3話 出発
話し終えた後、スティーラは俺を席から立たせて先程まであったドアの場所に俺を誘導した。
現在俺の先をスティーラは歩いている。
いよいよ地獄に行くんだろうか。
短い距離だが結構長い距離を歩いているように感じる。
一旦意識し始めると心拍数がどんどん上昇し始めていき、手がつけられない・・・
ああ・・・緊張してきたぞこれ。
行くことはもう決まっている。
覚悟も決めた。
なのにこうだ。
俺の心臓は言うことを聞いてくれない。
俺の体の中で、別の生き物が生きているかのような気持ち悪い感覚。
・・・
ふと思った。
俺、今心臓があるのか。
試しに胸を抑えてみる。
確かに胸を抑えた手から鼓動が伝わってくる。
死んだのに心臓を俺は持っていた。
しかも動いている。
すごい身近にあるから今まで気付かなかったぞ。
「なあ、スティーラさん。ちょっと聞いていいか?」
立ち止まって彼女に聞いてみることにする。
「俺、死んでるのに心臓があるんだけど・・・どういう事なんだ?これ。しかも動いてるし」
・・・もしかしたら俺が死んでいることは嘘で、これは何かタチの悪いドッキリだという考えが一瞬よぎる。
さっきの超常現象や、天使の頭に浮かんでいるヘイロウは、何かのトリックなんだと。
そうであって欲しいと。
一方で、そんなことは多分無いだろうということも分かっていたのだが・・・
スティーラは歩みを止めると、俺の方に向き直る。
質問はもうないとか言っておきながら、またすぐに質問してくる俺に対して、彼女は文句の一つもなく答えてくれた。
「魂の形は現世での肉体の形と同じです。死んだ直前の体を魂は再現しているんです」
「再現・・・そしたら心臓だけじゃなくて、脳も胃袋も全部俺の体の中にあるのか」
「その通りです。そして魂が再現するのは形だけじゃありません。体の機能ごと再現しているんです」
おお・・・だから緊張したりするのか。
彼女の話に納得する俺。
「俺、魂だけの状態って中身が何も無いのかと思ってた」
「あなたがこうやって言葉を話しているのも、脳があるおかげでしょう?」
確かにそうだ・・・
脳がなければ話すことも、歩くことも出来ない。
脳があるからしっかりと体が動作するのだ。
脳がなければ何も出来ない。
心臓だとか肝臓は動くんだろうけど、結局は何も出来ない。
・・・ここからは別の話になりそうだからここで止めておこう。
見ると、彼女は若干の笑みを浮かべていた。
なぜかスティーラが嬉しそうだった。
俺の質問がよかったんだろうか?
調子をよくして話を続けてみる。
「それじゃあ死んだ直前の体を再現ってことは俺、結構若く死んだんだな」
自分の腕を見る限り、シワのない筋肉質で健康そうな感じだった。
切り傷や火傷の跡が多いのには違和感を感じるが、それらの傷を除けば普通の健康な腕だ。
残念ながら自分の顔を見ることはできないが、少なくともそんなに年をとっていないことは分かる。
「・・・」
彼女は何も答えてくれなかった。
あれ、なんか失敗したか。
言えないんじゃなくて、無言ってことは彼女の気を悪くしたってことなんだろうか?
・・・
スティーラはまた前の方に向き直って先を歩き始めてしまった。
・・・気まずいじゃないか。
いつの間にか、心臓の高鳴りは収まっていた。
---
ドアのあったところまで来ると、今度は彼女の方から話しかけてきた。
「ここにあったドア、何か書いてありませんでしたか?」
いきなり変なことを聞いてくるな。
銀色に輝いていたあのドア。
ドアの中心に文字が書いてあったはずだ。
確か・・・
「確かステ・・ラ、とか書いてあったと思う。英語で」
「stellaは英語ではありません。イタリア語です」
間違っていた・・・
また気まずい。
ちょっと苦々しげな顔をしてしまった俺を見て彼女は続ける。
「・・・その調子だとstellaの意味も分からなさそうですね。」
心なしかスティーラはちょっと俺を小馬鹿にしたような表情をしていた。
言い返してやろうかとも一瞬思った。
だが、彼女の言う通りだったので反論も出来ない。
俺は悲しいことに頭がよくないようだった・・・
「stellaとは星という意味です」
「星?」
「そうです。この言葉はあなたにとって、そして私にとって大切なものです。覚えておいてください」
そうか、大切なのか。
なんで大切なんだ?
