196話 逝く
現在の俺は、アンビバレンスな世界の見方をしている。
背反する感情が、1つの個体によって表現されることは珍しくない。
愛と無関心は対極にある関係だが、同居することに矛盾はない。
愛せるし、無関心でいることが同時に出来る。
陰と陽の関係だ。
性質は別々に表せるが、その一方で親和性のある考え方でもある。
俺の場合は、本来の人格が世界を憎み、別の人格が世界の生んだ人を愛していた。
俺があの人を愛することが出来るのは、この世界が存在しているおかげである。
だが、一方で生きることに苦しみを感じる。
それすらも矛盾はしない。
世界は周り続ける。
俺の意思など無関係に。
人間など世界にとっての塵にしか過ぎない。
世界の歴史は人間の歴史と比にならない。
ゴキブリのように汚らわしく繁殖し、死に絶える存在なのだ。
だが、まだ例えとして出したゴキブリの方がマシというものだろう。
生命には穢れがある。
動物でも、植物でも。
そして人間という魂は、どうしようもない程穢れている。
穢れの度が過ぎているのだ。
浄化しきれない。
そう思っても仕方ない。
浄化しようと試みただけでも大したものだと思う。
今の今まで、人間という種が生まれてからずっと耐えてきたのだろう。
そして、星と世界は限界を迎えた。
そこで生き抜こうとする人類の愚かさは計り知れない。
汚いヒト。
自身を汚いと思わず、接触する外部からの存在に脅威を感じ、それを汚いと認識する心。
俺が世界でも、同じ判断を下している。
諦めている。
現状、人類が穢れを払拭する機会を何度も与えても、無駄だろう。
人は繰り返す。
喜ばしいことも、憎まれることも。
世代間の交代で、記憶が受け継がれることがないからだ。
例えば戦争の歴史。
俺の記憶では、何度も戦争を繰り返したことによって大規模な戦争は行われなくなったとされる。
しても小国の争いや民族、宗教的紛争だろう。
一個体の人間が保持することの敵わない戦争の記憶を、どうにか保持しようと悲しみを知った人間は活動する。
インターネットで、或いは戦争で被害のあった建物を保存することによって。
だが、実際にそれを見るものは体感する訳ではない。
そこで戦争があったことを、知るだけだ。
愚かしい人間は悲しい記憶を忘れようと努力する。
そうしないと生きていけないからだ。
悲しい記憶は、ふと思い出す程度でいい。
そんな人間という種が、永続的に戦争を覚えていることは出来ない。
戦争はいけない。
そういう考えは肯定されるべきだろう。
だが、人は忘れる。
悲しみを、全て。
そして繰り返し、悲しみを新しく記憶する。
記憶し、保持することに努め、忘れる。
本当の歴史は忘却の彼方だ。
書物には載せられていても、当時に存在した人間でしかそれは実感出来ない。
知ることと理解することは別物だ。
悲しみや憎しみ、喜びや慈しみを繰り返す。
・・・袋小路だ。
そこに進歩はない。
穢れが進行するばかりだ。
現実を見ようとして、現実を見ていない。
ただ、空白がそこにはある。
どうしようもない空白だ。
人が触れることの敵わない箇所。
そのことを知っている少数の人間がいる。
ただ、その者達は戦争を経済発展の道具としか見ていなかった。
正義を志し、悪を養殖する。
彼らは知っていた。
本当の正義は正義ではなく、本当の悪は悪でないことを。
それらを好んで秘匿した。
そんな奴らがいることを知った俺は、世界を憎んだ。
人をどうにか出来ないから、世界を憎むなんて、自分でもどうかしている。
世界の方が、どうにも出来ないのに。
世界を憎むより、人類を憎んだ方が遥かに建設的だ。
だけど、どうしようもなかった。
俺がこの考えのままだったら、天使の言うことに賛同していただろう。
天使の言っていることは正しい。
生命は滅ぼされるべきだし、それは自発的に覆らない。
人間が人間である限り。
