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01 転生者、ラ〇ダーキックする

この物語はフィクションであり、実在の人物・団体などとは一切関係ありません。

 五月晴れの昼下がり、時代劇に出てきそうな建物が並ぶ通りには、外国の皇太子らを歓迎するため集まった大勢の人々が、道沿いの両側に長い列をなしいた。

 その行列に新たに加わろうとする、おかっぱ頭で着物姿の小さな男の子二人が現れた。

 「ヤス、早く早く」

 少し先で足踏みしている、悪ガキっほい風貌をしたナルヒコは、乳兄弟の安之助を急かす。。

 人垣の直ぐ後ろに立ったナルヒコは、周囲をキョロキョロ見ながら、とある十字路を見つけると、最前列に出るためにその小さな身体をいかして人垣の隙間に入り込むと、安之助も後を追う。

 (さて、前世の大学の歴史探訪サークルで訪れた時の地理感覚だと、犯行現場はここだと思うんだけど……百年以上も昔だし、外れたら歴史の立会人になったことで良しとするか)

 内心でそう呟やいたナルヒコは、待ち人が来る道の先をじっと眺めていると、頭の上から噂話しが聞こえてきた。

 「おい聞いたか? 外国の皇太子さんは、この国を占領するための下見に来たという噂を」

 「いや、俺が聞いた噂じゃあ、西南戦争の逆賊西郷が皇太子様に着いて密かに帰って来たとか。皇太子様が、東京よりも先に鹿児島を訪れたのは、そう言う裏があるらしいってよ」

 「「くわばら、くわばら」」

 男達は、災難避けの呪いを唱える。

 (噂を信じて短絡的に襲撃する馬鹿が出るかもしれないのに、沿道に警官を配備していないのかよ)

 前世の日本で、警官の要人警護の過剰な様をテレビで知るナルヒコには、今生の警察に不安を覚えてしまう。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 「来たぞーっ!」

 沿道沿いの人々を伝って、外国の皇太子ら御一行の接近の知らせが届く。

 凹凸のある土の道を、ガラゴロと音を立て四十両もの人力車の行列がやって来る。

 その人力車の行列を挟むように、百六十八人の警官が十間(約十九m)置きに並び、行列の進行に併せて一緒に移動して来た。

 道の南側に陣取ったナルヒコは、手を振りながら本で見た記憶にある皇太子の姿を探していると、それらしい外国人が乗る人力車が二台続いてやって来る。

 (帽子で顔が分かりづらいが、片方は皇太子の従兄弟であるギリシアの第二王子……前か後ろか──どっちが本命の皇太子なんだ?)

 焦燥を覚えるナルヒコだったが、後ろの外国人が乗る人力車の近くで警備していた警官が、人力車が通りすぎて敬礼を解くやいなや、サーベルを抜いて皇太子に近づく。

 「ヤス! 出番だ!」

 ナルヒコは、隣の安之助に声をかけると同時に、地面を蹴って怪しい動きをする警官に向って駆け出し、一方の安之助も慌てて着物の懐からある物を取り出す。

 テロリストに変わった警官は、誰にも止められることなく、サーベルを皇太子の右側頭部に振り下ろした。

 凶刃を浴びた皇太子は大きな悲鳴をあげる。

 警官が更なる一太刀を浴びせようと、サーベルを振り上げた手の甲に、安之助が投げた石が見事に命中し、その痛みで警官はサーベルを取り落としてしまう。

 「ラ〇ダーキッ──ク!!」

 奇声を発し宙を飛ぶナルヒコの両足キックが、テロリスト警官の後頭部に炸裂し、警官は前のめりになって地面に倒れてしまう。

 この隙に、悲鳴をあげながら皇太子は人力車から飛び降り、西の方に向って逃げ出す。

 ナルヒコは、地面に落ちたサーベルを後からやって来る安之助の方へ素早く蹴って、犯人から遠ざける。

 次にナルヒコは、地面から起き上がろうとするテロリスト警官の背中へ、跳び上がって両膝落としをお見舞いすると、カエルが潰れたような声を発して動かなくなった。

 この頃になって、ようやく周囲の警官達が駆けつけたので、ナルヒコはテロリスト警官から離れる。その途中で、ナルヒコは皇太子が斬られた時に落とした帽子を拾い、サーベルを持った安之助と並んで、警官らの後始末を見守る。

