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第十一話 倫理


 5月7日(金) 11:14

 

 正午前、交通量や街を歩く人の数も落ち着いて幾分かのんびりした空気が流れる都内の道路を深山のセダンが走っている。通りに沿って立ち並ぶ飲食店にはちらほらと人が入り始めていており、人工知能搭載の自立歩行型のアンドロイドが給仕をしていた。


 人工知能の研究が進み、発展していく過程で人間の仕事をロボットが奪うのではないかとの論争が盛り上がった時代もあったが、この時代においても結局は給仕や配送などの単純作業にとどまっている。


 「...つまり、あの男の端末にはすでに誰かが先にハッキングを仕掛けていたと?」


 ゆったりとした街の雰囲気に似つかわしくない真剣な面持ちで助手席の彼女が尋ねる。


 「あぁ、そうだ。もっともそのことに当の本人は気が付いていないみたいだったけどね。思っていたよりずっと早くにファイアウォールを突破することが出来たから何かあると思っていたが、まさか先行者が居たとはね」


 先ほどよりは緊張した声で彼が応える。


 「それで、私の追跡がターゲットではなくその先行者に感知されてしまったと...そういうことですか?」


 彼女はエリアスから教えてもらったことをもとに自分の意見を述べた。


 「いや、現時点でそれは分からない。分からないからこそ先手を打ったんだ。恐らく気づかれてはいないと思うが、万が一気づかれていてもその先行者とやらがこちらを追うログが残っているものはもう何もないから心配はいらないけどね」


 そう言えば朝、議会庁舎の前にいたころに助手席とそのダッシュボードに置いてあったコンピュータとディスプレイが消えていた。おそらくどこかで処分してきたのだろう。


 「それじゃあオートバイを処分したのは...?」


 プログラムを打ち込んだのは彼女だったがハッキングを仕掛けたのは深山のコンピュータのはずなので彼女の、ましてや乗っていたオートバイは無関係のはずだった。


 「まぁ、念のためだよ。男の端末にいた先行者がどれほどの腕のハッカーか分からなかった。もし

国際特A級のハッカーなら監視カメラから君の追跡を随時監視していたかもしれない。そうだとしたら君はヘルメットをかぶっていたから大丈夫だけどオートバイの方は車種まで押さえられているからね、処分しておいた。ちなみにジャンク屋周辺のカメラは俺が先にハッキングしておいたから大丈夫だよ」


 「そうだったんですか...」


 彼女は少し安心したのかシートに預ける荷重を増やしながら呟いた。コーヒーにはまだ手を付けていなかった。


 「でも、そうならそうとあの時言って欲しかったです」


 窓の外を見ながら彼女はそう言うと、冷めてしまったコーヒーに口を付ける。


 「いや済まない、男の端末に先行者が居ることに気づいてかなり焦っていたんだ。すぐにログを消して端末から逃げたけど、直前に男が会話していた仲間らしき者の端末は特定できたよ。とりあえず今回の仕事はは成功だ」


 彼の言葉に彼女はわずかなうなずきをもって応える。彼がそれに気づいたかは定かではない。


 「自分が何か失敗をしたと思ってたみたいだけど、大丈夫。期待以上の仕事だよ。ありがとう」


 深山が不意を衝いて言う。


 「は、はい。」


 突然だったので声を上ずらせながら彼女が応える。顔は窓の外を向いたままだった。




              ◆       ◆       ◆



 5月7日 10:27


 「なんでだよ!? 俺はうまくやっただろ?」


 男が午前中だというのに薄暗い路地裏で、ヘルメットを投げ捨てながら声を荒げる。その声は建物の壁と壁の間に反響して空しくかき消えていき通りを歩く人たちの耳には届かない。もっとも現在、SB端末によってオンラインでナビゲーション音声や音楽が聞けるのでわざわざ環境音に耳を傾けながら歩行する人は居ないに等しかった。


 「あぁ、任務は成功だ。今回の事は移民排斥派の奴らへの抑止力になっただろう。しかし上から早くスナイパーを処分しろと言われたんだ、それ以上のことは言えない。すまんが純粋種の同胞たちのために消えてくれ」

 

