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1.婚約破棄は突然に

作品内に「久遠」という姓が頻繁に出てきますので、この作品だけ作者名を以前のアカウントのものに変えました。

ユーザー名「久遠萬姫」と同一人物です。あしからずご了承ください。


8/16奈津美と紗夜の関係性を「幼馴染」から「お隣さん」に変更しました。

紗夜さや、君との婚約を破棄したい」

「…………いきなりですね。どういうことか説明していただいても?」

「心から好きな人ができた。彼女以外との結婚など考えられない」

「…………」


 そうですか、と囁くような声で呟いて紗夜は小さくため息をついた。



『彼』との婚約は、家同士の政略的な関係性保持のために結ばれたもので、その関係が結ばれてから今日に至るまで、少なくとも紗夜の方には『彼』に対する恋愛めいた感情など欠片も存在しなかった。

 そしてそれは『彼』も同じだろう。

 何故なら紗夜は物心ついてからからずっと海外で暮らしており、彼女の記憶にある限り()()()日本に戻ったその日に『彼』との顔合わせが行われたから……つまり、お互いに相手と知り合う術も偶然どこかで行き会う機会もなかったからだ。


『彼』は名家と呼ばれる古い家柄のひとつ、八雲家の分家にあたる橘家の嫡男『たちばな 孝之たかゆき

 彼女は同じく名家と呼ばれる四条家の分家にあたる柊家の第二子にして長女『ひいらぎ 紗夜さや

 二人は互いに引き合わされ、大人たちの言うままに婚約という関係を結んだ。

 両家の親たちは、孝之が大学を卒業したら結婚するのだと自然にそう思っていたし、今日この日までは紗夜もなんとなくそう思っていた。


 だが孝之が通う高校の卒業式があったこの日、紗夜と孝之の婚約披露パーティの場において、こともあろうに孝之は紗夜との婚約を破棄したい、他に結婚したい相手ができた、と一方的に告げてきた。

 当然場は先ほどから騒然としているし、まったく事情を聞かされていなかった紗夜の両親はもとより、家同士の今後の付き合いにも影響するというのに、孝之の方の両親も今初めて聞いたような顔になっている。


(ご両親にも説明されてなかったんですね……)


 本来なら、このような場で言うべきことでは勿論ない。

 元々は両家の付き合い上で決まったものだ、好きな相手との結婚を意識した時点でまずは親に話を通し、その了承を得た上で柊の家に『謝罪』と共に婚約『解消』を『頼み』に来るのが筋というものだ。

 だが今回彼が告げたのは『解消』ではなく『破棄』、しかもそれは『頼み』ではなく一方的な『宣言』に近く、そこに『謝罪』の意志などまるで感じられない。



 両家に流れる不自然な沈黙は、ゴホンというわざとらしい咳払いの声で遮られた。

 声のした方を見ると、橘家の現当主……孝之の父親が困惑の色をなおも顔に浮かべたまま、爆弾発言をした息子をじっと見据えている。


「孝之、今の言葉はお前の本音だと受け取って構わないな?この場をこれだけ騒がせたんだ、冗談でしたで済ませられるかどうかくらいわかっているんだろうが」

「勿論です、お父さん」

「ならばなぜ、事前に相談しなかった。他の列席者の方々同様、初めて聞かされた我々がどう思うか、他家からどう見られるか考えなかったのか」

「…………いささか逸りすぎたことは認めます、すみません。ですが『彼女』のことを想うと、両家で話し合ってそれから、という悠長なことをしている余裕がなくて。なにしろ『彼女』はとても人気者ですので」

「人気者?だからなんだと言うんだ。意味がわからない」

「それは…………『彼女』を紹介してからの方が良さそうですね。ご紹介します。……奈津美!」

「っ、!!」


 その呼ばれた名に、柊の両親は何故か誇らしげな顔をして、そして紗夜は諦めの念を抱いて、孝之が見つめる先に視線を向けた。


 彼が手を差し伸べた先、その場の皆が視線を向ける先からゆったりとした足取りで姿を見せたのは、本来ならその場の主役しか身につけることが許されない『純白』のドレスワンピースを身にまとった、可憐な少女。

