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10.来る、きっと来る

 

 バルコニーの手すりに両手を預け、心ここにあらずといった表情でぼんやりと、夜空を見上げる少女。

 彼女の脳裏に何度も蘇るのは、1ヶ月前の婚約発表の日に哀しい別れ方をしてしまった金髪碧眼の青年の姿だ。


 彼の、傷ついたような顔。

 漂う絶望感。

 壊れたガラス細工を哀しげに見つめる、宝石のような瞳。

 それを自分の方に向けたくて。

 自分だけを映して欲しくて。

 意図せず、足を踏み出していた。

 ガラス細工を完膚なきまでに粉々に踏み潰しながら、彼女は駄々をこねる子供のように癇癪を起こした。

 私を見て、私だけを見て、私はここよ、と泣きながら叫んだ。


 だが今ならわかる。あの時の自分が、どれだけ愚かだったか。

 あんなことをしても、彼の心が離れていってしまうだけだということが。


「バカ、だよね…………あたし」


 ただ、好きになっただけなのに。

 婚約者のいる身で、と責められても仕方がないことだがそれでも、彼女は彼に惹かれてしまった。

 毎日毎日送り迎えしてもらえること、外出時にはエスコートしてもらえること、そのことが嬉しくて。ただ、幸せで。


「……会いたいな……朔弥、さん」

「…………お嬢様」

「その、声は……」

「シッ。どうかお静かに。他の者に気づかれては面倒です」

「…………っ」


 見下ろした庭先に、先ほどまで見上げていた月の光を凝縮させたような金色の光。

 目が慣れてくると、彼がいつもと変わらぬ黒のスーツを着ていることがわかった。

 仕事帰り?と彼女が囁くように聞くと、彼は困ったような顔で首を横に振る。


「…………仕事を、クビになってきました」

「どっ、どうしてっ」

「他の方の警護についても身が入らず……終始意識が他を向いているような護衛を、誰が雇ってくれるでしょうか?」

「でもっ、あたしの護衛についてくれてた時はあんなに真面目で一生懸命だったのに……どうして?悩み事でも、あるんですか?」


 そう口に出してしまってから、彼女はハッと気づく。

 彼はもしかして、彼女が壊してしまったあのガラス細工のことをずっと気に病んでいるのではないか。

 だとしたら、自分はなんてことをしてしまったんだろう。


 手すりを掴んだ手の甲に、ぱたりと大粒の涙が落ちた。


「ごめ、……っ、ごめん、なさいっ……あたし、あなたに、ひっ、酷いこと、を……っ」

「……泣かないで。どうか、泣かないでください。確かにあのストラップは友人との約束の証……でも、あの時貴方に言われて気づいたんです。今傍にいない人を想うよりも、傍にいる人をどうして大事にできなかったんだろう、と」

「…………朔弥、さん」

「あの時から、貴方の泣き顔が頭を離れない。どこにいても、誰といても、貴方が今泣いていないか、傷ついていないか、気になって仕方がない。こうして惨めったらしく会いにきてしまった今も、その涙を拭いたいのにそれができない。笑って欲しいのに、どうしたらいいのかわからないんです。教えてください、どうやったら貴方は笑ってくださいますか?」


