憑きモノ
笑ってくれたら最高です。
――俺は今、悩んでいる。
――猛烈に悩んでいる。
何に悩んでるかって? 答えは屁が出るほど単純明快さ。
憑きモノに好かれちまったのさ――。
*
きっかけは俺がまだ中学3年の秋も終りに近付きつつあった11月の暮れの頃だった。
中学の3年てーと高校受験のシーズン真っ只中な訳だがその骨休みとして誰もが1度は経験する修学旅行があったのさ。
――場所は京都・奈良。まー定番っちゃ定番かな。だけど幼き純情な俺達は大して勉強もしてないのに久し振りの休暇だー。みたいなハッチャけたノリでクラスの仲の良い奴等とつるんで班作って当たり前の様に無邪気にはしゃいでた。
まだ大人にも為り切れて無い中途半端な年頃だったからそれだけ皆が皆、たかだか(今に為ってみればの話だが)京都・奈良でもあれだけ騒げたんだとしみじみに思う時がある。――最近じゃしょっちゅうだ。
中学の名前は確か芝山東中学だったけか――? それで多分間違い無いと思う。唯、校歌は忘れた。だからと言って別に馴染みが浅かったとか薄いレースのカーテンの様な淡い記憶しか無い訳では無い。どちらかと言うと結構それなりに充実した学校生活だったと思う。当時もそうだったし今と為ってもそれは変わらない。
修学旅行の話に戻ろう。憑きモノと修学旅行でピンと来た人もいるかも知れない。それは御想像に任せる。――んで、これから班のメンバーだった奴等を御紹介しよう。
まず主人公――俺。名前――シニシャ=ミハイロビッチ――っつーのはジョーダンで、本名――黒川 実。血液型A。性格やや暗く、やや温厚。当時サッカー部所属のレフティーモンスター。現在フリーター。年齢19。好きなモノ――特に無し。嫌いなモノ――何か知らない間に出来てる痣。B級――ってゆー無意味なこだわり。
コメント――最近、独り言が多く為って来た。
親友――布施 道徳。血液型A。性格やや熱く、ややウザい。当時帰宅部所属のウイイレマスター。現在フリーター。年齢19。好きなモノ――ラーメン、キムチ、回鍋肉。嫌いなモノ――ドクターペッパー。ウニ。
コメント――いつか世界を驚かす。
友人A――篠田 智之。血液型AB。性格ヘタレでややビビり。当時卓球部所属のアキバ系ピンポンダッシャー。現在フリーター。年齢19。好きなモノ――同人誌系アニメ全般。アニソン(アニメソング)ゲーソン(ゲームソング)。AKB48。ゆとり教育。マニアックなハングリー精神。嫌いなモノ――イケメン。サディスト。
コメント――僕、プラスチック以外なら何でも食べられるよ。
友人B――五木 駿。血液型AB。性格妖艶。不気味。当時帰宅部所属の占星術師。現在行方不明。年齢19。好きなモノ――オカルト的なモノ。神秘に包まれたモノ。ダビンチ・コード。オーロラ。虹。嫌いなモノ――己以外の全て。
コメント――今日からちょうど半年後、遠い星からやって来る異星人の襲撃によって人類は滅亡する。
友人C――通称マイケル(※本名は謎)。血液型O。性格超攻撃的。高飛車。当時ボクシング部所属のトラブルメーカー。現在行方不明。年齢不詳。好きなモノ――格闘技全般。カステラ。バウムクーヘン。筋トレ。プロテイン。嫌いなモノ――サウスポー。
コメント――ショセンコノヨハジャクニクキョウショク。
*
――以上だ。当時つるんでた奴等がこいつ等。最近の不景気の御蔭で皆、お先真っ暗。半分人生を四捨五入してドロップアウトしたならず者ばかりだ。五木、マイケルに至っては今どこに住んでるのかも分からない。
しかし兎にも角にも役者は揃った。俺は今さらオーシャンズイレブンを真似てこいつ等を招集しよう等と夢にも思わないが、例の憑きモノの御蔭で彼等を思い出さずにはいられないのだ。
――それではこれから俺の中学時代にタイムスリップしてみる――
*
俺達の中学時代なんてモノは何かどっかが錆びついたギターの絃みたいなシャレたもんでその頃の京都・奈良の自由行動は全て専属のお抱え運転手(これがタクシーの運ちゃんな訳だが)によって班行動を全般的に支えてくれた。
昼飯だってどこが良いだとかあれが良いだとか討論した揚句、タクシーの運ちゃんの御勧めで『幻のラーメン』為るモノを食べたりした。
その味はともかく、問題はこれからだ。
清水寺、金閣寺、銀閣寺、法隆寺――etc.
イケるとこまでイッた俺達は本来の目的を見失いがちだった。だけど、その『お楽しみ』は最後の最後まで取って置いたんだ。
その名も『漫聚院』――。
これが当時俺達がリスペクトした最後の『お楽しみ』だったんだ。何でも実際に祟りがある幽霊の掛け軸なんてモノがあるんだとよ。今と為っては後の祭りだが――。
当時、俺達の学校では所謂オカルトブームが旋風を巻き起こしていた。仕掛け人は言うまでも無く奴――五木 駿だ。間違ってもマイケルを疑っては為らない。マイケルは善良な一市民であり、俺達の仲間であり、時々どっかの国の民族の言葉を口にするが、サウスポーが苦手なだけなんだ。
それに比べて五木 駿はとんでもない嫌な奴だ。見たくも無いオカルト映画やら『ホントにあった怖い話』とか、『呪いのビデオ』とかやたら好きな寂しい15歳だ。
俺達が異性の話題で盛り上がってる時、水を差すかの如く『あの子には自爆霊が憑いてるから関わらない方が良い』とか、『彼女の先祖は貧しい家柄の娼婦だ』とか、もうとんでもなくえげつなき輩で自分に彼女が出来ない事を理由に妬み恨み辛みをそれこそお経の様に唱えるのだ。
まーその性格故、彼女いない歴=年齢だけど(もちろん現在も)外見でも完全にOUTだ。多分、彼は一生独り身で死後、棺桶の中に例のオカルト映画やら『ホントにあった怖い話』とか、『呪いのビデオ』と共に埋もれて埋葬されるのだろう。彼にとっては安らかな死後だと言える。
――んで、話は戻る。さすがに当時の俺達も何かと好奇心が湧く思春期とやらを経験していたので五木 駿程では無いが確かにオカルト的なモノにもある程度興味を示したってー訳だ。
そこで調子に乗り出した調子にノリ男――五木 駿は京都・奈良の文献なんかをどっかから引っ張り出してあーでも無いこーでも無いとか喚き出した。俺達は7割方その話を聞いて無かったが残りの3割に奇妙に引っ掛かった点があったんだ。
それが例の『漫聚院』のお化けの掛け軸だ――。
*
「オイオイ。これが最後のシメかよ。何かかなりチャッちいじゃねーか。とてもこんな所に化けモンが祀られてるとは俺にはどーしても思えねーんだが」
俺――(当時14)――黒川 実は不満げに言う。
「確かにここん所、シェフチェンコの活躍には目を見張るモノがある。ウクライナつってもやっぱヨーロッパは違うな」
布施 道徳――(当時14)――は完全にウイイレの事しか頭に無い。確かに当時のシェフチェンコはオーウェンとタメ張る位凄かった。
「何の話してんだよミッチー。せっかくの修学旅行なんだから偶にはウイイレから離れろよ」
篠田 智之――(当時15)――はソフトクリームをペロペロ舐めながら口を尖らす。
「――いや。ここで間違い無いよ。とてつもない霊気を感じる。皆、俺が事前に渡しておいたお札はシッカリ持って来たよね? 遂に決戦の時だよ」
五木 駿――(当時15)――は張り詰めた表情で警戒心を露わにする。
「ニクダンセンナラマケルキハシナイ。サウスポーナラマケル」
マイケル――(不明)――は五木 駿とは対称的だった。仮に五木 駿が魔法使いだったら、マイケルはモンクだろう。間違い無い。
「――それにしても君達。珍しーね。今時の学生さんかい? こんな所、何も無いよ。あるのはお化けの掛け軸位で」
タクシーの運転手さんはとても健全そうな(もう忘れてしまったが)人だったと思う。
「お札―?」
「あ、俺忘れた。ホテルの部屋ん中」
「僕はちゃんと持って来た筈だよ。確かポケットに」
「オイオイ。頼むぜ皆。一応言っとくけどお札無かったら即死だよ、即死」
