1話 記憶喪失の男
いきなりで何が何だか訳が分からなかった。
今、俺は室内にいる。
多分自宅ではないと思う。
一般住宅で見られるような家具がない。
さらにここはかなり広い。
普通の一軒家がまるまる入るくらいには広い。
そしてこの室内には、移動ができないタイプの背もたれがついた椅子が大量に設置されていた。
椅子が横に数十個隙間なく並び、それがまた縦数十列ぐらい均等に設置されていて、さらに室内の一番奥には白く大きいスクリーンがあった。
・・・つまり今俺は、映画館にいるようなのだ。
突然眩しい光に包まれたと思ったらここに立っていたのだが、ここはどこなんだろうか。
見たこともない場所だ。
どうやって、どのようにしてここに来たのか分からない。
おまけに何も思い出せない・・・・記憶がないのだ。
自分の名前、年齢、出身地、両親、友達、何も思い出せない・・・・。
なぜだ・・・なぜだ?
身分証明書か何か持っていないかとポケットの中を調べてみるが、持ち物は何も持っていない。
普通財布か何か持っているだろうに・・・
スッカラカンだ。
ポケットをひっくり返しても埃一つ落ちてこないとは・・・
そしてこの状況、はっきり言って非常に不安だ・・・
だって何も分からない。
状況の把握が出来ていない・・・自分のことも何も把握出来ていない。
何も分からないので、何をすればいいのか判断も出来ない。
自分のお父さんお母さんがわかる子供の方がまだマシかもしれない。
うわーん!とか言いながらお父さんお母さんの名前を叫ぶことも俺は出来ないのだ・・・
いや、俺はそんなことしたくはないが・・・
とりあえず・・・
何が原因でこんなことになっているんだろうか?
これは事故的な何かなのか?
事故でこんなことが起こり得るのか?
・・・分からない。
状況を聞ける人がいればだいぶ違っただろう。
そう。
この映画館には人がひとりもいないのだ。
周りに人っ子ひとりいやしない。
映画が終わってみんな退場したのだろうか?
にしたってボーっといつまでもつっ立っているのだから、こんな状態になる前に誰か声をかけてくれてもいいだろう。
というか声をかけてくれよ・・・
従業員でも客でも誰でもいいからさ。
混乱するじゃないか・・・
さみしいじゃないか・・・
限りなく俺はぼっちだった。
色々な意味で・・・
まあ悩んでいても仕方ない。
取り合えず、自分の困惑を押し殺して室内を調べてみることにした。
何か行動を起こさないと何も始まらないからな。
状況の打開はまず行動。
ということで、まず周りを歩いてみた。
赤いカーペットらしきものが引かれた床を練り歩く。
結果。
出口らしいドアが室内の一番後ろに一箇所だけあった。
ほかに目新しいものは何もなかった。
・・・出口が一箇所しかない。
大概の映画館なら複数あるもんじゃないか?
最低二つぐらい。
右側と左側に・・・
まあどうでもいいけど。
そしてこれもどうでもいいことなのだが、ドアを見つけた時ドアの上の位置に当たる上壁を見てみた。
ついなんとなく。
そしたらあるはずのものがなかった。
・・・あれ?映写機があのあたりにあるのではなかったっけ?
そう・・・映写機。
映写機が無いのだ。
よく見てみたら映写機の映像を写すスペースすらもなかった。
記憶はないが、なぜか知識としては残っていたことを頭に浮かべながら疑問がよぎる。
映写機が無いのに、どうして室内にスクリーンがあるんだ?
なんだか不気味だ・・・
いや、不気味というか、映画が映らない映画館なんて来る意味なさすぎだろ。
なんでこんなところに俺は来たんだ?
ますますよく分からない。
よく分からないが、仕方ない。
調べる術が、今のところドアの向こうにしか無いのだから。
だから考えても仕方ない。
ということで、見つけたドアの近くまで寄ってみる。
見てみると、ドアの端には奇妙な模様が書かれていて、ステラと書かれた文字を中心に銀色に輝く天使の絵が所狭しと書かれていた。
しかも、ドア全体の材料が銀色に光り輝く金属で作られていた。
ただのメッキなんかじゃないことが分かるぐらいの迫力。
俺に物の価値を判断する目はないが、相当高価そうな材質だというのはよくわかる。
はっきり言って映画館には似つかわしくない、美術館に展示されていそうなドアだった。
ドアがあったのはいいんだが、開けてしまっても大丈夫だろうか。
理由もなく不安になる。
いや、開けなきゃ何も自体が進まないのは分かっているのだが、どうしてかドアを開けることに葛藤を覚えてしまう。
なぜだろう。
進まなきゃ状況が進展しないことは分かっているのに。
俺は臆病なのか?