 対面にいる男が言い放つ。紺のコートを細身の長身にまとい一見すると普通の青年にしか見えないが、黒い皮手袋をした手には長いサイレンサーが装着された拳銃が握られておりまっすぐにスナイパーの男に向けられている。


 「くそッ...! 結局使い捨ての道具かよ。あんたたちには感謝してるんだ、こんな高性能なライフルを貸してくれただけじゃなく端末を付ける手術まで受けさせてくれて...。だからもう少し仲間のために闘わせてくれよ!」


 「言われなくても闘ってもらうつもりさ、君にではないがな」


 コートの男はそう言うと続けざまに3回引き金を引き絞る。弾丸はごく小さく短い発射音と共に男の眉間と胸を打ち抜いて確実に男を絶命させた。


 通常SB端末を装着している者の心肺が停止するとアラート音と共に電気ショックによる心臓マッサージが行われるが、たった今心臓を打ち抜かれた男の端末は沈黙を守っていた。


 「非正規のルートでSB端末の装着手術を受けさせるのにも結構金が掛かってるんだけどなぁ」


 自分が殺した男を見下ろしながら愚痴をこぼす。男はめんどくさそうに首を横に振ると通信を始めた。


 「こちら白壱号(パイワン)、対象の排除に成功。指示を願います」


 「了解、よくやった。死体はオートバイと一緒に人目に付く河川敷にでも放置しておけ。姿を見られない為ならある程度の街のインフラへのハッキングも許可する」


 低く響く声ではあるがどこかに優しさのある声が彼の端末に届く。


 「人目に付く場所にですか!? いえ失礼しました...しかしそれではすぐにニュースになってしまうかと」


 上官と話しているためか語気が荒れたことを詫びながら、しかし白壱号と名乗った男は動揺を隠せない様子だった。


 「そのためだ。自分が追跡していた男が死んだなどとニュースになれば、奴さんもハッキングをしていた事がばれていたことに気づくだろう。もしかしたら今、スナイパーのSB端末のバイタルが消えた事からもう気づいているかもしれん」


 「それで、向こうからアクションを仕掛けてきたところを逆に狙うと言う事でしょうか」


 「そうだ。奴さん、こちらが先にスナイパーの端末に侵入していることを察知するや否や一目散に逃げやがった。あの引き際は鮮やかだった...しかしそのおかげでこちらは何も掴めなかったからな。可能性は低いが向こうから何か仕掛けてくるかもしれん」


 若干ではあるが期待を含ませて上官が言う。


 「了解しました。早速死体の搬送に取り掛かります」


 男は音声通信だというのに背筋を伸ばし虚空にむかって敬礼をした。


 「そういえば、義手の調子はどうだ」


 上官が若干の心配をのぞかせながら尋ねる。


 「問題ありません。誤作動はもちろんありませんしレスポンスも私には十分すぎるほどです。ご心配痛み入ります(ウェン)中尉」


 「そうか、なら良いんだが。お前の場合は両腕、それも肩から下が義手だからなじむのに時間がかかると思ったんだが」


 「端末との同期も完璧です。中尉には、まだ試験中の部分強化内骨格(パワードアーム)を先行して使わせていただけて感謝しております」


 先ほど無慈悲に人間を射殺したとは思えない、屈託のない笑みで答える。もちろん中尉と呼ばれた男から顔は見えないが、声を聴けば年相応の青年の笑顔をしていることは想像に難くなかった。


 「あぁ。これから忙しくなるだろう、期待しているぞ」


 「はっ」


 彼が虚空に向かって再び敬礼をした後通信が切断された。通信が切れてからもたっぷり敬礼した後彼は通りに止めてあるワンボックス車に向かい、中にいる男たちに目で合図をした。


 車からぞろぞろと数人の男が出てきて死体のある場所へ向かう。


 「ライフルは丁寧に運べよ。死体は後ろにでも載せておけ。載せ終わったら荒川の河川敷まで俺の後を着いて来い」


 彼は簡素な指示を飛ばした後ヘルメットを拾ってスナイパーの男が乗っていたオートバイにまたがった。


 「荒川までツーリングと行こうじゃないか」 

 

 そう言うとジェネレーターをオンにし通りを疾駆していく。後ろを慌ててワンボックス車が追いかけていった。




          ◆        ◆        ◆


 


