俺は初めて非を知る
現在時刻は夜の十一時。
俺は一人頼りなく歩いていた。足枷を引きずっているかのようにずるずると。
何があったかと言うと、それは三十分前に遡る。
寝る直前に水分補給をしようと冷蔵庫を開けたら見事にすっからかんだったことに気付いて、そこら辺のコンビニでジュースでも買ってこよっかなー、と財布をポケットに突っ込んで外に出たのが運の尽き。
コンビニの駐車場で屯していた不良どもが唐突に金を要求してきた。腕っぷしには自信がある俺でも、さすがに相手が五人だと勝てる見込みがないと悟った俺は大人しく全財産を差し出した。
彼等は欲が満たされたのか中身を確認しないまま、盛大に高笑いしながら去って行った。まあ、全財産って言っても250円しかなかったけど。俺金少なすぎ。
ともあれジュース代が奪われたことに変わりはなく、目的を失った俺はコンビニでしばらくエロ本を立ち読みして気分を晴らした。
そして今に至る。
エロ本の癒し効果なんて一瞬だ。後々思い返すと虚しくなる、というか物品が小規模だろうと強奪されれば誰だって悲しい。
それが全財産なら尚更である。
喉は渇くし、歩いたから腹減ったし、あんな不良ごときに頭を下げたことに後悔するし、歩くだけで疲労に感じるし、もう脳が負の感情で埋め尽くされている。覇気チェッカーがあれば、俺から漆黒の禍々しいオーラが噴き出ているに違いない。覇気チェッカーって何だよ。妄想はやめよう、はい。
「よ、よーし! 頑張って帰るぞー!」
努力の方向が可笑しい気もするが、センチメンタルな精密生命体である俺にとってこれ以上の自嘲は禁物だ。あーもう死んじゃおっかなー、なんて考え始めてるもん。
そういえば、ポジティブシンキングは心身の回復に繋がるとか……やってみるか。
鼻歌を奏でスキップを開始。綺麗な音色で快活なステップだと心中で自画自賛する俺。
しかし現実は厳しい。
鼻歌は超重音でまさに動くスピーカー。ステップも怪奇で、右足を前に、左足は後ろの状態でカンガルーのように飛び跳ねている、と囁かれた事実。同級生には「なんで反復横跳びしてんの? しかもできてないし」と本気で引かれた。
それでも止めない。夜だから見えないし。
「星が綺麗だなー! って、今日は曇りか……」
「お! 百円落ちてるラッキー! って、牛乳瓶の蓋……」
「景色も綺麗だなー! って、ここ路地裏だから景色見えない……」
「あれ? 財布がない! って、カツアゲされたんだっけ……」
……もう止めよう。
今日に限ってマイナス要素が絡み合う。不吉な事が起きると立て続けに不幸が襲ってくるのは二次元だけのフラグではないことを痛感した。
ま、明日には忘れているだろう。
そう根拠もなしに解釈して颯爽と路地裏を進め。
出口が近づいてきたところで、
「ぎゃああああ!!」
突如、身の危険を感じさせる悲鳴が静寂を切り裂いた。
「な、なんだ!? 何何? ナ・ニー?」
突然の出来事に、気が緩んでいた俺はパニック状態。
後方と前方をしきりに確認するが、姿はどこにも見えない。絶対今の、死ぬ直前の決まり文句じゃねえか! 俺、まだ死にたくねえよ!
しかし、体は謎の叫声が聞こえた方へゆっくりと歩み寄る。まるで磁石に引き寄せられるように。
痛みが生じるほど心臓がバックンバックンと激しい律動が繰り返す。全身が小刻みに震え、吐息は荒く、神経は極限まで張り詰めて苦しい。拒否反応を示してる証拠だ。
しかし、体は出口へと進む。出来るだけ足音を抑えて盗人のように壁に背面を貼り付かせながら確かに進む。
ごくり。
生唾を飲み込んだ。
もう手遅れ、というところまで踏み込んで顔を僅かに覗かせる。
「ぁ……!?」
危ねえ! 危うく「なんじゃこりゃあ!」と叫びそうになった。
なんとか衝動を抑えるために、深呼吸。
助かった、と思った。
「あんた、何してんの?」
凛とした声音が耳の奥に直入した。
それが脊髄を通過してやっと脳が認識する。ゼロコンマ一秒の反応なのに、そこはかとなく一秒と長かった。
俺が振り向くのとほぼ同時、死んでいた外灯が再び息を吹き返し、声の主をライトアップする。
「な!? お、お前はーー」
ーー誰だろう?
