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もう……死にたい。 いいや、死なせない。

作者: kanaria

 当作品は自殺を推奨しているわけではありません。

 いつからだろう。

 死にたいと思い始めたのは……。

 父が自分と同じくらいの少女を盗撮して逮捕されてから?

 それとも中学生の時いじめにあってから?

 いや、認知症の祖父が家庭を壊してからかもしれない。


 もう明確な理由さえ思い出せない。

 ただ、逃げ出したかった。

 私を縛るものから。

 この世の全てから。


 気づけば自殺を考えていた。

 家に居たくないと夜の街を出歩いたりもした。

 その結果得られたものは一時の享楽と絶望だけ。


「もう、いいでしょう? 私はこの世界で生きるには弱すぎた」


 ポツリとこぼれた虚ろな声は夜空に消えていった。その残滓が夜に溶けた時、少女はビルの屋上から飛び降りた。

 しかし少女の死体が発見されることはなかった。

 少女は地面に当たる寸前に別の世界から手が差し伸べられたのだ。




※※※※※


 私が次に目を開けるとなぜか目の前に青空が広がっていた。


「私、死ねなかったの……?」


 ずっと死にたかった。

 ビルに登ったのも今日が初めてじゃない。

 

 なんで!

 どうして!

 

 そんな思いが頭を支配する。

 

 もうこれ以上生きていたくない。

 私は頬を涙が伝うのを感じた。


 もう嫌だ。

 生きていたくない。

 誰か助けて!


 でも助けてくれる人なんていないということは私が一番よく知っていた。

 しばらく泣いてあきらめがついたところで私は再び目を開く。


「……ここは、どこ?」


 私は都会のビルから飛び降りたはず。

 なのにここは森?


 病院なら分かる。

 でも、森にいる。

 誘拐にしてもおかしい。


 横になっていた体を起こして辺りを見回す。

 森林は日光に当たって煌めいていた。


「きれい……」

 

 木々の間から漏れる木漏れ日は宝石のように輝いていた。

 こわばっていた体からも力が抜けていく。

 

 こんな景色があったなんて……。

 木や土の匂いも疲れきった心を癒してくれる。


 これ以上ないほどひび割れて悲鳴を上げていた心に清流が流れ込んできた気がした。

 壊れかけた心はいまだに軋んでいる。

 しかし、もう少し頑張ろうと、そう思えた。


 こんな気持ちになったのはいつぶりだろうか。

 世界が輝いて見えるのもいつぶりだろうか。

 もう、長い間綺麗なものを見れていなかった気がする。


 私の目からは再び雫がこぼれ落ちる。

 先程とは違い清らかな景色を見て自然とこぼれた涙だ。

 声もなく静かに涙をあふれさせていると、背後から足音が聞こえてきた。


「…………? ………………」


 現れたのは大柄な男性で、日本人では有り得ない彫りの深い顔立ちをしていた。

 男性は一瞬目を見張った後、何か話しかけてくる。

 しかし何を言っているのか分からない。 

 

 私が首をかしげると男性は何かを思案するように顎に手を当てた。


「…………」


 相変わらず何を言っているのか分からなかったが、男性は突然私を抱え上げた。


「っ! 触らないで!!」


 今までの人生でろくな男性に会ったことがなかった私は男性の腕を拒絶して暴れる。

 知っている人でもあまり触れられたくない。

 それなのに見ず知らずの人に抱えられたことに体が拒絶する。


 男性は驚いたようだが、抱えた私を落とすことはなかった。


「やだ!! いやっ!!」


 半狂乱になりながら男性を拒絶するが、男性は体制を崩すことなく安定している。

 それどころか何かを考えているようだ。

 しばらくどこか遠くを見るような目をしていたが、何かを決意したような表情をした後、抱える腕を1本にし、空いた方の手を私の額に伸ばしてきた。


「やっ!」


 怯えて体を硬直させると、男性は好都合だと言わんばかりに額に手を当てて何かを唱えた。

 その瞬間頭に何かが入ってくる感じがした。


「う、うぁ……?」


 痛みや嫌悪感はしなかったがなんだか変な感じだ。

 私が戸惑っていると、男性が再び2本の腕で私を抱えなおす。


「言葉がわかるようになったか?」


 えっ?

 なんで?