 1891年(明治24年)5月11日に発生したロシア皇太子暗殺未遂事件は 後に大津事件と呼ばれ、大国ロシアと小国日本との間で戦争が起きるのではないかと、明治天皇をはじめ政府要人を震撼させ、日本国民を恐慌状態に陥らせることになる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 怪我をしたニコライ皇太子は、京都の宿泊しているホテルへ戻り、ロシアの侍従軍医長の診断と手当てを受けた。こめかみの傷は深く骨まで達する重傷であったが幸い命には別状はなく、侍従軍医長の勧めで和室の寝室で静養することになった。

 大津にも同行した接待係の有栖川宮親王が、ニコライに面会を求めるも、侍従軍医長から静養第一から面会は好ましくないと拒否され、また、日本人の付き添いも介護も断られてしまう。

 翌日の朝、ニコライは、駐日ロシア公使シェービッチ及び旅に同行してる主な軍人・文官らロシア人のみを会議室に呼びつけた。

 憔悴の色を浮かべたニコライが、静かな口調で話し始めた。

 「今回の襲撃を受け、私は確信した……」

 「我が祖国の南下を恐れる日本は、次の皇帝たる私を暗殺することで、祖国に混乱を与えようと企ていると」

 「殿下、それは考え過ぎではないでしょうか?」

 この国の指導者を良く知るシェービッチが、否定的な意見を述べる。

 「何を言う! 私が襲われている時に、周囲の警官は何もしなかったではないか。犯人が地に倒れてから、ようやく駆けつける有様は、組織的な職務怠慢としか考えられん」

 「極東の小国が、戦争では大国たる祖国に勝てない故に、卑怯な暗殺という手段を仕掛けてきたのだ!」

 ニコライの言葉が、熱を帯びたものに変わる。

 生来、優柔不断な性格のニコライが、このように行動的になったのは何故か──その発端は、彼が小さな子供二人に助けられたことを事件直後に知ったことにある。

 大人の自分は悲鳴を上げて逃げ惑ったのに対して、小さな子供が勇気を出して犯人に立ち向かった噂が祖国に伝わり、己が次期皇帝に相応しくないと皇帝に意見し、弟を推す者が増えるのではないか。その不安が急速に彼の心を蝕み、精神的に追い込まれた彼は己の不名誉な噂をかき消すため、今回の暗殺未遂を日本の謀略だと声高いに叫び、次期皇帝らしく振る舞う姿を示すことにしたのである。

 「皇太子たる私を傷つけた──それは、偉大なるロシア帝国を傷つけたと同じことだ!」

 「その報いに相応しい罰をこの国に与えねばならない!」

 「甘い対応は、他の列強諸国をはじめ周辺の小国から我が祖国が侮られることになる。そんな事を許して良いのか! ──否! 断じて許してはならない! 敵を討ち倒し、偉大なるロシア帝国の力を世界に示さねばならない!」

 「殿下! 殿下! ──狂人一人の犯行に対する報いに、この国と戦争をするおつもりですか?」

 シェービッチが、慌てた口調で問い掛ける。

 「必要ならばな……私はロシア帝国の皇太子だ。祖国の名誉と利益に叶うのならば、戦争も躊躇わない」

 皇太子の言葉に、室内にいた者達が騒めき出すが、皇太子は手を上げてそれらを静める。

 「諸君! そもそも今回の旅に、先鋭軍艦七隻もの艦隊を同伴したのは、祖国の海軍力を世界に知らしめるためだ……艦長達も言っていたではないか。この艦隊があれば、戦艦の数も劣る日本なんぞ直ぐに降伏させてみせると」

