伸ばした右手で岩壁に触れると、手の平から抜け出したKは、硬い花崗岩にもかかわらずスーッと中に入っていった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 ナルヒコが、宿屋を拠点に山師の振りをして、毎日の行者山通いで一週間が過ぎた。

 今日も何時ものようにナルヒコが、Kと別れた場所の岩壁を右手で触れると、何の抵抗なく手が岩の中へ入ってしまう。

 「!? 光学偽装か……Kの増殖が終わったようだな」

 顔を綻ばせたナルヒコは、偽装岩壁の中へ身体を進めると、通り抜けた先の暗い洞窟には、幾千幾億もの青い星が煌めいていた。

 それは、天井から目に見えない紫外線が、洞窟の左右の壁面並びに地面を照らすことで、散りばめられた灰重石(タングステン酸塩鉱物の一種)が反応しての光であった。

 「……以前川でリクエストした件を、こういう形で実現してくれるとは……Kも粋な歓迎をしてくれる」

 ナルヒコは、洞窟内の幻想光景を堪能しながら、洞窟を下って行く。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 ナルヒコの感覚的に一時間近く下った所で幻想空間は終わり、暗闇の先に明るい光が見えた。

 「やっと終着か」

 ナルヒコが、歩く速度を早め、暗い洞窟から明かるい空間に足を踏み入れるも、眩しさの余り目がくらみ立ち止まってしまう。

 漸くして目が馴れると、ナルヒコは周囲に視線をめぐらしつつ、歩みを再開する。

 「すごいな……良くこの短期間で、サッカースタジアムが丸ごと収まる大空洞を作り上げたものだ……それに地下とは思えない野外並に明るい照明まで完備……今のKならば、地下都市建設だって楽に出来そうだな」

 ナルヒコが、大空洞の天井を見上げて感心していると、近くの岩床から突然銀色の柱が音もなく次々に湧きあがり、見る見る間に合体し膨れ上がって十mを超える小山となる。

 その銀色の小山は、表面のあちこちをうねうねさせており、その光景にナルヒコの心情がポロッと漏れる。

 「でっかいスライムやなぁ……」

 すると銀色の小山から触手が一本勢い良く伸び、ナルヒコをベシっと叩く。

 「再会の第一声がスライムとは──下等な存在と同列に見られるのは、心外の極みですわ!」

 轢かれたカエルのように、四肢を広げて地面にうつ伏せになったナルヒコの背中の上から、お怒りなKの声が浴びせられる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 土下座したナルヒコの前には、二十代半ばぐらいの眼鏡をかけた知的な顔だちの金髪美人が、銀色の小山を背後に従え(?)、紺色のレディーススーツ姿で腕組みをして立っていた。腕組みのせいで、彼女のたわわなオッパイが一層盛り上がり、ナルヒコの視線を釘付けにする。

 「……良く良く反省するように──次はないわよ」

 「──肝に銘じます」

 ナルヒコは、背中をピンと伸ばしたまま即答する。

 金髪美人に土下座を解く事を許されると、ナルヒコは気になっていた事を彼女に尋ねる。

 「増殖を終えたようだけど、何故分離して人間──それも美人の姿に?」

 「第一活動体に進化した今の私(本体)では、人目に触れず行動するには、いささか支障があります」

 金髪美人が、銀色の小山を振り返りながら答えた後、彼女は身体の向きをナルヒコの方へ戻して話を続ける。

 「小惑星衝突で行方不明の母船の手がかりを探すには、貴方から提案頂いた、人間そっくりに擬態した端末で広く人類社会に入り込み情報収集するのも有効と判断しました……容姿の方は、人間社会を動かす主な勢力である男性は、美人に弱いという貴方の前世記憶を考慮した結果です」

 そう言って微笑む金髪美人に、黒いオーラを幻視するナルヒコであった。

 「ナルヒコ──先に交わされた約定に基づき、貴方の協力を求めます」

 金髪美人の改まった態度と口調に、ナルヒコは上半身──土下座の影響で未だに両足が痺れているので──のみ姿勢を正す。

「この身体──擬態端末は、今は私が動かしていますが、本来は学習能力のある思考器(AIの一種)が単独で動かし、私の耳目として人類社会に紛れ込ませる予定です。私の極小分身(ナノマシンの微少集合)を組み込んでいるので、どこにいても私と連絡出来る彼女を貴方の秘書として同行させ、擬態を十分な水準に仕上げて下さい」

