第十三話 CNSC
5月8日(土) 07:00
深山は珍しく早起きしていた。もっとも前日のニュースを見た段階で下手に動くべきではないと判断し、そうなると自然とすることも無くなるた床に就く時間も早まっただけなのだが。
しかしそれだけが早起きの理由ではない。元来怠惰な性格なので用事が無ければ永遠に布団の中で丸まっていられるのだ。つまり今日は用事があった。
彼は市原に通信をする。
「俺だ、昨日言っていたものの準備は出来ているか」
『勿論できているよ』
どんな時間に通信をしても市原が出なかったことがない。いつ寝ているのだろうかと思うこともあったが別段彼が気にすることでもなかった為詳しく聞いたことは無かった。
「相変わらず迅速で助かる。今から受け取りに向かう」
『珍しいね君が素直に礼を言うなんて』
市原がわざとらしく少し驚いたように言う。
「寝起きなんだよ、俺の言語野はまだ少し鈍ってるみたいだな」
乱暴に言うと一方的に通信を遮断した。
朝食と身支度を適当に済ませ部屋を出る。まだ若干眠気が残っているの彼はかしきりに目をしばたかせている。こんな時はオートバイに乗って外気を目いっぱい浴びれば目も覚めるのだが荷物があるため今日は車だ。
都内の直線的に配置された国道を走っていく。通勤時間ではあるが渋滞などの類は一切なくすべての車が一定間隔一定速度で走っている。現在もっとも頻繁に使用されている移動手段は電車で、僅差の次点でリース型のシティコミューターである。
端末からリース会社にアクセスして配車手続きを済ませれば付近を巡航しているコミューターが目の前にやってくるという仕組みだ。乗車条件に乗り合いを選択すれば自分の近くにいる目的地が近い乗客を自動で選択し、距離に応じて料金は人数で分割されるため非常に安価で利用することができる。
このリース型シティコミューターは、ほんの20年前導入された公共交通機関の新しい形ではあるがその利便性と安価な料金によって都市部を中心に急速に広まっていた。利用乗客数も電車に迫っており、あと数年で追い抜くのではないかとの意見もあるほどだ。とは言えこれは人口密集地でなおかつ道路が幅広く整備された都市部でしか採算が取れないため地方で導入されるのはまだまだ先のことであることもまた事実だった。
そんな自動運転車の間をマニュアル操作で駆ける好事家が彼だ。周りの自動運転車たちが速度や交通状況を自動で計算して適切な車間距離を取ってくれるので非常に気楽なのだが、ついもたついた運転をしてしまうと車列のバランスが崩れて、彼一人のせいで大渋滞が起こることもあるので気が抜けない。
CNSC本部にはものの40分ほどで到着した。といっても公安局が所有するビルの一室で非常に質素な場所だ。
前世紀絶大な信頼を置かれていた指紋認証や網膜認証は、合成タンパク質によって人工的に四肢や各器官が作り出せる現在においてかなり危ういセキュリティとなっている。残ってはいるが、一般家庭や個人経営の店舗などの機密性がさほど重要でない施設で使用されているだけだ。
しかしそんな現代においても作り出せないものがあった。脳である。
厳密には脳によく似た機能を持つ電子回路の集合体を作ることはできていたが、そこにすでに現存する人間の脳をコピーすることが出来ないでいた。
なのでこのような厳重なセキュリティが必要とされる施設では脳波の読み取りによって個人を認証している。そんなわけで彼は今まさに脳波を測定されている真っ最中だ。と言っても、ものの10秒ほどスキャンされるだけなのだが。
通路を抜け観音開き式の扉を備えた部屋の前で再び脳波と、ここでは網膜や手のひらの毛細血管までスキャンされる。無事深山が深山であることを証明し終えた後部屋に入ることが出来た。
