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13.望まぬ結末

一度だけ「「(台詞)」」という表現が出てきます。

わかりやすいようにあえてそうしただけですが、不快になられる方はざっと読み飛ばしてください。

 八雲家当主からの物騒な忠告を受けた翌週から、紗夜は大学に向かう時間、大学から帰る時間、そして通学路をランダムに変え始めた。

 そうすることで、尾行している相手を焦らせようというのが目的である。


 その話を最初に聞かされた千晴は、当然の如く猛反対した。


「八雲さんから注意するようにと言われただろう?なのにどうして打って出るようなことをやらかすんだ。あちらを刺激するだけじゃないか」

「だからです。千晴様は警戒を強めればいいと仰いますけど、その状態がいつまで続くのかわからないというのは中々にストレスなのです。なら、早々に先方を焦れさせてしまえば何かアクションがあるかもしれないでしょう?」

「どちらに対して、どんなアクションがあるかわからないのに?」

「…………千晴様の心配はわからないでもありませんが」


 つけ回している視線の主は奈津美、そして彼女を連れて出ているのは婚約者の孝之だ。それはほぼ間違いない。

 だとするなら、もし慶介の言うような事態が起こってしまった時、狙われるのは紗夜か朔弥か。

 奈津美の憎しみの眼差しを考えれば紗夜、孝之の恋敵であることを考えれば朔弥、どちらにも狙われる相応の理由はある。

 だからこそ千晴は、危険なことをするなと止めているのだ。

 どちらが狙われるのか明確にわかっているなら警護のしようもあるが、確率がほぼ五分五分ということならあえて危険に身を晒す必要はない、と。


 しかし、当事者である紗夜はあっさりしたものだ。


「大丈夫ですよ。休職中ですから『元』は付きますが、朔弥はKSSのナンバーワンでしょう?自分が狙われるにせよ私が狙われるにせよ、きっちり身を護ってくれるはずですから」

「…………確かにそう言ったのは僕だ、それは認める。だけどね、紗夜」


 なおも何かを言い募りかけ、だが千晴はそこで言葉を切ってふぅっと息をついた。


「……わかったよ。僕がもう何を言っても無駄ってことだな」

「…………千晴様?」

「いいよ、君の思うようにすれば。君と朔弥は、僕なんかが想像できないほど固い絆で結ばれてるんだ。君達がそれでいいと言うなら、僕はもう何も言わない」

「ちょ、千晴様待っ」


 言いながら素早く身を翻した千晴。

 いつにないその取りつく島のない様子に、慌てた紗夜がかけた声はバタンと無情に閉められた扉に跳ね返って落ちた。




(千晴様、どうしてあんなこと…………これまでそんなことなかったのに)


 紗夜自身物心ついた時からずっと海外で暮らしており、一般的な『家族』というものがどんなものなのかもわからず、傍にいた朔弥カッツェを兄として友人として慕ってきたし、誰よりも信頼している。

 突然日本に戻されて、血の繋がった実の家族を見てからもずっと、彼女にとっての『家族』は朔弥一人。それが孝之と婚姻関係を結ぶことでゆるりと変わっていく、そのはずだった。

 だが実際は自分のいた場所に奈津美が座り、紗夜は戸籍上の家族すら失ってしまった。


 そんな彼女に手を差し伸べたのは、久遠という数字付きの家柄。

 嫡男である千晴をはじめとする邸の人々は皆紗夜に優しく、彼女はこれまで受けたことのない家族の愛情を注がれて、戸惑うしかできずにいた。

 最初は適当に距離を置こうとしていたのに、特に千晴は紗夜のプライベートスペースの境界線に立ち、外に出ようと手招いたり、欲しいものがないかと尋ねたり、一緒にお茶を飲もうと誘ったりしてくる。


 頑なに朔弥だけを心の拠り所としてきた紗夜が、完全に絆されてしまうまでにそう時間はかからなかった。

 それでもどうしても、彼を『兄』とは呼べなかったけれど。


「千晴様と何かありましたか?」

「……わかる?」

「紗夜との付き合いよりは短いですが、あの方とも相応の付き合いがありますからね。いつも見送ってくださるのに、今日はいないなと気になっていたんです。今回の作戦変更のことですか?」