 年のころは孝之よりも1歳か2歳ほど年下、少々癖のある茶色の髪はふんわりと背におろされ、彼女が一歩一歩と歩くたびにくるりくるりと宙に舞っている。

 やや垂れがちの目元も小さく桜色の唇も女性らしい丸みを帯びた体格も、どのどれもが紗夜とは正反対。

 つり目気味で実年齢よりもしっかりした印象の紗夜に比べ、『彼女』……天羽あもう 奈津美なつみからは愛らしく守ってあげたくなるような印象を受ける、と彼女たち二人を知る者は口を揃えてそう語る。



 奈津美ははにかんだような表情で孝之の手を取り、ごく自然にエスコートされてその隣に並ぶと、そこでようやく自分を見つめる紗夜に気づいたかのように視線を合わせ、怯えたように孝之に擦り寄った。


「あ、……紗夜、ちゃん…………その、ごめんなさい。あたし……孝之さんが、まさか紗夜ちゃんと婚約してただなんて、知らなくて。知った時にはもう……その、好きに、なってて。いけないって思った。でも、どうしても諦められなかったのっ。ごめんなさい!!」

「奈津美、奈津美が謝る必要なんてないだろう?俺が最初に、君を誘ったんだから。悪いと言うなら婚約者がいたのに君を好きになった俺の責任だ。君が苦しむことなんてない」

「でもっ!あたし、知ってた。紗夜ちゃんが婚約者のこと……孝之さんのこと、大事に想ってるって。だから、孝之さんと仲良くするあたしのことが……嫌い、なんだって。そんなことわかってた!」

「…………嫌い?一体、何を言ってるんですか?」


 わからない、というように紗夜が首を傾げると、奈津美は泣きたいのを我慢するかのようにぎゅっと眉根を寄せる。


「紗夜ちゃん……あたし知ってるんだよ?紗夜ちゃん、あたしのこと嫌いでしょ?だからいつもいつもあんなにキツいことばっかり……ぶたれたことだってあるし、この前なんて階段から…………あたし、怖く、て……そんなに嫌われてたなんてっ」

「だからなんですか?何のことを言ってるのかわかりません。だめなことはだめだと言うことはありましたが……叩いた記憶なんてありませんよ?そもそも階段からって何の話でしょう?」


 奈津美と紗夜はお隣さんという関係だ。

 家柄から言えば紗夜の家の方が格上だが、家が隣にあったこと、そして何より愛らしい顔立ちと仕草であっという間に近所の人気者になった奈津美に、他ならぬ紗夜の両親が夢中になってしまった。

 奈津美も紗夜が海外にいる間からよく柊家に入り浸っており、紗夜が帰ってきてからも『お友達になりたいから』と彼女に会いにくるようになり、今では紗夜を差し置いて本当の娘のように溺愛されている。


 そんな奈津美は愛されて育った所為か奔放で我侭なところがあり、紗夜は我慢できない部分については「そんなことしちゃだめですよ」とよく諭すことがあった。

 そのたびに奈津美は大げさに泣いたり嘆いたりするので、そのことで「奈津美ちゃんをいじめるなんて酷い子だ」と両親に叱られることも確かによくあった。

 が、手を上げたことなど一度もないし、奈津美が高校に入ってからは会う機会もめっきり減ったため、階段云々どころか直接言葉を交わすことすらあまりなかったはずなのだ。


 奈津美と紗夜は通う学校が違う。奈津美は孝之と同じ小・中・高・大学一貫教育のエスカレーター式の学校であるし、紗夜は両親に無理やり決められた全寮制の学校に通っている。