 手を伸ばす彼と、見下ろす彼女。

 ロミオとジュリエットの逢瀬のように、二人は決して触れ合えない距離にいる。

 それでも、ともすれば高鳴る鼓動が聞こえてしまいそうで……彼女は意図して明るい声を出し、無理やり笑顔を作った。


「簡単ですよ」

「……え?」

「私のこと……どう想ってるのか教えてください。私は、あの時も言ったように貴方のことが……その、好き、です。貴方は?」


 陰になっていて良かった、と彼女は火照る頬を手で包み込みながら、愛しい人を見つめる。

 真っ直ぐにバルコニーを見上げている彼の顔は、月の光に照らされてはっきりと見える。

 ……これまで見たことのない、朱に染まる頬も。熱をはらんで潤む瞳も。まるで、彼の想いを代弁しているかのようだ。


「私、は…………これまで殆ど人と関わらずに生きてきました。ですからこれが……貴方を想うと胸が締め付けられるこの気持ちが、何というのかわからないのです」


 ですが、と彼はためらいがちに付け加える。


「これだけはわかります。私は、貴方の傍にいたい。お傍で、その笑顔を守りたい。悲しい顔なんて、させたくはないんです」

「……朔弥さん、あたしも……」

「どうか、朔弥と呼び捨ててください。そして、願わくば貴方のことも名前で呼ばせてはくださいませんか?」




(そしてそしてっ、あの優しいトーンの声で『奈津美さん』って呼んでくれるのっ!きゃあ~!!)


 朔弥やばすぎぃ~、と身悶える彼女がいるのは一人きりのバルコニー。

 あの婚約披露の日以降、彼女はずっと毎日のようにこうしてバルコニーに出ては、来るべき日に備えて『シーンの回想もうそう』を繰り返していた。

 朔弥の『告白イベント』に備えるために、である。


【桐生朔弥】は、橘孝之ルートの『危険なラブロマンスシナリオ』に登場する隠しライバルキャラだ。

 他の攻略対象者のラブロマンスシナリオではライバルなど登場せず、なんらかのアクシデントに巻き込まれて危険にさらされながらも、最後は幸せを掴み取るというものだった。

 だがメインヒーロー孝之のシナリオでは、婚約者柊紗夜を断罪してトゥルーエンドを迎える条件が整った後に、護衛として配属されてくる美形の青年との三角関係が発生する。

 そう、彼は攻略対象者である孝之のライバルとして登場するのだ。

 エンディングはやはり孝之のシナリオらしく、朔弥の誘惑を振り切って婚約者と結ばれるものがトゥルーエンドとして設定されている他、バッドエンドでは二人とも選べずにどちらにも別れを告げられてしまうという寂しいものもあった。

 そして、朔弥寄りの選択肢を選び続けるとたどり着くのが『略奪エンド』というものだ。

 これは、実は橘家よりも家格の高い桐生家の跡取りだったという朔弥が、護衛の仕事を辞めて正式に桐生家の当主を名乗って奈津美を奪いに来るというもの。

 いくら家格が高いといっても奈津美は橘家の嫁候補だ、そんな彼女を無理やり略奪していくのだから桐生の家は名家の中からも白い目で見られ、肩身の狭い思いをしながらも二人は寄り添って生きていく、というストーリーだった。


 前世、このゲームのファンだった者達の中では【朔弥ルートのトゥルーエンド】と呼ばれるほど、このシナリオは人気が高かった。

 奈津美もこのシナリオにはまったファンの一人であり、だからこそどうしても孝之ルートに入ってこのシナリオを発生させずにはいられなかった。

 孝之に寄り添い、悩みを聞き、紗夜を蹴落とし、やっとの思いで婚約者の座について発生させた朔弥ルート。

 その山場ともいえるシナリオが、バルコニーでの逢瀬&告白のシーンだ。



 が、


「っ、くしゅん!」

「お嬢様!またこんなところで薄着をされて……外に出るのは結構ですが、ガウンを着てくださいと何度もお願いいたしましたのに」


 外で控えていた使用人が、ほらみたことかとガウンを手にして駆け寄ってくる。

 そして、中に入りますよと肩をやんわり掴んで引き戻されそうになり、奈津美はいやいやと頭を振ってその手を払いのけた。


「だってそのガウン、分厚くってもっさりしてるからカッコ悪いじゃない。大丈夫、もうちょっとだけだから。風邪ひく前に部屋に戻るから、ね?」

「……そう仰って、先日は見事に風邪をひかれましたよね?」

「うっ、……あれはー……ちょっと気を抜いてたって言うか……」

「お風呂上りに毎日外の風にあたられていたら、風邪くらいひきますよ。後はお休みになるだけなんですから、恰好がいいとか悪いとか関係ございませんでしょう?」


 引く気のなさそうな使用人のお小言がお説教に変わる前に、奈津美は「わかったわよ」としぶしぶ部屋の中へと引き返した。


(今日も、朔弥は来てくれなかった……。あれから毎日待ってるのに)


