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5.阿呆は踊る

「おや、面白い依頼が入ってるな。…………さて、どうしたものか」



 警察組織が抱える要人警護要員、それがSPである。

 その警護対象は国会議員をはじめとする国の要人ばかりで、基本的に民間人は護衛の対象にはならない。

 もちろん、『基本的に』とつくからには例外も存在するのだが。それはさておき。

 例外にあたらない民間人がもしもの時に頼るのが、同じく民間の警備会社だ。

 その中でも『K・S・S(久遠セキュリティサービス)』は要人警護専門の警備会社であり、そこに所属する警備員は海外で要人警護の訓練を受けてきた者か、もしくは日本の警察組織においてSPの経験がある者に限られている。

 後ろ盾のない民間企業であるからこそ、信用を第一に考えた結果ということなのだろう。


 そのK・S・Sにおいて実際にSS(シークレットサービス)を派遣する決定権を持つのが、久遠家次期当主である久遠千晴だ。

 彼は寄せられた警護依頼書を一枚一枚流れるように読み込み、派遣可能であれば【許可】、不可能であれば【却下】の判を機械的に押していく。

 そしてとあるひとつの依頼書に目を落とした彼は、遊ぶようにゆらゆらと首を右へ左へ動かしながら数分の間じっくりと上から下へとその書類を読み込んでから、にいっと意地の悪い笑みを浮かべて秘書室直通の呼び出しボタンを押した。



「依頼が入っている。うちのナンバーワンを、との条件付きでね」

「…………」


 人事決定権を持つ若き()()が直々に仕事の話をしているというのに、目の前に直立不動の姿勢で立った青年の表情は全く変わらない。

 通常運転だな、と千晴は苦笑したいのを堪えて『社長』の顔を保ったまま手元の書類をひらりとかざして見せた。


「依頼者は橘孝之。呉服問屋である『株式会社タチバナ』の社長令息にして跡取り息子だ。護衛対象ターゲットは彼の婚約者、柊奈津美」

「おこと」

「お断り、はできないよ。わかっているだろう?『私』が依頼を持ってきた段階で、これはもう決定事項なんだよ」

「………………何故」

「ん?どうしてこの依頼を受けたのか、かな?……そうだね……理由はいろいろあるんだが」


 最初に思ったのは、『この男、アホか』だった。

 あのパーティの場で堂々と婚約破棄をした上、12歳の子供が17歳の少女をいじめたなどというコメディにしかならないような虚言を真に受け、さも自分が正しいことをしたかのように誇って見せた愚か者。

 更に、あの場から紗夜を連れ出したのが久遠家の者だというのはちょっと調べればわかるだろうに、彼は恐らくそれすらせずに『久遠』が運営する警備会社へ婚約者の警護を依頼してきた。

 これを『アホ』と言わず何と言うか。しいて言い直すなら『最上級のバカ』だ。


 だが、千晴はあえてこれを受けることにした。

 理由は彼も言うとおりいくつかある。柊家が今どうなっているのか内情を知るいい機会だということ、柊奈津美という少女の本音を聞いてみたいという好奇心、よく調べもせずに久遠家に喧嘩を売ってきた橘孝之に対する興味、そして。


「何よりね、先方は『君』をご指名なんだよ」

「…………?」

「橘孝之氏からは『おたくのナンバーワンを』としか言われていない。だけど追記があってね、当の護衛対象者が『桐生朔弥さんを』とうちに直接連絡してきたらしい。ホームページにも載せていない警備要員の、しかも公の仕事を殆ど請けていない君の名前をどうして知っていたのか……気になるだろう?」


 つまりこれは、『理由を調べておいで』という指令なのだ。

 そう判断した青年……桐生きりゅう 朔弥さくやは、恭しげに一礼することでそれに応えた。




 朔弥の心は、いつも乾いている。まるで、無尽蔵に水を欲しがる砂漠のように。

 彼は名家と呼ばれる家で育ったプライドの高い両親から生まれ、そして幼い頃から様々なことを学ばされた。望むと、望まざるとに関わらず。

 一般的な幼稚園などには通わず、何人もの家庭教師が日替わりで家に呼ばれる。

 そうした教育方針にさしたる疑問を抱かず育った彼は、当然一般の学校に馴染めるはずもなく……周囲と打ち解けない、授業中はいつも居眠り、いじめの標的にされている……そんな報告を学校側から受けた両親は、面倒ごとは御免だとばかりに彼を海外にある『扱いにくい子供を対象とした教育施設』に放り込んだ。

