11.強かなるエトランゼ
「まだはっきりとは、将来の道を決めたわけではありません。ですが、犯罪心理学という学問に強く興味を引かれておりまして、ひとまずは大学に進学して詳しく学びたいと考えています。世間を騒がせる犯罪だけでなく……何故児童虐待などという悲劇が起きてしまうのか、いじめという行動の裏にはどんな心理が隠れているのか、そういった身近にあるような『犯罪』にも向き合っていきたいのです」
久遠家主催のパーティにおいて、正式に【久遠紗夜】として紹介された彼女は微笑みさえ浮かべながらそう語った。
四条や梧桐、一宮に八雲といった名だたる名家の当主やその家族たちが揃い踏みのその場は、普通の神経を持つ一般の者なら大人であってもガチガチに緊張してしまい、言葉を発することすら躊躇うだろう。
その場において、紗夜は見事に居並ぶ大人達の期待に応えてくれた。
当然、久遠家当主やその妻、そして彼女の義兄などは内心拍手喝采を送っていたし、この日は桐生家当主としてその席にいた朔弥も、満足そうに微笑みながらそのスピーチを見つめていた一人だ。
ただ、その場にいた殆どの者達は知らなかった。
誕生日を迎えたばかりでまだ13歳と幼い紗夜が、その言葉そのままにすぐにでも『大学を受験』するつもりだということを。
大学の受験資格には、年齢は関係がない。
高卒もしくは高卒相当の学力がある、そして海外の教育機関で相応の教育を受けた者、という条件があるだけだ。
日本には義務教育というものがあり、故に大学を受験するならまず小・中学校を出てからと考えるのが一般的だが、幸か不幸か彼女はこれまでそういった日本らしい教育を受けてきたことがなかった。
パーティの席上では、彼女がこれまで海外で教育を受けてきたことは明かされたが、さすがに大卒資格を所持していることまでは口外されなかった。
だからだろうか、殆どの者が紗夜の宣言を『将来の夢』だと認識していた。
そしてその翌年、彼らは驚かされる。
13歳数ヶ月という年齢で、名門国立大学にストレートで合格した天才少女の名は、あの日あの時『将来の夢』を語った彼女のものだったのだから。
さすがに『13歳で名門国立大学にストレートで合格』という話題にマスコミも飛びついたものの、久遠家や他の名家達が揃って報道規制を布いたこともあり、それほど大々的には騒がれなかった。
規制の名目は簡単だ、まだ13歳という多感な年頃の少女の周囲で騒ぎ立てることで、彼女の周囲に影響が出たら困る、とでも言えば殆どのマスコミはやんわり報道を流す程度にとどめるしかできない。
それでも、空気をあえて読まないのが写真週刊誌各誌だ。
大々的に記事にはしなかったものの、あきらかに紗夜だとわかるような隠し撮り写真と、さも本人がそう言っているかのような『知人達』のインタビューだったり、本当に聞いたのかどうかも怪しい『学友達』の言葉だったりを載せ、ある週刊誌は【天才少女現る!】と、ある週刊誌は【義務教育制度への警鐘か】と題して、センセーショナルに取り上げてきた。
当然、この各誌全てが報道規制違反で厳しく批判されただけでなく、紗夜に対する悪意ある記事を書いた数誌は名誉毀損で久遠家から訴えを起こされてしまった。
「…………どういうこと……?」
いくらぼかされていたとはいえ、彼女をある程度知る者が見れば本人だとわかるようなアングルで撮られた写真ばかり。
その写真週刊誌をたまたま興味本位で手にとってしまった『彼女』は、その形のいい眉をぎゅっとしかめて記事を全て読み、ついでに他の週刊誌も手にとって読み込み、感情のままにそれらをぐしゃりと握りつぶしそうになって……そこでハッと、自分が今どこにいるのか思い出したらしく、「やだ、あたしったら」と愛想笑いを浮かべながら慌てて本の皺を伸ばし、そそくさとそれをマガジンラックに戻した。
だが、驚きやそれにも増して激しい怒りの感情が収まることはなく、彼女は病室に戻ってからも「どういうこと!?」「なんであの子が!」と、廊下に聞こえない範囲の声で悪態をつき続けた。
「どういうことなの!?あの紗夜がどうして朔弥と一緒にいるわけ!?退場した柊紗夜がいい家に引き取られてて、そこが朔弥を雇ってるなんて……そんなシナリオ、なかったはずなのに!」
紗夜が最年少で大学に入ったことなど、今の彼女には全く興味がない。
彼女が激怒した理由、それは大学へ向かう紗夜を隠し撮りした写真の中に、運転手兼護衛である朔弥の姿が何枚か写りこんでいたからだ。
「どういうことなの、朔弥……あたし、ずっと待ってたのに。待って待って待ち続けて……風邪ひいて、肺炎になるまで待ってたのに、っぐ、ゴホゴホッ、……どうして、あたしじゃなくてその子なの?なん、で、あたしのそばに、いてくれな、ゴホッ!」
「柊さーん、失礼しまーす。って、どうなさったんですか!センター、センター、柊さんが発作を起こして呼吸困難に陥ってます!すぐに先生を!」
ベッドにくの字になって蹲る彼女の背をさすりながら、慌ててナースコールを押す新人看護師。
その間にも、彼女は「なんで」「あいつが」「あいつが悪い」とうわごとのようにぶつぶつと呟き続け、傍にいる看護師を戦慄させた。