 さっきまで分からなかったはずの男性の声が聞き取れる。


 混乱していると、目尻から最後のひとしずくがこぼれ落ちた。


「あまり泣くな。目が赤くなる」


 涙の後を親指で拭いながら男性が額にくちづけてくる。


「あっ」


 私が口をパクパクさせていると、男性は微笑んだ。


「頑張ったな」


 何に対して言っているのか分からなかったが、頭を撫でてくれる手が優しい。

 こんな風に言ってもらったのはいつぶりだろうか。

 穏やかな声と男性の手に今までの頑張りが認められた気がした。


 こらえきれず嗚咽を漏らしながら涙を流す。

 男性はそんな私に呆れることなく、ゆっくりと座り込み、背中を叩いてくれた。


 つらかった。

 悩みを相談したところで誰も分かってくれず、家には私よりも傷ついた母が居る。

 全てが崩壊していたし、もう限界だった。


 ビルから飛び降りなければ父を殺していたかもしれない。

 ずっとギリギリの戦いをしていた。

 でも、誰も認めてくれなかった。


 私が死んだとしても何も変わらない。

 恐らく母は離婚を決意するだろうが、ただそれだけだ。


 もう、ボロボロだった。

 心も体も。

 誰かに助けて欲しかった。

 でも誰も助けてくれなかった。

 認めてくれなかった。

 私の思いを。

 声にならない叫びを。


 それがなんだか認められた気がした。

 優しい腕の中で私は気を失うまで泣き続け、気づいたらベットの上にいた。

 体に異常はない。

 ただ目が腫れぼったいだけだ。


 珍しい。

 何もしないなんて。


 今まで会った人たちは弱みを見せればつけこんできた。

 隙を見せたせいで男性に抱かれたこともある。

 初めての経験は強姦だった。


 でも、諦めてしまった。

 自分なんてどうでもよかった。

 周りは自分を大切にしろと言ったが、自分を大切になんてできなかった。

 自分の体が価値のあるものだと思えなかった。


 だから醜態をさらして気を失ったにも関わらず何もしてこなかった男性に驚きが隠せない。


 まあ、あれだけ顔が整っていれば泣き喚く女よりも良い人がいるよね。

 私ごときでは好みの範囲外で当たり前だ。


 そう考えながらも少し安心する自分がいた。

 男性がなでてくれた頭に触れる。

 髪はいつも通りだったが少し気持ちが落ち着いた。


「もう起きてたか。おはよう」


 昨日の男性がいい匂いのするものを片手に部屋に入ってくる。

 

「あ、お、おはようございます」


 突然の登場にドキッとした。

 家では朝の挨拶などほとんどしなかった。

 久々に朝起きて挨拶をした気がする。


 部屋に入ってきた男性の動きを眺めるが、男性は私に近づいて来ることなく机にものを置いた。


「目がはれているな。冷やすものを持ってくる」


 私の顔を見て男性が再び部屋から出ようとする。

 しかし一人にして欲しくなかった。

 この人にまで背を向けて欲しくなかった。


「待って! そこまでしていただかなくて大丈夫です。そのうち治ります」


 慌てて男性を止めるが、男性は悩ましげに私を見た。


「年頃の婦女子が目をはらすのは良くないぞ」


 男性が扉に手をかけながら振り返る。

 そして私を見て息を飲んだ。

 視線を泳がせた後、溜息をひとつついて机の元へ戻る。


「一応消化に良いものを作ってもらったんだが、食べられそうか?」


 その言葉に私はお腹がすいていることを知った。

 

 ここのところずっと気持ち悪くてなにも食べられなかったのになんで?

 この人に会ってからずっと変。

 一人になることも、背を向けられるのも慣れているはずなのに。

 なのに、なんでこんな……。


 自分に戸惑いながらも美味しそうな匂いに負けて頷いた。


「それは良かった。温かい方が美味しいだろう。おいで」


 手招きされるがままに近寄る。

 すると男性は椅子をひいてくれた。


「あ、ありがとうございます」


 慣れないことに戸惑いながらお礼を言うと男性が頷いて目の前の席に座った。


「熱いかもしれないから気をつけろ」


 男性は頬杖をついて観察するように私を見た。

 

「あの、貴方は食べないのですか?」


 男性が自分の食事を持ってきていないことに気づいて問いかける。

 すると男性は笑った。


「俺はもう食べたから安心していい。だから、ゆっくり食べな」


 その言葉に驚きながらもいい匂いに惹かれてお粥のようなものを口に運ぶ。


「あつっ……」


 思った以上の熱さに思わずスプーンから口を離す。

 男性はそんな私を見ても呆れることなく、むしろ心配そうに覗き込んできた。


「大丈夫か?」


 綺麗な紫色の瞳に見つめられて逆に落ち着かない。


「だ、大丈夫です。ご心配をおかけしました」


 ビクビクしながら言うと、男性が私の頭を撫でてから離れた。


 あっ……。

 

 男性の手が離れるのが少し残念な気がした。


 もっと撫でて欲しい。

 そんな思いが沸き上がってくる。


 いや、駄目だ。

 迷惑になる。


 私は自分の思いを胸の奥にしまった。

 しかし男性には気づかれてしまったようだ。


「頭を撫でられるのが好きなのか? 触られるのはあまり好きじゃなさそうだが」


 観察するように見られて咄嗟に否定しようとしたが、言葉が見つからなかった。

 

