3.いつか、王子様が
前半は久遠千晴視点、後半は奈津美視点です。
『それで、状況はどうかしら?』
今日も帰れそうにないの、と申し訳なさそうにそう告げてから、久遠千晴の母であり現役の検事でもある久遠 万葉は、先日息子から提案されたばかりの件についてどうなっているのか、と問いかけた。
その言い逃れは許されなさそうな口調の強さに、これは親子の会話というよりは久遠家次期当主への尋問に近いなと千晴は苦笑する。
「先方に手続きに行ってくださった真崎先生の話では、随分とスムーズにことが運んだそうですよ。自分達が『いらない』と宣言したとはいえ、縁組の相手は久遠でしょう?てっきりごねるかと思ってただけに、着いて数分でサインと捺印をもらえたことに先生自身拍子抜けされたようでした」
『その柊家って四条の分家とは言ってもかなり遠いのよね?だったら、久遠の名前から【九】に結びつかなかった、という可能性は考えられない?』
「…………なるほど。それは盲点でした」
柊家と橘家の婚約披露パーティに千晴が出席していたのは、言ってしまえばおまけのおまけという関係があったからだ。
わかりやすく言えば、柊家の遠い本家筋にあたる四条家のご令嬢由梨絵が招待されており、そのエスコート役として彼女の婚約者の梧桐拓真が参加していた、その拓真の更に友人枠としての参加だったというわけだ。
招待客は基本的に名家に連なるか会社関係のお偉方ばかりなので、同行者や護衛を連れての参加も許可されている。
千晴もあえて家同士の繋がりのない『久遠家』の代表として名乗りを上げることなく、無難に拓真の友人として随行していたためあの瞬間まで特に目立つことはなかった。
…………とはいえ、顔立ちがかなり整った青年が二人寄り添っていたことで、お年頃のご令嬢達の注目はそこそこあびてしまったようだが。
(久遠の名を知らなかったとしても、あの親達はとことん娘に興味がないんだな)
ほんのわずかでも『普通の親』の感覚を持っていたなら、自分達が捨てると宣言した娘を拾うと告げた者が何者なのか、どうしてそんなことをあの場で告げたのか、と多少は気にして訊ねてくるはずだ。
だが真崎の話では、先方はどうぞどうぞとむしろ清々すると言いたげな表情であっさり記名捺印を済ませ、去り際などは「あれを貰いたいなどと奇特な家もあったものだ」と吐き捨てたのだという。
生まれて間もない頃はそれでも可愛がっていた時期があったというが、その報告自体が嘘だろうと否定したくなるほど酷い態度だった、と普段なら仕事に私情は挟まない真崎がそう零したほどであったらしい。
『……ひとつ、家裁から情報を貰っているのだけど』
「相変わらず、お母さんの情報網は多岐に渡りますね。それも元部下の方ですか?」
『ええ、まぁね。そんなことより……真崎先生が養子縁組の書類を提出するより早く、柊家から養子縁組の書類が出されたそうよ。この意味、もちろんわかるわよね?』
「もちろんです。……そうですね、家同士の繋がりを強化するための婚約でしたし、そうなるのが普通なんでしょうね」
忌々しいですが、と千晴が付け加えると電話の向こう側からはくぐもった笑い声が響いた。
柊紗夜と橘孝之の婚約は、そもそも同格の家柄である柊家と橘家が互いの利益のために結んだ政略的なものである。
だからこそ、孝之が「心から好きな人ができた」と破棄を望んだところで、本来ならそれが簡単に認められるはずはない。本来なら、だ。
しかも相手は格下の、庶民と言ってもいい家柄の娘だ。橘の家にとって縁を結ぶ利益は皆無に等しい。
だが柊家はここぞとばかりに娘を追い出し、代わりに天羽家と交渉して娘の奈津美を養女に貰い受けることを決め、その縁組の申請書を家庭裁判所に提出したらしい。
奈津美が柊家の娘となれば、橘孝之との婚約騒動にも決着がつく。