これが俺の性格?
記憶がないので分からない。
だが、さっきも言ったとおり、他にアクションの起こしようも無い。
ドアから発せられる忌避感と戦いながらとりあえずドアのすぐそばまで寄ってみることにする。
・・・ここからが俺の第2の旅立ちだった。
「うお!」
いきなりドアの表面が歪んだかと思うとドアの中心にねじれが集まってきて、渦巻き状に模様が形成された。
俺は驚愕する。
忌避感が元々半端なかったから余計に驚いたのだ。
心臓がバクバク音を発している。
まるでバイクのエンジン音みたいだ。
物理現象を無視した光景に目を見開いてしまう。
信じられん・・・
なんだこれ・・・
そう思っていると、またもやドアに異変が起こった。
さらに渦巻きが集まってステラの文字まで届いたかと思うと、急にドアが輝きだしたのだ!
「うわっ!!」
情けないことに恐怖心で叫んでしまった。
叫びもするさ、いきなり歪んで光るんだから。
そうしていると、きつい金属音が発せられ始め、終いには地面が揺れだし始めた。
地震か!?と俺は再度驚く。
今、こんなタイミングでなんてあり得るのだろうか?
いや、ドアが光った直後に揺れるなんてタイミングが良すぎる。
これがドアの光と連動していると思わせるぐらいには。
根拠も無くそう思う。
というかそうとしか思えない。
揺れる地面。
とにかく上下に激しく揺れていた。
ドアがブレて2重に見えていた。
そのぐらい俺の体が上下に動いているのだ。
正直、これは紛れもない超常現象だと思った。
世の中には超常現象が本当にあったんだと驚かざるおえない。
が、もういい加減止めて欲しい。
揺れが全然収まらない。
こういうのは俺、苦手みたいだ。
地震みたいな、自分の感覚を狂わせる外的要因ってのはこんなにも人に恐怖心を増幅させるのか。
でも、これは言い訳か?
いや、こんなの目にして怖がらない方が異常だろう。
一般人にしては俺は冷静な方だ。
頭の片隅で思ったことだった。
そんなこんなで10秒はたっただろうか?
光が急に収束し始め、揺れがピタっと収まった。
終わったのか?
恐怖で一歩も動けなかった俺は、ドアがあった場所をそろりと見てみる。
ドアが無かった。
ただの壁になっていた。
ただし。
かわりに白い服を着た女性がドアのあった場所に立っていた。
清潔そうな白いワンピース。
サラサラな長い金の長髪。
外国人みたいな端正な顔。
うっすら輝く小柄な体。
まるで後光が差しているようだ。
普通の人生じゃあ味わえない超展開に驚いているのに、さらに驚かされた・・・
ここで人が出てくるのかと・・・
いや、人じゃないな。
よく見てみると神話にでてくるような、天使の頭によくある輪っかが頭の上に浮いていた。
天使の輪・・・ヘイロウって言ったけか?
・・・ということは、こいつは天使か。
そうか、天使か・・・。
なるほどね・・・
・・・嘘だろ?
俺は自分に対して冷静にツッコミをいれた。
なんで天使がここへ?
ドアが輝いて、地面が揺れたと思ったら天使が出てくるとは・・・
しかも何故天使なのだろうか?
当然の疑問を心の中で叫ぶが、理由は当然よく分からなかった・・・
とりあえず。
何がしたいんだこいつは。
もうちょっと普通に出てこれなかったのか。
こんなに俺を驚かせなくてもと思わないでもない。
しかもだぞ。
ドアが天使になってしまった・・・
どうやって帰るんだよ・・・
さらに焦る俺。
いや、落ち着け俺。
落ち着くんだ。
先ほどの超常現象で高鳴った鼓動を抑えつつ考える。
むしろこれはいい状況じゃないか?
だって天使だ。
天使だぞ?
天使は人を救ったり導いてくれる存在だ。
俺に害がないばかりか俺を導いてくれるかもしれない。
いや、導いてもらえなければダメだろう。
だってこんな超常現象が起こるような場所で放置されれば、それこそどうしたらいいか分からない。
出口だったドアも今は消えている。
というか、こいつが消し去ってしまった。
俺は今、絶賛迷える子羊なのだ。
そんな迷える子羊が目の前にいて、天使が導かないなんてありえない。
ナンセンスだ。
むしろ導かないなんて許せない。
何も悪いことをしていない俺が、何故こんな状況に身をおかなければいけないんだ。
そうだ、俺は悪人じゃないんだぞ。
悪人じゃないんだから俺を助けろよ、と。
そう思ったところで疑問に思った。
俺は人を殺している?
それも・・・何人も?
