160話 光の記憶11
幸運と不運について考える。
幸運と不運の人生における総量は同等かどうか?
俺は思う。
不運の方が多い人がいるし、明らかに幸運の方が多い人もいる。
これは俺が実際に見てきたことだ。
だから、間違いない。
誰かが言った。
幸運の解釈は人それぞれと。
幸運の対象は万人に共通するものではない。
だから、幸運と不運の総量が平等かについては証明出来ない。
神にしか分からないことだ。
でも、俺は言った。
分からないが、答えはある。
答えのない問題はない。
俺は考える。
生まれてきたことは幸せか?
死ぬことは不幸か?
それとも・・・
生まれてきたことは不幸か?
死ぬことは幸せか?
等価交換と言う言葉がある。
何かを得るならば、何かを差し出さなければいけない。
万物の法則。
全てに適応される絶対のルール。
地獄でもそれは同じだ。
当然現世だってそうだ。
生まれて来たなら、死ななければいけない。
それが生まれてきた代償だ。
俺らが生まれてきて言葉を解するようになるには、時間をかけなければいけない。
それが、言葉を習得するための代償だ。
俺達が歩くためには、エネルギーを消費しなければいけない。
それが、歩行するための代償だ。
これは、取引なのだ。
生きることは、命の取引だと言える。
それがこの世界で、行われていることの秘密の1つ。
気付けるか気付けないかで、大きく人生観は変わる。
何故俺らは、命を与えられるのだろう?
何故、こんな等価交換の法則が存在するのだろう?
法則の存在は理解出来ても、何故法則が存在するかは理解出来ない。
そうなのだ。
何にでも突き詰めると、何故?という言葉が空しく残る。
全てがそうだ。
そして、人間はその全てを知らない。
過程が分かっても、原因は分からない。
それは永遠に分からないものとして存在するのか?
でも、人間は探究する。
それを存在理由に仮定したから。
とりあえず、そう生きようと人類は思ったのだ。
成長し、発展し、袋小路になっても。
それでも、俺らは探し続ける。
だから、俺らは存在し続けることが出来るのだ。
・・・俺は、そうアリアから教わった。
彼女は表面上はアホの子を演じていたが、俺は知っている。
その目に宿る聡明さを。
彼女と交わした会話の1つ1つを覚えている。
その言葉を辿って、俺は光から抜け出たのだった。




