6.デンパな心意気
なんというか、色々すみません。
「柊奈津美が私に執着する理由がわかりました」
「早っ!なんだなんだ、まだ3日しか経ってないじゃないか」
早朝、出社した早々にアポイントを告げられ、もしかして早くもギブアップ宣言かと戦々恐々としながら応接室に向かった千晴は、開口一番『理由がわかった』と報告する朔弥に思わず素に戻って応えてしまった。
(あの小娘がいくら朔弥狙いだったって言っても、さすがに3日は早すぎだろ)
誘惑でもしたのか?とわずかばかり疑ってみるが、すぐにその考えは彼の中で却下される。
あのパーティの席上でも感じたが、橘孝之という男は天羽改め柊奈津美に惚れ込んでいる。それこそ、度を越したほどに。
そんな彼の目を欺いて奈津美を誘惑したとして、もし彼女がそれに靡いてしまったらきっとその変化は孝之に伝わってしまい、そして真っ先に原因だと疑われるのは朔弥だろう。
朔弥一人がその責めを負うならまだしも、ひいては会社の信用問題にも繋がる話だ。
千晴に、そして久遠家に忠誠を誓った朔弥がそんな軽率な行動に出るとは到底思えない。
考えていても埒が明かないことに気づき、千晴は先を促した。
「彼女は、10歳の時に誘拐されかかったことがあるそうです」
「…………へぇ?」
「その時、危ないところを助けてくれたのが『私』だと」
『きっと、覚えてないんでしょうね……必死で走って逃げてたあたしの後ろに立ち塞がって、あたしを逃がしてくれた人……まだ中学生くらいの男の子。その時は夢中で走ってたから気づかなかったけど、フルーツみたいな匂いがしてたことは覚えてるんです。今の、貴方と同じ匂い』
「で、ちなみに今つけてるコロンは特注品?」
「いえ。市販の安物ですが」
「だよなぁ……しかもあの子が10歳の時って言ったら、君は14歳か。まんま留学期間中なんだけど。一時帰国とかした記憶は?」
「ありません」
「ははっ、ということはただの勘違いか。いいよ、報告を続けて」
その『恩人』のことを、彼女はずっと忘れられなかったのだという。
きっとそれが初恋だったんだろう、と奈津美は熱っぽい視線でそう語った。
『その人と再会できたのは、運命かもしれません。…………大学の敷地内にある大きな図書館、そこで貴方とすれ違って、はっきりとわかったんです。ああ、あの時助けてくれた人だって』
奈津美の通う小・中・高・大一貫教育の学校には、敷地内に大きな図書館を併設してある。
そこはどの学年の生徒でも出入りは自由で、認可制ではあるが外部の人間の閲覧も可能だ。
中学校に進学したばかりの頃、奈津美は先生に頼まれてその図書館へ本を返しに来ていた。
そこで、黒一色のスーツに身を包んだ異質な青年とすれ違い、彼から香ってくる柑橘系の匂いで彼が『あの時の人』だと気づき、そして色々尤もらしい理由をつけて司書から『彼』の名前や身分を聞き出したのだという。
「…………身に覚えは?」
「一度だけ、大学併設の図書館に資料を閲覧しに出向いたことがあります」
「なるほど。これはあながち虚言ではないわけだ」
君が『思い出の人』と同一人物かどうかは別として。
そう千晴が付け加えると、朔弥も無言で頷いた。
そうして報告に一区切りついたところで、朔弥は「そろそろ迎えに行く時間ですので」と一礼してから、千晴の返事を待たずに応接室を出ていった。
後に残されたのは、テーブルの上に置かれた封筒のみ。
「…………通常運転で喜ばしい限りだけど。どうにも上司扱いされていない感じだな」
やれやれ、とため息をつきながら千晴は封筒から分厚い報告書の束を引っ張り出す。
万が一にも護衛対象者やその周囲の人物に読まれないためだろう、その書類はドイツ語で丁寧に書き込まれてあった。
千晴は念のためにと和独辞書を横に置き、3日分にしては相当ボリュームのあるそれを静かに解読し始めた。
【警護1日目、依頼人橘孝之氏及び護衛対象柊奈津美嬢との顔合わせを行う。
橘氏は警護要員である自分を信用できない様子で、『これは仕事だと忘れるな』と念を押される。
奈津美嬢は橘氏の肩越しに肉食獣のような視線を向けてくる。要注意。
警護につくのは学校の行き帰りと外出時のみ。家の中は必要がないとのこと。
その後柊家へ送って行くが、車内で不用意に手を握られたり肩を触られたりとセクハラされる。
『名前で呼びますね』と確定事項として話されるが、これを断ると『二人きりの時だけ』とねだられた。強固に断ると一応引き下がったようだが、小声で『好感度がまだ低いのね』と呟くのが聞こえる。意味不明。
到底話の通じないタイプだと判断し、やむなく盗聴器を仕掛けることに決める。
念のためにと用意しておいたポプリをダッシュボードからわざと落とし、彼女がそれに興味を持ったところで差し上げますと言って手渡した。やだ、とかそんな、とか悶えていたので気に入ってはもらえたらしい。以下、その盗聴音声の一部である。
『孝之さんルートに入るまでは簡単だったのに、やっぱり隠しキャラって難易度高いのね。
生徒会の皆みたいに、悩みを聞いたら即落ちるわけでもなさそうだし。ゲームみたいに時間のスキップができるわけじゃないから、あんまり時間かけたくないんだけどな。でも朔弥……きゃっ、呼び捨てにしちゃった。サ・ク・ヤ♪いやん、実物の朔弥もカッコよすぎぃ~!』
以下、ゲームだのシナリオだのと意味不明の言葉を交えての独り言が続いている。】