絶対に。
だが、イレギュラーがいた。
俺の考え方を変えてくれた人だ。
あの人がいたからこそ、俺は・・・
俺は、天使を殺そうと思ったんだ。
どうしようもない生命を、ほんの少しだけ延命させようと思ったんだ。
・・・天使の胸に、風穴があいていた。
心臓の部分だ。
輝く赤色の純潔が、胸の部分からダラダラと流れ出る。
尊い命を、汚らわしい命で奪ってしまった。
そうだ。
人間とは、略奪者だ。
全てを奪う。
生きていくために。
生きていくことを大義名分にして、そしてそうだと思い込んで命を殺す。
そういう生き物じゃないか・・・人間は。
「・・・私が死んでも、終わりませんよ」
「自分が死にかけても、そんなことが言えるのかよ」
「貴方は個として生命を守りたい。私は種として世界を守りたい。命に縛られている命とは、違うのですよ?」
キラキラと天使の体が光に還元されていく。
きっと還るのだ。
偉大なる意思の元に。
「死ぬのが、怖くないのか?」
「貴方方人間は死にたいと言ったり、生きたいと言ったり忙しいですね」
「・・・それは人間の本能だからな」
生の本能と死の本能。
人間という生物は破壊と終息を根底から望むが、同時に生きてより完全になろうとする望みも持っていること。
だから人間は意見が割れる。
生きたいと言ったり、死にたいと言ったり。
どちらの現象にも完璧な結果が存在しない。
だから真の意味で望みは叶わない。
多くの者は、そこに惑わされる。
天使がそういった点に執着心を持たないのは、流石に穢れを取り除いただけのことはあると思う。
「死ぬことに恐怖を感じるのは、自身の感覚が消失することを恐れているからです。ここにある意識が全てだと思う人間が死を怖がります。光の概念を取り込んだ私達が、死を恐れるなど・・・」
「やっぱりお前の方がどう考えても正しいよ」
「正しいか間違っているかで判断している訳でもないでしょうに。まったく、貴方という人間は・・・」
「じゃあ、なんだよ」
「貴方がしたいと思ったことをしているだけでしょう?本来の人間らしく」
・・・そうだな。
「私は争って負けただけ。それだけのことです」
清らかな最後の言葉だった。
人間が死ぬ時よりも、優雅で、綺麗で、美しい。
穢れが感じられない。
人間の死に様は凄惨だ。
腐って、腐臭を撒き散らし、糞尿を輩出する。
有害物質の塊だ。
土葬をしようものなら、その土地が穢れる。
汚物が混沌の器に染みついているからだ。
汚物は自身のことを汚物として認識しない。
自分の本当の姿には気が付かない。
天使は自分のことをよく分かっている。
綺麗だ。
俺が自信を持って言える。
彼女の死は俺が見た中で1番綺麗なものだった。
サラサラと彼女の体が光となって消えていく。
消えた蝋燭の火はどこへ行くのだろう?
そんな疑問を彼女の姿を見て浮かぶ。
・・・謝罪したい気持ちになる。
「こんな、生物でごめん」
「・・・」
ただ、天使は微笑む。
そして消えた。
跡形もなく。
「・・・俺は間違ってない」
そう自分に言い聞かせる。
そうしないとやっていられない。
精神の調和を保てない。
「・・・正しいと思えば、きっとそれは正しくなるわ」
「人間の価値観ってよくブレるもんな」
戦争が正しいと言ったり、平和が正しいと言ったり。
ああ、本当に天使には申し訳ない気持ちになってくる。
「・・・スー君はどこだ?」
「あそこよ」
猫の視線を追うと、彼を見つけた。
彼はまだ苦しんでいた。
彼女が死んでも、未だに。
毒・・・か?
「大丈夫か!」
「・・・大丈夫じゃない。死にそうだ」
体を見てみる。
外傷はない。
呼吸に乱れもない。
ただ、体だけが衰弱していた。
「・・・痛いか?」
「ただ、苦しい」
原因が分からない。
どうすればいいか分からない。
俺は治療能力を使えない。
そもそも外傷がないのに、能力なんか使ってどうするというのか?