 金髪美人が、白魚のような指で眼鏡のつるを軽く持ち上げると、彼女のまとう雰囲気が変わる。

 「始メ マシテ。マリア ト 申シマス。ナルヒコ様 ノ 秘書ヲ 務メ サセテ 頂ク 事ニ ナリマシタ ノデ、末永ク ヨロシク オ願イ シマス」

 マリアが、固い口調で挨拶をしつつ、立礼を行なう。

 「僕としては、歴史改変計画実施に信頼できる人手が欲しかったし、美人さんを秘書に出来るのは大歓迎だけど……この国だと西洋人は悪目立ちするからな……」

 悩まし気なナルヒコに、マリアが即答する。

 「身体色素ニ ツイテハ、コノヨウニ 変更処理」

 マリアの西洋人の特徴的な髪・目・肌の色が、魔法をかけたように日本人特有の黒髪・黒目・黄色がかった肌へさっと変わる。

 「──スレバ 問題 アリマセン」

 「! 人種的には問題ないか……でも、男尊女卑な社会だから、女性だと立ち入れない場所もあるよ」

 「ソレモ 大丈夫 デス」

 マリアが口の両端を釣り上げた直後、彼女の身体が──眼鏡や衣服等を含めて──粘土細工のように変形を始め、一分もかからない間に映画ター〇ネイターの男優そっくりさん──ただし、髪や肌等は日本人特徴の色──の黒服マッチョマンに変身してみせる。

 「質量保存の法則は、どないなっとんじゃ──っ!」

 ナルヒコは、思わず突っ込みをいれてしまう。

 「体内ヲ 中抜キ シテイル ノデ、質量ハ 変ワラナイ ゾ」

 声も変身にあわせて男の野太いものに変わっていた。

 能力の有用さを理解したナルヒコであったが、暑苦しそうなマッチョマン──マオと命名──よりも、目の保養になるマリアの姿へさっさと戻らせる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「ナルヒコ様 コレカラ ノ ゴ予定ハ?」

 足の痺れが解消し、ようやく立ち上がったナルヒコに、秘書の仕事をしようとマリアが問い掛ける。

 「う~ん……先ずは、飛行船を開発だな」

 「飛行船? ソレハ 創造主(K) トノ 約定ニ 関係スル ノ デスカ?」

 「ああ、Kの母船探索には、単独で世界中を巡る旅用に足が必要だろ?」

 「幸い、飛行船建造に必要な物は、この山の地下にある資源をKに回収してもらえば足りるだろうし、船の設計情報は、飛行船ヲタな僕の前世記憶にある物を流用できる。後は、Kの再構築能力で飛行船を建造してもらえばいい」

 「人目ヲ 引ク 飛行船ハ 探索ニ 支障ガ 出マセンカ? 既存ノ 移動手段デハ 駄目デスカ?」

 「探索で未開の奥地へ行くことになるかもしれないし、空を飛べて機動性のある飛行船が最適だよ。人目対策は、船体に光学偽装を展開すれば良いさ。Kの異星技術なら可能だろ?」

 「……創造主ヨリ 可能トノ 事デス」

 「問題なしだね」

 「とは言え、いきなり空の長旅に耐えられる有人飛行船の建造は難しいから、Kには無人小型機から試作してもらい、テストと改良を重ねる必要がある。それまでの間、Kやマリアらには、約定に基づいて僕の歴史改変計画のために、この国を陰から動かせる財閥形成の礎となる商会の育成に協力してもらいたい」

 「商売を通じて、他人とのコミニケーションで擬態学習は進むし、人脈の広がりは母船探索に関する情報収集等色々と助けになるものだし」

 「……創造主ヨリ 協力依頼ヲ 受諾 トノ 事デス」

 「それじゃあ早速、資金集めのため、Kには今から言う物を集め、とあるものを大量に作って欲しい」

 ナルヒコは、里家にいる時に将来の飯の種として考えていたアイデアで、商売を始めることにした。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 夏は蚊の季節。この時代、蚊取り線香自体は、既に1890年に棒状蚊取り線香が考案され販売されていたが、効果持続時間の短さ等の問題から余り普及していなかった。

 その問題の解決法を知るナルヒコは、棒状蚊取り線香を入手すると、Kの再構築・コピー能力を使って、渦巻形蚊取り線香を大量に増産。それを自らがオーナーとなって興した旭日商会が、社員(擬態端末)を大動員して大いに売り込んだ。その結果、この夏、渦巻き形蚊取線香は飛ぶように売れ、元手も人件費もただ同然故に、商会は巨額の利益を得ることに成功した。

 なお、史実では1895年頃に考案される渦巻形を、旭日商会に先取りされてしまった棒状蚊取り線香の考案者は、同商会の社員となったため、赤い鶏頭で有名な会社は、この歴史では登場しなくなってしまう。

 特許制度が黎明期である帝国では、偽物に頭を悩まされる所であるが、蚊取り線香の原料となる除虫菊の栽培が国内では僅かである以上、殺虫力のない偽物は、効用差明らか故に淘汰されるとナルヒコは考え放置した。

 とは言え、ナルヒコは商会の渦巻形蚊取り線香を守るため、その形状に関する特許及び型抜き械の特許を申請し、更に製造に疑念を抱かれないように工場も行者山の麓に建てた。そのついでに、ナルヒコは、世話になった里家の”兄”達を工場で雇用する。