「なんで大切なんだ?」
心に思ったことをそのまま口に出して聞く。
ちょっと俺は単純だなとか思ったのは隠しておこう。
「言えません」
出たよ・・・お得意の言えませんが。
何だろうな。
何が言えなくて、何が言っていいのかよく分からない。
どうせ、なんでさと聞き返しても、言えないとスティーラに言われるんだろう。
無理矢理納得するしかない。
「分かった。それはそれとして、ドアは消えたままだけど、どうするんだ?」
地獄に行くためのドアは何故か、スティーラが現れたと同時に消えてしまった。
どう地獄に行けと言うのか。
「ここはあなたの心を写した場所だというのは話しましたよね?」
「言ったけど、それとこれとどんな関係が?」
「あなたがドアを出せばいいのです」
「んん?」
言ってることが繋がってないような気がするんだが・・・
俺がドアを出す?
「俺がドアを出せるのか?」
「はい。あなたの場所なのですから、それぐらいは出来るでしょう」
むちゃくちゃだ。
無い所から物は出せないぞ。
俺は錬金術師か何かじゃない。
両手をパンッと叩いて何かを作れるわけじゃないんだ。
「出来ないって」
「あなたがそう思っているからです」
「じゃあどうやってやるんだよ」
「想像してください。ドアを創造するところを」
「想像で創造?ドアを?」
「そうです。あなたが出来ると思えば出来ます」
彼女は断言するようにそう言った。
そうか、出来ると言うんだったら出来るんだろう。
超常の存在が断言すると、妙に信憑性があるように思われる。
でもアドバイスくらいは欲しいぞ。
「助言くらいくれよ」
ただ想像しろと言われても分からないんだよ。
一方彼女は何が分からないのか分からない、と言いたそうな表情でこう切り返した。
「まずあなたは頭が悪い上に頭が固いのです。もっと柔らかく考えてください」
丁寧に話しているくせに失礼だった・・・
事実だから否定はしないけどさ・・・
「柔軟に考えることは重要です。人は単身で空を飛べないだとか、魔法のようなものを使えないなんていう考え方を止めてください。現世とここでは法則が違うのです。現世の常識をここで考えないで、想像すれば何でも出来るという常識に置き換えてください」
何を言っているんだろう、この天使は。
常識を置き換えるって・・・
一朝一夕に出来たら苦労しないわ!