「ん、…………朔弥はKSSのナンバーワンなんだから大丈夫って言っただけなのに、急に不機嫌になって。思うようにしたら?って」

「…………なるほど」


 意外と不器用な方ですね、と笑みを含んだその言葉に、紗夜は意味が分からず首を傾げた。




 時間や道を変えたことで、ねっとりとまとわりつくような視線を感じることがグンと減った。

 最初2日は全く視線を感じない日が続き、そして3日目から時折すれ違うタイミングという短さで視線を向けられることが出てきた。

 ある程度予測して動いているのだろうが、どうにも予想しきれていないということのようだ。


 そのうち痺れを切らすかな、と帰り際に紗夜と朔弥がそう意見の一致をみた翌日のこと。

 車がいつものように久遠家を出て曲がり角に差し掛かったところで、突然目の前に飛び出してきた人影に気づいた朔弥が急ブレーキを踏むと、その人影は『見つけた!』とでも言うように仁王立ちして指を突きつけてきた。

 …………人影の正体については言うまでもない、紗夜の周囲の人達が口を揃えて『電波女』と呼ぶ少女だ。


「どうしますか?」

「…………降りるしかないでしょ」

「アクセルを踏んだら、さすがに危険を感じて……」

「それで怪我させたら面倒だからやめてね」


 奈津美の用事が朔弥にあるのか、紗夜にあるのかまではわからない。

 だがどう考えても朔弥が降りるのはリスクが高いことから、仕方なく紗夜だけが車を降りることにした。

 それを見た奈津美は、肩をいからせたままずんずんと大股で近づいてきて、そして


「やっとわかったわ、貴方がこのストーリーのバグなのね!!」

「…………はぁ?」


 ビシッと指を突きつけられた紗夜は、何のことやらと眉をひそめて得意満面なドヤ顔を見返した。



「ずっと不思議だったのよね……なんで()()の橘紗夜があたしよりずっと年下なのかって。ゲームじゃあたしと同い年だったんだもん。それにあの婚約破棄の後、紗夜は退場してシナリオには関わってこなくなるはずなのに、実際はいい家に引き取られて朔弥まで一緒にいるじゃない!これってバグよね!?そう、あんたはバグなのよ!!あんたさえいなくなれば、シナリオは元に戻るわ。孝之さんのお母様に認めてもらえないのも、朔弥があたしのところに来ないのも、あたしが肺炎にかかったのも、全部全部あんたのせいよ!だからとっとと退場してちょうだい!いいわね!!」


 言ってやった、とばかりに肩で息をしながら紗夜を睨み付けている奈津美の口からは、つい先週まで時折聞こえた重い咳は飛び出してこない。

 どうやら完治したようだ、と紗夜はそんなずれたことを考えてから、さてどうしたものかと視線を車内の朔弥へとちらりと走らせた。

 この状況でまさか「わかりました」と答えるわけにはいかない、だからといって「いやです」と答えれば奈津美はますます文句を言い募ってくるだろう。

 かといって朔弥に助けを求めれば、その場合も奈津美がヒートアップしそうで怖い。


 ここは無視してさっさと車に乗り込むかな。

 そんなことを考えていた彼女の耳に、久遠家のものではない車のクラクションが聞こえた。

 そちらへ視線を向けると、たびたび目にしていた真っ赤なスポーツカーが停まっており、そこから既に懐かしいという領域に入ってしまった……元婚約者の橘孝之が顔を出している。