 室内にいた武官達の目が輝き出す。

 「……しかし、今回は皇帝陛下から命じられたシベリア鉄道の起工式への臨席という縛りがあり、艦隊でこの国を降伏させるには時間が足りない。よって、艦隊の威をちらつかせながら、この国に譲歩させて、多額の賠償金を出させるのが上策だ」

 武官達は残念そうな顔色を浮かべ、他方、シェービッチや文官達はほっとした表情を浮かべる。

 「賠償額は……小国故にシベリア鉄道の建設費三億五千万ルーブル(約三億六千万円)の一割以上とし、得られた金でシベリア鉄道の建設を早めさせようではないか。そして、ウラジオストクまで鉄道が開通した暁には、朝鮮半島と日本を領土とする戦いの開始の時だ!」

 「「「「ウラー(万歳)!」」」」

 人々は、偉大な皇帝となる片鱗を見せた若い皇太子に熱狂する。

 シェービッチも大いに感動し、ニコライの示した方針を電報で本国へ報告するのであった。

 歴史の歯車が、音を立てて組み変わった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 人心を掌握したニコライは、謀略から身を守るために神戸港のロシア艦隊へ直ぐに移動することを決め、駐日ロシア公使を通じて日本側へ医療の整っているロシア艦で療養することを通告した。

 日本側は、事件の重大さに鑑み、負傷したニコライを明治天皇が見舞うため、本日早朝に臨時列車(汽車)で東京を出発したので、京都に留まるようにと要請するも、聞き入れられることはなかった。

 夜の九時過ぎに京都に到着した明治天皇は、京都離宮で一泊した後、13日の早朝に再び列車で神戸へ向う。

 神戸に到着した明治天皇は、直ぐに有栖川宮親王を使者に立て、ロシア軍艦で療養中のニコライへの都合を伺うも、健康上の問題から断られてしまう。ニコライらとしては、提案が本国で検討中のため、下手に日本側の人物と面会して思惑を悟られたくないので、面会は全て断る方針であったためである。

 明治天皇は、一端、神戸御用邸に戻り、ニコライの体調回復を数日間待つも面会実現は難しかったため、深く遺憾の意を表した手紙をニコライへ送るのであった。

 また、明治天皇に同行して来た伊藤博文宮中顧問官(前総理)は、今回の重大な外交問題解決に努力せよとの命を受け事態の収拾に動くも、駐日ロシア公使は本国との調整で多忙を理由に面会に応じることはなかった。

 ロシア側との交渉が進まない中、東京では松方正義首相らが会合し、ロシアとの事前密約──ニコライ皇太子に危害が加えられた場合は日本の皇室罪適用を事前に約束──から、犯人を死刑にする方針を決める。  

 しかし、その後司法省側から外国の皇族に対する犯罪に皇室罪適用は想定されておらず、法律上は民間人に怪我をさせただけなので、死刑は法律上不可能であると反対が出て揉めることになる。

 事件が新聞などで一般の国民に伝わると、全国から見舞いの手紙や電報が大量に兵庫県庁へ寄せられ、芝居など興行物や株式会所までも哀悼の意を表して休業する所が出た。

 その一方で、事件を切っ掛けにロシアと戦争になるのではないかと心配する国民も多く、銀行は戦争勃発を恐れて貸出しを停止する等経済への悪影響も出始めた。

 5月15日、沈黙を守っていた駐日ロシア公使から、本国からの指示で東京訪問等一切の予定を中止することを明治政府に通告してきた。併せて、駐日ロシア公使は、明治政府に対して事件に対する正式な謝罪と賠償の要求が正式に伝えられたが、政府は賠償内容を明らかにすることはなかった。更に明治政府は、緊急の勅令にもとづく事前検閲を実施し、新聞等での謝罪や賠償の内容に関する言論統制を行なう。 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 ロシア側の要求に対して、明治天皇らが、神戸港に停泊中のロシア軍艦アゾーヴァを訪れて、正式な謝罪を行なうことになった。