「ニクダンセンナラマケルキハシナイ。サウスポーナラマケル」
ブツブツ言いながら俺達はそのお札とやらの効能について彼――五木 駿の『悪霊退散豆知識』を聞きたくも無いのに聞いてみた。んなの聞いても聞かなくても『ゴーストバスターズ』に頼めば一発で片が着くのに。
「――んで? そのお札にはどんな効果が? ここに着いたら教えてくれる約束だったよな?」
俺は萎びたRight‐onで購入した安いジーンズのポケットを弄りながら五木に聞いた。
これは皆で以前から約束していた事なのだ。
「ククク。聞いて驚く事なかれ。このお札にはな特殊なフォースが込められているのさ」
「フォース? フォースって何?」
篠田はソフトクリームを完食したばっかだ。口元に付着したそれを舌でキレイに拭う。
「アイテハサウスポーカ?」
「まー順を追って話をしよう」
「おーい。俺、お札忘れて来ちゃったんだけど」
五木は喉をゴクリと鳴らして語り出す。緊張しているのは他でも無い彼自身である。
*
【怪奇 〜古に屠られた日本版 アダムとイヴ〜】
その昔、ここ漫聚院には2人の男女が暮らしていたそうな。
男は翁――。女は尊――。
2人は相思相愛の仲で共に幸せに暮らしていたそうだ。だが、時代が彼等2人を許す筈が無かった。時は戦国時代。男、翁は戦に行かねば為らない。しかし尊はそれを引き止める。たった一言――。
――行かないで――
――と。無論、翁は彼女を好いているが故に言った。
――ずっと一緒だよ――
――と。しかし時は無情なモノで彼等2人を引き剥がした。
ある日、漫聚院に一通の伝票が届く。翁の愛弟子である僧の門兵の小僧がそれを知らせに遣って来た。何やら急ぎの用なのだそうだ。
それは天皇直々の翁の出兵の言伝であった。無論、天皇に逆らえば極刑は免れぬ。当時は島流し等、当然の事と思われた。
もし、翁が島流し等に遭えば尊とは永久に離れ離れだ。仕方無しに翁はそれを受諾した。苦虫を噛み潰すが如く。その晩、尊は泣きに泣いた。しかし翁は泣かなかった。泣けば男の恥と思い、必ず生きて帰って来ると約束をした。
*
ある日、尊は山の中で山菜採りをしていた。翁の出兵の3日前の日である。そこで不思議な出来事に出くわす。尊は何時も決まって同じ時刻に同じコースで山菜採りをしていた。ちょうど麓の峠を過ぎた頃だったか、何時もはそこにある筈の無い洞穴の様な大きな岩の洞穴があったのだ。
最初は熊の冬籠りの巣穴だと思って恐怖で戦慄した。だが、どうも様子が違うみたいだ。洞穴の中は燦々と光で照らし出されている。不思議に思った尊は少しずつ少しずつそこへ吸い込まれる様に近付いて行った。
よくよく考えてみれば熊が洞穴の中で冬を越す話等、聞いた事が無い。それに幾等熊の牙や爪が頑丈で鋭くてもこれ程までの岩山に穴を開ける事は不可能に等しい。
何よりこの洞穴からは眩い光が満ちているではないか。
尊はきっとこの洞穴の奥は太陽の光へと繋がっている筈だと半ば思う様に為った。
そして好奇心からか尊は一歩、また一歩と洞穴の中へと歩を進めて行った。
段々と光は強く為って行きすっかり安心し切った尊は鼻歌を口ずさんで遂にその先へと辿り着いた。
そこは尊が今まで見たことも無い様な光景が広がっていた。どこからか川のなだらかなせせらぎの音が聞こえてくる。洞穴を抜けた先は緩やかな崖に為っていてこの世で見たことも無い様な綺麗な川と花畑が広がっていた。
尊は呆然としてしまった。空は夕焼けの如く朱色に染まっている。吹きすさぶ風が肌に当たって心地が良い。空気も澄んでいる。
遠くの方で見た事も無い様な建物の集落が広がっていた。
尊はその時直感した。ここは自分達の住む様な国では無いと。妖達が住む、禁断の地だと。しかし、強ちその直感は近からずも遠からずと言った所か。
そこはあの世とこの世を結び付ける途方も無い輪廻の螺旋だったのだ。
1度その地を踏み出した者達は皆口を揃えてこう言う。
――黄泉の国――
――と。
尊は思った。ここでこの地で翁と共に暮らす事が出来れば――。
自分達が暮らして来た戦乱の世と永久に離れて平和に暮らす事が出来る。尊は純粋にそう思った。これは直感では無い。確信だったのだ。
尊はゆっくりと歩を進めて行った。まずこの黄泉の国を統治している長に会おう。そして自分と恋人である翁と安心して暮らせる許可を貰おうと。
しかし前を向いて歩き出した尊は気付いていなかった。自分の愚かな過ちに。この黄泉の国へ来たら最後。自分の御霊を生贄に捧げなければそれこそ永久に尊の住んでいた世界には戻れないと――。
*
「へー。そんな逸話が遭ったのかこんな辺鄙な場所で。泣かせるね」
俺は相変わらず萎びたRight‐onで購入した安いジーンズのポケットを弄りながら彼、五木に応対していた。しかし未だに例のお札の話題が出て来ない。お札がどこにあるかも分からない。
「それで? それで? その後、2人はどー為っちゃったの?」
篠田が五木を急かす。
「おーい。どーでも良いからサッサと中入ろーぜ」
ミッチー事、布施 道徳はあまり興味を示していない。彼は元々例のお化けの掛け軸等信じていないみたいだ。
「イッショウニイチドハクマトタタカッテミタイモノダ」
マイケルはとても勇敢だった。
五木は話を引き延ばす。
「今はまだ言えない。来たる時が来るまでは…」
何だコイツ。俺は彼の首を絞めてやりたい衝動に駆られた。
「それじゃー皆さん。楽しんでおいで。私はここで待ってるから」
当時のタクシーの運転手さんは何時も俺達の観光気分を邪魔しない様に配慮してくれた。お陰で俺達はスムーズに話題を切り替える事に成功した。
*
入場料を払って中へと入った俺達はここが何の変哲も無い寺である事がまず第一印象として残った。――そう。『漫聚院』は意外と質素だったのだ。
「何だ。何て事無い普通のダンジョンじゃねーか」
俺は期待を裏切られた気分に早速やるせない気持ちに浸っていた。
「ホントにここで合ってるの?」
「俺は興味無いね。テキトーに駄弁って例のお化けの掛け軸とやらをバックに記念撮影でもしよーや」
「クマニモサウスポーハイルノカ?」
「――チッ。皆、雰囲気打ち壊しだな。それじゃー一生彼女出来ないぜ」
お前に言われたくは無い。このナルシオカルトマニア。
気が付いてみると不思議と風当たりの良い縁側に出ていた。仕方なく俺はそこに腰掛けて待機する事にした。
「フー。良いなここ。風当たりが良くて気持ち良い。暫く俺はこーしてるから、皆、後は任せた」
「えー!?」
「モチベーション0だな。お前」
「じゃー五木。さっきの話の続き聞かせてくれよ」
ブーイングの嵐の中、俺は五木とバトンタッチする。
「全く。これだから素人は……仕方ないな。俺は全知全能の神だから」
五木は調子にノリ男なのでテキトーに相手してやれば直ぐに乗って来る。便利なサイボーグ。若しくは彼の脳内IDをデータ転送した喋るASIMOだと思えば後は自動的に彼の領域に入り込める。
ノリに乗った時の彼を止められる者は誰1人としていないがそれを止める者も誰1人としていない。だから彼は一人ぼっちなのだ。だから彼は全知全能の神なのだ。
*
【怪奇 〜古に屠られた日本版 アダムとイヴ〜 その2】
黄泉の国へと辿り着いた尊は集落の長――つまり、黄泉の国を司る天上之司帝と初めて出遭った。
帝は言うまでも無く神に等しき存在であったが、尊は怯まなかった。
現世で起こっている戦乱の世を憎み、恋人である翁とここで暮らす事を誓った。
黄泉の国の人々は皆、親切な人達ばかりで尊を心から祝福してくれた。
そして天上之司帝に自分の胸の内を明かした。
「天上之司帝様――。今、私の住む世界では人と人との戦が後を絶ちません。私の大事な人も戦によって命を絶つ覚悟をしています。私はそれが怖いのです。恐ろしいのです。どうか。どうかお願いです。私と翁をこの国に住まわせて下さい」