 その工場から行者山にかけての地下には、Kが丹波の山々の土壌から回収した物で大量生産された渦巻形蚊取り線香の製品──数年分もの在庫──が、巨大なトンネル倉庫に治められ、安定出荷体制を確保していた。

 夏が過ぎ、帝国での渦巻形蚊取り線香の需要が終わると、旭日商会は、香港をはじめ蚊に悩むアジア諸国への輸出に力を入れる。

 こうして稼いだ金をコピー元にして、ナルヒコの指示を受けたKが、行者山の地下より回収した金・銅・錫で通貨を偽造し、数倍に増えた旭日商会の資金は、彼の歴史改変計画の準備に投じられる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 1892(明治25)年の初秋の東京。

 帝国ホテルの貴賓室の前で、どじょう髭を生やし眼鏡をかけた四十代はじめの男が、ドアの前で警護に当たっていた黒服の大男による身体あらためを終え、ようやく入室を認められた。

 (面会するのに、ここまで厳重にする相手は誰だろうか? 紹介してくれた長与(内務省衛生局の元上司)さんは、相手が誰かは事前に教えられないということだったが、状況的に華族の方かもしれないな)

 どじょう髭の男は、自分の望みが叶えられるかもと、期待に胸を膨らませて貴賓室に入ると、瀟洒な装飾の室内には、椅子に座る白いスーツ姿の子供と、その傍らに立つ変わった服装レディーススーツ姿の若い女性がいた。

 (面会相手は子供連れの女だと! 大博士の称号を持つ私を愚弄しているのか!)

 どじょう髭の男は、こめかみに青筋をたて、面会相手らしき者をギロっと睨みつける。入り口近くで立ち止まったままの彼を訝り、室内警護担当の黒服の大男が背後から声をかけ、席につくように促す。

 黒檀のテーブルを挟んで、子供と向かい合った席に座るどじょう髭の男は、テーブルの横のワゴンで、飲み物の給仕をする若い女性をいちべつし、鼻を鳴らす。

 (面会相手が、この若い女ではなく、まさか子供だったとは……)

 不機嫌さを増したどじょう髭の男ヘ、若い女性が優雅な動作で飲み物の器を出す。

 「お茶をどうぞ、北里柴三郎”大博士”。お会い出来て光栄です」

 敬意を払う言葉と、尊敬に溢れた眼差し(偽)を向ける美人の若い女性(日本人モードのマリア)に、己のプライドをくすぐられた北里は、コロっと機嫌を取り戻す。マリアの会話能力の向上と、相手を好意的にさせる手管は、彼女がこの夏の間に擬態学習した成果であった。

 給仕を終えてナルヒコの傍らに戻ったマリアは、どじょう髭の男が飲み物で喉を潤し、一服し終わるのを待つ。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「北里大博士、我が主の名刺をお受け取りください」

 北里は、子供を主と扱うマリアに、眼鏡の奥にある目に戸惑いを浮かべつつも、彼女が差し出した名刺を受け取る。

 「……京極宮ナルヒコ(──宮家の御方なのか!)」

 名刺を受け取った北里は、目の前の子供が予想以上に高貴な家柄であることを理解し、慌てて椅子から立ち上がり、頭を垂れ床に膝をつこうとするも、それをマリアが止める。

 マリアは、恐縮する北里を再び座らせると、用件を切り出す。

 「世界的に高名な北里大博士が、この国に伝染病研究所を一刻も早く設置すべきだとの訴えを我が主が耳にし、お話を聞きたいとのことです」

 (恐れ多くも宮家の御方にお話し出来るとは──これはチャンスだ!)

 北里は、緊張した面もちで説明をはじめる。

 「今より六年前の明治十九年、恐ろしい病気のコレラがこの国で大流行して、約十一万人もの方が亡くなる痛ましい出来事がありました」

 「「……」」

 聞き手側は、マリアは目を伏せて悲しげな表情(偽)を浮かべるも、ナルヒコは唖然とした表情を浮かべる。

 「その他に、天然痘、腸チフス、赤痢及びジフテリアと言った主な伝染病による死者も含めますと、約十五万人が一年の間に亡くなりました」

 (医療水準が低いとは思っていたけど、幾ら何でも死に過ぎだろ!)

