表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/30

通り過ぎるもの


 Trick or treat


 Smell my feet


 Give me something good to eat...



 ベッキーの愉しげな歌声が響く。

 最初はその明るい雰囲気に安心していたのだけど、だんだん落ち着かなくなってきた。


 どうしてこんなに声がとおるのだろう。

 いや、どうして彼女の声しか聞こえないのだろう――


「ベッキー」


 声をかけると歌はピタリと止んだ。丸い空洞の瞳がわたしを見つめる。


「どうしたの?」

「ね、なんか静かじゃない?」

「ええー? そうかなぁ」


 耳のあたりに手を当て首をかしげてみせるベッキー。

 そこ耳じゃなくてカボチャですよ奥さん。


「わかんないよ」


 ぷるぷると首をふる彼女(カボチャ)

 ……そっか。


「じゃあ、わたしの気のせいかな」

「そーだよお」


 何がそんなに楽しいのか、るんっとまた足を出す。

 が。


「……あ。わかった」


 そう言って立ち止まるベッキー。

 彼女の黒装束は暗闇に溶けるようで、オレンジ色の頭だけがやけに浮いて見える。オレンジの中の黒い目と口はもっと不自然だ。

 ……どうしてだろう。ハロウィンのカボチャ頭はそういうものなはずなのにな。しゃべって動いて感情もあるのに、表情が全く動かないからだろうか。

 そう思いつつ「何が?」と聞き返すと、わたしの仮定は見事に覆されてしまった。


 まんまるだった瞳、それがつぶれている。

 上に弧を(えが)いた半円の形に。


 えっ何それ形変わるの? どうやって変えてんの?いやそんなことより、なんだろうこのデジャヴ感。ぷるぷる震えるオレンジの野菜を見ていると、今更のように表情の意図を理解した。


 笑われてる!

 わたしまた笑われてるー!!


「アリスってばいつからそんな怖がりになっちゃったのー? かわいー」

「うっ、うる、うるさい! ベッキーが変なんだよっ」

「あははは、前はあたしが怖がってアリスが助けてくれてたのにねぇ!」


 うりうりと頭をなでられる。そういえばそうだったと思い出すと同時に、わたしのプライドは塵となり飛んでいく。ああちくしょう、悔しいし恥ずかしい……

 でも正直、彼女の言うとおりわたしはこの街が怖かった。誰もいないのも先ほどまでしていた笑い声がいつの間にかやんでいるのも、それどころか景色も空気も何もかもが落ち着かない。

 本当は、早く帰りたかった。


 でも、そうなれば恐らくベッキーと別れなくてはならない。せっかく会えたのにそんなことはしたくなかった。


「大丈夫だよ」


 そう言って、微笑んで、それからすぐに後悔する。







 ぺた、ぺた、ぺた、ぺた



 コツン、コツン……



 たったっ、たったっ






 …………。


 ……今、足音がわたしの隣を通り過ぎなかっただろうか。

 誰かではなく、音が(・・)


 慌ててばっとベッキーのほうを向いたけれど、やはり彼女は何も気にせず歩いている。気のせいだよねうん、気のせい気のせい。

 早鐘をうつ心臓を無視し脳に命じる。どうせ何かの仕掛け、イベント。いちいち考えてちゃ馬鹿みたいだ。


 だけどまだ聞こえる足音。わたしを通り過ぎていく足音。

 ひそひそ声。忍び笑い。


 くすくす、くすくす。


 誰?

 どこ?


 走り回る足音。


 足音。足音。

 足音。


 一体、誰が――




「――――っ、ベッキー!」


 たまらなくなってわたしは叫んだ。

 びくっと肩を震わせてベッキーはわたしを見る。


「びっくりした、どうしたの? やっぱダメ? 休む?」


 肩をぽんぽんと叩き、わたしの顔を覗き込むベッキー。

 それからきょろきょろとあたりを見回し、噴水のほうを指差した。


「あそこ座ろうか」


 そう言って歩き出そうとする彼女の手を、わたしはとっさに掴んだ。彼女の黒い手袋越しに確かに伝わる体温。それでもまだ安心できなかった。

 だって、今も、耳元で聞こえる囁きが、ひそひそ話が、横を走っていく足音が、怖くて、怖くて、怖くて。


「き、聞こえないの……?」


 やっとのことで発した問いかけに、非情にも彼女は首を傾げる。

 ベッキーには聞こえないのだろうか。だとしたらわたしはどうすればいい? 誰を頼ればいいの?

 全身を巡る焦燥感に駆られ、ついにわたしは彼女の肩を掴んで揺さぶった。


「なんで聞こえないの?! さっきから笑い声がしてるでしょ!

 こっちに向かってくすくすって、何度も、足音だって誰もいないのにするじゃん!

 聞こえてないの?! ねえ!!」

「ちょっとアリス、変だよ? どうし――」

「変にもなるよなんでベッキーはならないの! なんでっ、――」


 言って、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。

 なぜか身体が強張る。

 わたしの目の前にはベッキーの顔が、ベッキーが、いるだけなのに。


 カボチャ頭のにやけたような眼は既にまんまるに戻り、わたしを見ている。その光沢のない瞳にわたしは映らない。

 吸い込まれてしまいそうな黒の奥で、ベッキーは静かに言った。



「やっぱり、アリス、ちょっと変」



 何も言えない。

 ――変なのはわたしじゃないよ。

 ――変なのはあたりまえだよ。



「ねえアリス、ちょっと考えてみてよ。そんなに驚くことじゃないよ? だって――」


 ベッキーがそこで言葉を切ったわけではない。だけどわたしにはそこで途切れて聞こえた。次の言葉が信じられなくて、意味がわからなくて。


 その言葉を聞いた途端、全身に形容し難い悪寒が走った。それと同時に、わたしの全身は一斉に爆笑の渦に包まれる。誰の笑い声かはしらないけど、溢れ返るようなそれを聞きながら、ぼんやりとわたしは思った。

 ――ああ、わたし、また笑われてる。


 ベッキーは、口元を釣り上げたまま動かないカボチャの面の奥から、こう言ったのだ。





「――だって、足音も声も、最初っからずうっとしてたでしょう?」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