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この世界でただ1人の人間の戦い  作者: 冒険好きな靴
第16章 煉獄篇 志紀魁人の記憶
201/244

201話 リターン・メモリー3~心の貧困~

 施設での生活は肉体的にきつかった。

 何しろご飯が少ない。

 お風呂にも入れる回数は週に3回と限られている。

 今ではもう慣れっこだけど、学校では臭い奴と笑われている。


 この臭いを例えると、ドブの臭いだそうだ。

 俺達が毎日嗅いでいる臭い。

 学校の同級生が毎日嗅いでいない臭い。


 羨ましいとは思わない。

 ただ臭いだけで馬鹿にする連中と、同じことの方が俺は我慢ならない。

 必死に働いている職員さん達も同じ臭いを出していたからだ。

 時には汗が発酵してハエが集まってくることもある。

 けど、それは俺らを必死に育てようとする職員さんのお陰だ。

 ・・・それは尊いことだと思っている。

 殆ど職員さんと話さないけど、そういうことは何となく分かっていた。


 馬鹿にされても、支えてくれる人がいる。

 このことに気が付けて良かったと感じる。

 こういう支えって大事だと思うから。

 生きることの正当性を感じる。

 同時に他人への劣等感も。


 「どうして!?ねえ!!??どうしてよおぉぉぉ!!!」

 「きゃ!!!」


 俺がボーとベットで寝ていると、隣の集団部屋から叫び声が聞こえた。

 声からして同居人がパニックになってるんだろう。

 ここではこういうことは日常茶飯事だ。

 だから今更慌てる人なんていない。

 ・・・新しく着任した職員さん以外は。


 ベットから降りて、隣の部屋の様子を伺う。

 そこにはハサミを持って暴れまわっている女の子がいた。


 「しおりちゃん!!やめて!!!」

 「やだやだやだ!!!お父さんは!?お母さんは!!??」

 「連絡がつかないのよ。ね、分かって!!お願いだからハサミを振り回すのは・・・」

 「嘘だもん!!!」


 しおりと呼ばれた女の子が、まだ若いここに入りたての職員さんに襲い掛かる。

 ザクッと腕にハサミの刃が突き刺さる。

 赤い血がポタポタと落ちて、カーペットが赤色に染まった。


 「うっ・・・」

 「やだやだやだ!!!」


 ダメだ。

 しおりは止まらない。

 錯乱してる。

 誰かを呼ばなきゃ。

 そう思ったところで、他の職員さんがドタドタと部屋に入ってきた。


 「しおりちゃん!」


 優子先生もその中に入っていて、咄嗟の判断でハサミを手で叩き落とす。

 その瞬間に抱き着いた。


 「大丈夫、大丈夫よ」

 「離して!!離してよ!!!」

 「大丈夫だから、ね?」

 「うううう!!!」


 しおりは優子さんの腕に思いっきり噛みつく。

 野生の犬みたいに。

 けど、先生は笑顔を崩さない。

 噛んでいる口から、血と涎が混ざった液体が腕を伝う。


 しおりは抵抗したけど、数分後には疲れたのか大人しくなった。

 そのまま体力を取り戻すように眠り、ベットに寝かされる。


 「・・・朝比奈さん、大丈夫?」

 「・・・」


 新しく来た職員さんに向かって、心配そうに優子先生が声をかける。

 まだこの人は笑顔を崩さない。

 ハサミで刺された場所は、応急手当で包帯を巻かれている。

 腕は動かせるみたいだから、多分たいしたことない傷だと思う。


 「私、しおりちゃんへ両親に会えないってことを話したんです。最近連絡も繋がらないし、今回もそうだったので・・・」

 「うん、そうね。ここのところ音信不通だものね」

 「けど、それだけでこんな・・・」


 新しい職員さんはポロポロと透明な涙を零す。

 さっきカーペットに落ちた自分の血と混じって、さらに赤色が広がる。


 多分、しおりは両親に捨てられたんだ。

 捨てられた子は児童相談所を通して、その子にあった施設へ入れられる。

 ここは先生が経営してる施設だから、まず両親と連絡が取れなくなったら、そういうことを児童相談所に伝えなきゃいけない。

 俺の場合は児童相談所から酷い施設へ送られそうになってるのを、優子先生に引き取ってもらった。

 けど、この子は・・・


 「私・・・辞めます」


 新しい職員さんはそう言った。

 俺の予想したとおりだ。

 新しく来た人は、大概これで辞めていく。