むしろ、『娘』の名前を挿げ替えるだけで家同士の契約はそのまま継続、となるわけだから橘家にとっても不利になることはない。
千晴が忌々しいと告げ、そして電話の向こうの母がそれに嘲るような笑いで応えたということは。
(どこからかはわからないが、あの娘が仕組んだ結果というわけか)
久遠家としても紗夜を養子に貰い受けるために急いで書類を作成し、翌日には真崎が手続きをするために先方へ出向いている。
それよりも一歩早く家裁へ書類を提出できたということは、あの婚約破棄騒動よりも前に天羽奈津美と柊家の養子縁組の話が進んでいた、ということに他ならない。
奈津美は幼い頃から柊家によく出入りしていたし、紗夜を追い出すきっかけとなった兄の優とも親しいと聞く。
そうやって柊家の者に認められ、愛され、同時に橘孝之との関係を深めているのを柊家にさりげなく伝えることで、彼女はほぼ庶民の天羽家から名家の分家である柊家の養女として迎えられることになった。
『……………どこからが、彼女の計画なのかしら……恐ろしい子ね』
「ええ。ですが所詮、うちの……久遠や梧桐、四条の敵ではありませんよ」
いつでも潰せます、と小さく告げた息子の声に、万葉はもう一度『恐ろしい子ね』と今度は好意的にそう呟いて明るく笑った。
計画通りだわ、と奈津美はひっそりと笑った。
彼女は今、オートクチュールのドレスを注文すべく柊家の一室で着せ替え人形と化している。
先日のパーティで着ていた純白のドレスは孝之からのプレゼントだったが、その一着だけでは今後困るだろうからと柊家の両親が呼んだ業者によって、奈津美の好きなピンクやオレンジといった明るい色の布が部屋中に敷き詰められ、ああでもないこうでもないと話し合われていた。
彼女は既に生まれもった『天羽』の姓から、正式に『柊』の姓へと変わっている。
引きこもり……というよりは家の者によって公に紹介されることのなかった紗夜に代わり、今後は奈津美が柊家の娘として社交界や家同士の付き合いの場に出ることになる。
これはそのための下準備のひとつ、というわけだ。
そもそも、最初は奈津美も紗夜を追い出すことまでは考えていなかった。
『柊家』がいずれ『橘家』と縁を結ぼうとすることは知っていたため、まずは優に近づいて彼の抱えるコンプレックスに理解を示して親しくなり、そうして柊家に通うための理由をつくって家に入り込んだ。
紗夜は元々天才気質で子供らしくないと知っていた奈津美はその反対の性格で柊家に取り入り、適度に甘え、そして実の娘以上に可愛がられることにも成功した。
あとは、孝之の通う学校に入るべく猛勉強をして学力を上げ、入学してからは生徒会長であった孝之をはじめとする役員達に近づいてその『心の闇』を晴らすべくそれぞれの悩みの相談にのり、ついには各々に恋心を抱かれるまでになった。
その全員に対して応えていたなら『ビッチ』と謗られていただろうが、彼女は巧妙にその気持ちに気づかないフリをしながら孝之のみにターゲットを絞って接近し、そして見事彼からの告白を引き出して先日の婚約破棄の場に同席してほしい、俺には君だけなんだとまで言わしめるに至った。
パーティ会場では紗夜が実の親に見捨てられた上どこの家かわからない青年に拾われていなくなる、という想定外のハプニングがあったものの、柊家からのかねての要望通り奈津美が柊の養女に入ることになった。
と、ここまでが彼女の計画通りに進んでいる。
(けどおかしいわね…………柊紗夜が他家に引き取られるなんてシナリオ、なかったはずなのに)
スマートフォン全盛の時代、ついに乙女ゲームはゲームソフトの域を出てスマホアプリへと進化した。
【 True or False? ~シナリオ通りじゃつまらない!~ 】