どうしてそう思ったのかは分からない。
が、そう思ってしまった。
俺は悪人?
では、ここは?
思考の坩堝へと俺の脳は歩み出る。
だから無言になってしまった。
そんな俺を覚醒させるように、目の前の美しい彼女が話し出した。
「はじめまして」
と、天使は初めに言った。
美しい声で。
映画館内にその美しい声が響いて、芸術の領域まで昇華されているようだ。
「私は、あなたという魂の案内役をさせていただきます。スティーラという者です。どうぞ、よろしくお願いします」
目を合わせると、丁寧に自己紹介をしてきた。
業務的ななにかを感じさせる自己紹介。
思わずこちらも自己紹介をするところだった・・・
自分の名前も覚えていないくせに・・・
というか、天使の方から自己紹介するとは思わなかった。
天使は一方的に相手を導く存在だと、自分で決め付けていたようだ。
天使は態度や行動で導く者だとばっかり勝手に思っていた。
それかテレパシー的ななにかで。
固定概念というやつだ。
いや、この場合思い込みか?
記憶がなくなってるのに自分に思い込みがあることに違和感を感じる。
なんだか頭がとてもくすぐったい感じだ。
でも多分、自己紹介を聞いた限りではこの女天使はすべての事情を知っていそうな気がする。
だって、いきなり案内役を買って出ているのだから。
私はあなたという魂の案内をさせていただきます、とか言ってたし。
ならば話の流れに乗っかって状況を聞いて把握するべきだろう。
でも、気になることが一つ。
さっき女天使は俺のことを、あなたという魂とか言っていたな。
これはひょっとするともしかすると・・・
考えたくもないんだがこれはそうなのかもしれない。
いや、だがあるいは・・・
・・・
これは聞くしかあるまい。
聞かないといけないだろう。
聞かなくても女天使から話されるような気はするが、自分で聞かなければいけないような気がする。
理由はないが、自分の直感は信じておいた方がいい気がするのだ。
心の準備をして、女天使に対して返答してみた。
「いきなりですごい申し訳ないんだけど、一つ聞いていいか?」
ん・・・
自然にタメ口が出てきてしまった。
敬語で話そうと思っていたはずが・・・
それに初対面なのに・・・
なんでだ?
「はい、なんでしょうか。答えられる範囲でのことならできるだけお答えしますが」
こちらの意思など聞こえるはずもなく、丁寧に答えてくれる女天使。
まあいい。
今更訂正するのは気まずいし、このまま言ってしまおう。
よし。
聞くぞ。
覚悟はいいか俺。
覚悟はいいか!俺!!
気合を十分に蓄積させながら女天使に対して俺は言う。
気になる疑問を。
「俺はもしかして死んだのか?」
女天使は間を置くこともなく答えを返した。
「はい、その通りです」
笑顔で女天使はそう言った。
なんの抵抗も感じさせない軽い口調で。
・・・
覚悟はしていたので、軽いショックで済んだ。
済んだのだが・・・
ああ・・・やっぱりこんな超常現象とか天使とか、現実にはないもんな・・・
ありえないもんな・・・とか思った。
いや、いいんだよ。
死んでしまったものは仕方ない。
起こってしまったものは仕方ない。
記憶がないから死因は分からないし、証拠もないが、なぜか納得は出来た。
納得してしまったものは仕方ない。
むしろ納得出来たことは好ましい。
未成仏霊とか考えたくもないしな。
だが、それを抜きにしても1つ思うことがある。
こんなこと笑顔で言うか普通?
もうちょっと相手に配慮してくれてもいいんじゃないか?
だって死んだんだぞ。
死んだ原因が、自業自得なのかどうかは聞かなきゃ分からないが、同情してくれたっていいだろ?
具体的には言いづらいが、もうちょっとこう・・・言葉をオブラートに包んで言ったっていいはずだ。
同情してくれなさそうに言われるのはちょっと不満だ。
いや、でもなんか自己紹介の時、仕事でやってますので、みたいな喋り方だったから実際仕事なのかもしれない。
・・・
「きっとあなたは聞きたいことが色々あるのでしょう。説明が必要なのは分かっています。私の方からこの状況について、順番に説明しますがよろしいですか?」
俺が考えていると、女天使の方から話して来た。
またしても業務的な話し方で。
そのとおりだ。
説明して欲しい。
何が起きているのかを。
どれだけの疑問が俺の頭を通り抜けていったと思うんだ?
この女天使は。
でもまあ、説明してくれるという提案自体はありがたかった。
分からないままよりは分かっていた方がいいに決まっている。
言いたいことは多々あるけれども聞いてからの方がやっぱりいいよな。
俺はおとなしく女天使の説明を受けることにした。