 酷い現実に耐えられなくて。

 俺よりも、ここの子供達よりも、先生方よりも、外から来た人の方が心が弱い。

 だって、外は楽園だから。


 「・・・まだここに来てから1週間でしょ?辞めちゃうの?」

 「来て1週間でこれですよ?これじゃあ命が幾らあっても足りません」


 思わずちょっと笑いそうになった俺がいる。

 なら、ここの先生方は何回も死んでることになるじゃん、とか思いながら。

 暗い蔑みの気持ちで、先生方のやりとりをこっそり見守る。


 「ヒステリックな子が多すぎます。暴力を起こすなら、隔離するべきです。部屋を1つ犠牲にしても、そういうお仕置き部屋を作るべきです」

 「・・・ここはそういう方針じゃないの。それじゃあ児童相談所と同じになっちゃうわ」


 そう。

 児童相談所は問題を起こした子供を、様子見として狭い部屋に閉じ込める。

 布団しかない部屋だ。

 そこで4、5日囚人みたいに生活させられる。

 このことは外の人、意外と知らないんだよな。

 そういう経験を経て、子供達は抑え込まれていく。

 かくいう俺もその1人だ。

 現実を生きる人達は、意外と現実を知らない。


 「じゃあ、辞めます」

 「・・・逃げるの?」

 「逃げでもいいです。ここよりはマシな職場を探します」


 ・・・ここ1週間の不満が、隠しきれなくなった瞬間だった。

 心の闇が、病みとなって、言葉となって優子先生に降り注がれる。


 「汚いし、臭いし。私、友達とも遊べてないんですよ?時間拘束が長い割に給料は安いし、食べたい物も我慢して。こんなの人の生活じゃない!」

 「・・・」


 この女の人が面接に来た時、俺は見ていた。

 不自由な子供の力になってあげたいんですと、目をキラキラさせて言っていた筈だ。

 多分、それは自分に余裕がある時だったからそうだったんだろうな、と思う。

 自分に余裕がないと、人はカリカリする。

 不平不満を恨むようになる。

 他人が羨ましくなる。

 卑しくなる。

 今の俺と同じだ。


 俺はそういう気持ちを表に出さないように少しはコントロールが出来るけど、外の人は違う。

 陰口を言ったり、遊ぶことでしかストレスを解消出来ない。

 俺だってまだ10代前半なのに、酷く大人達のニンゲンレベルが低い気がした。


 「働いた分の給料は口座に振り込んでおいてください・・・さよなら」


 冷たくそう言い捨てて、ドシドシと音を立てながら、出口へ去っていく。

 新しく来た職員さんは、たった今から辞職した職員さんになった。

 きっと、楽しい生活が彼女を待っていることだろう。


 「・・・今までご苦労様でした」


 優子先生は、追いかけることもなく、出口の先にある楽園へと戻る元職員さんの背に向かって、そう言った。



 ---



 結局、しおりは児童相談所預かりということになった。

 両親の行方が分かるまで、こちらで一時的な保護をする、という形になったみたいだ。

 しおりの両親の家はカラッポで、家具も全部なかった。

 多分計画的に逃げたんだろうと、優子さんと児童相談所の職員はそう言っていた。

 これじゃあ家族が見つかっても、しおりはもう・・・


 初めから両親が死んでいる俺は、まだ良かったのかもしれない。

 だって、家族のいざこざで苦しむことはないのだから。

 人と人が関わるとメンドクサイ。

 トラブルが絶えない。

 俺達みたいな特殊な子供達なら、なおさらだ。


 優子さんは、最後までしおりを励ましてた。

 きっと、またお父さんお母さんに会えるよ、と。

 嘘は言ってない。

 多分、会えると思う。

 会えるだけだと思うけど。


 「ねえ、先生」

 「なあに?」


 みんなで公園にピクニックしている時、俺は珍しく自分から優子先生に話しかける。

 小さな公園で、希望の家のすぐ近くにある。

 ちゃんと歩けない子が多いからだ。

 20人の子供を誘導しながら遠くまで出向くのは無理がある。

 だからいつもピクニックと言えばここだった。


 「ケガ、大丈夫?」

 「あ、これ?こんなのケガの内に入らないわよ」


 先生が腕を見せてくる。

 包帯でグルグル巻きだ。

 内出血を起こしている部分がちょっとだけはみ出てるのが痛々しい。

 でも、俺が言ったケガはそこじゃない。


 「先生、あの後トイレに籠ってたでしょ」

 「・・・バレちゃってた?」