天上之司帝は口元に笑みを浮かべて言う。
「宜しい。そなたとその恋人とやらを我が助けると約束しよう。だが、1つだけ条件がある」
「――条件?」
「そなたの御霊を我に差し出すのだ。さもなければそなたは肉体と精神も共に滅んで永遠に愛しの彼とは逢う事が出来なくなる。それでも良いのか?」
尊は暫く黙り込んで仕舞った。確かに天上之司帝の言う事は百も承知だった。
実際にこの黄泉の国に訪れてからと言うものの徐々に身体に異変が起きている事に気付いたのだった。
それは段々身体が軽く為って見えない何かに精神ごと蝕まれている様なそんな気持ちだった。
重圧が目眩と為って意識が遠退いて行く……。
良く見ると身体が透けているでは無いか。これは一大事だ。
しかしここで暮らしている自分以外の人々はそんな状態には当然為っていない。皆、幸せそうだ。
きっと皆、天上之司帝の言う事に従ったのだろう。ならば――
「分かりました。正しこちらからも1つだけ条件があります」
「条件――?」
天上之司帝はふわりと羽織っている何枚もの色違いの帯をしなやかに揺らして片眉を吊り上げた。その姿はまるでクジャクの様だ。
「彼の御霊は取らないと約束して下さい」
「彼――とは恋人……つまり先程言っていた翁と申しておったな。そやつの事か?」
「そうです――」
帝は暫く思案を巡らしていた。だが、この世で唯1人2つの性を持つ帝にとってその様な事はよもや容易い事であった。
「この国の主である我に約束事を申しつける等、そなたも肝の据わった女子だな。ククク。宜しい。その申し出承ろうではないか」
帝は持っているフワフワとした白い羽毛で出来た扇をユラユラと煽って苦笑した。どこか不気味で漠然とした思いが尊の胸中に渡来した。
こうして尊は彼――翁との幸福の時と引き換えに自分の魂を捧げる決意をした。後に降り掛かって来る運命に抗おうともせずに――。
*
「そりゃまたスゴイ話だね。自分の魂を売っちゃうなんてさ」
「恋は盲目だからな」
すっかり話に夢中に為った五木は自慢げに鼻をフフンと鳴らす。唯、その虜に為ったのは1人だけ――篠田 智之だ。
何時の間にか他の連中は皆、この寺の中で散って行った。俺は相変わらず縁側で物思いに耽っていたし、布施 道徳はこっそりとポケットに忍ばせていたSONYのウォークマンを聞きながらリズミカルな足取りで適当な場所に行ったり来たりしていた。
マイケルは筋トレし出す始末。
結局、単に五木の話が飛躍しすぎて皆例のお化けの掛け軸なんて興味は無いのだ。
だが、話がここで終わっていたら俺は――いや、俺達は何て事の無い平和な生活をしていたと思う。全てに乱れの無い均衡した生活――つってもそんなモノこの世にあるかどうか不確定だし未確定だ。
だが、世の中ってのはどうも上手く出来ているみたいで五木の話がどこまでホントかどうかが焦点と為ったのだ。ホントウソみたいだが――。
――そう。俺の悩みはここから始まったんだ。それは間違い無い。だが――憑きモノに好かれるってのは想像以上に厄介な事なんだ。
*
【怪奇 〜古に屠られた日本版 アダムとイヴ〜 その3】
自分の御霊を天上之司帝に生贄として捧げた尊は遂に黄泉の国の新たな住人と化してしまった。
それは無論、言うまでも無いがとても不幸な事であった。
恋人――翁との幸福な日々は何処へ、そしてこれから先何時彼に会えるのか尊はその事ばかり考えていた。
数日間、なぜか満たされない日々が続いた。
もちろんここで暮らす集落の人達もそれと同様であった。皆、親切だし良い人達ばかりなので心の隙間を埋める時間は数限りなくあった。だが――その楽しい時間もふと気が付くと不意に空しいモノに変化するのであった。
――それも当然の事。なぜかと問われればその元凶は全て天上之司帝の悪政にあったからだ。
帝は最早強欲の化け物だった。黄泉の国の長は必ずしも善とは限らない。しかも帝は2つの性を持つ特殊体質で言うなれば女性的な勘の鋭さと暴力的な男性の気質を持った飢えたハイエナだったのだから。
この世のありとあらゆる2つの性の魂を喰らいその欲望はどんどん膨張し、黄泉の国は飢えた様々な種の生物達の虚偽と虚飾に塗れた実体の無い生き地獄と化していた。そこは全ては幻想であり全ては妄執の様に醜い生きた人間達の住む世界と何ら変わりが無い様に思われた。
そして遂に尊の願いも叶わなかった。――いや、叶う筈も無かったのだ。
*
「おーこれが例のお化けの掛け軸か――。迫力あるー」
バラバラだった皆はやっと目的地に着き集合した。やる気の無いヘタレ軍団が一斉に注目したのは言うまでも無い例の掛け軸だ。
その掛け軸は意外な程小スペースにそれも寺の中心部とは掛け離れた小部屋の押し入れみたいな所にまるで隠す様に安置されていた。押し入れと言ったのは掛け軸とヘタレ軍団との間に襖の様な扉が遮っており何時でも隠せる状態に仕込まれてあったからだ。
「確かにこりゃ、大した迫力だな。ふわぁーあ」
俺は完全にやる気を失っていた。モチベーションは0。眠気100%中の100%だ。
「チョッと怖いね」
篠田はチョッと引いていた。
「コイツハサウスポーカ?」
マイケルは厳ついガタイでさっきからサウスポーサウスポーうるさい。
「皆、準備は良いかい?」
五木が叫ぶ。よくよく考えてみればコイツが1番うるさい。
「――は?」
「――ひ?」
「――ふ?」
「コイツハサウスポーカ?」
唖然とした俺達を余所に口をあんぐりと広げたのは言うまでも無い五木だった。彼も唖然としていた。
「いやいやいや。スンマセン五木さん。準備ったって俺らここに来る時に何かイベント的な催しを計画してましたっけ?」
何かアポ無しでイイトモ出るみたいなノリに似ていたので俺は少し悲しく為って来た。
「バカ。お前、何勘違いしてんだよ。五木はな。たぶん盛り上げようって意味でこの掛け軸をバックに記念撮影しようって言いたいんだよ。KYだな黒川。空気読めよ」
布施が必死で俺を説得する。彼はどーしてもこの掛け軸をバックに記念撮影したいみたいだ。そこは譲れないみたいだ。
「バカだな2人共。さっきまで五木の話を聞いて無いから分かんないんだよ。たぶん五木は尊と翁の縁結びの為に派手な除霊をするんだよ。その為には奴、天上之司帝を倒さなくちゃ為らない。だけど帝は黄泉の国の化け物――きっと正体はヤマタノオロチかなんかなんだ。このままじゃこの世は崩壊してしまう。そこで登場するのが選ばれし者の僕達5人組さ。五木の霊力を解放して他の4人の内の1人に帝の魂の生贄に為って貰う。俗に言う後霊ってヤツさ。そして残った4人は五木に霊力――言うなればフォース……そう、さっき五木が言ってたのは残された側のエナジーを電子分解してエクトプラズマの様にフォースを生み出すんだ。そこで生成された七聖剣で帝に止めを刺す――僕の勘が正しければ五木はそういう宗派に属してるんだよ」
残念ながらそんな宗教はこの世には無い。
篠田が勝手な事をペチャクチャと捲し立てる。何でたかが一般の中坊5人組がそんな過酷な試練を修学旅行中に乗り越えなきゃ為らないんだ? 背負い込み過ぎだろ運命を。
「コイツト……ヤルッテノカ?」
「はー?」
俺は突っ込む勇気すら無くしてなんか泣きたくなってきた。
「――その通りだ」
どーやら正解だったらしい。
「問題は誰が生贄に為るかだね――」
しかし仮に五木にその狙いがあったとしてもそれが成功するかどうかはまた別の話だ。五木と篠田は本当に何か悪い宗教にでも勧誘されたのか? 為るべく早く彼等を救ってやらねば取り返しのつかない事に為る。だが、最早その必要は無い。時が待ってくれなかった。遅すぎたのだ。
「まー何でも良いけど。記念撮影しよーぜ。せっかくデジカメ持って来たんだし」
今の所、正常なのは俺と親友の布施だけらしい。マイケルは良いとしてたぶん五木と篠田はすでに例の天上之司帝に操られている。
「そんな事したら奴に殺られちゃうよ」