少なくとも俺の知る記憶には存在しない。
もう一つ疑問がある。
軍服に身を包んだ彼女からは見るからに大人びた印象が伝わってくるのだが、顔がどうも幼い。
高校生くらいだろうか? それくらい若さが際立っていた。
しばらく茫然としていると、彼女が冷徹に問いかけてきた。
「何やってんの? って聞いてんの。日本語分かる?」
意外と口の悪いお方のようだ。
初対面の人様に対して無礼な口の利き方をする彼女にはムッとくるものがあったが、反攻したら命がなくなりそうなので礼儀正しく返答することにした。
「いや、あの、なんか悲鳴が聞こえたんですけど……」
「あー、聞こえちゃった?」
聞こえたらダメなんですか? 絶対、「それじゃあ仕方ない、お前は殺す」っていう結末に発展しそうなんだけど……。
しかし、彼女はその不安をかき消すように
たはは、と苦笑いを浮かべ頭をぽんと叩く。
「騒がず気付かれずに任務を片付けるのが鉄則だってのに…ほんとドジだなあ」
俺は、その表情に不覚にも見惚れてしまった。
単にかわいいだけではない。今まで異性との関係が希薄だったこともあり、新鮮に感じた。
鼻の下が伸びていたかもしれない、でも彼女は気にする素振りも見せずに続ける。
「情報の漏洩に備えることは無駄じゃないと思うし、もしもの時ってあるからそうなると色々面倒だしさ。ガミガミ説教されるのはもう堪忍」
「お、おい? なにをぶつぶつ言っているんだ?」
いや、俺と話しているのか? でも意味不明だし。
もうね。怖いというより謎。頭上に無数の『?』が浮かんでいるであろう。それくらい状況が理解できてない。
俺は怪訝に眉間のしわを寄せた。
尚も自分の世界に入っている彼女は、うん、と勝手に納得する。一体何に納得したんだよ? 怖えよ。
彼女はぴしっと端整な姿勢を作るとびしっと敬礼した。
「というわけで、口封じのために気絶してもらいます!」
「………………は?」
いやそこはにっこり笑顔でも敬意を示すとこでもない。そもそも発言内容が間違っている。何故そんな清々しい表情で堂々と死刑宣告できるのか? 思考回路壊れてんじゃねえの?
しかし、この女はしかねないので俺は必死に訴える。
「ちょっと待て! 何がなんだか理解できない! 分かるように説明してくれよ!」
「別にいいよ知らなくても。気絶するんだし」
そう言われましても! いきなり死刑宣告されたら混乱するに決まってる。ギャグなのか本気なのか、意図が掴めないから一層怖い。
しかも彼女の場合、ガチで殺りそうな気がする。
さっきの悲鳴といい、軍服といい、嫌な予感しかしない。
目の前の要注意人物に警戒していると、彼女は俺に掌を向けてくる。またもやにっこり笑顔。
「じゃあ行ってらっしゃい」
そう行って彼女はぎゅっと握り締めた。
? 一体何を……
「!? ……ガハッ!!」
い、息が出来ない。なんだこれ?
別に誰かに絞められてるわけではない。しかし、確かに絞められているのだ。
ヤバい、死ぬ!
死を察知し元来た道へ引き返そうとする。が、身体が石像のように動かない。全方向から圧力が掛かっている、と言ったほうが正しいかもしれない。特に喉元に掛かる圧力は尋常で声も出ない。
「ァ…………」
視界は暗幕に包まれ、意識は遠のいていった。