 「俺だけだよ。他のみんなは自分のことで手いっぱいだったから」


 あの後先生は、嗚咽を漏らして1回泣いていた。

 しおりが児童相談所に連れていかれる前日。

 ずっと、笑顔だったのに。

 俺は知っている。

 裕子先生が泣く時、それは子供に良くないことが起こる時だ。


 「みんなには内緒にしてくれる?」

 「俺にだけ、そのこと詳しく話してくれたらね」


 知的好奇心。

 その言葉自体は明るいけど、俺の気持ちは陰湿で暗い。


 「・・・ほら!ここにおいしそうな肉団子があるよ!最近お肉食べれてないから、おいしそうでしょ?」

 「食べ物で俺は買われない」

 「じゃあ、希望の家あてに寄贈してくれた本があるのよ?それを読み放題にしてあげる!」

 「どうせ、施設じゃ絵本以外の本を読むの、俺しかいないよ。どうせ俺の手元に転がってくる物なんじゃないの?」

 「じゃあ・・・」


 そこで、先生の言葉が止まる。

 浅いよ、先生。

 心の中でそう思っておく。


 「俺、先生が泣いてたこと誰かに言っちゃおうかな・・・」

 「あらあらあら?それは困ったわねぇ」


 脅してみたのに、軽くおどける先生。

 余裕があるんだかないんだか、よく分からない。


 「魁人君は、本当に言っちゃうのかな?」

 「先生が教えてくれればいいんだよ」

 「・・・そっか。君には敵わなくなっちゃったなぁ」


 観念したように、そう言った。


 「成長は早いね。もうこんなに話せるような年頃まで成長しちゃうなんて」

 「・・・馬鹿にしてる」

 「まさか!褒めてるのよ?私、君の成長ぶりが見れて嬉しいな」


 俺は元々そういう系の障害は持ってない。

 ただ、感情のコントロールが昔は上手くなかっただけ。

 今は自分でも自覚して、抑えるようにはしてる。

 俺が人とうまく話せないのは、俺が人を嫌っているからなだけだ。


 「じゃあご褒美、ちょっとだけね。他の先生には話しちゃダメよ?」

 「うん、約束する」

 「・・・しおりちゃんね、あの子、いつもうなされてたでしょ?」

 「夜、寝かしつけるの大変そうだったね」

 「父親と母親がちょっと乱暴だったんだ。その両親がしおりちゃんが言うこと聞かないんです、って私に相談したの」

 「・・・」


 ちょっと乱暴。

 そんなちょっとでここに来る訳がないし、夜にあんなうなされるはずもない。


 「しおりちゃんを見たらね、傷があったの。だからこっちで一時預かりした。あちらもそれに満足したんでしょうね。笑顔になって帰っていったわ」

 「・・・それでいなくなっちゃったんだ」

 「あら?よく知ってるわね?また盗み聞き?」

 「うん」


 正直に話す。

 嘘は吐かない。

 この先生に限っては。


 「そっか、でも、バレないようにしなくちゃね」

 「先生にも?」

 「出来ればね。私がいつ、君の行動を周りにバラすか怖くない?」

 「先生、そんなことしないでしょ」

 「するかもよ」

 「しないよ」

 「うれしいわ。そんなに私のこと信じてくれるの?」

 「だって、先生のお陰で生きていけるようなものだもん」

 「・・・」


 そう。

 しおりみたいな子は、虐待されて育つ子も多い。

 施設ですら、ストレスで子供に攻撃する職員がいる。

 そういう関係性は、高齢の障害者施設と似てる。


 こういうことは、1部しかニュースに報道されない。

 そのたった1部に、被害者への同情の言葉や加害者への苛立ちの言葉が贈られる。

 でも、それは遠く遠くで起こったことだ。

 だから、直接何をしようという訳じゃない。

 言いたい放題言うだけ。


 それに、そんな遠くの出来事に関心が向いていても、そういう人に限って近くが見れていない。

 こんなこと、割とそこら中で起こってるのに。

 規模が大きいか小さいかだけで。

 そんなことに気が付かず、たった1部の遠い問題を見ては、同情なんかの言葉を吐き出す。


 みんな、分かってた。

 ただ自分のストレスをどこかにぶつけたいだけだ。

 社会的な正当性を保ったまま。

 どこか、ヒトという生き物は壊れていた。


 「・・・汚いから生きていけるのよ、私達」


 ・・・先生がポツリとそんな言葉を無表情で言った。

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