奈津美が前世ではまった挙句、追加シナリオやお助けアイテムを課金で手に入れてまでオールコンプリートしたというそのアプリゲームは、乙女ゲーム系の二次創作でよくあるような『ゲームをクリアした記憶を持って転生したヒロインが、その知識を使って無双する』というストーリーをベースにしながらも、主人公が前世の記憶にある良好な選択肢をそのまま選ぶかどうかで、シナリオが大きく分岐するという、ちょっと変わった内容を盛り込んでいた。
サブタイトルからもわかるように、シナリオ通りじゃつまらないからとあえて前世の記憶にない選択肢を選び続けることで、攻略対象者達とのちょっと危険なラブロマンスを経験できるのだ。
もちろんシナリオ通りの選択肢を選び続けてもハッピーエンドを迎えることはできるが、こちらはどの乙女ゲームでもありそうなごく普通の『告白エンド』で終わりだ。
そのゲームの記憶を持って、彼女は転生を果たした。
ゲームのデフォルトヒロイン名である天羽奈津美の名を聞いた瞬間に、ここがアプリゲームの世界だと天啓にも似た直感が働いたらしい。
そしてその直感通り、奈津美が幼い頃に引っ越した家の隣には柊家という名家の分家にあたる家があり、そこには優というお助けキャラ扱いの息子と、紗夜といういずれライバルキャラとして立ちふさがる予定の娘がいることも知った。
柊家が縁を結ぼうとする相手は攻略対象者の一人である橘孝之。
彼はゲームのメインヒーローであることもあり、彼とのシナリオは一番ボリュームがあって尚且つ甘さ倍増という、奈津美が最もお気に入りのものだった。
そのお気に入りのシナリオと見目麗しい攻略対象者がすぐ手の届きそうなところにいるのだ、これを攻略したいと願うのはむしろ当然だろう。
そのほとんどが、奈津美の思い通りに進んだ。
孝之を攻略するためにはまず、サブの攻略対象者である生徒会役員全員の好感度と信頼度を一定以上に上げ、かつ彼らからの恋愛アプローチに決して応えないことが必須条件となっており、それらをクリアしてようやく生徒会長である孝之と二人きりでデートしたり、家の事情を聞いたりするイベントが発生する。
ゲームとは違って好感度ゲージなど見えないことから調整にはかなり気を使ったが、それでもようやく孝之の口から年の離れた婚約者についての悩みなどを聞かせてもらった奈津美は、彼の不満を宥めつつ時折甘える仕草を加えて孝之を虜にすることに成功した。
ただ、全年齢対象のゲームにはなかった『思春期の少年特有の悩み』に関しては、計画通りというわけにはいかず結局婚約前に身体の関係を持つに至ってしまったが。
(まぁいいわ。あれこれ邪魔してくるはずの紗夜はひとまず退場させられたわけだしね)
奈津美の計算外だったのは、思った以上に紗夜が『いい子』すぎて奈津美に対する嫌がらせを全く実行されなかったことだ。
そのため彼女は、わざと我侭放題に振舞って人目のあるところで紗夜に注意されたり、自分で自分の頬を引っぱたいてそれを紗夜にされたのだと周囲に誤解させたり、挙句は孝之の紗夜への情が完全になくなるきっかけである『階段から突き落とされる』というイベントを、防犯カメラの死角を利用して見事にやってのけた。
「奈津美様、こちらのお色はいかがでしょう?薄桃色はピンクというより桜色に近いですし、上品な仕上がりになりますわ」
「それも綺麗ですね。お任せしていいですか?」
「かしこまりました」
柊奈津美と橘孝之が正式に婚姻関係を結ぶのは、孝之が大学を卒業する4年後のこと。
だが、ここにくるまで奈津美が選び続けてきたのは『ちょっと危険なラブロマンス』を目指した選択肢ばかり。
彼女が目指すのは、平凡なラブラブハッピーエンディングではないのだ。
「早く来てね、私の王子様っ♪」
うふふ、と笑った奈津美のその言葉を、デザイナー達は『婚約者の訪れを待っている』のだと好意的に解釈して、なんと微笑ましいカップルかと口元を緩ませた。