 そう思ったナルヒコは、マリアに小声で耳打ちする。

 「国による伝染病対策は、どうなっているかとの御下問です」

 「このような事態に対して明治政府は、同年にコレラ予防仮規則を、更に明治十三年に伝染病予防規則を定め、下水やごみ溜めの清掃等の予防体制を取り組ませていますが……残念ながら、二年前(明治二十三年)にもコレラが流行し、約四万人もの方が亡くなってしまいました」

 「ご維新以降、明治政府は国をあげて工業化に取り組んで来た所ですが、近年欧米で急増している結核が、我が国でも広がっております。はっきりとした統計はありませんが、四万人近い方が毎年亡くなられていると思われます」

 北里は、この国の衛生状況の悪さから伝染病で命を落す者が多く、その結果この国の人々の平均寿命が短い(四十歳を下回る)等、伝染病対策は国として喫緊の課題であり、伝染病研究所の必要性を熱心に訴える。

 (この国の総人口が約四千万人しかいないのに、伝染病による死者多過ぎだろ。人口=国力に直結する以上、伝染病対策”も”真面目にやらないと不味いな)

 北里の説明を聞き終え、マリアが主に変わって北里に労いの言葉をかけた後、彼女はナルヒコと小声で相談を交わす。

 「……我が主からのお言葉です。北里大博士が提案する基礎研究と臨床研究を一体化した伝染病研究所の設立に協力する。その所長には貴方を任命するので、結核やコレラ等喫緊に対応すべき伝染病の予防・治療法の確立に取り組むようにとのことです」

 北里には嬉しい話ではあるが、目の前の小さな宮家の御方に、研究所を設立する力があるのか疑ってしまう。

 「ありがたいお言葉ですが……協力の具体的な中身は?」

 「二十万円(現在の価値で約八億円相当)程で、京都近郊にある土地に伝染病研究所を年末までに建て、運営費とは別に研究費として毎年二万円(現在の価値で約八千万円相当)を支給します」

 北里は、破格の申出に耳を疑う。

 「ほ、本当に毎年二万円もの研究費を支給して頂けるのですか?」

 北里が問い返すのも無理はなかった。研究費の確保は、多くの研究者の悩みの種であり、潤沢な研究費が継続的に約束されるのは夢のような話であったからだ。

 「はい。我が主は、御国のために必要なものへの支援は惜しみません」

 「……因みに、支援頂く資金は、皇室からでしょうか?」

 「違います……北里大博士は、渦巻形蚊取り線香というものをご存じですか?」

 北里は、唐突な話題を振られ、やや戸惑いながらも答える。

 「夏に家内が試しに買って来て、夜に使ってみた所、蚊に悩まされることなく安眠できました。それから毎日、渦巻形蚊取り線香のお世話になりました。アレは、夏には欠かせない逸品ですな」

 朗らかに語る北里に、ナルヒコは笑みを浮かべる。

 「その商品を取り扱っているのが、我が主がオーナーである旭日商会でして……この夏、大好評を頂いたおかげで、先程の支援を余裕で行なえる程に利益があり、我が主のご意向で御国のために使おうと検討する中で、今回お話を聞かさせて頂いた次第です」

 「そうでしたか……」

 話を聞いた北里は、幼いながらも臣民を思う宮家の御方に深く感銘する。

 史実では、慶応義塾長の福澤諭吉が、北里のために私費で伝染病研究所を用意する等の援助を行なったが、恩義の相手がナルヒコに変わった結果、北里は天使と悪魔の片棒を担がされる事になる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 北里との面会の翌日、夕方前の赤い煉瓦造りの烏森駅(今の新橋駅。東京駅がまだないこの時代、首都東京の南玄関)に近い通りには、主に着物姿の人々が大勢集まっていた。

 人々が、物珍しい西洋の音楽隊の演奏に聞き入っている内に、秋の日は釣瓶落としで辺りが薄暗くなると、突然、通りに規則的に並んだ何本もの柱の頂きにある白い板が、パッパッパッと順次点灯し辺りを強い光で照らす。

 「「「「おおっ!」」」」

 「お日様のように明るいぞ」

 「あの柱の上の板が、噂に聞く電灯とやらなのか?」

 「いやいや、俺が東京郵便局で見た電灯は、手のひら程に小さなガラス玉で、もっと弱々しい明るさだったぞ」

 人々は、驚きや興奮の言葉等を口々に語る。

 「皆さん! 我が旭日商会の新製品である”太陽灯”の明るさ、如何ですか?!」

 柱の下に作られた台の上に乗った、白いスーツを着たナルヒコ(変身スーツで大人姿)が、拡声器片手に太陽灯(行者山の地下大空洞の天井に使われている光子照明を転用した物)の口上を始める。

 「この太陽灯は、そこら辺にある電灯と違い、長~い電線も、良く切れる電球も不要な逸品──ですから、前年の一月におきた帝国議事堂焼失事件の原因である漏電による火事になる心配も、高いお金を出して電球を買い換え続ける必要もありません」

 「この太陽灯は、三つの板の組合せで、昼間のように明るくなる仕組みになっています」

 台の上に立つナルヒコが、長方形の板──A3用紙程の大きな板二種類、その半分(A4用紙程)の板一種類──を手に持って掲げて見せる。

 「先ずはこちらの黒くて大きい板──これをお住まいの屋根や外壁とか、日当たりの良い場所に設置することで、お日様の光を蓄えます。室内が暗くなったと思ったら、こちらの鼠色の小さい板に表示された案内に従って指で触れると、室内の天井に設置した白くて大きい板からお日様の光が輝き出すという仕組みです」