「あー良いから。良いから。ハイチーズ」
――パシャ。
「よーし。結構良い画取れたぞー。マイケル、やっぱお前のガタイ並外れてるわ。見てみ」
布施はヘラヘラしながらデジカメに記録された画像をマイケルに見せる。マイケルはボソッと言う。
「サツエイキンシ――」
「へ――?」
マイケルは小部屋の隅の木の柱に『撮影禁止』と表示されているプリントしたシールを発見した。その上には『厳重注意』とまでシッカリと刻印されている。
「……」
暫く沈黙が続いた。沈黙を突き破ったのはまたしても五木だ。
「――皆……お札……」
「――あ、あーそーだった。そーだった。お札だろ? もちろん持って来たぜ。忘れる筈無いだろ?」
俺は未だ微かに残っている沈黙の濃霧を振り払うが如く焦らずに萎びたRight‐onで購入した安いジーンズのポケットに手を突っ込んだ。カサッとした確かな手応えを感じ俺はニヤッと笑った。
(良かった。これ以上場の空気を汚さずに済んだ)
「ほらよ。例のお札。別に何とも無いだろ? まークシャクシャに為っちゃったけどさー」
俺は右手を差し出して掌を開く。皆が何気無くそれを凝視する。そこには黒く印字された白いレシートが皺くちゃに為ったまま俺の掌の上で踊っていた。隙間から『セブン‐イレブン』と言う文字がハッキリと窺えた。因みに購入品は次の通りだ。
つゆだく牛丼 ¥398
グリコ ポッキーチョコレート @150×2 ¥300
ひねり揚げ ¥100
お〜いお茶 緑茶 500ML ¥147
ポカリスエット 500ML @147×2 ¥294
(商品代金 ¥1239)
(値引合計 ―22)
(合計 ¥1217)
(お預り¥1300)
(お釣 ¥83)
「つゆだく牛丼ってお前――。ポッキーとひねり揚げのコンボってお前――」
「……」
暫く沈黙が続いた。沈黙を突き破ったのはまたしても五木だ。
「――皆……お札……」
「ハイハイハイ。悪い悪い。場がシラケちゃったね。今のはほんのジョーダンだよ。何て事無い。実は左側のポケットに入ってるってオチだよ。皆、ビックリした?」
「――あ。なーる。全く、一瞬本気かと思ったぜ。俺はまさかお前が忘れるなんてヘマを勘繰るほどアホじゃないしそんな経験無かったからさ。しかもお札は紙じゃなくて木製だぜ。触れた瞬間気付くだろ。――にしてもポッキーとひねり揚げのコンボってお前」
布施は躊躇いがちに苦笑した。
「じゃーちゃんと持って来たんだ」
「モチのロン♪ 俺のこのジーパンの左ポケットは四次元ポケットだからな」
因みにRight‐onで購入したこのジーパンは定価¥2900だ。四次元ポケットの機能が付いていたらRight‐onの社長はその年の世界長者番付でビル=ゲイツを抜く事に為るだろう。
「さっすが―」
篠田は何でもノリ易いタイプだ。昔から。
「オマエノジーパンハサウスポーカ?」
「まーいーから、いーから。ほら、さっさと出しな。敢えて先に言って置くけどね、例のお札には俺の家系の先祖代々から受け継がれている特殊な代物なのさ。皆も知ってるだろ? 巌流島であの佐々木小次郎を討ったと言われている伝説の剣豪」
「もしかしてそれって…」
「――まさか宮本武蔵か?」
篠田はともかくさすがのミッチー事布施も驚きの表情を隠せずにいた。
「その通り」
「でもよーお前の家系と宮本武蔵――。どんな関係なんだ?」
探りを入れるミッチー。確かに幾等アホなオカルトマスター五木にしたって今の所全然関連性が無い。かの剣豪宮本武蔵にとってもいい迷惑だ。
「まーとにかく。黒川だけじゃなくて他の皆もお札用意して。話はそれから」
――えー。と、不満の声はブーイングに変わったが取り合えず皆、彼の話聞きたさに素直に従った。
「んじゃー改めてこのお札の効能について説明しよう」
五木はゴホンと1つ咳払いした。
「――実はさっきも言った通りこのお札には特別なフォースが籠められている。かの剣豪宮本武蔵の親戚にあたる俺の兄貴の従兄の友達が譲ってくれたんだ」
五木は自慢げに鼻をフフンと鳴らしながら例の『お札』とやらを天空に掲げた。
「何かスゲーな。その顔の広さ。――スネ夫かお前」
単細胞ミッチーは1人で感心する。その様子は微動だにせず腕を組んで直立不動でウンウン頷いてる。
「つーかさ。それって赤の他人なんじゃ――」
俺は逆に疑いの念が消えなかった。実際それも事実だったのだし……。それにしても当時の俺は何かと人の疑惑に首を突っ込みたがる嫌な中坊だった(今考えるとロクでも無いヤローだ)。
「――で? で? その特別なフォースって?」
篠田が無邪気にはしゃぐ。
「お前、さっき言ってたじゃん。電子分解してエクトプラズマが何とかって――最終的に七聖剣まで辿り着いたよな?」
「何だっけ? ヤマタノオロチがどうこうって為って――生贄が必要とか何とか言ってたよな?」
俺とミッチーの連続攻撃で篠田は止めを刺されてウワァーと叫んで奈落の底に突き落とされた。
「実は俺の家系とその従兄の友達の家系は驚くほど密接な関係で結ばれていたんだ。ヒントは従兄が宮本武蔵なら――?」
一瞬、場の空気が変わった。もしかして――。
「まさか――佐々木小次郎か?」
「――そう。そのまさか。俺としては上泉伊勢守秀綱が好みだったんだけどね」
五木はさも残念そうにフーッと吐息を吐く。何だコイツ。
「そーなると――お前は態々古に宿りし先祖代々のライバル家系である友達とやらに佐々木小次郎では無く宮本武蔵のフォースが籠められたお札をご丁寧にも5人分ご用意してくれた訳か」
「そゆ事――♪」
「アホかお前! 幾等宮本武蔵が強かろーが己の先祖である佐々木小次郎で勝負しろ! お前の家系はこうして負け犬の歴史を子孫に渡って刻んじまったんだぞ。しかもこんなしょっぱい中坊5人に歴史が分岐しちまった」
――何て事だ。迷惑千万だ。
「――デ? イケニエハダレニスル?」
珍しくマイケルがまともな(?)発言をする。しょ気返ってる俺等を余所に彼にとっては宮本武蔵でも佐々木小次郎でも上泉伊勢守秀綱でも誰でも良いみたいだ。唯、サウスポーは苦手みたいだ。
「当然流れから言って篠田だろう」
「OK。異議無し。俺もその意見に賛成」
「俺は俺以外なら誰でも良いけど」
「シノダ、ガンバ」
「チョ、チョ、チョッと! 何勝手に決めてんの? マイケルまで。だいたい僕が居なくなったら誰がこのメンバーの盛り上げ役に為るのさ? ――皆、絶対後悔するよ!」
篠田はテンパリまくりだ。ほぼ100%説明する必要も無い訳だが、敢えて言うなら後悔するのはこの世に残った他4名よりあの世に逝った篠田の方だ。
「お前が生贄に為るのがサイコーに盛り上がるんだよ。ここは一旗揚げよーぜ」
「篠田。短い間だったけど、楽しかったよ。お前との中学3年間の思い出は忘れないぜ」
「俺の家系の歴史としてもお前がここで頑張れば栄光の架け橋に手が届くかも知れない。最後に花を添えるのはお前の役目だ」
「シノダ、レッツゴー」
皆の五月雨の様な連続攻撃に篠田は為す術も無く倒れた。1RでKOパーフェクトってーとこか? 何かバックから『FF』のゲームオーバーのBGMが流れて来た。直ぐに○ボタンを押してリスタートする。
「と、兎に角。話の先へ行こーよ。生贄はその後!」
――チッ。と、他4名は舌打ちした。篠田の性格がどーあれ、彼等が最悪な4人組である事は説明不要だろう。
「分かった、分かった。じゃー皆俺がこの前渡したお札出して」
五木が皆を宥め賺して纏める。元々、この『漫聚院』(まんじゅいん)をリスペクトしたのは他でも無い五木本人で主役は彼のモノだった。
――ヘイヘイヘイ。分っかりましたよ。
素直に従う他4名――。
「因みに何か今までの流れで言い忘れちゃったんだけど、さっきも言った通りこのお札にはかの剣豪、宮本武蔵のフォースが籠められてる」
「――それで?」