 賠償要求については、青木外務大臣と駐日ロシア公使との間で交渉が行なわれことになった。ロシア皇帝は、大蔵大臣ウイッテと相談の上、ニコライに経験を積ませる機会として今回の交渉を委ねることにした。この結果、交渉場所は神戸港に停泊中のロシア軍艦を指定され、ロシアは砲艦外交(恫喝)の意志を隠すことをしなかった。

 「どうかね、ロシア側から何か譲歩は引き出せたかね?」

 5月6日に現職に就いたばかりの松方首相は、青木大臣にロシアとの交渉状況を尋ねる。

 「駄目です。対馬の割譲又は四千万円の賠償金の条件をがんとして譲りません」

 「対馬は、国防上絶対に譲ることはできん要所だ。割譲などもっての他だ!」

 高島陸軍大臣が大きな声で口を出すと、樺山海軍大臣も賛同の声をあげる。

 「ロシアの東アジア進出を警戒している英国からの牽制は引き出せそうかね?」

 松方首相が、再び青木大臣に尋ねるが、青木大臣は首を横に振る。

 「駐日英国公使は、此度の事件は日本側に重大な過失があるものであり、ロシアの要求に抗議することはできないとのことです。そう言いながら、ロシアに対馬等領土割譲をしようものなら、治外法権に関する不平等を改善する新条約の調印は行なわないと釘を刺してきました」

 「くっ! 英国め!」

 松方首相は苛立ちをぐっと飲み込み、大蔵大臣を兼任している立場から意見を述べる。

 「領土割譲が出来ないとなると、賠償金しかないが……四千万円もの賠償金は、我が国の予算の半分に当たる途方もない額である……ロシア側として最初に大きくふっかけた額を示しているのだろうが……」

 「第一回帝国議会で予算減額された剰余金六百五十万円に、払い下げ予定の官営の富岡製糸場の入札等諸々を加えて捻り出せるのは一千万円だろう。そこまで賠償額を引き下げてもらうか、長期分割払いでないと、国の運営に支障をきたす」

 「剰余金の大部分は、戦艦建造に充てる約束になっていると聞いているのだが? 建造が遅れれば、益々ロシア艦隊に対抗できなくなるぞ」

 樺山海軍大臣が、暗に反対だと松方首相へ意見を表明する。

 「要求されている賠償金を確保するとなると、大きな反発を覚悟して地租(税)の率を引き上げざるを得ない……」

 松方首相が、土方宮内大臣の顔を向いて、遠慮がちに問い掛ける。

 「佐渡金山・生野銀山に関する民間への払い下げの件、陛下のご意向はいかがでしたでしょうか?」

 「……止むを得ないとのお言葉を賜りました」

 土方宮内大臣は渋い表情で答える。

 「皇室の佐渡金山・生野銀山は、資産評価額はあわせて約百四十万円程。上乗せする形で民間へ払い下げたとしても、百七十万円が良いところでしょう……相当な地租の引き上げをしないことには……」

 松方首相が、兼任する大蔵大臣の立場から語る言葉が尻切れになる。

 「……今は国民の反発を心配するよりも、あらゆる手段を使って、ロシア側と粘り強く交渉し、賠償額の引き下げと分割を認めさせるしかありません!」

 青木大臣の決意の籠もった言葉に、松方首相も頷いて見せる。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 5月18日、犯人逮捕の功績でナルヒコと安之助は、ロシア側から賞されることになり、京都市近郊の岩倉村から安之助の祖父に連れられて京都府庁へやって来た。史実では、神戸港のロシア軍艦に招待されているが、子供ナルヒコらに会うことで噂を嫌ったニコライは、代理人として駐日ロシア公使を京都府庁へ遣わせ、ここで式典をすることになったためである。