 「因みに、この鼠色の板は、ここを触ると──はい! 時刻を表示する時計に早変わりします」

 「「「「おお!」」」

 「それでは、この鼠色の板をお貸ししますので、太陽灯が子供でも簡単に使うことができるのを体験してみて下さい」

 名乗り出た男の子が鼠色の板を受取り、各絵アイコンに軽く触れるたびに、頭上の太陽灯が変化する。鼠色の板は、次々に持つ人が変わり、彼らは太陽灯の操作を遊び感覚で楽しむ。

 子供の何人かが、太陽灯の柱に登ろうとするのを、柱の横で監視している社員の男(擬態端末)達に止められる。

 この当時、東京を始め主要都市で電灯の普及が進み出していたが、日本初の電力会社である東京電灯会社でさえ、昨年半ばに一万灯に達したレベルであり、電灯はまだまだ物珍しい物であった。

 「皆さん! この太陽灯を自宅に欲しくはありませんか?」

 その問いかけに対して、望むと声をあげる者は少なく、ほとんどの者は諦め顔で押し黙っていた。

 「電灯なんて、高い料金をずっと払えるのは、役所か、金持ちか、大きな商会ぐらいしかない! そんな大金、俺達庶民にあるはずがないだろ!」

 怒ったように発言する若い男に、回りの人々が賛同の声をあげて追随する。

 「……確かに! 既存の電灯の料金が高いのは事実です──それに心を痛めた私は、庶民の家全てに灯を届けるにはどうしたら良いか日夜考え、工夫を重ねました……そして電灯を越える画期的な太陽灯を発明し、これを家庭用に限り無料貸与することに決断致しました!」

 話を聞いていた人々は、驚き、聞き間違いではと隣の人に確認したりと、辺りは騒めき立つ。

 「「「「本当なのか?!」」」」

 「はい! この太陽灯を知って頂くために無料でお貸しします! ……だだし! 無料貸与するものは、灯となる白い板が一枚、一日に五時間までという制限がつきます。なお、白い板を追加したい方、利用制限のないもの、あるいは仕事場用を望まれる方は、有料とさせて頂きます」

 「無料貸与の期間は、何時までなんだ?」

 先程の若い男が、用心深げに尋ねる。

 「期間はありませんが、お住まいで太陽灯に契約者と住所の登録を済ませて頂いた以降、それが変更になる場合は、我が商会の支店で変更登録が必ず必要です……この手続きをしないと、太陽灯は使えなくなるように仕掛けがしてあります──盗難防止のためですので、ご理解下さい」

 「それでは、今から太陽灯をお配り致しますので、各柱の下に立つ社員の指示に従い、列を作ってお並び下さい──多くの家庭に行き渡るように、無料貸与の太陽灯セットは、一家で一つ限りにさせて頂きます!」

 人々は、我も我もと柱の横にいる社員に群がる。機転が利く大人は、我が子をご近所さんの家へ走らせる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 十二月の澄み切った青空の下、北里は迎えに来たマオが運転する自動車に乗って、行者山の麓に完成した伝染病研究所の視察に向かっていた。

 「この電気自動車は、実に素晴らしいものですな……エアコンとやらで室内は温かく快適で、悪路でも乗り心地は良い上に、馬車よりも速い」

 後部座席に座る北里は、しみじみと感想を漏らす。

 「私がベルリン留学時代、ガソリン自動車(ゴットリープ・ダイムラーが1889年に開発した自転車型四輪車)に乗った経験がありますが……アレは速さ以外は、吹きっさらしで振動もひどく、馬車より劣る酷い物でした」

 北里は、思い出して苦笑いする。

 「とは言え、欧米の高い工業技術の足下にも及ばない我が国では、国産自動車は半世紀は無理だろうと思っていましたが……試作車とは言え、こうして国産車に乗れるとは感慨無量だ」

 「高い評価頂き、ありがとうございます。商会で研究に携わる開発者達の励みになるので、北里大博士のお言葉を伝えます」

 「ああ、一日も早く欧米でも売り出して欲しい。欧米では、医学をはじめ工業技術でも我が国は劣っていると見下されている。この車ならば、欧米の車にも負けることはないから、来年(1893年五月から)米国で開かれるシカゴ万国博覧会に出してみてはどうかね?」

 「ご提案は、ありがたいのですが……この試作車でも開発者達には納得いかない点が多く、未完成な車を関係者以外にお披露目するのはまかりならぬと言っており、出品は難しい所です」

 マオの回答に残念そうな顔をする北里に、マオは補足する。

 「次回開催される万国博覧会に商会は参加を決めており、この国の科学技術の優秀さを欧米諸国へ知らしめてみせますよ」

 マオが、自信に満ちた声で断言してみせると、北里は満足げな顔をみせた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 伝染病研究所に到着した北里は、マッチ箱を二つ並べたような、地上三階建ての建物を見上げていた。

