その六
朝。
アリエッタが目を覚ますと、耳をピコピコと動かしながらこちらを見下ろしているルラとその向こうに広がる雲一つない青空が視界に入った。
「……朝か……」
「何が朝か……よ。とっくにそんな時間過ぎて、今は昼よ。全く、広場の端でいきなり寝始めたと思ったら、どれだけ揺さぶっても目を覚まさないからちょっと心配したじゃない」
「そうなの?」
「えぇそうよ」
彼女の言っていることが正しければ、どうやら自分は昨晩広場の端で眠ってしまいそのまま朝を……もとい。昼を迎えたようだ。
ゆっくりと体を起こしてみると、案の定両腕に筋肉痛だと思われる痛みが走り、昨日の踊りは見た目よりもハードなものだったんだと自覚する。
ただ、普段から歩いているせいか、足の方は何ともなかったのでそのまま立ち上がり、体についた草を軽く払う。
「……全く、女の子がこんなところで寝ているなんて、いくらなんでも無防備なんじゃないの?」
「私は野宿をしてるからいいのよ。というか、それを言うぐらいだったら私をたたき起こしてちゃんとしたところで寝るように促してもよかったんじゃないの?」
「それができたらしてるわよ。それに、無意識なのかどうなのかわからないけれど、あなたを私の家に運ぼうとしたら攻撃されるし……正直、実は起きていてわざとやっていたんじゃないかって疑いたくなるほどにはね」
ルラの指摘にアリエッタは力なく笑う。
正直な話、女一人の旅で盗賊等含め、野宿をしていて寝込みを襲われそうになったなんて言うことがないなんてことはない。少なくとも、片手では数え切れないほどだ。
そのたびに旅をやめてどこかに落ち着いて暮らしたいなどと考えたものだが、結局新しいものに対する好奇心が勝ち、また旅に出る。
そうしていく過程で旅で出会った様々な人から護身術や敵の気配を察知する術を習い、気が付けば寝ながら敵の攻撃を防御できるほどになっていた。おそらく、今回はそれが悪い方向に働いてしまったのだろう。
結果的にアリエッタを安全な場所に移動させようとしたルラに攻撃してしまったということらしい。
「……あの、ごめんね。その、悪気はないというか……これまでいろいろとあったから……」
「そう。まぁそうでしょうね。あんな風に外で寝ちゃうんだもの」
「あはは……それを言われるときついわね。でも、私みたいな旅人はね。必ずしも屋根があるようなところで一夜を過ごせるとは限らないのよ。時には大木の下で一晩中雨宿りしてみたり、星降る夜に広い荒野の真ん中で寝転がってみたり、寒い雪の日に必死に体を温めながら寝ちゃだめだって自分に言い聞かせてみたりね。それこそ、町の宿屋で一晩を過ごせるってなると、ものすごくうれしくなるぐらい野宿することだってあるもの。あのぐらいのスキルは必要なのよ」
アリエッタはこれまでの旅のことを思い出しながら小さく笑みを浮かべてみる。
その表情を見たルラはアリエッタの考え方が理解できないのか、小さく首をかしげる。
「なんで? ちゃんとした家があって、家族がいて、たくさんの友達がいてっていう方が楽しいんじゃないの?」
ルラの口から出てきた疑問は至極もっともなものだ。
先ほども少し考えいてたが、どこかの街で落ち着いた生活というのを考えたことはある。旅先で親しくなった人に“この町で住まないか?”なんて誘いを受けたことも少なくない。だが、結局その疑問に対する答えはいつも通りのものだ。
「私はね。風の向くまま気の向くままフラフラと飛び回っているのがいいのよ。どこかの街にずっと住んでいるなんてすぐに退屈しちゃうもの」
「人間の街はそんなにつまらないの? だったら、そうだ。いっそ、私たちと暮らすっていうのはどう? 獣人の暮らしって、人間と違うからいろいろと刺激があるかもよ」
ルラの子の返答もある意味予想通りだ。というよりも、こういう話をする人は大体こういった提案をしてくることが多い。どうやら、彼女も例外ではないようだ。
「魅力的な提案だけど、断るわ。さっきも言った通り、私は好きなところに行って、好きなことをして、またどこかに旅立つっていう生活がいいのよ。そこがどれだけ素晴らしいところでもね。私はその場所が好きなままでいたいから、次の場所に旅立つのよ」
「どうして?」
「まぁ私にもいろいろあったっていうことよ……さて、もう昼になったし、森の中を歩いても大丈夫そうね。街道までの地図。もらってもいいかしら?」
これ以上この話を続けていたら、変な気まぐれを起こしてここに住むとか言い出すような気がして仕方がないなんてことを考えながらアリエッタはルラに地図を要求する。
それに対して、アリエッタの考えていることなどわかるはずもないルラはきょとんとして、目を丸くした。
「もう行くの?」
「もうも何も最初からそういう話だったでしょ? だから、私はその約束通りに旅立つの。まぁ確かにもう少しのんびりとしていきたいところなんだけど、今回ばかりはどうしても新メロ王国に行かなきゃだから、ちょっと急がないといけないのよ」
アリエッタが事情を説明すると、さすがに落ち込んだのかルラは少しうつむいてしまう。
さすがに話が急すぎただろうかと思ったその時、ルラは勢いよく頭を上げた。
「……わかった。だったら、私が街道の近くまで直接案内する」
彼女の口から出たまさかの言葉に今度はアリエッタが目を丸くする番だ。
「えっ? いいの? そんなことしてもらって」
「うん。普通ならそんなことはしないかもしれないけれど、アリエッタは食べ物にも踊りにも文句ひとつ言うことなく、すごく楽しそうだったから。なんか、よくわからないけれど、それを見ていたらこっちまでうれしくなっちゃって……友達になれたから、もう少し一緒にいたいって思っているのもあるかもしれないけれど……」
「そう……」
アリエッタは首を上げて空を仰ぐ。
そして、心の中で思い切り叫んだ。
雑草サラダとか思ってごめんなさい。
口に出した瞬間にこの空気がぶち壊されるであろう爆弾を心の中でひっそりと解放し、アリエッタは改めてルラの顔を見る。
「だったら、道案内。お願いしてもいいかしら?」
「うん。そうだ。その間、アリエッタの旅の話とか聞かせてよ。とびっきりの面白い話」
「面白い話? それはまた難しいことを言うのね……でも、せっかくだからとびっきりの話をしましょうか」
「本当!? やった!」
目の前でピョンピョンと跳ねる獣人の少女を見ていると、どうにも先ほどまでもう行っちゃうの? なんて言う話をしていたルラと同一人物なのかと疑いたくなるが、もしかしたら無理をしているのかもしれない。いや、たった一晩祭りを楽しんだだけで、さすがにそれはないだろう。
「さて、何の話をしましょうか……」
ルラが歩き出すのと同時にアリエッタは何を話そうかと、思考を巡らせる。
そして、見た目だけで言えば廃村のようにしか見えない活気のあふれた村を見ながらポンと手をたたく。
「そうだ。だったら、南の方にある小さな村での話をしましょうか」
そんな前置きのあとにアリエッタは自分の冒険談について話始め、ルラは案内をしながらもそれを真剣に聞き入る。
今回選んだ話はどちらかといえば、愉快な話なので薄暗い森の中には二人の笑い声が響きわたる。後日近くの街道を通っていた行商団がたまたまその声を聞いてしまい、カルロ領南部の森ではどこからともなく笑い声が聞こえて来たのでとても恐ろしかった。なんて言う話が広められるのはもう少し先のことである。