俺はRight‐onで購入した定価¥2900のジーパンの左ポッケの狭い四次元空間に左手を突っ込んでいた。
「もしもだよ? もしも万が一例のお札に傷とかヒビとか亀裂とか真っ二つに割れてるとか粉々に為ってるとかそんな異常事態が発生してたら――何らかの因果関係でその持ち主の命に関わる事に為る」
「オイオイオイ。マジかよー」
――ハッハッハ。皆は声を上げて笑った。
「笑い事じゃ無い。ホントだよ。まー傷とかヒビ、もしくは最悪亀裂位なら何とかなるかもだけど割れてたりしたら完全アウト。GO TO HELLだ――。まー俺位この道一筋で頑張って来た屈強なお札なら何も問題ないけどね」
そう言いながら徐に五木は自分のジーンズのポケットをガサゴソと乱暴に捏ね繰り回した。そして言う――。
「あれ?何か、2つ入ってるっぽい」
「――え? あーそれ。俺のかも、何だよビビらせやがって。てっきり俺だけホテルに忘れて来ちゃったと思ったぜ。お前が持ってたのか」
ミッチー事、布施が安心してホッと胸を撫で下ろした。世の中一寸先は闇と言うではないか。
「全く。シッカリしろよなミッチー。ホラよ」
五木はミッチーのお札を見もせずに放り投げた。――オウ。と言いながらミッチーは何の気も無しに受け取る。そして見た。見てしまったのだ。例のお札を。
「じゃーこのお札についておさらい。皆、良く聞いてね。質問がある人はちゃんと手を挙げてから答える事――。良いね?」
――ハーイ。
「あのスンマセン五木先生」
「質問する人はちゃんと手を挙げてって言っただろ? まだ何も話してないじゃないか」
「あ、あのー。分っかりましたー。んじゃー、ハイ。先生。質問です」
ミッチーは何かに気付いたみたいだ。とてもさっきまでのふざけた態度を取った者と同一人物とは思えない。
「――何だよお前。また雰囲気打ち壊しに」
「為っちゃったッスね」
ミッチーが持っていたお札は半分だけしか無かった。それも縦にキレイに切断されている。――と、言う事は……。
ティーチャー五木は嫌な予感がした。世の中一寸先は闇と言うではないか。
手元を見ると何者かに『斬魔刀』でも喰らったんじゃねーか位の勢いでミッチーの持っていたお札の片割れが掌の上で転がっていた。
「えー本日の授業はこれにて終了します。えーまーハイ。そーゆー事なんで――」
――シーン――
「オイオイオイ! 何コレ!? 何かの性質の悪いジョーダンだろ!? ミッチー何とか言ってよ!」
「いやいやいや。お前が1番詳しいだろ? 俺に聞かれても困るって。俺、何もしてねーし」
――シーン――
「問題はそれが一体2人のドッチのお札か――? って所がポイントだよな」
俺はザ・ドッチの料理ショー的ノリで唸る様に語らせて戴いた。
「俺って事はまず無い筈だぜ。元々五木のポケットに入ってたんだから」
「――そうだな。それにもし予めミッチーが意図的に五木のポケットに割れたお札を仕込んだとしても動機が不純だ」
俺もミッチーの意見に同意だった。無意味な犯行をするほどバカじゃ無い。
「って事はやっぱり五木以外に有り得ないね」
篠田が急に冷めた態度で頷きつつ言う。
――五木御臨終決定――
「ハイ。お疲れっしたー。もうお札の件は良いからよ。そろそろ帰ろーぜ」
「――でも可笑しくない?」
篠田が何か勘繰った態度で今度は別の方向へと話が転がり込む。
「どこが――?」
俺とミッチーはもうこの話題には一切触れなかった。正直メンドー臭い。当時からそんな感じだった。
「だって五木はまだ生きてるじゃない」
五木はもうショックで死んだマグロみたいな目をしていたが、確かに息はしていた。
「そーだな。世の中にはまだまだ科学では解明出来ない不思議な出来事が沢山ある。アンビリーバボー」
結構その場の空気は俺とミッチーが独占状態だったのでシラケがちだった。
「それに幾等何でも五木が言う話がホントだって確証が無いよ」
「それは――そーだな」
やっと皆、納得した面持ちに為った。だが、1人だけ解せないと言った顔立ちの男がいた。五木本人だ。
「お、俺がウソ吐いたとでも言うのか?」
「全然意味分かんなかったけどそー言う事に為るな」
ミッチーも冷ややかな視線を送る。アイコンタクトを取った五木は反射的に腹の底から響く様な声で唸る。
「許せん。他の奴もお札を出せ!今すぐだ!」
「――つっても俺、ホテルの部屋のバッグの中だし」
ミッチー以外の男達は渋々彼の言うとおりにした。
因みにお札の状態は以下の通りだ。
俺――軽く傷が付いている程度。軽傷。
布施――行方不明。
篠田――軽くヒビが……。重軽傷。
マイケル――無傷。生還。
五木――真っ二つ。死亡。
「何だ。ヤマタノオロチって結構強いのな。宮本武蔵殺られてるじゃん」
――剣豪宮本武蔵敗れたり。
「ある意味、佐々木小次郎じゃ無くて良かったわ。ホント」
――そう。確かに五木はまだ死んでいない。言い換えれば五木の魂は絶対に朽ち果てる事は無いのだ。俺達4人の計画通りに行けばの話だが――
しかし所詮人の子の俺等も誰にだってミスは『憑きモノ』だったのだ。言い換えれば。
*
【怪奇 〜古に屠られた日本版 アダムとイヴ〜 最終章】
尊は思い切って天上之司帝に訴えた。
早く彼に会わせてくれと。
もちろん言うまでも無いが彼とは翁の事である。
あれから数日間、尊が黄泉の国の住人に為ってからと言うものの恋人である翁とは顔を合わせていないのだ。
そして忘れる事も出来ずに悶々とした辛い日々が続いた。
尊は帝に言った。
「なぜ、彼に会わせてくれないのですか? 約束をお忘れに為られたのですか? 答えて下さい。帝様」
天上之司帝はそれに答える。
「そんなに焦るな尊よ。そなたの恋人も近い内にここ黄泉の国へと訪ねて来るだろう。愚かな人間同士の争いの末路にな」
尊は帝の言っている事が今一理解出来て無いみたいだった。
「――それは……一体どう言う事ですか?」
帝は苦笑する。
「ククク――まだ気付いて無いとは貴様も愚鈍な女子だな。確かに私は貴様と約束を交わした。それは認めよう。だが、ここは黄泉の国――。即ち死者が最初に初めて訪れる云わば避けては通れぬ道。そなたの恋人。翁もやがて死人としてここに現れるだろう。だが――」
尊は息を呑んだ。薄い羽衣から透き通る様な地肌が咽ぶ様に震える。ああ――私は死人なのだ。初めてそれを実感した時、尊は何とも言えぬ感情が自然と全身を貫き、戦慄いて不思議と涙が溢れた。
天上之司帝は無情なまでにそれを放置し、冷たい口調でそれを制する様に説く。尊にとってはその面構えは黄泉の国の司――長である帝のそれでは無く、悪鬼の面そのものだった。
「――もしもそなたの愛しき恋人、翁がそなたとここで暮らすとなれば翁の御霊は我がモノと為る」
「――そんな! 約束が違うじゃないですか!」
尊は叫ぶ。戦慄き、震える両手を抑えて唇を噛み締めながら。
「黙れ!」
帝は怒りを露わにした。右手に持っていた細長い煙管を燻らせる。度が強すぎる大量の煙を鼻から噴き出したその姿はやはり悪鬼としか言い様が無い。
瞬間、尊は反射的に後ろへ下がりヘナヘナと、腰が抜けた。
驚嘆したのと同時に脂の臭いで涙が枯れる事は無かった。悲しみと絶望の狭間で彼女は何を思ったのか? ゴホゴホと噎せ返るその姿は余りにも無防備な少女だ。
――帝は続ける。
「確かに、そなたとは約束を交わした。そなたの御霊を犠牲にし、恋人――翁とここで暮らすとな。そしてその条件として翁の御霊を奪う事だけはしない――と」
尊は相変わらず噎せていた。嫌でも脂が目に入って来るのだ。涙が止まらない。
「だがな、尊よ。良く考えるのだ。これはそなたとの約束であって恋人――翁との約束では無い。違うか?」
その時、ハッと尊は気付いた。天上之司帝の狙いと恋人、翁――そして自分の先にある哀れな末路に。
「帝様――あなたは今度は翁を出し抜くつもりですね? 私を翁がここに1人で残す筈が無いと踏んで」