 「勤めていた内務省衛生局の建物よりも大きいが……飾り気が一つもなく、欧州の研究所と比べ威厳さに欠けているように思えるのだが?」

 北里が、案内役のマオに不満を漏らす。

 「前年におきた濃尾地震にも耐えられる構造にした結果です。地震のない欧州とは違います。贅沢な建築材を止め、無駄な飾りを省いて、その分を内部の設備や器具等の充実に当てたのですが、余計なお世話でしたか?」

 マオの回答に、北里は口をヘの字に曲げる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 北里は、基礎研究棟及び中央の臨床研究棟(病院)を一通りマオの案内で見て周り、その感想を口にする。

 「建物に入る前は半信半疑でしたが、見せて頂いた設備・機材等は、帰国途中に訪問したパストゥール研究所にも勝るとも劣らぬものです」

 「特に、旭日商会で開発した試作品の光子顕微鏡と体内透過撮影装置は、医学に革命を齎す画期的な発明ですな。この二つの発明を用いれば、我が国の医学は欧米を追い抜くことが出来ると断言します!」

 建物に入る前とは変わって、ご機嫌な北里の饒舌な話をマオは適当に流しつつ、基礎研究棟の地下にある厳重に隔離された区画へ彼を連れて行く。

 「秘密区画へ、ようこそ北里大博士」

 白衣を着込んだナルヒコ(子供姿)が、手すり柵の前に立ち、両手を広げて北里を歓迎する。しかし、北里の視線は、ナルヒコの背後の柵の間から見える階下の奇妙な光景──シャーレに似た容器を大量に収納した背の高い透明な棚やタンクが延々と奥まで並ぶ様──に釘付けになる。

 「……ここは、何のための部屋なのですか?」

 北里は、宮家という直接の会話がはばかりがあるナルヒコに確認する訳にもいかず、マオの方を向いて尋ねるも、その配慮は報われなかった。

 「”薬”候補の抗生物質を探しいるんだよ」

 以前面会した時とは違い、ナルヒコが実に気軽に直答して来たため、北島は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をする。

 「公式の場じゃないから、ここでは儀礼に拘る必要はなしで。会話もは平素のものでかまわないから」

 「……」

 困った北里が、マオの方に顔を向けると、うなずくことで問題ないと合図を示す。

 「……お言葉に従います……先ほどの抗生物質とは、何でしょうか?」

 「微生物が生み出し、病原となる微生物の発育を阻害する物質だよ」

 「病気の原因になる微生物が、薬を作り出すのですか?」

 「そうだよ。例えば、古くなった餅に良くはえる青かびだけど、これから精製した物質──僕はペニシリンと呼んでいるもの──は、梅毒に高い効果があると実験で判明しているよ」

 (危険な水銀等を使わず、忌まわしい梅毒の治療法が、そんなに簡単に発見される訳が……いやいや、それよりも小さな宮家の御方に性病の事を教えたのは誰だ!)

 北里は、頭が痛そうな面もちで、こめかみを両手でもみだす。

 その様子を見たナルヒコは、北里の悩みも知らず、白衣のポケットから瓶を取り出し、中の錠剤を何粒か手の平に乗せて、北里に差し出す。

 「頭痛なら、この薬が良く効くよ?」

 「……この薬の成分は、何でしょうか?」

 「柳の鎮痛成分であるサリチル酸を、胃痛の副作用の原因である酸性度を下げるために、無水酢酸を作用させて合成したアセチルサリチル酸(ア○ピリン)だよ」

 北里の下顎が、カクンと落ちる。

 「(世界で初めて、薬を人為的に合成しただと──っ)!」 

 北里は悟った。この小さな宮家の御方は、ベルリンで最新の医学・薬学の知識を得たと自負する己の常識を、悉くぶち壊してくれるとんでもない人物であると。

 数年後、旭日商会から発売された鎮痛薬(特許取得済み)は、世界中で売れに売れ、列強諸国からもマネーや金塊をたっぷり吸い上げる事に貢献する。

 秘密区画をナルヒコから任され北里は、提供された膨大な抗生物質(Kの収集物)の中から、様々な伝染病等の薬を日夜探した結果、一年もかからずに結核等の臨床試験にこぎ着けた。

 その裏では、ナルヒコが研究所を設立した真の目的のために密かに動いていた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 旭日商会は、東京を皮切りに、人口十万人以上の他の大都市(横浜、名古屋、京都、大阪及び神戸)でも順次、同様のイベントを行った。

 新規参入の旭日商会が、先行する競合相手に勝つために行なった、無料貸与や宣伝用の太陽灯式外灯の無償設置という奇策は世間の評判となり、太陽灯は庶民の家々へ急速に広がるとともに、仕事用を中心に有料の契約も増加して行った。

 鰻登りな太陽灯の需要を受け、行者山のKが大車輪で太陽灯を増産し、遠い大都市への製品輸送には、汽車だけでは足りず、運航テストも兼ね、試作した小型無人飛行船を密かに動員する。

