152話 死が満ちた空間
「わお」
見て驚く。
室内の全域が緑色の空間と化していた。
毒だ。
俺とプラムを蝕もうとする、微小の殺し屋。
この毒々しい色を見て、思う。
ここでは大概の生物は生きていけないだろう。
世界はバランスで成り立っている。
毒は量や使用方法を変えるだけで、良薬になる。
また、量や使用方法を変えるだけで、それがさらに猛毒になったりする。
さじ加減は毒を扱う者次第。
この場合、やりすぎなレベルだけど・・・
「ここまでになっちゃうと、生きている奴はいないかもな・・・」
「この毒が発生した状況にもよるわね。毒の空気汚染が遅かったなら、見て対処法を実行する悪魔もいるでしょうね」
「生存者の可能性は捨てない方がいいってことか?」
「そういうことよ」
なら、敵がいるかもしれないってことだ。
気を引き締めていこう。
緑色に変色した空気は、奥の方の空間を見にくくしていた。
今は闇が毒の効果を沈静化しているおかげで、人体に影響はない。
闇をシャットダウンするわけじゃないが、効果は抑制出来る。
本当に闇の能力は便利だ。
「ここは・・・どこだろうな?」
俺がまず目にしたのは、立派な椅子1つだった。
金色の装飾に、細かい文様が描かれた芸術品と呼べるランクの椅子だ。
それが1つだけ、ポツンと置いてある。
奥の方には、真っ直ぐに敷かれたレッドなカーペット以外、何もない。
左右は大きな白い柱が並んでいて、これが建築上必要な柱じゃなく、装飾としてのものだと思わせる。
「謁見の間じゃないかしら?」
「じゃあ、この椅子は魔王のか」
「そうでしょうね」
ラースの中央執行所にも、謁見の間があったな。
あの室内を思い出せば、ここが魔王と謁見の出来る場所だと言うのが納得出来る。
「とにかく進もう」
大樹のどこに謁見の間があるかなんて分からないから、この部屋が何か分かっても何も意味がない。
とにかく進むのだ。
闇の能力で魔石を消費しない内に。
謁見の間を出ると、巨大な廊下に出た。
ここが樹の中だと思わせない程綺麗な廊下だ。
白一色の壁に、赤いカーペットが続いている。
上にはクズ魔石が豪華に設置されていて、非常に明るい。
そのまま奥へ進んでいく。
いくつか分かれ道があるが、そこは無視していく。
気配がまるで感じられないからだ。
俺達の目的は2つ。
1つは、ベルゼブブに助力を願うこと。
2つは、大魔石の確保。
こんな猛毒が立ち込める状況だ。
ベルゼブブは死んでいるのかもしれない。
だが、本人がこんなことをやらかしたのかもしれない。
様々な可能性が考えられる。
だから、気配がある方向へ向かうのだ。
あの魔王が死んでいるか、生きているか確認する必要がある。
5分も歩くと、大きな階段に出た。
行く先は大魔石の方向だ。
なら、上しかない。
俺は階段を上っていく。
その途中で、幾つかの死体を目にする。
死体は腐敗していない。
ついさっき死んだ者ばかりだ。
この毒によって。
「毒の発生源はどこだろうな」
「特定出来れば、こんなに楽なことはないわね」
「ま、探すしかないよな」
毒を発生させた奴が敵じゃないことを祈って、俺は進んでいく。
階段を上りきる。
また、同じような廊下が目に入った。
「・・・死体、多くなってるな」
廊下には、10人以上の死体が散乱していた。
武器を持っていない奴と、大弓を背中に背負って死んでいる奴の2種類がいた。
「武器を持って死んでないな」
「不意に毒に襲われたみたいね」
「じゃあ、毒の広がりは速かったんだな」
武器を持っていない奴は、戦闘職の悪魔じゃないってことだ。
狩猟団以外の悪魔。
脅威が迫れば、狩猟団のメンバーが向かうだろうから、本当に不意を突かれたんだろう。
さらに進むと、死体の数も増えていく。
対処出来ないで死んでいって、毒の進行が速かったってことを考えると、どうもこの奥っぽいな。
「貴方、気配感じる?」
「大魔石に近付いてるみたいで、うまく意思を感知出来ないんだよな」
ついでに、頭もジリジリ痛い。
大魔石に接近すればするほど、その鈍い痛みは増加していく。
全くもって、いい迷惑だ。
廊下を進むこと3分。
死体を避けながら歩いていると、また大きな階段が見えた。