「ようやく理解しおったか小娘め」
帝は無表情に為った。無論、尊もそれと同じく気丈に為った。
「あなたはここ黄泉の国では神に等しき存在――。故に私達人間が生きる乱世を見る事が出来る。教えて下さい。今、翁は何処で何をしていますか? 私を忘れて無いでしょうか?」
「物分かりの良い奴め。最初からそうしていれば良いものを。宜しいそなたがそれを望むのならば何度でも見せて差し上げよう」
天上之司帝は嫌な笑みを浮かべ両手を身体の中心部に添える様に翳すと撫でる様な手付きで器用に手首を動かし、その所作を何回も繰り返すと何時の間にかそこには真ん丸の綺麗な光沢を放った水晶が現れた。
地球儀よりも小さくビー玉よりも大きなそれは鮮やかな薄い水玉模様をしていた。だがそれも実際には透き通っており遠目から見ると唯のガラスの水晶にしか見えない。
「そこに――翁はいるのですね?」
「黙って見ておれ」
天上之司帝は少し荒い呼吸をしてその水晶にパワーを込める。
すると不思議な事にその水晶は見る見るうちに上下左右に膨張しゴム毬の様にグラグラと歪みながらやがて音も無く破裂した。
突然、辺りが瞬間暗くなった。尊はそんな気がした。そして尊と天上之司帝の周囲を覆う様にその背景は色を変えた。
ここ黄泉の国とは全く違うこの世の戦乱の戦がその場にいる2人を背景にしてスクリーンの様に映し出された。
「――これは――」
「尊よ。見るが良い。これが悪しき人間達の哀れな醜態だ」
怒涛の滝の如く疾駆する双方の兵隊達。馬に乗った騎馬隊が怒号を上げて駈け出すと前線で火縄銃を担いだ歩兵が狙いを定めて敵を撃ち抜く。剣や鎧や盾のぶつかり合うガチャガチャとした金属音が生々しい。
悲鳴が彼方此方に聞こえ、次々と命を落として逝く名も無き兵士達。騎兵隊の隊長が撤退の命令を出すと双方の片側が次々と退き始める。勝利を予感したもう片側の兵隊達が死に物狂いで逃げる彼等の背後から剣や銃、弓矢や斧で止めを刺す。血が流血が噴き出し、返り血を死ぬほど浴びた兵隊が勝利の雄叫びを上げる。
どうやら戦は終焉の時を迎えた様だ。辺り一面、死体が山の様に積まれまたは犬ころの様に放置され唯、時間だけが過ぎて行った。
「――これを見せて私にどうしろと?」
尊は冷徹な視線を向ける。言うまでも無いが彼女は戦を見るのが今日が初めてという訳では無いのだ。
「まだ気付かぬのか?どこまでも哀れな人の子め。ここに翁がいるのだ」
「――」
彼女は絶句して仕舞った。もし、もしも翁の身に何かあったら……。しかしもう遅い。戦は終わってしまった。唯、翁が生きている事を勝者側の立場にいる事を祈るのみだ。
しかしそこで映像は途切れてしまった。
尊は気が気で無かった。
ガタガタと身の毛もよだつ漠然とした不安が己の身の内を占拠すると、吹きすさぶ風が一陣流れそして消えた。
何者かの気配がそこにあった。――まさか。と、尊は思った。しかし彼女の不安は治まらずに気が付けば背後を振り向いていた。
それは何かに反射する時の人間の本能の様なモノだった。
彼女は直感したのだ。
そこにいるのは彼――翁であると。
「ようやく来おったか。待ちくたびれたぞ。私は待つのは嫌いだ」
そこにいたのは正真正銘、翁だった。尊は悲哀とも歓喜とも云い知れぬ奇妙な気持ちで遂に泣きだしてしまった。
直ぐに彼の胸元に駆け寄り思いっきり抱き締める。
「スマン。尊。まさかこんな所におったとは」
「いいえ。それは違います翁。謝るのは私の方です。私は大きな過ちを犯してしまいました。何とお詫びして良いやら。とても言葉で言い尽くせません」
翁は笑っていた。尊は泣いていた。
涙がポロポロポロポロと溢れ出して止まらない。
きっと翁は戦場へ向かうまで三日三晩、尊を探してたに違いない。
翁は言う。
「どうやら俺は死んでしまった様だな。ここは黄泉の国か?」
「そうだ。我は天上之司帝。その名の通りここ黄泉の国の死者を管理する者。言うなればこの国の長だ」
天上之司帝はニタリと笑う。
翁は少し困惑した様子で帝をまじまじと見る。
透き通った彼の両目はまるで帝の真意を眺める様にX線で透かして掴んで離さなかった。
「成る程。そなたは人間では無いと」
「たわけ。そなた等の様な野蛮な種族と一緒にするな」
「――では。この国ではそなたの命令を背く事は出来ないみたいだな」
「無論。そなたの心意気次第だ」
「尊は――なぜこの国へ来た? 命を落としたのか? 俺にはそんな風にはとても見えないが」
尊はキッと表情が変化した。天上之司帝が憎くて仕方が無かったからだ。
自分は騙されてここへ導かれた。その全ての事実がどうしようも無く憎かったからだ。
「騙されちゃダメ。翁。あなたは私を置いてここを去りなさい」
「なぜだ? 共に逝こう尊。俺達はまだ死人では無いとでも言うのか?」
尊は涙を拭いて不意に笑顔を取り繕った。翁に最後の別れを告げる様に――。
「私は天上之司帝に御霊を喰われてしまいました。最早死人でも生きている人間でも無いのです。私は永遠にここ黄泉の国の住人として暮らして行かねばなりません」
「御霊を――喰われた?」
翁は一瞬、彼女が不意に口にした言葉に訳が分からなくなった。
ここ黄泉の国を司る長――天上之司帝ともあろう者が人間の御霊を喰う等と言う事が有り得ようか? 帝は妖だとでも言うのか?
「聞き分けの悪い事を言うんじゃ無いよ小娘が。全てはそなたが望んだ事。それとも愛しき恋人の前で泣き事でもほざくか?」
帝の眉間に皺が寄る。忽ちまた悪鬼の様な面に変化した。
「いいえ。私はその様な事は一切していないつもりです。唯、真実を述べたまでです」
尊も負けじと眉間に皺が寄る。表情は濁ったがシッカリとした気立ての良い顔立ちだ。
「――フン。小娘が。まあ良い。問題は翁。そなたがこれからどうしたいのかだ。我の話を良く聞くのだ」
「翁。騙されちゃダメ」
「――一体、何を?」
忽然と1人取り残された様な気持で翁はポツンと呟いた。
「簡単な事だ」
帝は話を続ける。
「そなたがここ黄泉の国で恋人――尊と永遠に一緒に暮らしたいか?」
「――黄泉の国で永遠に?」
「そうだ」
「翁――私の事はもう良いから」
尊は今にもまた泣き出しそうだ。しかし冷酷な帝はその涙声を遮る様に声を1オクターブ高くしてまるで翁を誘惑する調子で話を続ける。
「そなたの選択肢は2つしか無い。我に御霊を差し出すか、否か」
「俺の御霊を差し出したら一体どうなるんだ?」
翁は落ち着いた口調で帝に催促する。
「そこに居る小娘。そなたの恋人、尊と共に永遠にここ黄泉の国に暮らす事と為る。晴れてめでたし、めでたし――と言う訳だ」
帝は目を細めて奇妙に歪んだ笑みを見せる。翁は思わず眉を顰める。
「御霊を差し出さなかったら?」
翁は問いを続ける。
「その場合――そなたはここから追放されて三途の川を渡り輪廻転生する。つまり生まれ変わると言う事だな」
「翁。ダメよ。あなたはここにいてはいけないの」
翁は余程神経が鈍いのか黙ったまま考え込んでしまった。
「なぜだ? 2人一緒にいられるのだぞ? ここ黄泉の国で永遠に――。夢の様な話では無いか」
「ダメなものはダメなの」
尊は荒い呼吸で急き立てる様に必死で翁を説得する。
「良い? 今から言う私の話を良く聞いて」
尊は自分が犯した過ちをその事のあらましを恋人、翁に伝えた。
「それは本当か?」
「私は翁の恋人よ。嘘なんか吐かないわ。それとも私の話を信じられないの?」
「それは――」
翁は俯いて仕舞った。どこかやり切れない感情が沸々と煮え切らない感情と為って奇妙にうねりうねり彼の心を占拠して行くのが自分でも良く分かった。
「このままだと――全てがそこにいる化け物、帝の思うがままに為ってしまうわ。それでも良いの? 答えてよ。翁」
尊は遂に耐えきれずもう1度泣き出してしまった。しかし翁は複雑な心境を隠せずについ口に出してしまった。
「君は――尊は俺と一緒にいたくないのか?」