「………………」
千晴は言葉もなく額を押さえ、何かに耐えるように眉間にしわを刻むと、嫌そうに次の報告書に目を通した。
【警護2日目、護衛対象を学校へと送り届け、連絡を待って迎えに出向く。
登校時に制服の胸元がわずかに乱れていることに気付いたが、狙いがわかったため指摘せずに放っておく。結局、学校に到着する直前で初めて気づいたかのように、『やだ、あたしったら』とチラチラこちらに視線を向けながら直していた。最後まで視線を向けずにいたら『気づいてました?』と聞かれたので、何のことですかと返したらそっぽを向いてぶつぶつ何事か呟いていた。
どうやらあのポプリは身に着けて持ち歩いているらしく、学校での態度や会話なども聞くことができたが、同性の友人はいないらしいとわかる。ただ、男子生徒からよく声をかけられ、愛想よく対応していることもわかった。
昼は卒業生として学校訪問していた婚約者と生徒会室で食事、そのままいちゃつきはじめたので一旦スイッチを切って少し休む。
夕方、呼び出しを受けて学校近くまで迎えに行くと、橘氏ほか数名の男子生徒が彼女を取り囲むようにして待っていた。どうやら他の生徒は生徒会役員であるようだ。
車に乗ったところで、実はと言いにくそうにしながら『昔助けられたことがある』という話をし始めた。
幼い頃に誘拐されかけたところを、中学生くらいの少年に助けてもらったのだと。それが私のことだと言うが、心当たりがない。実際、その時期は海外の教育施設にいたのでどう考えても人違いだろう。
できるだけ個人情報を明かしたくなかったため適当に流したら、いい方に解釈されてしまったらしい。
その日の独り言を一部抜粋しておく。
『ここまではゲームどおりよね。朔弥も昔の話は覚えてないみたいだったし。……って、全部嘘なんだから覚えてるわけないんだけど。でも図書館の話はホントだもん♪シナリオじゃいつ朔弥がくるかわかんなかったから、しょっちゅう顔出しててよかったぁ。司書の先生も単純よね。昔助けてくれた命の恩人なんです、って泣き落としたら個人情報教えてくれるんだもん。えーっと、次のイベントっていつだっけ?たしか、車から降りるときに転びそうになったところを支えてもらって、そこを孝之さんに見られちゃうのよね。嫉妬イベント、ってやつかしら。楽しみぃ!』
護衛としては転びそうになれば助けるべきだが、この場合はどうするべきだろうか】
「…………これ、続き読まなきゃいけないのか?心の底からご遠慮申し上げたいんだが」
そうは言っても、これが部下の書いた報告書なのだから『社長』としては読む義務がある。
これは仕事、これは仕事、と念仏のように心の中で唱えながら、千晴はかすみそうになる目を擦って最後の項目へと目を通した。
【3日目、学校の送迎のみ。
朝、少しだけ早く出たいというので、昨日よりも早めに車を回した。
途中、手を繋いで散歩中の家族が横断歩道をゆっくり渡っていくのを見るとはなしに見ていたら、突然『家族はいるんですか』と尋ねられた。
答えないでいると更に重ねて『今、寂しそうな目であの家族を見てたから気になって』と至近距離から顔を覗き込まれる。
運転するのに支障が出るからと肩を押し退けたが、嬉しそうに笑っていたのでもしかするといいように誤解させてしまったかもしれない。
それでもしつこく質問を重ねてくるので、答える義務はないと突っぱねたら『家族がいないってきっと寂しいことなんでしょうね』と勝手に決め付けてきた。その後も何事か一方的に話していたが、全て無視して黙っていたらさすがに気分を害したらしく、会話を楽しみたいと言ってきた。
私の仕事は護衛なので、楽しみたいなら他をあたって欲しいとだけ告げて、また黙った。
夕方、いつものように家の近くに車をつけたところ、先に来ていた橘氏に出迎えられる。奈津美嬢が慌てて車から降りようとしてわざと体勢を崩したようだったので、気づかなかったフリをして避けてみた。背後にいた橘氏が駆け寄って、かわりに抱きかかえていたが。
これで『イベント』とやらは潰れただろうか。
今日も、目立った発言を抜粋しておく。
『おっかしーなー……朔弥の反応がちょっと冷たすぎるんだけど、どゆこと?まだ3日目だからそんなもんかもしれないけど、でも家族の話題になったら躊躇いながらも答えてくれるはずなのに。あたしがちょっと迫ったら、運転に集中できないからとか言って照れてたから、感触は悪くないと思うのよ。うん。まだ何か足りないのかな……転んじゃうイベントだって、孝之さんに助けられちゃったし。あれ、もしかして孝之さんの好感度上げすぎちゃった?やだやだ、このまま孝之さんエンド迎えるなんて絶対イヤ!愛を知らない朔弥に、「初めて欲しいと思えたのは貴方です」って言ってもらうんだもん!ぜったいにトゥルーエンドは諦めないんだからっ』
これが俗に言う電波、というものだろうか。全く意味がわからない】
千晴はさすがに朔弥が哀れになり、会社支給のスマホに連絡を入れてみた。
待機中なのか、即座に通話に切り替えた朔弥にまず報告書を読んだことを伝えて労った後、
「……まぁなんだ、…………あと27日、どうにか耐え抜いてくれ」
僕も頑張って報告書を読ませてもらうから、と付け加えるのが精一杯だった。
はい、と苦笑交じりの返事が聞けたことだけが唯一の救いだろう。