 天才児というのは、普通の親には扱いにくいものである。

 そういった扱いにくい子供、問題行動を起こす子供を集めて教育をする、という名目でその施設は入所者を受け入れていた。


 彼が日本に呼び戻されたのは、16歳の時。

 両親が事故で亡くなったと、これまで会ったこともない親戚に連絡を貰った彼は、そこそこ名の知れた桐生家、そして父と母の実家である名家の血を一度に引くサラブレッドだと持て囃され、次期当主にと担がれた。

 が、彼はまだ未成年……成人するまでは後見人が采配を振るうのだと、そう見たことのもない親戚が告げたのを聞いて、朔弥は大人しくそれを受け入れた……かのように見えた。

 しかし彼は実に淡々と水面下でこの親戚と名乗る者達の素性と背後関係を調べ上げ、それを利用してあっさりと彼らを『次期当主サラブレッドの後見人』の座から引き摺り下ろしてしまった。

 そして、さてこれからどうするかと考えていた時


『君のその情報収集能力、僕に貸してもらえないかな?僕はその代わり、君に建前だけじゃできない名家の当主としての心得を伝授するから』


 と言っても、僕も父の受け売りだけど。

 そう言って、久遠千晴は柔らかく笑った。

 そこが、運命の転機だった。


 彼の心は乾いたままだ。だがそんな彼でも構わないからと、千晴は懐に迎え入れてくれた。


 見た目からはわかりにくいが、朔弥は千晴を主だと仰いでいる。

 そんな千晴が付き合いで参加したとあるパーティで小さな女の子を拾ってきた、そう聞いた彼は反射的にそのパーティの主要な関係者について情報収集を行っていた。

 そして明らかになる、天羽奈津美の意味不明な行動。

 橘家次期当主孝之の愚かしい判断。

 柊家当主とその妻による、ネグレクトの事実。


『余程のことがない限り、仕事は選んで構わない』


 だから今回も嫌だと断ろうとしたのだが、それはできないと逆に断られてしまった。

 そして、調べておいでと指令まで受けた。

 それはきっと、彼が未だ外に出さず掌中の珠のように可愛がっているという、義理の妹になった少女に関係することだからだろう、と朔弥はそう割り切って嫌でたまらない仕事を請けることにした。