なんで俺の生きていた世界に宗教があったのか分かっていないようだな。
「簡単に考え方を変えられないのが人間だ」
「何回も言いますが、言いたいことは分かっています。ですが、そういうことはやってみてから言ってもらえませんか?」
正論を言われた。
やってもいないうちから出来ないだなんて言い訳もいいところだと思うのは俺だって同じだ。
よし。
まずはやってみようじゃないか。
常識を置き換える・・・ね。
常識を置き換える。
・・・
---
足りない頭をよく使って考える。
この世界のことを。
常識のことを。
そもそも死んでも魂が残るっていうこと自体が常識の外だったんだ。
この世界の常識外の事態に困惑する俺。
だが。
一方何気なく順応しようとしている俺もいる。
困惑しながらも、何とかしようとしている俺がいる。
適応しようとしているのだ、きっと。
多分この先の地獄や天国だってそうだ。
適応して行かなければいけない。
そうしなければ前に進めない。
俺の生きていた世界だってそうだ。
皆厳しい世界の環境に適応して生きてきたのだ。
適応しなければ生きられない。
適応しなければ死ぬ。
それだけ厳しい世界なのだ。
乱暴な考え方だとは思うけど、この自分の心を写した場所だって一種の世界だ。
映画館のような狭い世界。
自分の心を写した世界。
自分の頭の中を写した世界。
自分の頭の中の世界。
自分の頭の中ぐらい自由にできなくてなにが俺だ。
俺が俺でいられるのは、頭の中で俺が自由に泳ぎ回っているからだ。
自分の考える世界に障害物があるわけがない。
もし、そこに障害物があったのなら、それは俺が勝手に作っているだけの話だ。
人の心は自由だ。
この先進むための知識は、十分とは言えないがスティーラに教えてもらった。
後は自分でこの世界に適応しなければいけない。
適応するための方法が、俺の頭の中で俺が自由に泳ぎ回ることならこんな簡単なことはない。
そうだ、何でも出来る。
俺は出来る。
やれば出来る。
出来る出来る出来る出来る・・・・・・・・・
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気が付いたらいつの間にかドアが現れていた。
最初に見たときの姿と寸分違わない、銀色に輝く金属質なドア。
ただし、ドアに書かれていた文字が無くなっているのを除いて。
「出来ましたね」
スティーラが、はっきりと微笑んでいた。
ああ・・・やっと出来た。
短い時間だったが、すごい疲れた。
自分に対して何かを問いかけるという行為はすごい疲れる。
まるで自分と戦ってるみたいだった。
自分に問いかけた結果、すごい乱暴な考え方になってしまったが、まあ自分がちゃんと納得すればいいってことだったから、過程はこの際どうでもいいか。
取り合えず、スティーラにお礼を言っておくことにする。
「助言ありがとう。おかげで何とかなったよ。スティーラさん」
「要領は悪かったですが、きっかけが掴めたら後はあっという間でしたね」
要領が悪いのは仕方ないだろ。
だって普通の人は、そんなに簡単に考え方を切り替えられないと思うんだ・・・
これ、自分でも褒めたくなるぐらいの出来だと思ったんだけどな。
他の人は、死んでも難なく対応するんだろうか?
彼女の言い方じゃあ俺は、出来が悪い風になってるが。
・・・成功したのにネガティブになるのはよくない。
ポジティブに考えよう。
成功してよかったじゃないか、俺。
・・・
取り合えず、眼前にあるドアに意識を向ける。
「後はこのドアを開けて行くだけか?」
銀色のドアを指差して俺はスティーラに聞く。
「心の準備がよろしければ、どうぞ」
簡素な言葉が返ってきた。
なるほど・・・俺の気持ち次第か。
心の準備・・・
今ここで考えても延々と迷う気がする。
こういう時は深く考えず突っ込んだほうがいい気がする。
またしても直感だ。
いい加減な考え方だ。
考えてすらいないかもしれない。
でも、記憶も何も無い状態で、参考にできるものが他に無いのなら、直感で行くしかないだろう。
身をゆだねよう。
自分を信じて。
「行くよ。また会えたら会おう」
別れは簡素である方が良い。
銀色のドアに付いているドアノブを回して奥の方へと押す。
金属質で重い印象を漂わせていたドアは思いのほか軽かった。
ドアの先は光でいっぱいになっていた。
目を細めなければまともに見れないほど光で溢れている。
すごく強い光だった。
光に向かって手を伸ばす。
変な言い方だが、光に触れているのがよく分かる。
光はとても暖かく、とてもこの先が地獄だなんて思えないくらいに神聖だ。
不安なんかとっくのとうに吹き飛んでいた。
心を洗ってくれるかのように、光は俺の体を包み込んでいく。
どうやら待ったなしらしい。
光から目をそらすかのように、もう一回彼女の方を見る。
スティーラは、もう一回はっきりとした微笑みを見せて口を開いた。
「また会う時は、私の名前をさん付けで呼ばないようにお願いします」
その瞬間俺は光に包まれ、視界が真っ白になった。