「・・・ごめん」
と、ポツリとスーランが呟く。
「何で謝るんだよ」
「・・・俺、迷ってた。あんたが敵か味方か、分からなかった」
どう答えていいか分からない。
俺は彼にどう言っても、罪がなくなる訳じゃないから。
親を奪ってしまったと思われても、俺は認める。
認めなければいけない。
「父さんや母さんを奪ったのはあんただと思ってた。けど、あんたが俺の両親を殺した訳でもないってことも分かってた」
「ああ・・・」
「なのに、俺は魔王に味方したんだ。あんたや両親みたいに、孤立した存在になるのが嫌だったから。みんな、それで不幸になったり死んだりしたから」
「それについては、本当にすまないと思ってる」
「いいんだ。父さんや母さんがあんたに味方した理由が分かったから」
「・・・?」
俺の表情を見て、彼は苦しいはずなのに軽く笑う。
「あんた、こんなどうしようもない世界の状況を見ても、まだ諦めなかっただろ?」
「そうだな。こんな場所で終わっても嫌だからさ」
「やっぱり凄いよ。俺は両親が死んだあの日から諦めてたんだから。父さんみたいだって正直思ったよ」
天使と悪魔が戦う中で、こんな言葉を聞くとは思わなかった。
ダゴラスさんを思い出して、ちょっと泣きかける。
「あんた、父さんと同じ構えをしてたよな?俺、あれ何回練習してもうまく出来なかったんだよなぁ」
「コツがいるんだよ」
「ハハハ、コツかぁ。あんたに教えてもらいたかったな、そのコツを」
「教えてやる」
だから・・・まるでこれから死ぬようなことを言わないでくれ。
せっかく敵を倒したのに。
味方になってくれるんだろう?
なら、生きてくれよ。
技ならいくらでも教えてやるから。
「・・・来てるな、敵」
スーランの言う通り、無数の天使が俺達のすぐ傍で微笑みかけていた。
口元には唾液と血が混ざった液体が滴り落ちている。
「行けよ。帰りたかったんだろ、人間の世界に」
「でも・・・」
「そんでさ、もしも余裕があったらでいいんだ。この世界のことを助けてやってくれ。あんたなら出来そうな気がする。父さんも母さんも、きっとあの時から同じ気持ちだったんだ」
「・・・お前はどうするんだよ」
聞かなくても分かってた。
けど、これが礼儀のように感じられて。
「足止めする」
ほら。
他者と関わるとこんなに辛い。
辛くて悲しいことばっかりだ。
孤独も辛いが、他者と関わることも辛い。
この世界はなんて苦しいんだ。
希望があり、絶望がある。
けど、モタモタしている時間はない。
「いいよ、気にしなくて。これは悪魔側の問題でもあるんだから」
「生命の問題だよ。だから、俺も一緒に戦う」
「無駄さ。天使1人を倒すのにどれだけの手間がかかったんだ?見なよ、星門を」
赤子の天使が笑い声を発しながら、続々と門の向こう側から姿を現している。
膨大な数の天使が深淵へ到達する。
これはもう、止められない。
世界の終わりだ。
「けど、あんたは生きるべきだ」
そう言って、彼は立ち上がる。
どこにも異常は見当たらないのに、脂汗が酷い。
生命の活動が妨げられているように見える。
俺の強化された目でも、何も分からない。
「・・・闇の意思の具現 」
スーランが能力を使う。
魔石は1つも残されていない。
莫大なコストを支払って、彼は大剣から黒い獣を出現させる。
「ほら、行きなよ」
理不尽だ。
こんな別れ方は、理不尽すぎる。
どこにぶつけていいかも分からない気持ちが、胸を強く締め付ける。
その状況がかえって俺の意思を強くした。
「・・・必ずお前の言ったこと、叶えるから。絶対に世界を変えるから!それまで死ぬなよ!!絶対に死ぬなよ!!!」
「・・・久しぶりに良いこと聞いたなぁ」
少しだけ呆けた。
悲しみに打ち勝つために。
俺とスーランは同時に走った。
もう振り返ることもないだろう。
天使が襲い掛かってくる。
だが、その進行は黒い獣によって遮られる。
「ありがとう、お兄ちゃん」
涙が零れそうになるが、抑える。
堪える。
その代わり顔が歪んだ。
「ああ、こちらこそありがとう。スー君」
俺は絶望から逃げ出すように、星門へ駆け出した。