「奈津美!」

「ああ、もう!とにかくいいわね!?さっさと退場すんのよ!!」


 捨て台詞のように言い置いて、奈津美は時折ちらちらと振り返りながらも孝之の待つ車へと戻っていった。

 彼女が乗り込むが早いか、車は猛スピードで駆け去っていく。


「……紗夜」

「…………ねぇ朔弥、退場するってどうやるの?」

「……さぁ?……ただ言えるのは……彼女、せっかく受けている教育が全く身についていないということくらいですね」


 貴方があんたになり、人を指差し、相手の意見も聞かずに一方的にまくしたて、しかも命令口調。

 今の彼女の言葉を橘家の奥方に聞かせたら、きっと怒りで血圧を上げすぎて卒倒するに違いない。

 尤も、奈津美自身が態度を改める気が全くないのだから、いくら教えられても身につくはずもないのだが。



 それまで会わなかったのが不思議なほど、それから毎日のように奈津美は紗夜の前に現れて「バグはさっさと消えなさい!」だとか、「退場しろって言ったでしょ!?」だとか、散々悪態をついて去っていくようになった。

 それだけでは飽き足らず、彼女はどこから取り寄せたのかありとあらゆる『魔除け』の品々を持ち出し、それを紗夜にぶつけ始めた。

 塩、日本酒、ニンニクに十字架、水晶に御札、星を模った御守り、香りの強い油、恐らく聖水だと思われるトロリとした水、極めつけに意味がわからなかったのはパソコン用のウイルス駆除ソフトだ。


(バグとウイルスは違うものなんだけど……そもそも私がバグとか意味わからないし)


 奈津美の電波な発言の数々は全く意味不明だが、あえて調べようとも思っていないためわからないままだ。

 ただわかるのは、彼女が紗夜を本気で邪魔だと思っていること。

 そして、紗夜がいなくなれば朔弥が自分のものになると信じきっていること。

 そこに全く朔弥本人の意思が含まれていないこと、意味不明なことで何度も何度も『消えろ』と悪態をつかれることに、紗夜はいい加減腹が立って仕方がない。


 次に会った時は言い返してやろう。

 もう二度とわけのわからないことを言いにこられないように、こてんぱんに論破してやろう。

 そんなことを考えながら、紗夜はこの日も車に乗り込んだ。


 …………が、結局この日の朝は奈津美が飛び出してくることもなく、何事もなかったかのように車は大学の敷地内へと滑り込んだ。




 動きがあったのは、帰り際のこと。

 ゆっくりと構内を出た車が裏道にさしかかると、いつぞやの奈津美のようにそこに仁王立ちをしていたのは、逆光で顔がよく見えにくいが確かに橘孝之だった。


「え、孝之さん?」

「紗夜、降りては」

「紗夜ぁぁぁぁぁっ!!」

「!?」


 どうしたんだろう、と無警戒に車を降りてしまった紗夜を朔弥が止めたがもう遅い。

 どろりと濁った目を紗夜に向けた孝之は、真っ直ぐ突っ込むように紗夜に向かって突進してきた。

 その手にギラリと光るものを認めた朔弥が、咄嗟に靴を脱いでそれを投げつけたことで、頬にクリーンヒットした孝之の動きが一瞬止まる。

 が、振り上げられたナイフの先は、鞄を手に持ってガードの姿勢になった紗夜を狙っている。


「「紗夜っ!!」」


 朔弥の声と、『誰か』の声が重なった。

 瞬間、道路に突き飛ばされた紗夜の華奢な身体。

 それに覆いかぶさるようにしてナイフを受け止める、一回り以上大きな身体。

 反射的にボンネットを飛び越え、孝之の身体を背後から羽交い絞めにして拘束する朔弥。


「紗夜ぁぁぁっ!!お前さえ、お前さえいなければ奈津美はっ!!消えろ、バグは消えてしまえっ!!死ね、死ね、死ね、死ね、死ねぇぇぇぇぇぇっ!!」

「うるさい、黙れ」


 余程腹が立ったのか珍しく敬語抜きでそう言うと、朔弥は暴れる孝之の首筋に手刀を叩き込んで意識を失わせる。

 そして、折り重なるようにして倒れたはずの二人へと視線を向けた。

 一人は、呆然とへたり込んでいる紗夜。

 そしてもう一人。


「ち、はる、さま……?なんで、どうして千晴様が……」


 ぐったりと紗夜にもたれかかったまま意識を失っているのは、喧嘩別れのようになってしまったあの日からずっとこれまで一度も紗夜と顔を合わせようとしなかった、久遠千晴だった。



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