そこからウネウネと漂ってくる、巨大なエネルギーの帯も感知出来た。
「うん、魔石はあっちだ」
「警戒してね」
「出来ることはやってるよ」
「ならいいわ」
今のところ、魔物が出てくる気配はない。
それどころか生きている奴も出てこない。
「あの小さな部屋に集まってた悪魔ってなんだったんだ?」
「あそこは隠し部屋よ」
「あの部屋が?」
「陣が教会の隠された部屋にあったのだから、行先も隠された場所でもおかしくないわ」
そう・・・だよな。
言われて理解。
今更な俺。
「あの室内で苦しんでいた悪魔の服装を見た?」
「誰も武器を持ってなかったのは覚えてる」
俺を最初に襲ってきた奴も、武器じゃなく火の能力を使おうとしてた。
能力を発動する時も、隙だらけでお粗末だった。
戦闘に能力を使ってきたんじゃなく、別の生産的なことに能力を使っていた印象を受ける。
「あの悪魔の服装はエンヴィーの大木内で仕える悪魔達のものだったわ」
「よく服装でそんなこと分かるな」
「だって、煌びやかだったでしょう?」
俺、よく覚えてないんだよな。
味方か敵かでしか、悪魔のことを見なくなってるから。
今は味方の悪魔なんて、殆どいなくなってるし。
「無駄に装飾の多い、それでいて実用的ではない服装を着ている場合、それは魔王の息がかかっている悪魔の場合が多いわ」
「そうなんだ」
「そんな連中だもの。隠し部屋の位置を知っている者がいてもおかしくないわ」
「でも、結局は毒の餌食か」
「転移の陣で逃げようとしたものの、エネルギー不足で逃げられなかったみたいね」
「まあ、並みの悪魔が数人集まっても、光を召喚出来ないだろうからな」
予想としては、それぐらいが妥当か。
悪魔の服装か・・・今度からはちゃんと見るようにしよう。
階段をひたすら上る。
景色はいつまでも同じままだ。
内観がシンプルなせいで、非常に迷いやすくなっている。
自分の位置が分かりにくい構造を採用しているのか、妙に分岐点が多いし。
非常に迷いやすいようにしているんだろうな。
敵が来た時に備えて。
古代の時代に作られたこの大樹の中。
それは、まだ結界が成り立っていない頃の時代の名残が多く残っているらしい。
大魔石を守るため、古代の悪魔達は知恵を凝らした。
現世の人間が建てた城だって、同じような構造をしている。
知恵を振り絞る時、知性ある者は最終的に同じ結果に行き着くのかもしれない。
例え環境や文化が違っても。
「・・・」
俺は歩みを止める。
階段の曲がり角。
いるなと思った。
何かは分からない。
見て確かめるまでだ。
プラムと目を合わせる。
俺に感知出来たからと言って、彼女に感知出来るとは限らない。
だから、時間に余裕がある時は、こうやってアイコンタクトを取る。
気配断ちの結界は張ってあるから声は漏れない。
けど、必要最低限の意思疎通が出来るなら、俺はそっちの方がいい。
彼女は俺と同意見らしく、俺を無言で見つめ返す。
「ふっ!」
階段の曲がり角に踏み込んだ。
武器を構えて、まず視認することを意識する。
「あれま」
体の力をほぐす。
俺が見たのは、すでに虫の息で壁に寄りかかっている男性の悪魔だった。
背中に弓を背負っているから、狩人なんだろう。
それも、手練れみたいで大きな意思をそこに感じた。
背負った大弓は他よりも強力だ。
魔具だろう。
武器の意思が感じられた。
男悪魔の周囲には、比較的大きい結界が張られている。
その手には魔石が握られていた。
その魔石のエネルギーで結界を維持しているんだろう。
でも、死にかけだ。
結界内に引きこもって大分経つんだろうか?
呼吸がヒューヒューと、寂しいことになっている。
中の空気がもう足りないのか。
それとも、毒を既に吸い込んでしまっているのか。
或いは、そのどちらもか・・・
「・・・ぅぅぁ・・・」
俺を見ても、驚いた素振りは見せない。
ただ、絶望の感情が流させた涙だけが唯一の変化だった。
「強かったんだろうな」
「そう思う?」
「多分、強いよ」
そう俺が言うと、彼女はクスクス笑い出す。
「貴方のこと、少し馬鹿に出来なくなったわね」
「ん?」
「コイツ、72柱よ」
合点がいった。
手前の方で、悪魔が毒に対処する暇もなくやられたのに、ここでこうしてこの悪魔が生きているのか?