 シナリオが劇的に動くのは、婚約発表の日から1か月経った頃。

 だがこれまでいくつもの細かな差異があったことを考えると、もしかすると時期がずれてくるかもしれない……そう考えて毎日寝る前にバルコニーに出ている。

 なのに、彼女を呼び止めるのは部屋付きの使用人か庭の警備にあたっている中年の警備員、もしくは義理の家族達だけ。

 朔弥が護衛についたことで彼のシナリオに入ったことは確認済みだし、ここまで選んできた選択肢もまちがっていなかったはずだ。


 現に、彼が大事そうに携帯につけていたガラス細工を壊すイベントは起きた。

 あれは彼が留学時に唯一仲良くなった友人からもらったもので、その友人と些細なことで喧嘩した後仲直りする前に事故で亡くしてしまった……その思い出が詰まった物だと、シナリオ内で彼が語ってくれるのだ。

 その大事な思い出よりも貴方が大事だと気付いた、そう告白して以降名前で呼んでくれるエピソードが起きてようやく孝之と朔弥の間でのライバルフラグが立ち、奈津美をめぐって二人が火花を散らしあうというファン垂涎もののシーンが見られるようになる。



「そういえばお嬢様、橘様から連絡がございました。明日は奥様のお時間が空いておられるとののことで、8時には迎えの車を寄越してくださるようです」

「げ」

「……ですから、明日の朝はいつもより早めにお支度くださいますよう」


 お嬢様らしからぬ驚きの声をまるっと無視して、使用人は一礼して部屋を出ていった。


「うっわぁ、嫌だなぁ……あのオバサン、遅れたらネチネチ嫌味言うんだもん」


 柔らかなベッドに顔からダイブして、奈津美はくぐもった声で「陰険ババア」「鬼姑」などと文句をこぼす。


 奈津美の婚約者橘孝之の両親は、当初息子の心変わりと様変わりを大変嘆いていたが、孝之が頻繁に奈津美を連れて帰ってくるのを見るうちに、このまま嘆いているだけではだめだと気付いたらしい。

 特に、孝之の母親であり当主の妻でもあるたちばな 美津子みつこの立ち直りは早かった。

 婚約披露のパーティまでは奈津美のことを『お客様』としてもてなしてくれていた美津子は、しかしパーティでの宣言通りその翌日から奈津美を『孝之の婚約者』として扱い始めた。

 具体的には、家に()()()来た奈津美を別室に呼び、橘家の系譜を見せたり食事の所作を注意したり、不意に庭に誘ったかと思うと庭の草花の名前を答えさせたりして、答えられなければ『宿題にします』と次に来る時までの課題とした。


 当然、徐々に奈津美の足は橘家から遠のく。

 だがそこで教育の手を緩める彼女ではない。

 彼女は「以前のお嬢さんは期待に応えてくれたのに」と暗に紗夜が優秀だっだと匂わすことで、奈津美の嫉妬心と対抗心を煽ることに成功。

 彼女の口から「頑張ります」という前向きな答えを引き出し、休日のみならず毎日学校帰りにも立ち寄ることを約束させてしまった。


 奈津美が「しまった」と後悔してももう遅い。

 彼女は毎日夕食の時間まで食べ方などをチェックされつつ橘家で過ごし、休日は美津子の予定に合わせて呼び出されてほぼ一日教育を受けて、へとへとになって家に帰りつく。

 その繰り返しで、息抜きに出かけることも孝之と会う時間すら取れずにいた。


 今の彼女の唯一の救いは、朔弥の告白シナリオがあると信じて待ち続けることだけ。



「お願いだから早く来て…………朔弥」


 あたしをここから連れ出して。

 枕に埋もれてくぐもった嘆きの声を拾ったのは、彼から貰ったポプリだけだった。



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