「そんな事――」
「君は本当にあの尊か?」
その時初めて尊は自分の置かれた立場に気付いた。そして天上之司帝の真の狙いに。
「ククク。さあどうする? 翁よ。そしてそこに居る小娘」
「気安く話し掛けないで。私は正真正銘、翁の恋人。尊よ。あなたと同じ妖なんかと一緒にしないで」
天上之司帝は余程愉快な気持ちに為ったのか気味の悪い笑みを零す。帝は尊と翁の2人の間を利用した。まるで玩具を操る様に。唯、それだけだった。
だが、唯それだけの事がとても単純であるその事だけがとても2人の間を複雑なモノに変えた。
1つは尊を餌にして2人の関係を引き付ける事。
1つは尊を餌にして2人の関係を引き裂く事。
結局の所、最初から天上之司帝の狙いは尊を出し抜き、地獄に陥れる事だったのだ。
よもや尊が黄泉の国へと続く洞穴を発見したのも、何となくその眩い光に引き付けられたのも全て偶然では無い。天上之司帝の掌の上で踊らされてたのだ。
「俺は――一体どうすれば良いんだ? ここは本当に黄泉の国か? 自分は本当に死んだのか?」
翁は下を向いてしまう。尊はこれ以上ないと言うほど泣きじゃくり、涙がまるで噴水の様に絶えず溢れて止まらなかった。
「――翁。お願い。私の言う事を信じて」
天上之司帝は高く声を荒げてそして笑った。
「さあ、翁よ。どうする? この素性の知れぬ女子1人を信じて永遠にここ黄泉の国で止まるか? それとも――」
――いや。翁は言う。
――俺はここに残るよ――
「クックック。そうか。そうか。為らば仕方が無い。その御霊を我に捧げよ翁」
帝は満足げに舌なめずりする。
「――ダメ……ダメよ。翁。お願い――私の言う事を信じて――」
尊は最早涙も枯れてしまったのか翁の背中に唯縋り付いていた。
「尊よ――」
「――え?」
突然、意を決したのか翁の声音が真剣なものへと変化した。優しさが滲み出て来る様な尊のポッカリと空いた心を満たすいつもの声だ。
「――もう、あの約束を忘れたのか?」
「あの約束――?」
――そうだ。あの約束だ。翁は続ける。
「俺が、戦に出ると決まったその日。君は俺に何て言った?」
尊は何かを――翁が伝えたいたった一言の言葉にやっと気付いたみたいだ。
「約束――? 何だそれは。話せ」
「フン。妖であるお前なんかに分かる訳無いだろ? この化け物め」
鼻でせせら笑いながら突然の翁の反逆に天上之司帝は憤怒した。
「良いから話せ! さもなければそなたの御霊を八つ裂きにして喰らってしまうぞ!」
「答えは尊から直接聞いた方が良いんじゃ無いのか?」
焦らす翁にとうとう己の本来の姿を現した天上之司帝――。その姿は八つの頭を持ったヤマタノオロチだったのだ。
「――何だ。やっぱり尊の言った通りだな。こいつは化け物だ」
「翁――でも、どうして?」
尊は着物の袖で頬に付いた涙を拭うと思わずキョトンとしてしまった。
「俺が君との約束を破る訳無いって事だ」
「『約束』って――もしかしてあの時の?」
――行かないで――
――ずっと一緒だよ――
「そう。運命の赤い糸って本当にあるんだな。だから俺が戦に出る日、神に誓ったんだ。絶対に君の傍から離れないって」
「だから私はこの黄泉の国へ迷い込んだ」
「そして君と再会した」
こんな形だけどね。と、翁は苦笑した。思わず尊もつられて笑う。
「そして俺はこの黄泉の国に来た時の君の顔を見て確信した。君の事を信じようって。だから敢えてあの時の約束を君に合言葉として呟く様に言ったんだ。そして今、君は俺の知ってる尊で間違い無い事が証明された」
つまり、さっきまでの翁は天上之司帝の正体を暴く為の芝居だったのだ。
「――おのれ。貴様等。許さん。この我を騙した罪。その御霊で払ってくれようぞ」
八つの頭を持ったその怪物は火を噴き今にも翁に襲いかかって来そうだ。
「天上之司帝――いや、ヤマタノオロチよ。貴様が何者かは知らぬが今まで喰らって来た人々の魂を今こそ献上してくれようぞ」
振り返った翁は唇を突き出し、眉間に皺を寄せて凄んで怪物と化した帝を睨み付ける。
「黙れ、この小童が。そなたに何が出来ると言うのだ。たかが死んだ人間の想念なんぞに我が屈服するとでも言うのか?」
「翁!」
尊が力一杯叫ぶ。だが翁はそれを悟ったのか美しく微笑する。
「ヤマタノオロチは元々人間の心が創り出した空想上の化け物。奴は人の御霊を喰らう事により一時的に生を手に入れる。だから誰かが身代わりに為らなければいけない」
――天上之司帝! 翁は叫ぶ。
「古に宿りしその悪しき魂魄よ、今こそ我の御霊と引き換えにその生命に残された人民の救済を約束せよ!」
そう唱えた翁の全身が金色の刃と為って姿を変えていく。
これが唯一、ヤマタノオロチを救済する翁の意志が宿った伝説の剣――七聖剣だ。
「――さあ、早く。奴に止めを刺すんだ。尊!」
「でも――」
「良いから早く!」
最初は躊躇いがちだった尊もようやく決心が着いたのか七聖剣を持って言った。
「分かったわ」
「グヒヒヒ。たった1人のそれも人間の女子に何が出来ると言うのか? そんな鈍の刀で」
天上之司帝――いや、ヤマタノオロチは下卑た声を発し、火を噴いた。
「私はもう1人じゃ無い」
勇気を振り絞って尊は翁の魂と共に敵の懐に勇猛果敢に接近した。素早い動きですぐさま化け物の腹を一突きする。
「グワアアアア!」
ヤマタノオロチは全身を響かせて唸り声を上げ、八つの頭をそれぞれ、蛇が泳ぐ様にグルグル回しながら七転八倒して野垂れ苦しんだ。
それぞれの口から血が入り混じった炎を吐き出し、声にも為らない声で喘いで何かを発するとそこでピタリと動きが止まった。遂に息絶えたみたいだ。
こうして伝説の黄泉の国は解放され、天上之司帝に捕えられた魂も、そこに永住していた人々も無事に天国へと旅立ったのであった。
*
――ん? それと『憑きモノ』に俺が好かれたのとはどこが関係してるのかって? まーそんなに急ぐなって、本題はここからだ。
まず例のお化けの掛け軸――。そこに描かれてたのは『〜古に屠られた日本版 アダムとイヴ〜』の登場人物の尊では無く翁でも無い。はたまた天上之司帝でも無くその正体の化け物ヤマタノオロチでも無かった。
あの時――ミッチー事布施道徳が撮った写真にはあらぬモノが写し出されていた。そして例の掛け軸の除霊を試みていた五木のお札は真っ二つに割れていて俺を含めた他の4人もそれぞれ確かに症状は出ていた。
――よくよく考えれば奇妙な話だ。五木の話が仮に本当だったとしてもそんなにあからさまに宮本武蔵のフォースが入ったお札に傷が付くなんてやはりあの掛け軸には何かがあるのだ。少なくともあの場所には。
五木の話が所詮戯言ならば余計気味が悪い。
――そう。これは日本版アダムとイヴの話が本当だったと裏付ける何よりの証拠なのでは無いか? 五木の話を聞き流していた俺達はあれから5年が経った今も少なくともその線に疑いがある事に気付いたんだ。
もし、もしも五木の話が全て本当だったとして例のアダムとイヴ――つまり尊と翁が実在する人物だったとしたら? 天上之司帝が黄泉の国を統治していて2つの性を持つ化け物――ヤマタノオロチも嘗て存在していたとしたら?
もしかしたら俺達はとんでもないモノに首を突っ込んでしまったのかも知れない。古の日本の歴史――それがあのチャッちい寺『漫聚院』(まんじゅいん)の中に眠っている数少ない伝説で俺達がそれを知らぬ間に無理矢理捻じ曲げて改竄してしまったとしたら?
登場人物である翁は自らの魂を使って七聖剣へとその形を変えて最後は恋人の尊が止めを刺した。シナリオはそう言った感じだった筈だ。
そして黄泉の国は平和を取り戻した。
――だが……。
俺達があの日、あの時、あの場所へと行って五木が持って来たお札と布施道徳事ミッチーが写真を撮った事によって実際の過去の歴史と黄泉の国に何らかの影響が出てしまったとしたら――歴史は変わってしまうのではないか?