 この人ならもっと触って欲しい。

 慰めて欲しい。

 抱きしめて欲しい。

 頑張ったねと言って欲しい。


 止まらない欲望に私は俯いた。

 初めて会ったというのに男性の優しさに漬込みたくなる。


「俺なら大丈夫というわけか」


 なぜ、彼なら平気なのか分からない。

 最初から私の内側に入り込んできた。

 頭を撫でてくれたからかもしれないし気を失った時になにもしなかったからかもしれない。


 でも私自身もなぜなのか分からなかった。

 男性はそんな私の様子を見た後、席を移動して私を持ち上げた。


「きゃっ」


 突然のことに驚いて悲鳴が漏れる。

 しかし男性はそんなことは気にしなかった。

 そのまま私の座っていた椅子に座り、膝の上に私を乗せた。

 

 …………、温かい。

 心臓の動く音がする。


 人の温かみに心が落ち着く。

 驚いてこわばった体から力が抜ける。


「無理をしなくていい。何かしてほしいことがあるなら遠慮なく言えばいい」


 そう言いながら男性がスプーンを手に取り、冷ました後私の口元に持ってくる。


「そ、そこまではしていただかなくて結構です!」


 人に食べさせてもらうということに慣れていないから首を横に振る。

 しかし男性も引かなかった。


「ほら、あーん」


 スプーンを口の前で振る。

 先に根負けしたのは私の方だった。

 口を開けてお粥のようなものを食べる。


「美味しいか?」


 頭を撫でながら聞いてくる男性に頷く。

 すると男性は微笑んだ。


「それは良かった。……なあ、もし行くところがないなら此処に住むか?」


 二口目のスプーンを運びながら男性が聞いてくる。

 唐突な言葉に驚いて男性を見上げた。

 しかし男性はただ穏やかに微笑むだけだ。

 

 住む?

 どこに?


 この人は私に居場所をくれるの?

 ここにいていいの?


 私が目を揺らしていると、男性が思い出したように口を開いた。


「そういえば名前を言っていなかったか? 俺はジェイン・リ・ヴェレンツだ。この王都で騎士をやっている」


 王都?

 騎士?

 やっぱりここは日本じゃないの?


 それに本当に私がここにいて良いの?

 なんにもできないのに。

 私に価値なんてないのに。


 聞きたいことはいっぱいあった。

 でも、涙で視界が埋め尽くされて口からは嗚咽しか漏れない。


「ダメか?」


 男性は苦笑しながらスプーンを置いた。


「なんで!! なんで私なんかに優しくするの!? こんな面倒くさそうな女なんかに……。ねぇ」


 もう顔なんて見られないくらいぐちゃぐちゃだろう。

 しかし男性は目を背けることなく私の頭を撫でた。


「なんで、だろうな。…………その雰囲気が放っておけないとか一人にした途端死んでしまいそうだとか色々理由はある気がするが、一番は最初に見た涙が綺麗だったからだろうな」


 最初に見たなみだ?

 あ……。

 世界が輝いて見えた、あの時の……。


 その時の光景が蘇ってきて私は顔を歪めた。

 

 綺麗だった。

 本当に。

 いくら言葉を重ねても説明できないくらい。


 私は両手で顔を覆う。

 

 私は汚い。

 すでに体が汚れている。

 心も壊れている。

 

 そんな私が流す涙なんて綺麗なはずがない。


 ボロボロと涙がこぼれ落ちていく。

 拭っても拭っても止まらない。

 すると男性が私の手をどけて目元にくちづけを落とした。


「綺麗だ。自分を貶める必要なんてない」


 男性はそう言うとくるりと膝に乗る私の向きを変え、抱きしめる。

 その温もりに、その優しさに私は声を上げて泣いた。


 この人ならどんな私を見ても捨てないと、漠然とそう思った。

 根拠なんてない。

 でも、この人が信じられなければ、もう何も信じられないだろう。

 信じて裏切られて、心が壊れてもこの思い出があれば生きていける。

 そんな気がした。


「……千鶴」


 あらかた涙が止まったところで囁くように名前を告げる。

 育った家を捨てたくて苗字は名乗らなかった。

 それでも、ずっと抱きしめて頭を撫でてくれていた男性は嬉しそうに笑った。


「よろしくな。千鶴」


 幾度も色々な人に呼ばれた名だが、男性に呼ばれただけで全然違うものに感じた。

 ぐちゃぐちゃな顔に笑みが浮かぶ。


 これから何があるか分からない。

 でも初めて生きていて良かったと、そう思った。


「ありがとう」


 何に感謝をしたのか分からない。

 ただ、今までやってきた全てが無駄じゃないと、そう感じた。

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