 式典は午前十一時からにも関わらず、ナルヒコら三人は朝一番で府庁に呼び出された。三人が、役人に引率されて府庁内の貴賓室らしき部屋に通されて待機していると、顎鬚を生やし儀礼服の胸に沢山勲章を付けた老人が、二人の供──片方は軍人、他方は文官──を連れて部屋に入って来た。

 「気をつけーっ! 初代内閣総理大臣であらせられる伊藤博文閣下である。一同頭を下げよーっ!」

 供の軍人の鋭い命令に、顔色を青くした岩井老人は、跳び上がらんばかりの勢いで椅子から立ち上がり、上半身を直角に曲げ頭を下げ、子供二人も慌てて同じようにする。

 伊藤が、上座となる豪華な椅子に腰をおろして口を開く。

 「楽にして、座るが良い」

 威厳のある声に、ナルヒコら三人は恐る恐る頭を上げ、ゆっくりと椅子に座り、何事が起きるか不安そうな表情で言葉を待つ。

 (おいおいおい、明治の元老(天皇に進言する人)の登場なんて聞いていないぞ!)

 ナルヒコが内心で首を傾げていると、いつの間にか入室していた女給仕二人が、盆に載せたお茶と茶菓子を各人の机の前に置いて回り、静かに退出して行った。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 湯飲み等が片づけられると、供の軍人が再び命令を発する。

 「閣下からお言葉がある。心して拝聴するように!」

 伊藤が、おもむろに用件を口にする。

 「小僧共には、御国の役に立ってもらおう」

 その言葉に、ナルヒコは警戒心を抱く。

 「本日の式典において、小僧二人の大津での功績に対して、ニコライ殿下の代理人から聖アンナ勲章を賜る。まあ、それはかまわず受け取れ」

 「「「……」」」

 「その後に、ロシア側から報奨金及び終身年金が下賜されるとなった時──ご辞退するので、ニコライ殿下をお助けした者の願いを叶えて頂きたいと、代理人に言上せよ」

 (このジジイ、何を勝手なことを言いやがるんだ。報奨金を元手に、前世知識で極楽人生ライフ計画を邪魔する気か)

 「……閣下、何をお願いすれば良いのでしょうか?」

 両目を細めたナルヒコが、感情を押し殺した声で伊藤に尋ねるも、傍らに立つ丸眼鏡の文官の男がかわって答える。

 「こう間違えずに言えば良い。『此度の件で、御国に対して多額の賠償金が求められるとの噂を聞き、子供の身ながら心痛めております。私どもに免じて、ニコライ殿下にご配慮を賜りますように何卒お伝えください』と」

 「……賠償金が多額という噂は、はじめて聞きますが、どこでそのような噂が流れているのでしょうか? ──更に噂の内容もお教え下さい」

 ナルヒコは、何故このようなことをさせようとするのか、相手の状況を少しでも掴もうとする。

 「ふん! 子供ごときが知る必要はない! 黙って言われた通りにしろ!」

 従うのは当然だと言わんばかりな丸眼鏡の男の言い方に、カチンときたナルヒコは、反骨心をわきあがらせる。

 「嘘を言わないために噂の確認をさせてもらいたかったのですが……御国のお役人様は、嘘をつくのが国民の義務とおっしゃるのでしょうか?」

 「うっ!」

 言葉を詰まらせた丸眼鏡の男へ、ナルヒコは更に追い打ちをかける。

 「大国のロシア皇太子に、公僕たる警官が怪我をさせたのですから、賠償が多額になるのは当然で、子供を使って皇太子に情で訴える策を弄するなど、余りにも情けないのではないですか?」

 「謀反人の小僧が黙れ!!」

 恐ろしい目付きになった供の軍人が、腰のサーベルに手をかけ、ナルヒコを威嚇する。

 「謀反人?」

 一瞬首を傾げたナルヒコであったが、直ぐに口撃を再開する。

 「僕と安之助がお助けしなかったら、ロシア皇太子はもっと大怪我──最悪死んでしまってロシアと戦争になったかもしれないのですよ! それを防いだ御国の大恩人たる僕達に言う言葉ですか!」