 通信が途切れた後、(ウェン)中尉はゆっくり椅子に体を沈ませながら自己嫌悪に陥っていた。彼は上海独立陸軍第七師団に属する軍人だ。歳はもう44歳になる。現在上海独立陸軍は空軍と共に、4つの自治区に分裂し今も内戦が絶えない旧中国の中で二番目に規模が大きい独立領を管理している。


 陸軍士官学校をそれなりに好成績で卒業した彼は陸軍に正式に入隊、その後結婚もして息子を一人儲けた。高給な士官になれたことに加え、情勢が不安定な旧中国国内の中では上海独立自治区が比較的安全だったこともあり、物資は不足しているものの比較的裕福な生活を送れていた。


 しかし内戦が激化し、遂には上海独立自治区の周辺にまで被害が及ぶようになると生活が一変する。自治区領を守るため隣の自治区との境界線付近には常に軍隊が駐留するようになり、ただでさえ物資が枯渇している状況に空爆まで加えられ自治区内は混乱に陥った。


 そしてある晩、暴徒化した“自治区内”の住民たちによって暴動が起きてしまう。対象となったのは裕福な軍人や政治家の住む地区だ。自分たちの血税を湯水のように使っているにもかかわらず自治区内の安全が守れないことに対する不満と言うのが暴徒化した住民たちの大義であるらしかったが、そこに主義や名誉と言った類のものは無く本能の赴くまま略奪が行われた。


 ただ暴徒化したと言っても住民が十分な武器を持っているわけではない為ほどなくして自治軍によってほぼ討伐された。しかし一部の政治家一家、企業家、そして彼の妻と息子も暴動に巻き込まれて帰らぬ人となってしまった。


 彼は自分が守ってきた者たちからの裏切りと呼べる行為に憤怒し、そして絶望した。そんな時に彼の上官からある委員会に参加しないかとの誘いを受けた。


 それが“負傷兵復帰促進委員会”である。


 戦場で手足を失った兵士たちを集め、彼らに部分強化内骨格(あたらしいからだ)を与える。そして脳の記憶をつかさどる海馬に一定の電磁パルスを与えて、全てとは言えないがある程度の記憶を消去し兵士として再訓練を施す。もともと軍人の彼らは上達も早く、予定よりもかなり早期から即戦力として前線に送り込むことが出来ていた。


 この非人道的な作戦に彼は参加した。もちろん人間として狂っている所業であることは彼自身自覚していたが、守ってきたものに裏切られ、かといって裏切り者をこの手で殺すこともかなわない彼の怒りと悲しみは行き場を求め彷徨っていたのだ。


 大義の下この兵士たちを訓練し、前線に送り込んで敵地を制圧し戦果を得る。軍人の彼が復讐として選ぶことが出来た道は、奇しくもかつて自分を苦しめた行為だった。


 「これは報いなのかもしれんな」


 深く椅子に腰かけ呟く。彼が今回言い渡された任務は会談の警護だ。現在上海独立軍は内政干渉を目的として日本国内の反政府組織と手を組んでいる。


 絶えず内戦の起こる上海独立自治区の彼らに、他国のましてや島国の内政に干渉する余裕など無いに等しかったが無理をしてでも海を渡る理由があった。旧中国全体と比べてはるかに情勢が安定している日本が彼らにとって、格好の市場だったためである。


 文字通り、移民と言う形で日本に工作員を送り込んで現地で商いをして金を集めさせるのだ。具体的には窃盗や風俗などがその例である。特に風俗は、バーチャルでは無く生身の体が体験できる貴重な場所として主に富裕層の間で人気を博しており、それは上海独立領での貴重な資金源となっていた。


 そんなさなかに飛び込んできたのが移民排斥法案である。自分たちに資金源を根元から断ち切りかねないこの法案を阻止すべく、移民解放戦線に資金を供給している。時の権力を脅かすこの行為は他国からの移民や浮浪者たちの賛同も容易に得ることが出来た。


 そして解放戦線の幹部との会合が月曜日に予定されており、その警護のために(ウェン)中尉は兵士をまとめる隊長の任を任されている。


 その兵士の中に白壱号(パイワン)―本名、(ジェン) 云雷(ユンレイ)―は居た。歳は19歳、(ウェン)中尉の息子が生きていれば同じ歳だった。




 





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