単純に、強いからだ。
「コイツはクルドね」
「クルドは街道だから・・・兄か」
「でも、死にかけだから関係ないわね」
彼女が冷たいことを言う。
けど、言ってることはあってる。
俺には関係のないことだ。
こんなのを気にしていたら、キリがない。
手練れでも、死ぬ時はあっさりと死ぬ。
死は誰にでも寄り添っている。
強ければ、その死が遠くなるというわけじゃない。
逆に近くなることもある。
世の中はそういう風に出来ている。
誰も逆らえない。
長生きしたければ、まずその事実を受け止めなければいけない。
そうして初めて、迫る死を見つめることが出来るのだから。
でも、そんなことをしなくたって、死は平等に誰にだってやってくる。
きっと彼女は、今も見つめているはずだ。
すぐそこまでやってきている死を。
その領域まで来たら、大して死者と変わらない。
死者は話さず。
生者は死者と意思を交わらせることは出来ず。
俺は生者で、彼は死者で。
72柱でもこんなザマだ。
やはり、死とは避けがたい現象なのかもな。
「殺すか?」
「止めときましょう」
「だよな。抵抗されたら怖いし」
72柱を常識で測ってはいけない。
驚異の戦闘力はその異名に現れる。
2つ名は決してお飾りではないのだ。
俺は彼を放っておいて、先に進む。
罪悪感はない。
強者だから。
死ぬ覚悟はしているはずだ。
だから、彼も叫びはしない。
階段が終わる。
目の前には、一際大きな扉があった。
何もこんなに大きくしなくてもとは思うのだが、何か事情があったりするんだろうか?
「ここまでくると、強烈だなぁ」
強いエネルギーの流出を感じた。
もう大魔石との距離は近い。
俺は巨大な扉を、両手で押して開けていく。
体積に似合わず、簡単にズズズと扉は開く。
開けた隙間から、さらに濃い毒霧が溢れるように流れてくる。
闇を介して呼吸してなかったら、とっくのとうに死んでいるだろう。
中は、またまた廊下が続いている。
けど、他とは違う、特別な感じ。
濃い瘴気はこの先から流れてきている。
明確な流れが視認出来るのだ。
歩きながら、奥を見通す。
霧が濃すぎてよく見えない。
それでも俺達は立ち止まらない。
行くしかない。
最奥の空間へと俺達は到達する。
その空間には、ただ螺旋階段が設置されているのみだ。
上を見ると、階段の先が木の茂みに覆われていた。
この空間の中層からは、建造物の壁じゃなく、木の枝に覆われている。
最上階は近いようだ。
数分上ると、緑の葉っぱが一気に目につく。
これだけ大樹の中に悪魔の出入りが出来る空間があるのだから、大樹自体生命はないだろうと思っていた。
その予想を裏切って、葉っぱは生命に満ち溢れている。
光合成する気満々だ。
こんな濃い毒霧の中でも、サワサワと自然界特有の音を俺に聞かせてくれる。
「準備は?」
「いつでもいいさ」
そして、着いた。
最上階に。
この先はない。
だって、黄昏の空が上に広がっていたから。
綺麗だ。
大樹をウロウロしている間に、時間が経っていたようだ。
月が夜の演出を準備するために、少しずつだが変色していた。
足場は透明なガラスで出来ていて、下に広がる大樹が広範囲に枝を伸ばしているのが見える。
周りは結界によって球状に守られているようだ。
鳥型の魔物がしきりに大魔石のある空間に侵入しようと体当たりをしているが、ビクともしていない。
死が樹の下から見える。
叫びが微かに下から響いてくる。
魔物と悪魔の争いだ。
幻想的な混沌だった。
でだ。
周りの景色がヤバイことになってる今。
そんな中で、別の意味でヤバイことをやってる悪魔が1人いた。
「ハァ、ハァ・・・」
ザクッザクッという音が聞こえる。
聞きなれた音だ。
刃物が肉を裂く音。
生々しい不快な空気の振動は、一定のリズムを保って発生している。
憎しみの意思が上乗りして、俺の気持ちをムカムカさせる。
ただでさえ頭が痛いのに。
肉にナイフを刺して、抜いて、刺して、抜いて、刺す。
何度も同じことを繰り返す。
飽きもせず。
意思の色は憎しみで汚れている。
生物の業が表出化した心の姿。
そこには、魔王ベルゼブブがいた。