 「国民を守る義務のある者が、国民を脅すとは恥じを知れ!!」

 小さなナルヒコが、その身体に似合わない迫力ある声で大人達を一喝する。

 隣に座る岩井老人は、里子の啖呵を切るような発言に一家の死を覚悟した。

 「……ハッハハハ。流石は亡き朝仁親王のみこだな──将来が楽しみなことよ」

 上座に座る伊藤が、顎鬚を何度も揺らして感心する。

 「王? ──閣下、王とはどういう意味でしょうか?」

 「うん? 自分が京極宮の子であることを知らぬのか?」

 「えっ?! 僕の実家って宮家なんですか?」

 驚いた表情のナルヒコの問いに伊藤が頷く。

 「……初めて知りました。農家の里子に出されていたので、実家で育てられないくらい家計の苦しい商人の子供かと思っていました」

 「乳飲み子を里子に出して、ある程度まで育てさせるのは、宮家でも良くある風習よ」

 (死にやすい赤ん坊の育児を、その辺の農家にぶんなげるって……いやはや、なんちゅうスパルタな風習……)

 ナルヒコは、この国の皇族に生まれても、小さいうちに死なせる確率が高い風習に怖くなった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 ナルヒコは、頭を左右に振り、気を取り直して口を開く。

 「……実家の話は横に置いといて──閣下まで担ぎ出さないといけない程に、御国が交渉に困るロシア側の要求内容を教えて下さい」

 伊藤は、真剣な眼差しのナルヒコの顔を眺めつつ、片手で顎鬚をしごきながら何やら思案し始める。

 「……まあ良いか」

 「「閣下!」」

 上司の気まぐれを懸念した供の二人が、口を揃えて止めようと声をかける。

 「交渉の打開に困り果てておるし、王に意見をもらうのも一興……要求は、対馬の割譲又は四千万円の賠償金よ」

 驚きで目と口を丸くする岩井老人の横で、ナルヒコは平然とした表情のまま顎に手を添え、高速で思考を巡らせる。

 「……四千万円という額は、国の予算の何割に相当するのですか?」

 「半分程よ」

 「なる程……到底受け入れることができない額を、ロシア側はふっかけて来た訳ですか……減額とか分割とかの譲歩は?」

 「譲歩は一切応じないそうじゃ」

 「変ですね。ロシア側は何故そんなに強行な姿勢なのでしょうか? ──互いの譲歩なしでは、国家間の交渉はまとまらないものなのに」

 「理由は不明じゃが、今回の交渉は本国ではなく、ニコライ殿下が主導しているらしい」

 「なる程。被害者が、次期皇帝として面子を保つため、成果を示したいので頑固だと言うことか……」

 「対馬割譲要求を梃子に、ロシアの南下・東進を恐れる他の列強──特に英国──は動いてくれないのですか?」

 伊藤は、首を横に振る。

 「対馬か壱岐の九十九年間租借を餌に、英国かフランスを仲裁──最上は軍事同盟まで──に引き込めないのですか? 貧乏な我が国では、離島へ投資して開発する余裕はないのですから、列強の金で島を豊かにしてもらって、百年先に果実を収穫すれば良いのですし」

 「国防の要の地を外国に売り渡すなど、言語道断だ!」

 供の軍人が、顔を真っ赤にしていきり立つ。

 「売り渡すんじゃなくて外国に貸すことで、外国の軍の力を借りてロシアの脅威に対抗するための策ですよ。今ある御国の陸軍・海軍の力で、ロシア軍を跳ね返すことが出来るのですか? ──出来ないでしょ?」

 「くっ!」

 「相手より戦力が足りないのだから、戦国の武将のように、有力な武将を同盟に引き込んで力を借りる策なんか、当たり前のものでしょ? ──脳筋じゃ御国は守れないんですけど」