 やがて、太陽灯の評判を聞きつけ、日銀が日本橋で建築中の本店の照明に採用、更に明治政府の関係者より米国で翌年五月から開かれるシカゴ万国博覧会で、日本館”鳳凰殿”の夜間照明を打診され、旭日商会は協力することになった。この時外務省に伝を得た旭日商会は、米国をはじめ列強にある公使館等への太陽灯の無料設置を申し出た。

 これらのことが新聞記事になった数日後、帝国議事堂焼失事件の影響で、電灯点火が休止している宮内省から、太陽灯設置の打診が旭日商会へ舞い込んだ。

 こうなると、無償貸与というやり方は直ぐに行き詰まり潰れるだろうと旭日商会を嘲笑していた競合相手は、慌てて妨害──太陽灯で出火とのデマ、太陽灯式外灯の破壊等──に出る。しかし、偽造通貨という鬼札で資金力の尽きない旭日商会による、大量に雇った訪問販売員と無料貸与の物量攻勢の前に、太陽灯登場から一年も経たない間に競合相手は悉く破れ、倒産又は事業を縮小していった。

 旭日商会は、六大都市での灯事業を独占出来る状況が整うと、地方都市や農山漁村への太陽灯普及にも積極的に乗り出す。

 更に、シカゴ万国博覧会での太陽灯の評判を切っ掛けに、引き合いの多かった米国へも進出することになった。

 1893年当時の米国は、行き過ぎた鉄道網拡大の破綻に加え、1880年代からの農業不況や通貨問題等が重なって金融不安が発生して、国が保有する金の流出が続いて経済も不況に陥り、六月には恐慌が発生して何百もの銀行や企業が破綻していた。この状況は、太陽灯が米国市場で拡大出来る絶好の機会であり、ナルヒコは儲けたマネー分の米国の金保有量を減らして、国力を削れるとの思惑により米国進出を決めた。

 進出を決めたとは言え、米国人への擬態学習不足、国内での太陽灯普及を優先する旭日商会としては、当面の間、米国進出は現地企業による代理店方式を選択することにした。その相手に選ばれたのは、経営困難に陥った鉄道会社を次々に買収していたJ・P・モルガン(後の大財閥創始者)が、出資(支配)している電灯事業を手がけるGEであった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 時は、京都近郊で梅の花が咲き始めた1893年の二月に戻る。

 ナルヒコ(子供姿)は、マリアから有人試験飛行船完成の知らせを受け、行者山の秘密洞窟──直径が大幅に拡幅されており、巨人族でも通れそうな代物──を通って、地下の大空洞を訪れる。

 しかし、大空洞には、飛行船は影も形もなかった。

 「……マリア、完成した飛行船は、別の場所にあるの?」

 ナルヒコが、一緒に来たマリアに尋ねると、彼女は黙って中央の何もない空間を指さす。

 「……ああ、そうか。光学迷彩で姿を消しているのか」

 「ご名答ですわ……迷彩を解除します」

 マリアの言葉に反応し、広い空間の約半分を占めるサイズの漆黒色の飛行船が出現する。

 「……デカい! 完成するまで秘密だと言ってKが見せてくれなかったけど、大型ジェット旅客機を超える全長七十五mは、想像以上に迫力があるな」

 感動したナルヒコは、飛行船を様々な角度から鑑賞しようと、飛行船の周りをゆっくりと回る。

 「伯爵の名を冠するツェッペリンNT号をベースに、飛行船の特徴である下部のゴンドラをなくし、操縦室等を船体内に収めた結果、実に優美な船に仕上がった」

 そう言ってナルヒコは、次に船首下部に近づくと、腰に下げていたロック・ハンマーで外殻を思いっきり叩く。

 「……傷一なし……数ミリしかないにも関わらず、一m2当たり十トン以上もの圧力にも耐える強靱さ──Kの異星技術は驚異的だな。この超軽量で強靱な材ならば、もっと自由な船体形状に挑戦してもおもしろそうだな」

 ナルヒコは、次期飛行船の構想を頭に思い浮かべながら、飛行船の腹の下をくぐり尾部の後方へ移動し、三枚の尾翼の更に後ろにある二基の大型ダクテッドファンエンジン(丸い筒の中でファンを回転させる推進方式)をじっと見つめる。

 「マリア、こいつの航行時間は、目標をクリアー出来たかい?」

 「船体のスケールアップに伴う、光子吸収貯留層(大容量バッテリー)の拡大に加え、超電導モータ及び光電変換器の効率アップにより、計算上は二十四時間連続航行が可能ですわ」