宮本武蔵のフォースが入ったお札は皆、それぞれ状況が異なっていた。俺は軽傷だったが、ミッチーは行方不明。五木に至っては真っ二つに切断されていた。
要するに本来のシナリオは次の様に為る。
1.まず生贄として捧がれたのは五木本人――。これは間違い無い。お札が真っ二つに割れていた事がそれを如実に物語っている。
2.生贄と為った五木の御霊から生成された宮本武蔵のフォースを起点としてエクトプラズマが発生。それを電子分解し上手く利用した翁は七聖剣の入手に成功する。もちろん、他の4人(俺、ミッチー、篠田、マイケル)のフォースからもエクトプラズマが発生した。その為、五木以外の俺達のお札にも異常が現れた。
3.天上之司帝(ヤマタノオロチ)は七聖剣を手にした翁に敗れ、そこに溜まっていた俺達の魂も含め全てが解放された。だが、五木の魂は別だった。
4.残された五木の魂は黄泉の国を浮遊してやがて悪意の塊と為って目覚める。そこに残った宮本武蔵のフォースとヤマタノオロチのフォースを利用してエクトプラズマが発生。彼は後に黄泉の国の長――天上之司帝と為りその国を牛耳る事と為る。
5.そしてある日、天上之司帝(五木)は自分の運命を呪い、その終焉の時を望む様に為る。そこでその当時の戦国時代――まだ無名だった宮本武蔵のフォースを感知して過去の自分に例のお札と言う形で差し向ける事に成功する。
6.更に天上之司帝(五木)は嘗ての戦友である翁と尊を引き付ける事にも成功する。彼等2人の運命の赤い糸によってその螺旋を下り天上之司帝(五木)は自らを生贄に捧げ、自分の首を絞める事に為る。
7.天上之司帝(五木)は過去の俺達のフォースと宮本武蔵のフォースによって生成された七聖剣により、翁に止めを刺される。だが、過去の自分の御霊により拒否反応を起こして邪念だけが残り、ヤマタノオロチと為る。
8.4に戻る。
*
だが、話がコレだけで済めば俺達としてはめでたし、めでたしな訳だ。しかし、現実と言うのは時に無慈悲で残酷なモノだったりするのだ。
やはり事の発端は五木だった。そもそもこんな計画に俺達が乗らなければ俺達は例の『漫聚院』から生きて帰って来る事が出来た――筈。
それが不可能に為った。と、言う事は俺達は死者なのか? 実はそう言う事でも無いみたいだ。
なるほど、翁も尊も天上之司帝(五木)もヤマタノオロチ(五木)も宮本武蔵も確かに実在していた。それは確かだ。唯、裏を返せば俺達もこの世の実在する人間だ。
実はあの日、俺達素人が相手にしたのがそもそもの間違いだった。幾等チョッとした好奇心だったとは言え宮本武蔵のフォースが入ったお札なんか持って来るべきでは無かったのだ。それが仇と為った。宣戦布告と見做されたのだ(布施事ミッチーに関しては記念撮影までする始末。話に為らない)。
あの時、俺達は宮本武蔵に借りを作る所か戦闘に加担してしまった。天上之司帝(五木&ヤマタノオロチ)を撃破したのは良かったものの俺達の魂は黄泉の国へと解放された。
――そう。あの黄泉の国の住人達は俺達も含まれていたのだ。この世でもあの世でも無い生者でも死者でも無い国に俺達は五木の管理下に置かれる立場と為った。
だが、希望が無かったとは言えない。俺達は無力ではあったが過去、現在、そして未来を知っていたからだ。単純な事だ。唯、五木が勝手に没してくれれば黄泉の国から解放される。それだけを待てば良い。俺達は時が来るのをひたすら待った。
だが、運命の歯車は少しずつ狂い始めていた。
だから俺達は敢えて五木のこの壮大な計画に乗ってやった。――そう。俺達はあの時の全ての記憶が宿った中学時代の一筋の思い出とやらに自分達の全てを賭けたんだ。全てはほんの束の間、ほんの一瞬の生の為に――。
あの修学旅行に行った時の例の寺『漫聚院』行きは五木の計画だけでは無く、その話に乗ってやった俺達4人の計画でもあったんだ。だが、事の発端は五木本人――。
故に全ては五木の1人芝居――。
そして必然的に蓄積されるヤマタノオロチの邪念――。
そして俺達4人(俺、ミッチー、篠田、マイケル)はあの黄泉の国から時空を超えて現世へと戻った。
――五木本人は自分の運命の巡り合わせに最初から気付いていたのか?
答えはNOだ。
――ではなぜ俺達4人(俺、ミッチー、篠田、マイケル)は五木の企みを暴けたのか?
その答えは全て例の宮本武蔵のフォースが入ったお札にあった。――そう。五木本人が俺等に差し向けたお札に。
あのお札には特別なメッセージがあった。『ハズレ』と『アタリ』――。まるで棒付きアイスキャンディーの籤の様に。
つまりそれぞれのフォースの分量に相違はあるにしろ、必ず1つは『アタリ』がありますよ。ってー事。
そこで俺達4人が困惑したのは言うまでも無い。『アタリ』に為ってしまったら生贄に捧げられる。これじゃーどうしようもないバッドエンディングだ。
しかし1人だけ事の顛末に気付いていない者がいた。言うまでも無い五木本人だ。
五木は例のお札に込められたメッセージに気付いていなかったのだ。俺達はちゃんと気付いていた。
――助けてくれ――
それは五木本人の深い深い運命の輪廻の螺旋から響き渡る死の淵の叫び声であった。
人間1人では生きていけないと言うのは本当だ。
どこの誰だかの哲学者だか何だか知らないが有り難かった。五木にしてみりゃ有難迷惑そのものだが。
しかしその叫び声も空しいままに五木本人には届かなかった。当たり前だ。当の本人である五木には物理的に渡す事は可能だとしてもシッカリと拒否反応を引き起こしたからだ。
だが最初は皆、不思議で仕方が無かった。頭で理解は出来てもとても信じられなかったから。
そしてその内、五木だけがこの事に触れていない事を覚った。
そして俺達は彼の計画に敢えて乗ってやったんだ。元々、彼の引き起こした事件。自分の尻拭いは自分でやれと。まーそー言う事だ。
そして俺達は上手く『アタリ』のお札を五木に差し向けた。その時のマイケルの一言が今でも頭の内側にこびり付いている。
「メイドインチャイナ」
「――は? 違―よ。これはMADE IN JAPAN.お前ホントにどこ出身なの?」
この時、マイケルは本当はこう言いたかったのだろう。
「冥途に行っちゃいな」
つまりGO TO HELL.と、言う事だ。ホントにマイケルはどこ出身なのだろう?
――全ては五木の1人芝居――
こうして俺達は(悲痛な?)気持ちで『漫聚院』を後にしたのでした。
――五木よ。永遠なれ――
*
――そう。これが俺達の駆け引き。そして青春時代。
ではなぜ俺が例の『憑きモノ』に好かれて悩んでるかって? 答えは簡単だ。
俺は今、自室にいる。1Rの築20年位前の当時流行ったロフト付きのアパートだ。
何て事の無い1人暮らし。19でフリーターの俺は今日もバイト三昧。親に無理言って上京して1年。その為か仕送りも無し。全くトーキョーモンは冷たいものだし毎日働くのは正直言って辛い。
まー俺が勝手に我が儘言って上京して勢いでここまで来ちゃったのが全ての原因なんだから仕方が無い。そしてテレビを何気無く見る。あーやってる、やってる。今日もやってるよ。
ブラウン管のテレビの中はまるで戦時中の様な大騒動。ニュースキャスターがマジメな顔して必死にその『戦闘』を実況中継してる。俺は思わず溜息を吐く。
「あ、今、航空自衛隊が到着準備をしています! あーっと! そうこうしてる内に東京スカイツリーが――うわ! うわああああー!」
まるで呂律が回って無い。何だコレ? って思うかも知れないが、これが現実なんだ。
五木黄泉拉致監禁事件から数年――。ヤマタノオロチの邪念が膨張に膨張を重ね、遂にこの世に出現してしまった。――結果がコレ。
最初は特撮映画でも見てるんじゃねーか位の勢いだったが、2、3週間も連日続いてると視聴率もさすがに落ちてきたみたいだ。俺は何時自宅が打っ壊されるのもつゆ知らず、コンビニで買って来た唐上げ弁当を電子レンジに入れる。
【巨大生物アポカリプス!日本襲撃!東京大壊滅!】なんて言うバカげたキャッチフレーズでタイトルが表示されると良く分からん変な精神をした仙人みたいなジーさんが陰鬱そうな歪んだ表情をしてキャスターの質問に答える。
「あれは天からの使者です。我等人類に警告を打ち鳴らすために来た第8天の魔王だ」
憑きモノの正体はコレ――。
奴を鎮める為には俺達4人(俺、ミッチー、篠田、マイケル)が何とかしてフォースを集めなければ勝ち目は無い。
だが、最後の頼みの綱であるミッチーからも音信が途絶えた。あの掛け軸には五木とそっくりな顔をした僧官がまるで俺達を睨む様に嘲っていた。――そう。俺達の写真の背景として。
果たして五木は俺達の策略に気付いていたのか?
それがYESにしろNOにしろ俺達に万策は尽きた。
――最早、核爆弾でも使用しない限り地球……いや、人類は救えないのだろうか――?
――チン♪ 電子レンジが鳴った。そして俺は同時に思った。JR東海のCMみたいに。
――そうだ。京都へ行こう。(了)
最後まで読んでくれた方に感謝。ありがとうございました!