 供の軍人が切れ寸前、伊藤が制止の声を発して暴発を押し止める。

 「……王は恐ろしいことを考えるな」

 「でも効果的でしょ? 国防と国土開発が一石二鳥で得られる」

 「……確かに。しかし、その領土割譲は陸海の両大臣とも絶対に認めぬ」

 「それじゃ、賠償金一択で決まりか……賠償金のために税を上げるなんて国民は納得せず、地租改正反対一揆のような暴動は必至──ならば国民が納得でき、かつ御国の面子が立つ理由があれば良いか……」

 「そんな理由があるはずはない」

 供の丸眼鏡の男が、あきれたような顔で否定する。

 「賠償金ではなく、貨物料金の大幅値引きを条件にシベリア鉄道建設費へ無利子融資というのはどうでしょうか? 貿易で外貨を稼がなくてはならないこの国にとって、米国よりも購入力の高い欧州との新たな貿易路たるシベリア鉄道は有望であり、融資は我が国の発展とロシアとの友好に資すると国民に宣伝すれば良い。また、融資は建設の出来高に応じて毎年追加する形を取れば、四千万円も分割することも可能になりますよ」

 ナルヒコの示した冴えた考えに対して、伊藤と文官らしい丸眼鏡の男はいたく関心を示し、小言で何やら話合いをはじめる。

 「シベリア鉄道が完成したら、ロシアが直ぐに攻めてくるではないか! これだから子供は……」

 供の軍人が、鬼の首をとったような顔で口出しする。

 「長い長いシベリア鉄道の線路を防衛するなんて不可能なんだから、現地少数民族に軍人を潜伏させて味方にしておけば、いざ戦争となったら彼らに各所で線路を爆破させれば良いだけです。金食い虫の軍隊一個師団を用意するよりも、遥かに易く済みますよ」

 「成るほど」と呟いた伊藤の様子に、供の軍人は悔しそうな顔でナルヒコを睨む。

 伊藤は直ぐに供の二人と共に、ナルヒコらを残したまま貴賓室を去り、関係各所へ電報でナルヒコの案を検討するようにと指示するのであった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 5月27日、大津地方裁判所において、大津事件に関する大審院の公判が開かれ、大国ロシアの報復を恐れる政府の皇室罪適用圧力に対し、裁判長は司法権独立を守って犯人に法律どおり無期徒刑の判決を下す。

 この判決を知った駐日ロシア公使は、遺憾の意を表明しただけで終わったことに、戦争を懸念していた世間の人々は一様に不思議がったが、直ぐにロシアが鉾を収めた理由を知る。

 5月29日、明治政府は、ロシアとの友好並びに欧州との貿易促進のために、ロシアのシベリア鉄道建設に対して多額の借款(政府による長期融資)を行なうことを発表し、ロシア側はこれを評価した。

 大津事件は海外でも大きく報道され、近代法の法治国家として日本の司法権に対する国際的な信頼を高め、不平等条約改正へとつながることになる。

 しかし、この事件の対処で青木外務大臣が責任をとって辞任したにより、調印間際であった英国との不平等条約改定(領事裁判権撤廃)はストップしてしまった。

 ニコライ皇太子は、日本から引き出した成果に満足し、シベリア鉄道の起工式へ臨席するため、5月31日にウラジオストクへ旅立った。


本作品執筆に当たって、参考・引用した文献・サイトは以下のとおりです。

[参考・引用]

 書名:不思議な宮さま 著者:浅見雅男 出版社:文藝春秋

   ISBN-10: 4163745807

   ISBN-13: 978-4163745800

 ウィキペディア フリー百科事典

  参考URL:ja.wikipedia.org/wiki/

 Mr.YUNIOSHIの「洋画・洋楽の中の変な日本・がんばる日本」

   参考URL:www.yunioshi.com/

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