結局彼女は、麻酔で意識を失うまでぶつぶつ呟くのをやめなかった。
その声が全て、既に香りの時期を過ぎてしまったポプリに聞かれているとも知らずに。
紗夜の周囲はといえば、やはり大学の同級生達、そして何浪かして入学した生徒には奇異なものを見るような目で見られ、遠巻きにされていた。
さすがに子供ではないからか、あからさまにいじめようと意図を持って近づく者はいなかったが、それでも毎日送り迎えで顔を出す朔弥目当てらしい女生徒が何人も紗夜に擦り寄り、そして朔弥本人にすげなく無視されたことで彼女を逆恨みする者はいた。
だが紗夜も、そんな『女』の恨み妬みは経験済みであるため、真っ向から相手にすることもなく朔弥同様無視に徹している。
彼女自身、愛想のいい方ではないが『年上』に対する礼儀は心得ている。
そのため、積極的に友人知人をつくろうとはしてはいないが、やはりその人の本質を見極めようとする厳しい姿勢や礼儀を忘れない心遣いに惹かれ、己の方から関わってくる者が何人か現れ始めた。
「いやはや、本当に君は人気者だね。君の受講する授業はどれもこれも人で溢れていると聞くよ」
「単に物珍しいだけです。そのうちきっと飽きますよ。動物園の珍獣か、一発屋芸人みたいなものでしょう」
「はっはっは!君は自分を一発屋芸人だとそう言うのか。いや、実に面白い!面白かったから座布団一枚、と言いたい所だがうちには座布団運びがいなくてね。それはそのうち雇うとして、かわりに私手ずから茶を淹れてやろう。痛快痛快、はっはっは!」
「…………先生、笑いながら淹れてこぼさないでくださいね」
「そんなヘマをするものか!」
言いながらもまだ笑い続けているこの女性は、この大学における紗夜の初めての理解者だ。
名前は、シャーロット・リエ・クローディアス。旧姓は七瀬 利恵という、既婚の大学教授である。
シャーロット、というのは洗礼名であるらしい。人は見かけによらないな、とこの時紗夜が思ったことを恐らく彼女は見抜いているだろうが。
専攻は紗夜の希望している犯罪心理学。
まだ1年生である紗夜は彼女の講義を取ることはできないが、聴講はできるというので何度か講義に顔を出しているうちに、今年の変り種ナンバーワンがいると話題になり、そしてある日講義を終えた彼女に引きずられるようにしてこの教授室に連れてこられた。
そこで妙に紗夜を気に入ったらしいこの女性教授は、その場でアドレス交換を申し出て……というよりは無理やり交換させ、こうして何度か紗夜の空いた時間に遊びにくるようにとメールを送ってくるようになった、というわけだ。
そんなシャーロット……もとい、リエの淹れてくれたお茶を受け取った紗夜は、目を細めてその香りをかぐと、意外そうに瞬いた。
「アールグレイ、ですか?」
「うむ。疲れた時にはハーブティだとよく言うが、君は本格派だろう?ならあえてアールグレイのホットがいいかな、と思ったわけだ。どうかな?」
「……はい。さすがですね、先生」
「そうかそうか、もっと褒めたまえ」
得意げに反らされた胸はメロンのごとくたわわに実っており、紗夜は思わず自分の……1年前に比べればまだマシな程度のそれに目をやり、そして寂しげに視線を落とした。
久遠家に引き取られた当初はガリガリに痩せていて年相応にすら見られなかった彼女は、この1年で相応にふんわりと柔らかい体型にまで成長し、背もそこそこ伸びた。が、育たなかった部分もある。
こればかりは栄養状態云々の問題ではないため、彼女も筋トレやストレッチを続けながらも半ば諦めモードであるのだが。
その視線に気づいているだろうリエはもう一度おかしそうに笑い声をたて、そして一転神妙な表情になって「そういえば」と本日の主題を切り出した。
「……どうやらストーキングされているらしい、と聞いたのだが?」
「どこからの情報ですか、とお聞きするのも疲れましたから聞きませんが……そうですね、それらしいことはされています」
「それらしい、とは?」
「主に、外出時によく視線を感じるんです。といっても、家や大学といった建物の中に入ってしまえば別ですから、恐らく外で見張られているんでしょう。でもゴミを漁られたり変な手紙を送り付けられたりといったことはありませんし、今のところ被害はそれだけですから放置してあります」
最初にその視線に気づいたのは、護衛についている朔弥だった。
紗夜もすぐに気づいたが、当初は朔弥を狙って近づいてくる女生徒が後を絶たなかったため、その種の女性の視線だろうと特に気にもとめていなかった。
だがそのねっとりとした視線は朔弥を見つめると同時に、紗夜を妬ましそうに憎らしそうに追いかけており、しかも同じ視線が毎日毎日同じ時間に彼女達を追いかけてきているとなれば、さすがにこれは問題視すべきかなと思ってはいたのだが…………それでも彼女は、その視線を現在進行形で放置プレイ中である。
「で、そのココロは?」
おかしそうに、もしかしたら犯人がわかっているのではないかという余裕の表情でそう問いかけるリエに、紗夜はすました表情でこう答えた。
「誰の仕業か、既に判明しています。ただ……『彼女』は現在入院中のはずなんですが」