「依頼した、橘孝之だ」

「K・S・Sより派遣されました、SS(シークレットサービス)の桐生です」

「貴方が、ナンバーワンだと?…………ふん、ホストクラブに依頼を出した覚えはないんだがな」


 もうこれ断っていいかな、とこの段階で朔弥のやる気ゲージは底をつきかけていた。


 人を見かけだけで判断するヤツは愚か者、というのが千晴と朔弥に共通する信条だ。

 朔弥はイギリス系ハーフだった父とドイツ系ハーフだった母の間に生まれ、双方の持って生まれた劣性遺伝子を受け継いだことで、日本人としては珍しい金髪碧眼である。

 顔立ちもどこか欧米風で肌も白く、黙っていると理想的な王子様像にも見えるが、口を開くと辛辣で冷酷。

 その見た目に騙されて近寄ってくる女は即刻排除、嫉妬して妬みをぶつけてくる男は完全無視。

 仕事上でもその態度に変わりはなかったため、彼にまわされる仕事は主に公にできない極秘扱いの護衛であったり、秘密裏になかったことにされる類の情報収集であったり。

 今回のように表に出て誰かの護衛を務める、というのは本当に珍しいことなのだ。

 だからこそ、千晴はこの依頼を訝しんで朔弥に調査を命じた。


 ひとしきりじろじろと上から下まで眺め、それに全く反応しない朔弥に飽きたのか、孝之は姿勢を正して「まぁいいだろう」と渋々頷いた。


「護衛を頼みたいのは婚約者の柊奈津美だ。婚約者、とは言っても実はまだ仮のもので、正式な婚約は1ヶ月先の話になる。その披露式が済めば、奈津美はうちの庇護下におけるし『橘家』の人間として、何かあれば家が対処することもできる。だからそれまでの間、貴方には奈津美に害をなす者が現れないように護衛を頼みたい。具体的には学校の行き帰りの送迎、外出時の付き添い、だな。学校の中には俺の後輩達がいて、奈津美がいじめや嫌がらせを受けないか逐次報告を入れてくれることになっている。柊家の中はセキュリティも万全だし、家の中をついて回る必要はない。ただ、早急に対応してもらう必要があるから、護衛期間中は柊家の近くにあるビジネスホテルに泊まってもらう。それと」


 と、孝之はここで一呼吸おいて、デスクの上に置いた婚約者(仮)の写真の上で指をトンと軽く鳴らした。


()()()()()()ということを忘れないように」




「奈津美、おまたせ」

「孝之さんっ!」


 橘家のリビングに孝之が顔を出すと、先に来て待っていた制服姿の少女……柊奈津美が嬉しそうに立ち上がり、駆け寄ってくる。

 その頭を撫でてやりながら、孝之は新しいクラスはどうだ、何か変わったことはないかと優しく訊ねた。


「え、と……うん。特に何もないかな?でもね、ほら苗字が変わったでしょ?だから、結婚したの?とか聞かれちゃってちょっと困っちゃった。事情を全部話しちゃうと……その、あの子のことも話さなきゃいけなくなるし」

「そうか、なら俺の名前を出したらいい。橘家はそれなりに知られた家名だからな、うちと婚約を結ぶ関係で養子に入った、と言えばあいつのことを言う必要もなくなるだろう?」

「そっか!そうだよね。でも、それならそれで孝之さんのファンの子達に妬まれそう……やだな」

「大丈夫だ。生徒会のやつらには奈津美に気を配るようによく言ってある。もし困ったことがあったら、生徒会室に行って助けを求めるんだ。きっとなんとかしてくれる」

「うん、ありがとう孝之さん」


 なんだこの茶番、と呆れながらも朔弥はそれを顔には出さず無表情を貫き通した。


 孝之の通っていた学校は、名門というほどではないにしてもそれなりに名が知れている。

 そこで生徒会長を務めたくらいだ、橘孝之という青年も決して『ただの愚か者』ではないはずである。

 孝之の他に、生徒会役員を務めた者達も同様だ。

 なのに、揃いも揃って外部受験してきた『天羽奈津美』という少女の虜となり、彼女のご機嫌をとるべく尻尾を振って傍に侍り、彼女の言うことを至上の言葉として受け入れていた。


 遊びに行きたいと言われれば、ポケットマネーでテーマパークを貸切り。

 ちゃんと仕事しなきゃダメだと諭されれば、彼女を生徒会室に呼んでその傍で仕事を片付け。

 勉強を教えて欲しいとねだられれば、自分の勉強時間を割いてでもわかるまで教え。


 結局任期が終わるまで彼らは最低限やるべき仕事をこなし、成績を極端に落とすこともなく、生徒会役員として『それなり』な評価を残しての卒業となった。

 だが、一人の女生徒に振り回され続けた彼らに対する生徒たちの評判はさほど高くなく、ただそこそこ整った顔立ちだった彼らのファンが根強く支持を続ける程度だった。

 そして何より、そんな彼らを振り回した天羽改め柊奈津美という女生徒に対する周囲の評価は、真っ二つに分かれる。

 大嫌い派と、可愛いからいいじゃないかという静観派だ。


 確かに、外見だけ言えば奈津美は可愛らしい。

 決して美少女というわけではないが、仕草や口調、髪型からファッションセンスに至るまで、どこをとっても男性の庇護欲をそそるように()()()()()

 それが計算ならたいしたものだ、とそう朔弥が評価を改めたところで


「あの、孝之さん…………そちらの方、は?」


 奈津美が、背後にひっそりと立っていた朔弥に気づいた。

 孝之の肩越しに朔弥を見つめるその目が、やっと見つけたというように一瞬嬉しそうに細まったのを、彼は見逃さなかった。




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