部屋の各所に様々な連絡事項やスケジュールなどが端末を通してかなりのスピードで流れているのが網膜に映し出される。前世紀、金融商品をやり取りしていた日本最大の取引所を思い出させる。しかしそれ以外は普通のオフィスと変わったところは無かった。
「時間通りじゃないか、珍しい」
コーヒー片手に市原が歩いてくる。にやけているのかいないのかハッキリしない相変わらずの顔でだ。
「俺は時間を守る男だよ。それよりも…」
「あぁわかってる。ついてきてくれ」
市原はカップを持ったまま部屋の右奥へと歩いていく。彼はそれに従った。この間、深山が部屋に入ってきたことに関心を向けた職員は一人としておらず、皆一様にディスプレイに向かっていた。あるものは延々とパイプを燻らせながら、あるものはブツブツと何かをつぶやきながら、そしてあるものは端末で音楽を聞いているのだろうか頭を一定リズムで揺さぶりながら…。
「相変わらずの不気味な職場だな」
市原の後をつけながらいつも通りの嫌味を投げかける。
「ひどいな、みんな仕事熱心なんだよ」
気を悪くした素振りも見せずにやけた顔で答える。いつもこうなのだ、何を言っても全て見透かしたような返事をする。始めの頃は市原のこのキャラクターが受け付けず不信感を抱いていた。もっともその不信感は共に仕事を初めてからすぐに消滅することになるのだが、それでも時たま底知れぬ不気味さを彼から感じることはあった。
扉の前で立ち止まり、市原の脳を認証システムがスキャンし始めた。小さい電子音のあと扉が開く。
「これか…」
思わず深山が呟く。窓がなく壁一面真っ白の完全無菌室のような部屋の机の上に小型の直方体のケースが2つ、棺のように横たわっている。上面の蓋は開かれており中には一見すると黒の革ツナギのような物が収められていた。
「昔のつてを頼ってね、軍部の試作品を借りてきた。そこいらのサブマサインガン程度じゃ穴なんて開けられない代物だよ。さすがにAWG209の直撃を受けたらまずいけどね」
「端末とのリンクは?」
「もちろんバッチリさ。体内中の電荷を通じて神経に電気信号を送ることによって反応速度を上げることができる。スーツ自体も薄い人工筋肉でできているからそのパワーアシストで、生身相手なら素手で内臓くらいは破壊できると思うよ。超音波人感センサーもついてるから背後から敵が近づいて来るとアラートが表示される。味方の固有振動数を登録しておけばツーマンセルでも行動可能だ」
市原の早口な説明を聞いているのかいないのか、深山がもう一つの棺の方へ目を向ける。
「で、こっちのセクシーな形の方が笹原くんの」
視線に気づいたのか、市原が真面目な声で答える。もちろんわざとだろう。深山が手にしているスーツより若干細身で女性の体にフィットするようになっている。
「機能面では同じなのか」
「もちろんだよ」
「軍も進んだな」
深山がスーツをケースにしまい込みながら呟く。
「軍と行っても特殊部隊だけどね。電網特殊作戦実行部隊、君の古巣さ」
深山は返事をしない。しばらくの沈黙が流れる。
「あとの武器はそっちのケースに入れてある。実弾はできればあまり使ってほしくないってのが本音だけどね」
市原が残りの武装についての説明を始める。沈黙を嫌っての事ではないことは深山にもわかっていた。
現在日本では実弾の使用履歴はリアルタイムで監視され、いつどこで誰が何発撃ったかはすべて記録され、然るべき手順を踏めば関係者なら誰でも知ることが出来る。端末認証の付いていない旧世紀の銃を使用すればバレないのだがもちろん違法行為だ。
「わかっている。向こうが使ってこない限りこちらから使うつもりはないさ」
「まぁなんというか済まない。この国はいつまで“我が国は戦争はしていない”と言い張るつもりだろうね」
「戦争が終わるまでだろ」
深山はそう言うとこれらの荷物を持って部屋をあとにした。
次回投稿は少し間があくかもしれません!あかないかもしれません!