 「流石は、Kの異星技術! それなら半永久的に航行が可能だ。経済性では飛行機に圧勝だな」

 ナルヒコは、満足気に何度もうなづく。

 「マリア、こいつ最高時速の方は?」

 「計算上は三百kmですが、空気抵抗が大き過ぎる船体ですので、実際に飛ばした場合、気象条件に大きく左右されるでしょう」

 「そこはしかたない。早い完成を優先して、前世記憶にある船の設計情報を流用したのだから……この有人試験飛行船での長距離テストを踏まえ、次期飛行船で空気抵抗の低い船体を設計すればいいさ」

 「飛行船としては、現時点では及第な性能と言えるけど……問題は、速度でも飛行機に勝ち続けることが出来るかだ。史実より早い飛行船の登場は、列強諸国に飛行機開発を前倒しさせ、大戦勃発で飛躍的進化を齎し、飛行船が飛行機の後塵を拝する日を早めるかもしれないな……」

 一人ごちるナルヒコに、マリアは疑問顔で尋ねる。

 「速度が必要ならば、前世記憶にあった音速を越えるジェットエンジンを、何故採用しないのですか?」

 「ジェットの煩い音は、淑女な飛行船には似合わないからさ」

 ナルヒコ本人は、格好良く答えたつもりだが、彼の言動も擬態学習したマリアは、何時もの発作と判断し、肩をすくめる。

 「浪漫が理解されないとは、残念だよ」

 そう言って頭を振りかぶったナルヒコは、残るお楽しみの船内巡りをするため、船腹後部のタラップに向って移動する。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 マリアの声が、発進のための準備状況を刻々と告げる。

 『第一から第二までの浮力タンク内の真空完了』

 大空洞の床に鎮座していた飛行船の巨体が、ふわりと一m程浮き上がる。

 『浮上を確認。船体及び各機関の障害精査……問題なし』

 「よし、エンジンを回せ」

 『エンジン始動』

 船尾の大型ダクテッドファンエンジンが、静かに唸り出す。

 『推力安定』

 操縦席に座るナルヒコが、握った操縦桿を慎重に操作する。

 「微速前進」

 ナルヒコ一人では間に合わないため、後部席のマリアに加え、思考器群のサポートを受け、飛行船は外への通路口に向けゆっくり前進する。

 『進路クリアー……機体アップ角度、調整完了』

 「発進!」

 エンジンの回転音が少し高まり、飛行船の巨体がトンネル通路の中心線を示す誘導灯を精密になぞって進んで行く。

 『……外に出ます……光学迷彩を展開』

 マリアの言葉が終わると同時に、飛行船は行者山の中腹から外へ飛び出す。それに伴って発生した突風に驚いた鳥たちが、一斉に木々から飛び立つ。

 無事に外へ出られた安心感から、操縦席のナルヒコは、進路前方から視線を外し、半球壁面ディスプレイに映し出される空や地上の景色を確認する。

 「……有機ELの画像よりも、量子ドット(光の波長変換を量子力学レベルで操作)の方が鮮やかだな──流石、Kの異星技術」

 少々浮かれているナルヒコの耳に、ピッピッと警告音が響く。

 『ナルヒコ様、余り低い高度を飛びますと、耳の良い地上の人間に気づかれますので、高度を上げるべきかと』

 「ああ、すまない……高度三千kmへ上がるよ」

 『了解──残る浮力タンクの真空を開始』

 飛行船が、雲を抜けて目標高度に到達し、地上のことを気にする必要がなくなると、ナルヒコは唐突にマリアに話しかける。

 「マリア、僕の力作は壁紙パターンに登録してくれているよね?」

 『はい』

 「じゃあ、前世記憶からサルベージし、船の壁紙に登録した萌え絵の乙一番を、迷彩がわりに船体側面一杯に出してくれたまえ」

 『……本気ですか?』

 「マジ♪ 萌える彼女なら、このロ号の守り神として御利益があるさ」

 『光学迷彩を、そんな事に使うとは思いもしませんでした』

 「痛車アートは、素晴らしい萌え文化の極み。一度、飛行船でやってみたかったんだ」

 『……』

 船長ナルヒコの命令なので、マリアはしぶしぶながら指示に従う。

 飛行船の両側面に、栗毛色の長い髪を後ろに靡かせた美少女が、右側は甲冑姿で長剣を、左側は巫女姿で長刀を、振り降ろした勇姿が表示される。

 その様子を、ナルヒコは上空で合流した小型無人飛行船に撮らせ、ディスプレイに映し出して一人にやつく。

 『……そろそろ目的地の設定を』

 ナルヒコが満足した頃を見計らって、マリアが催促する。

 「了解……母船探しの最初の目的地は、世界最大の隕石クレーターであるアフリカ南部のフレデフォート・ドーム……進路は南へ!」


 お久しぶりです。賽の河原で石をつむように、書いては消しを繰り返しているうちに、こんなに遅くなって申し訳ないっす。次話は日清戦争になる予定ですが、のんびりお待ちください。


●参考・引用した文献・サイト

ウィキペディア フリー百科事典


高木兼寛の医学 : 東京慈恵会医科大学の源流

松田誠 著

出版者:東京慈恵会医科大学

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