 故に、奈津美と孝之が親密な関係を築いていることなど知りもしなかったし、最近は自分より『年上』である奈津美の無作法を諭そうという気持ちも薄れていたため、たまに顔を合わせる機会があっても自分からは近寄らないようにしていたのだ。


 だから何かの勘違いだと、そう主張しようとした紗夜だったが。



「とぼけるのもいい加減にしろっ!お前がそんなだから奈津美はいつも我慢して、泣きそうな顔で笑うんだ。大丈夫、って。お前が……誰にでも愛される奈津美を妬んで散々嫌がらせしていたんだろう!?奈津美からも、その友人たちからも聞いている。しっかりしたやつかと思えば、とんだ食わせ者だな」


 これでわかったでしょう?こいつの正体が。

 そう言って、孝之は己の両親や今回披露の場に集まってくれた来賓たちをぐるりと見渡し、フンと得意げに鼻を鳴らした。

 彼の両親はひっくひっくと肩を震わせ嗚咽をもらす奈津美と、茫然自失といった様子の紗夜をかわるがわる見比べながら、いまだ態度を決めかねている様子だ。

 それもそのはず、奈津美とは面識がなかったようだが、紗夜はこれまで何度も孝之の婚約者として顔を合わせているし、その真っ直ぐな気性やわからないところは生真面目に努力して理解に努める性格などを好ましく思っていたこともあり、当の息子とその恋人の証言があるとはいえにわかには信じられないといったところなのだろう。


 だがこれに即座に反応した者もいた。

 他ならぬ、紗夜の両親だ。

 父親の顔は正に憤怒の表情、母親もキッと眦を吊り上げて娘を睨み付けている。


「お前というやつはどこまで……っ!!ここまで育ててやった恩を忘れおって!可愛げのない子供だと思っていたが、まさか性根まで腐り果てているとは思わなかったぞ!いつもいつも、お前を慕って遊びに来てくれたあの子をいじめて泣かせるわ、気に入らなければ家から追い出すわ。そんなお前に付き合ってくれていた孝之君が不憫でならなかったが、そんな彼を苦しめるとは何事だ!!お前なんぞもううちの子でもなんでもない!出て行けっ!今すぐ、この場で縁を切ってくれるわ!!」

「そうよ!もう帰ってこないでちょうだい!荷物は捨てますからねっ!!」

「………………」


 両親に嫌われていたのは、さすがに紗夜も気づいていた。

 血を継いだ実の親子だというのに、彼らは跡取りである年の離れた兄だけを可愛がって、紗夜のことは毛嫌いしていた。

 確かに紗夜は兄とは違い成長スピードが速く、赤子の頃から大人しい子ではあったが……それにしても、婚約破棄された上に自称友人にも裏切られ、更にその場で両親にすら見捨てられ縁切りを言い渡されてしまうとは。

 さすがの紗夜にも、これらを受け止めた上で消化できるだけの気力は残ってはいなかった。



 ぷつん、と何かが切れる音。

 それは彼女の意識が、オーバーヒートによって強制終了させられた音だったかもしれない。


 まるで糸が切れた操り人形のようにその場に倒れこむ紗夜の身体を、床に伏せる直前に受け止めた人物がいる。

 年のころはまだ20代半ば、きりりとした精悍な顔立ちにノンフレームの眼鏡をかけ、ゆるりと撫で上げた前髪が乱れるのもかまわずに、彼はそっと床に膝をついて紗夜の身体を抱えなおした。

 そして視線を、呆気にとられたように見下ろしてくる当事者たちに向けると、ふっと挑戦的に微笑む。


「婚約破棄に幼馴染の裏切り、そして家族からの縁切り、ですか。でしたらもうこの子に用のある方はここにはおられませんよね?」


 ぐるり、と周囲を見渡し、異を唱えるものがいないとわかると彼はひとつ満足げに頷く。


「でしたら、今この瞬間よりこの子はうちが貰い受けます。手続きやらなにやら、必要なものは近いうちに弁護士から連絡をさせますので。では、失礼」



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